カテゴリー: エキシビジョン・レビュー

  • ヒロシマ・ドレスデン・ナガサキ

    テートモダンで、「ヒロシマ・ドレスデン・ナガサキ」というタイトルの写真展を観た。都市の名前をみれば、戦争を描いているのだろうと検討がつく。

    そのとおりである。ただし三都市だけではない。

    およそ写真というものが生まれて以来、地球上のあらゆるところでおきた戦争をテーマにしている。

    古くは、アメリカ南北戦争やクリミア戦争から、近年のイラクやアフガニスタンでの戦争まで。

    戦争直後の様子だけではなく、時間を経たあとにも残る傷をも追いかけている。

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    構成も面白い。

    よくあるように各戦争毎に、スペースをわけるのではなく、

    紛争直後、1週間後、数ヶ月後、1年後、3年後、10年後・・・99年後という、

    出来事がおこってからの時間の距離によって、展示を構成している。

    だからひとつの展示室のなかに、第一次世界大戦やボスニア戦争、湾岸戦争などが隣り合わせに並ぶのだ。

    紛争直後をテーマとした展示室での、非常にショッキングなこの世のものとは思えない映像から始まり、

    紛争に巻き込まれた被害者の生々しい傷や記憶、

    やがて、修復された表の顔の裏に、今も亡霊のようにいやされぬ土地や集団としての記憶へと展開していく。

    たとえば、見渡す限り広がる土地に、一本の道が走っている、ただそれだけの風景が、その荒涼さゆえに力をもって訴えてくる。

    あるいは、当時の証言を集めたアーカイヴの冷たい書棚が並ぶ図書室 - これまで開かれることのなかった記録-白黒の写真はその沈黙の深さを物語る。

    忘れたいものを忘れてなるものかと、つきさしてくるカメラの目だ。

    もうひとつ興味深かったのは、このタイトルにも現れている事である。

    イギリスにとって、タイトルの三都市は敵地であった。

    ヒロシマやナガサキは、間接的であったし、人道的な内省も加わるから、同列に並べてはいけないのかもしれない。

    だが、ドレスデンはちがう。

    まさに英軍が先導して、徹底的に破壊した敵の都市、

    しかも軍事的な施設があるわけでもなく、ふつうの人々が住む、当時美しいことで有名だった町である。

    その被害の大きさをとらえる冷静なまなざしは、加害者自身であり、この展示をみる多くのイギリス人につきつけてくる。

    それは、大多数の人にとって、直視するに堪えない事実に違いない。

    戦争を扱う表象で難しいのは、この加害者としての自らをみる視点ではないだろうか。

    ほかにも、これまでにはとりあげられなかった視点からの紛争が語られる。

    たとえば、強烈だったのは、第一次大戦で、同盟国軍からの脱走兵が同胞の兵士によって処刑された史実だ。

    処刑が行われた場所で、処刑が行われた時期やその時間を選んで、

    その風景、その空気をとらえようとする。

    とても重々しくて避けたい過去を、人間の脳にかわって写真というメデイアが淡々と記憶していくのである。

    逆に、それが行われて99年経った今だからこそ、浮かびあがらすことができた事実であり、

    そのことを埋もれさせてはいけないと、後世のカメラマンが誠実にその過去に向かったからこそ、印画紙に刻むことができた作品だ。

    この展覧会は、第二次世界大戦終結の70周年を記念する、実に挑戦的なテーマだった。

    この70という数字には、ふつうのメモリアル以上の意味あいがある。

    それは、自らの体験をもった最後の人々が、まだ直接的な記憶を語ることができる数字だ。

    普通はドキュメンタリーというジャンルにはいる対象を、現代美術の美術館が挑戦したという意味でも、興味深い展覧会だった。

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    (基礎情報)

    Tate Modern

    「Hiroshima Dresden Nagasaki」

  • ベルリンの壁からワールドカップ優勝まで

    大英博物館で開催中の「ドイツ―ある国家の記憶」という展覧会の入り口には、殴り書きで「Down」と書かれた看板がある。

    近づけば、それが1989年に崩壊したベルリンの壁の一部であるとわかる。

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    あれは、ドイツ人だけではなく、20世紀末の人類が共有した記憶だ。

    40年にわたって分断されたドイツが再びひとつになった、現代史からみても劇的な瞬間だった。

    それがあまりに衝撃的だったため、わたしたちの多くは、戦前のドイツはずーっとひとつの統一国家だったという印象をもっているかもしれない。

    ところが、この展覧会はまず最初に、一国家としてのドイツも、実は浅い歴史であることを教えてくれる。

    なかでも面白かったのは、17世紀頃のコインをヨーロッパ地図の上に並べた展示だ。

    イギリスでは王の横顔が刻まれたコインが一つであるのに対し、ドイツ語圏では、地域によって異なるコインが20以上も存在した。

    つまり、ドイツという国なんてなかったのである。

    ひとつの国民としてのアイデンティティーが庶民レベルで普及したのは、

    ナポレオンとの戦争、フランスによる支配、そして開放という一連の歴史を通してだ。

    実に19世紀の半ばである。

    展示はそのことを、当時発行されたイラストや記念品や建築物や、ワーグナーのオペラなどを通して、物語る。

    わたしにとっての目玉は、マーティン・ルターの手書きの序文がはいった聖書。

    プロテスタントの考え方を広めた彼は、ドイツの人々にドイツ語でかかれた聖書をつくった。

    それをさらに押し広げたのが、グーテンベルクの印刷技術だ。ベストセラー中のベストセラーである。

    ドイツ語という言葉が、どんなに人々を結びつけた事だろう。

    展示は、ふたつの大戦、そして連合国によるふたつの分裂へと、めくるめく運命を紐解いていく。

    そして、展示のプロローグにあったベルリンの壁の崩壊に戻り、

    最後は2004年ワールドカップのホスト国になり、その記念すべき大会で、ひとつのドイツとして優勝したことで終わる。

    現ドイツの政治的複雑さ、文化・社会レベルの多様性を背景にしながら、

    世界とのかかわりのなかで、いかに国家が樹立し、崩壊し、また、統一されたのかが、よく理解できる展覧会だった。

    だけれど、何か決定的に足りない、と思った。

    それは、現代のグローバリズムにおける、ゆれる国民性を描いていない事だ。

    ここ数十年の世界的な位置をめぐるうねリ。

    たとえば、EU連合とドイツの立ち位置、膨大な移民の流入、それによって日常的に生じている軋轢や反乱。

    かつ、それに拮抗するナショナリズムの台頭。

    あるいは市場経済的・文化的なグローバリゼーションとドイツの関わりについて、この展示はほとんど語らない。

    現在、同じようなグローバル化の波にさらされている西洋人が共有するはずの、そのナショナル・アイデンティテイー危機に対して、

    現代のドイツ人たちはどのような反応をおこしているのか、

    今日の「国家」を語るための、その大事な部分がなぜかすこんとおちてしまっている。

    その弱点を皮肉るかのように、最後の展示はつぎのように締めくくられていた。

    現ドイツ連邦国会議事堂は、ベルリンのブランデンブルク門のすぐわきにある建物で、19世紀末に建てられたのだが、

    ベルリンが再び統一ドイツの首都となった時、

    その建物はすでに廃墟と化していたという。

    それが再建され、その頂上にガラス張りのドームが加わった。

    再生ドイツの象徴といえよう。

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    Wikipedia より

    だが、そのドームを建てたのは、ドイツの建築家ではなく、

    イギリスを代表する建築家のノーマン・フォスター卿なのである。

    展示会場をでると、再び大英博物館の中央部分のグレートコートに導かれるのだが、

    わたしたちを待っているのは、まさに、そのノーマン・フォスターによるガラスの丸天井だ。

    2015/1/18

  • コンスタブルの雲がたなびく美術館

    彼の故郷に対する愛をこめたまなざしは、

    同国人をして、コンスタブルの「風景画」はイギリスの「肖像画」であるとまでいわしめた。

    今も、コンスタブルの生まれ育ったイースト・バーコルドへいくと、

    1800年代はじめに、彼が描いたとおりの風景が、かわらずわたしたちを迎えてくれる。

    constable

    しかし、今回のヴィクトリア&アルバート美術館での特別展は、

    そうした従来の見方を一度留保して、違う角度から光を当てようとした興味深い展示だった。

    最初の展示室からいきなり、新しいコンスタブル像が始まる。

    そこでは、この画家が残した手紙や周囲の人の証言をもとに、彼がいかに先輩の巨匠たちの影響を受け、

    模倣し、自らの表現を模索していったのか、

    緻密な調査をもとにして、影響を受けた画家たちの作品と一緒に並べている。

    例えば、クロード・ロラン、ニコラ・プッサン、ゲインズボロ、ルーベンス・・・。

     ルーベンスの手による星降る夜の風景を描いたミステリアスな作品の横には、

    それに影響を受けたであろうコンスタブル20代の作品がある。

    まだ駆け出しのこのイギリスの若い画家は、自分の寝室にそのルーベンス作のコピーをかけていたのだとか。

    こうしたアプローチは、「独学の画家」というコンスタブル像が、偏ったものではないかと問いかけてくる。

    展覧会のもうひとつの魅力は彼のスケッチとそれをもとにした完成作を並列していたことだ。

    スケッチといっても、想像されるような白黒の素描ではなく、

    少ない色数でおおまかに描いたものを指す。

    コンスタブルの頃は、まだチューブの「絵具」が開発されていなかった。

    つまり、画家が戸外で大きな作品を制作する事は、物理的に困難だったのである。

    作品に戸外の新鮮さをもたせるために、コンスタブルが工夫したことは、

    完成作と同じ大きさのキャンバスを現場に持ちこんで、少ない色数でスケッチを描いたことだ。

    そこには二つの目的があっただろう。

    ひとつは、大きな画布を相手に、作品の構成を決めること。

    小さなものならよいが、大作は画面構成が重要だ。

    風景をどうきるか、それを実際の様子をみながら決めなくてはいけない。

    もう一つは、現場の光や風を新鮮に表現する事である。

    夏の日に描いたスケッチを、冬のロンドンのアトリエに持ちこんで、

    あの風を、土の湿り気を、脳裏に思い起こしながら、

    その記憶を指先に移して、大作に丹念に落とし込んでいったのである。

    今回の展覧会では、違う美術館が所蔵する原寸大のスケッチと完成作が三組も隣り合わせにあった。

    わたしたちは、それらをセットでみることで、

    戸外の現場での画家のエネルギーや自然の動きを感じたり、

    同時に、一枚の美術作品として仕上げる時の画家としての細心な心配りをみることができる。

    こういう発見は、特別展示ならではの貴重な経験に違いない。

    一人の画家をテーマにした、一見、オーソドックスな展示だが、

    従来の社会通説に風穴を開け、画家に対する理解を広めた革新的な展覧会だった。

    お宝作品をぽんと置いただけの人気取りではなく、キューレターのプロフェッショナルな心意気を感じる展覧会だった。

    満足した気分にひたりながら、美術館の中庭にでると、

    コンスタブルの雲がなびいていた。

    2015/1/7

  • 人生へのオマージュ

    なんという手だろう。皮膚は干からびて、骨に貼り付いている。透けて見える骨格は、この老婆の人生が、決してスムーズではなかった事、一人の人として、ある種の癖を築いてきた事を物語るかのように、膠着し、屈折している。

    それでも、そのグレイの肌に、ほんのり赤みが差し、この人の体温や、息づかいを感じる。

    まるまった小さな体に比べ、大きく描かれた両手も彼女の人生の大きさを表している。

    老婆は、その手からはみだすような大きな聖書を抱えている。

    キャンパス全体が暗く、彼女の頭も黒い頭巾ですっぽり包まれているのだが、その聖書からは神々しい光が静かに溢れ、聖書に目を落とす老婆の顔を、まるでスポットライトのように下から照らしている。

    その顔は、額に皺が深くより、頬の肉はだぶついて、

    手と同じように、彼女の年齢を刻んでいるのだけれど、

    目元は少女のようにやわらかく、口もとはゆるやかに開き、

    周囲の喧騒から離れ、ただただ自分の世界に浸っているかのようだ。

    いや、この老いた女性は、彼女自身の人生の喧騒からも超越した時間のなかにいるのかもしれない。

    ここには、聖書の世界に溶け込んでいる無時間と、ひとりの人として生きられた人生の長さの対比がある。

    ロンドン・ナショナル・ギャラリーで開催中の「レンブラント・後期」展には、

    この画家が得意としたたくさんの肖像画が並んでいた。

    レンブラントの肖像画はどれも、モデルの顔に似せることとか、そのステータスや人柄に迫ること、以上の何かがある。

    それは、その人の人生そのものを、レンブラント独特の深い色使いの中でオマージュすることだ。

    画家自身にとって、それをもっとも追求したのが、自画像の一群ではないだろうか。

    若い頃の成功の後、社会は彼が切り拓いていく斬新な表現を認めず、

    注文は激減し、破産し、貧困に陥り、家族がひとりひとり他界して、たった一人残されてしまった、

    それでも、自分の目指す表現を信じつつ、そんな自分の生を謳歌するのだ。

    わたしには、レンブラントの肖像画には、「絵」というメディアには収まりきらない、

    もっと深遠な人間の生に対するまなざしがあるように思えてならない。

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    2015/1/16

  • Who are you? グレイソン・ペリー展@肖像画美術館

    「また、やられた!」 最初の作品を見てそう思った。

    ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーで開催中の「Who are you? グレイソン=ペリー」という展覧会だ。

    展覧会のタイトルからして、直球。

    イギリスの王侯貴族から現代のセレブリティーまで、肖像画を歴史順に展示する美術館を舞台にして、

    「あんただれよ?」である。

    最初はだれに問いかけているのか戸惑うかもしれない。でも、すぐにわかる。

    たとえば、壁面いっぱいの大きくて、色鮮やかなタペストリー、でかでかとエリザベス女王の顔がある。

    でも、作品全体が女王のただの肖像画とはいえない。

    なぜなら、それを囲むようにイギリスを表す言葉がぎっしり敷き詰められているからだ。

    フィッシュ&チップス、雨、NHS(国民皆保険制度)、カッパ、ティー?(紅茶いっぱいどう?)、ヴィヴィアン・ウエストウッド、マグナカルタ・・・・

    つまり、これは「イギリス自体の肖像画」ってこと。

    女王の存在もその一部ってこと。

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    Grayson Perry National Portrait Gallery

    ペリーの他の作品は、肖像画美術館の常設ギャラリーのさまざまなところに散在している。

    中世から現在にいたる歴史上の人物の肖像画と隣り合わせに、ペリーの作品がならべられているのだ。

    モダンライフの部屋にいけば、ペリーの陶磁器作品があった。

    そこに絵がかれているのは、「現代の」家族の肖像だ。

    白人男性同士のカップルに養子となったアフリカ系の男の子という家族である。

    別のコーナーにはシルクのタペストリー。 白人の女の子がイスラム教徒になり、ショッピング街からメッカにいくところを描いている。

    アルツファイマーの夫と暮らす女性の肖像画 (陶磁器作品)

    あるいは、キリスト教の慈善団体に助けられてホームレスの人たちが家族として暮らす家(陶磁器作品) ・・・

    作品の隣には、ペリー自身が書いた解説ラベルがついている。

    たぶん、モデルに出会っていろいろ話をきき、それをヒントに、作品をつくったに違いない。

    王侯貴族でもセレブでもないけれど、それぞれが、現在に生きるパーソナルな物語である。

    それらが美術館の常設展示のなかに、散在していることで、結局のところ肖像画とは何かとといかけてくる。

    そして、もっといえば、

    「WHO ARE  YOU?」だ。

    このブログを書きはじめた頃、グレイソン=ペリーの大英博物館での特別展のことをとりあげたことがある。

    ペリーは、子供の頃からクロス・ドレッサー (異性装)だった。

    今でこそ、晴れの舞台では、女性の格好をして人前に立つけれど、子供のころから自分のジェンダーやアイデンティティーに悩まされた。

    そのことを重ねるならば、

    「WHO ARE YOU?」の意味はもっと深くなるに違いない。

    もうひとつ、「してやられた!」と思った理由は、

    大英博物館での展示の時と同じように、展示という空間、しかも常設の展示と遊んでいることだ。

    ペリーの作品が散在することで、従来の展示がまた違うように語りかけてくる。

    ペリーは、英国人のアイデンティティーという枠組みだけではなく、アートという枠組み、展示という枠組みにも違う見方を誘うのである。

    2014/11/2

  • ターナー、あの抽象性はどこからくるのか?:テートブリテン

    イギリス風景画を代表するターナー。晩年の作品が抽象的な作風になったことは、みなさんもご存知だろう。

    60をすぎてからのターナー作品の多くは、船や建物など人造物の占める割合が減って、
    描く対象を自然そのものに向けてきた。
    海のうねりや風の動きを、荒い筆致でエネルギッシュに表現したり、
    霧がかかった湖の繊細な色の移ろいを、薄塗りを重ねて静寂を伝えたりと、
    フォルムをしっかり描く伝統的な方法からは、もっともっと開放された自由なものになる。

    しかし、その解釈に重きをおくあまり、ターナー作品への理解を歪めてしまうことすらあるのかもしれない。

    ターナーはモネやルノワールたちフランス印象派とつなげられ、彼らの一世代も前に新しい表現を生み出したといわれることもある。

    彼の作風の変遷をめぐっての一般的な理解は、抽象性への傾向がしだいに強くなり、具体的・物語的な表現が薄れていくというものだ。

    ほんとうのところ、どうなのだろう。

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    「英国会議事堂の火事」

    ロンドンのテートブリテンで開催中の展覧会は、その認識がいささか型にはまった見方ではないかと、問いかけてくる。

    ターナーという芸術家は、晩年に至るまで、実に多様な表現を試みているのだ。

    例えば、60代になっても、精力的に旅に出て、様々な風景を描いている。

    ベニスやスイスなどの海外も頻繁に出て、
    風景だけではなく、その土地に特有の建物や人々の様子をよく観察している。
    現在のように海外旅行が容易でないことを考え合わせれば、どんなにエネルギーを要したことだろう。

    国内旅行も繰り返しているし、テムズ川のそばに居を構え、そこからみえる日没や日の出の風景を執拗に描いてもいる。
    慣れ親しんだ土地も、時間や季節が変われば全く違う世界が現れよう。

    土地だけではない。
    物語についても、常に精力的で挑戦的であった。

    18~19世紀のヨーロッパでは、ギリシア神話など古代世界をテーマとすることが、
    しいては作品をより普遍的なものにするという伝統的思考があったが、
    ターナーは、そのような古典的題材だけではなく、
    彼が生きている「いま」の出来事を積極的にテーマとしている。

    たとえば、ナポレオン戦争のこと(ターナーの時代は記憶に新しい重大事だ)、
    19世紀初めの蒸気機関という新しいテクノロジーの開発・・・
    1834年に英国国会議事堂が火事で大半が焼けてしてしまった時も、
    わざわざボートをチャーターして、そのスペクタクルを見学にいっている。
    その時、懐にはスケッチブックがあったに違いない。

    昨日おこった出来事が、ターナーの表現にかかれば、
    まるで神話世界の出来事のように、崇高で無時間な世界として生まれる変わるのだ。

    このように晩年の作品を一堂に集めた展示を見学したおかげで、

    ターナー晩年の特徴である抽象性というのは、

    年老いてからも、世界のさまざまな場所を自分の足で訪ね、実際にスケッチを描き重ねたり、

    現在起こっている出来事に、古典的な崇高さを重ねようとする、

    そのような幅広い世界観、歴史観をもつことによって、

    同時に、その観察力、熟達した目と手を通して、時間を経て紡ぎだされてきたということが、

    改めて理解できたように思う。

    ターナー後期の作品の理解に新たな光を当てる展覧会だった。

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    (基本情報)

    ターナー晩年の作品展

    Tate Britain

    2015年1月25日まで

    (19/10/2014)

  • 焼け焦げたひまわり:アンゼルム=キーファー展@Royal Academy of Art

    地面に横たわって、男は何を見ているのだろう?夢? いや ひょっとしたら死んでいるのか?

    男の上には、彼の3回りも大きいひまわりが何本もつったていて、男を観察するように大きな頭をもたげている。
    すっかり灰と化した花は黒い太陽のようでもあるし、腕をたらした巨人の亡霊のようにもみえる。
    3x4m四方のキャンパスは、絵の具や樹脂で厚く塗られ、まるで地層のように亀裂が入っている。

    色彩も無く、画面全体が荒れ果てた荒野のようだ。

    ドイツのアーティスト、アンゼルム=キーファー (Anselm Kiefer) の、『夜の秩序』という作品である。
    キーファーは、ナチスが崩壊した年に生まれた。

    周囲の大人たちも社会も近史のことを頑なに語ろうとしない、そんな環境の中で育った。
    子供ながら、大人たちが隠していることを調べてきた。
    そのことが、この芸術家を重い歴史と向き合わしめてたのである。

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    2014年ロンドンでの展覧会は、
    1960年代の本を思わせるような作品から、大きなキャンバスの作品、部屋一杯をつかった近年のインスタレーションまで、彼の全仕事を大きなスケールで紹介する。

    雪原の空に女の顔が浮かぶ不思議な水彩画が展示されている。
    ナチスのモニュメンタルな建物を思わせる、廃墟のような巨大な作品-その中央に、枯れたひまわりが逆さにぶらさがっている。
    見渡す限りの荒涼とした雪原に、焼け焦げた本がいくつもうまった作品もある。
    美術館のパティオには、巨大なガラス容器のなかに、何体もの鉛の戦艦が宙ずりになっている。

    キーファーがしようとしているのは、ナチス時代に対する直接的な糾弾とか内省ではないことが、ギャラリーを歩きながら少しずつわかってきた。
    彼の表現対象はある特定の時代だけではなく、人類の歴史全体に向けられていることもみえてきた。
    キリスト教やドイツ神話、歴史上でおこった海戦、アフリカや南アメリカの文明の数々・・・。

    それらひとつひとつの出来事も、彼の目からみたら、繰り返された人間の歴史のひとつの断面であり、
    彼の作品が織り成す断層は、そうした歴史の厚みなのだ。

    あの『夜の秩序』をもう一度みてみよう。

    ひまわりは太陽であり生命の象徴だが、時がたてば、重い頭をもたげ、黒い種を落とす。

    やがて本体が枯れ果てても、その種は夜の星のように、横たわる男に降り注ぐ。

    そして新しい日が生まれるだろう。

    男はキ-ファーその人であり、かつ人類全体を意味するのかもしれない。

    人間は、朝と夜を行き来しつつ、地獄や天国を生み出しながら、死にまた生きる。

    文明や神話を作り上げ、破壊し、また新しい地平をつくる・・・。

    そしてふと思うのだ。

    今、わたしたちはどこに向かっているのかと。

    そのことを、まるで錬金術師のような緻密さと洞察で、

    預言者のような大きなヴィジョンで、

    キーファーは、わたしたちに問いかけている。

    Kiefer boats

    (情報)

    Anselm Kiefer

    Royal Academy of Art

    – 14th December まで


     

    (09/10/2014)

  • ミイラに心を通わせる:大英博物館

    「ミイラと友達になれるような解説をして下さい」。大英博物館でのギャラリーツアーの前、お客様からこういわれた。

    一瞬戸惑ったが、すぐ合点がいった。ミイラに出会えるのは博物館だが、そこでの展示は親しみがわくようなものではない。

    歴史的にも地理的にもあまりに遠い世界ということが理由のひとつでもあるのだろう。

    「ミイラ」といえば、暗い博物館のガラス越しにみる黄金のマスクとか、ホラー映画で登場するイメージが定着している。

    しかし、そのステレオタイプのイメージのために、ほんとはこの地球上に生き、わたしたちと同じように家族もユニークな人生ももった一人の人であったことを容易に忘れてしまう。

    現在開催中の、大英博物館での「太古の人生」展はまさにその視点から古代エジプトに生きた人々に迫る展示であった。

    来館者が出会うのは古代エジプトに生きた8人の人である。血を通わせたのは、現在の最先端の医療テクノロジーだ。

    たとえば当時人々が何を食べていたかとか、どんなに歯痛に悩んでいたかとか、どんな髪型をしていたかなどが明らかにされる。

    しかしもっと驚かされたのは、亡くなった人への気配りがいかに細やかで誠意のこもったものであったかという点だった。

    ミイラから内蔵が抜き取られるのは周知の事で、そう聞けば、惨たらしいと顔をしかめてしまうのが現代人の率直な反応だろう。

    しかし、この展示はCTスキャンによって次のような事実を教えてくれる。

    内蔵を抜き取るために体にあけた穴には、きちんと詰め物をして、傷口は蜜蝋などで塞がれる。

    しかも、その上には、その傷口をいやすために、精巧なつくりの護符が置かれているのである。

    胸にも、喉元にも、腰にも、足の甲にも、ひとつひとつの指の爪にさえ、そうした護符がみつかる。そして、それらひとつひとつが実に繊細な工芸品だ。

    内臓を抜き取るという行為そのものも、亡くなった人が腐らないようにという願いあればこそなのだ。

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    上のCTスキャン写真をみれば、Tamatという名の神官の娘であった故人に対して、どんなに手厚いケアがなされているか、その人への思いが伝わってくるだろう。

    8人の中で、私が最も心動かされたのは、ある少女のミイラだった。

    彼女が包まれたパートネージュ(リネンを重ねて石膏で固めたもの)は成人の女性を思わせる大きさで、そこに描かれた似姿も若々しい女性のそれである。

    しかし、CTによって、実際の彼女の身体は目にみえるパートネージュの3分の2の大きさで、詰め物によって大きくなっているだけなのが明らかになった。

    その骨や歯の状態から、7歳ぐらいの少女であることもわかった。

    刻まれたヒエログラフは、その少女がTjayasetimnという名の神殿に仕える歌い手であったことを伝えてくれる。

    まだ若いからミイラの状態もすこぶるよい。

    いっしょに展示されたCTスキャンの3D映像からは、まだ幼い顔の独特な表情やカールした髪がよく読み取れる。

    その映像を、身体が包まれたパートネージュが成人の女性の顔つきをして、その胸もすこし膨らんでいる事と重ねるならば、この少女が、ほんの少しだけ長生きしていたら、こんな感じだったのだろうかと想像してしまう。

    その思いはさらに連想をかきたてる。つまり、この娘を葬った親や周囲の大人たちも、「この子がもし、もう少し長く生きていたら、美しい娘になったろうに・・」と思いやりながら、ミイラをつくったのではないかと、葬る側のひとびとにも思いを寄せてしまうのだ。

    ミイラづくりの根本に「亡くなった人を丁寧に保存すれば甦る」という考えがあったのならば、後世でふたたびこの娘に出会えると信じたに違いない。

    冷たいガラスの向こうの、最新の科学の目を通した展示に違いないが、ミイラが人として来館者の心の中で甦ってくる暖かい展示であった。

    この展覧会で得た事を自分なりに吸収しながら、ご案内する方々に、できるだけミイラと友達になってもらえるようストーリーを語りたいとも思った。


    (基本情報)

    大英博物館

    Eight mummies, Eight lives, Eight stories

    2014/11/30 まで


     

    (01/10/2014)

  • 空間を遊ぶ:ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ

    ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで、建築の展覧会をやっている。様々な国の建築家たちの作品が集められた展覧会だ。こういう展示のつくりだと、ついつい作品を比較してしまう。そこに作家の文化背景をみようとし、違う文化に属する建築家たちの空間に対する捉えかたの違いを考える。でも、見学しながら、そういう鑑賞の仕方も実はステレオタイプなのではないかと思えてきた。

    それでも、自文化に対するアイデンティティーをとりたて意識していたのは、中国と日本の作家だった。Li Xiaodongの、竹という素材やその組み方には伝統を感じさせるものがあったし、隈研吾の作品も、畳の匂いや檜の匂いを使って、「間」という日本独特の空間の捉えかたをみせていた。

    でも、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツという建物と遊んでいたのはDiebedo Francis Kere (バキナ・ファソ&ドイツ)、Eduardo Souto de Moura(ポルトガル)そして  Pezo von Ellrichshausen(チリ)だと思う。

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    例えば、Kereは、二つの展示室をまたがる部分に、色鮮やかなドームをつくった。

    近くには、蛍光色の自在に曲げられる細長い棒がたくさん置いてあり、来館者がそれを曲げたり、形作ったり、ほかとつなげたりして、そのドームをどんどんつくりあげていく-という、参加型の作品だ。

    Pezo von Ellrichshausenの建築は、展示室いっぱいの巨大なスツールだ。だが、そのスツールの脚の内部は螺旋階段になっていて、上がると美術館の天井近くにたどり着く。

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    普段はマジかでみることのない、この18世紀の建物の細部に出会う。小さな窓を通して、隣あわせの展示室への入り口を見下ろす。

    Mouraは、この美術館の各展示室の出入り口に施された美しい建築的装飾をコピーして、違う素材で再現し、その出入り口付近にずらすように設置して、不思議な空間を創った。

    Mouraはこういう、

    「建築家のための空間なんかありはしない。その空間にある種の印象を与えるような制限をデザインするだけだ。」

    難しいことをおっしゃる。

    だが、ふと気がついた。 彼らは、特にチリだの、バキナ・ファソだの自らの文化背景を表そうとしているのではない。ただ、一人の建築家として与えられた空間の中で、彼ら自身の表現、Mouraの言葉を借りれば「制限」を追求しようとしているだけである。彼らにとって、そこにラテンアメリカ的なものとかアフリカ的なものなど不要なのだろう。

    グローバルな21世紀、グローバルに活躍するアーティストたちは、いつも彼ら自身のアイデンティティーを表現しようとしたり、それを求められたりすることが多かったし、今まだそれが通常ではないだろうか。村上隆などその代表かもしれない。

    でも、空間と遊んでいる建築家たちの作品をみていたら、そんな事、本当はどうでもよい事ではないか。むしろ、それを越えなければいけないのではないか、と思えてきた。

    まずは、鑑賞者であるわたし自身がもっと自由に感じようじゃないか。もちろん、創り手の文化背景を知ることもとても大事だけれど、それをむやみに検索したり、作品とこじつけたりせずに。
    ひとりひとりの建築家の与えられた空間とのコラボレーションを体感するのが面白かったし、その空間の中で、ほかの人々が動いたり、立ち止まったり、寝転がったりしている動きを見るのも楽しかった。 彼らもそこに設えられた新しい空間に身体を預けながら、あるいは頭の中で遊んでいたのである。

    (28/03/2014)

  • 素晴らしく裏切ってくれた「ターナーと海」展:ロンドン海事博物館

    グリニッジにある国立海事博物館で開かれている「ターナーと海」展がかなり盛況らしい。この展覧会のポスターをみた時、なるほど、海の博物館でやるターナー展だから、きっと美術館とは違って、ターナー作品と海にまつわる道具や船などの海事資料がいっしょに展示されるのだろうと思い込んでいた。それはそれで面白い企画に違いない。 欧米はもちろん、昨今では日本でも動物園と美術館のコラボレーションなど様々な企画が活発になっている。

    先日、やっとグリニッジにまで行くことができた。ところが、先の期待をもちつつ、展示室に足を踏み入れるとどうやら様子がおかしい。すぐにわたしはとんでもない思い込みをしていたことに気がついた。海にまつわる道具と絵画の並列など見られず、展示室はすべてターナーの絵画作品(80%)とそれをサポートするような関係のある画家(20%)の作品で埋め尽くされていた。そうして、それも当たり前のことではないかと合点がいったのである。

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    海事博物館が「海」を物語るのならば、ターナーという巨匠が追求した「海」の作品世界だけで展覧会を構成して、なんの不都合があろうか。仮に、展示が海事関係の「もの」と並列していたら、彼が絵画の中で表現した世界観が薄まってしまったかもしれない。ターナーはその世界を薄めてはならない巨匠だ。そう気がついたら、わたしの先入観が鑑賞を妨げていたような損をした気分になり、はじめからもう一度作品一点一点をみていくようココロを入れ替えたのである。

    全体的によく創られた展示であった。なにより、「海」をテーマにした作品だけを、イギリス本国だけではなく、アメリカ合州国やオランダ、ポルトガルなどから集めてきて、ひとところで一度にみることのその贅沢。展示構成は、ゆるやかに、彼の画歴を追う流れになっている。 水彩画に秀でた若き天才が、初めて油絵に挑戦したのも、海の作品、「Fishermen at Sea」だ。 月の光に映された海のなんとミステリアスで深遠なことか。畏怖の念を抱かせ、同時に小船を包み込む懐の深さがうまく表現されている。

    作品を見ながら、自ら荒れ狂う海の船に乗り込み、船長に頼んで、自分の体をロープでマストに括りつけ、嵐のなかを長時間もスケッチしたという、逸話を思い出した。目だけではなく、体まるごと海や自然の驚異の中に入り込み、それをキャンパスの中でアートとして再現したのである。そうして、後年は、具体的な細部は削られ、エッセンスだけが凝縮されていく。まるで数十年後にフランスでおこる印象派を先取りするような。

    展示構成に話を戻せば、最後から二番目の小さな展示室が彼の残した海のスケッチや水彩画だけを集めていたのも、とてもよかった。 油絵でみられる抽象的な表現が、スケッチの段階から何度も何度も彼のなかで繰り返されていることがわかる。そうした積み重ねが、より大きなキャンパス、油彩という画材に挑んだとき、結実するのだろう。

    ちなみに、わたしが思い込んでいた海事資料とターナー絵画の並列だが、展覧会のリーフレットでちゃんと試みられていた。 リーフレットを開けば、展示されたターナー作品の写真の隣に、それに関連する資料、たとえば、漁船のための水先案内のランプとか、ネルソン総督が着ていた軍服とかが、並んでおり、常設展示室のどのギャラリーにいけばそれがあるかも書いてある。 さりげない誘いである。

    (15/03/2014)