カテゴリー: エキシビジョン・レビュー

  • 愛が地球にたどり着く:草間彌生展@テート・モダン

    イギリス最大の現代美術館テート・モダンで草間彌生展が始まりました。ロンドンで、現役の日本人アーティストをこれだけの規模で扱った展覧会は、これが初めてです。

    展覧会は時代の流れに沿ったオーソドックスな構成で作られていました。草間彌生が10代の頃の、植物や昆虫をモチーフにしたシュールな作品から始まり、1950年代半ばNY に渡り、白とグレーの網の紋様を画面いっぱいに広げた「無限のネット」シリーズ、家具や靴やボートを男根のイメージで多い尽くした立体作品、男女のヌードに水玉模様を描きまくったハプニング、そして、日本に戻ってからのインスタレーション、近年の平面作品や鏡で覆われた暗い空間を蛍光の水玉で埋め尽くした作品まで総合的に展示しているのです。

    80年代に私がはじめて草間の男根ボートの作品を見た時、あまりよい印象をもてませんでした。不快感すら覚えたといった方がよいかもしれない。そういう出会いは時に不幸です。それ以来、草間の名前を聞いても触手が動かないから。

    しかし、今回の展覧会で、私の最初の印象が、実はアーティスト自身の制作のモティベーションだったことを知り、新鮮な目で見直すことができました。彼女が子どもの頃から罹った精神分裂の症状や家族関係における傷についてもっと理解を深め、内面から作り出した作品の数々を網羅的に見ることができたのです。

    草間が彼女を強迫する「もの」たとえば、彼女のヴィジョンに表れる水玉や男根に押しつぶされてしまうのではなく、逆手にとって、自分が主体となり、自分の手で「それら」を無数に創りだし、世界を覆い尽くすことによって、自身の表現に昇華させている、そのことに驚愕すら覚える。

    放っておけば自己が潰されてしまうほどの弱さを強さに変える、幻想をアートに変える、といったらよいのでしょうか。自分が自分の世界で潔く生きていくことを肯定する、そして、それ以上に、それを他者に対しても開いていこうとする

    ―それが、彼女が語る「宇宙の物語を連れて、愛が地球にたどり着く」ことなのではないか。

    作品に対する評価では、ポップアートの文脈で語られることが多いようです。今回の展覧会でもそのような範疇で括っているレヴューがいくつかありました。確かに、彼女がNYで活躍した60年代は、アメリカでポップアートが生まれ、大きな潮流となった時代でした。草間も、ウォーホールやオルデンバークなどといっしょに展覧会をしています。

    もちろん互いに影響し合っているのは疑いの余地もありません。だけど草間は他のポップアートの旗手たちのように、戦後訪れた大量生産・大量消費の社会に対するアーティスティックな反応として、増幅するイメージを表現したのではないはず。

    同じモノの繰り返し、単純な形、鮮明な色という外観については、共通点が多いのは確かです。視点を変えて、モノに溢れているという社会状況も、草間が陥っている精神状態と似通っていると言えるのかもしれない。

    しかし、ウォーホールたちは、そうした社会状況を自覚し、それに対してある距離をもって、彼らのアートの言語にしました。草間の場合、強迫観念は子どもの頃から自分の内面に棲む魔物です。そして、それに対して孤独な戦いを挑んできた。戦いの手段がアートであり、その結果もアートだった。それは想像を絶するような壮絶で、しかも終わることのない戦いでしょう。そこにあるのは草間にしか作れない世界です。

    展覧会場は、平日の午後にもかかわらず、大変な人で賑わっていました。イギリスの人たちは草間彌生の世界をどんなふうに旅するのでしょうか。わたしはTate初の日本の現代アートがJ-popでなくてよかった、しかも女性作家でよかったと、ひそかに思うのです。


    記事:2012.2.18

  • テディ・ベアの大英博物館お遍路:グレイソン・ペリー展

    テディ・ベアの大英博物館お遍路:グレイソン・ペリー展

    すりきれた50歳のテディ・ベアとアーティストのバイク巡礼、この展覧会はそこから始まります。おとぎの国の乗り物のような改造バイクの背には小さな祭殿が備えられ、中にテディ・ベアがローマ皇帝のように腰掛けています。運転するのは、ライラック色のキュートなコスチュームに身を包むアーティスト。

    2003年、陶芸作品でターナー賞を受賞したGreyson Perry (グレイソン・ペリー)は、
    少年時代からクロス・ドレッサー(異性装)でした。
    テディ・ベアは半生をともにした彼のヒーロー。
    小さなぬいぐるみはペリーの「男性性」の体現であり、
    女装するペリーはもうひとつの彼のアイデンティティなのです。

    子供の頃から社会に映し出された自分と自分の内面との対話を繰り返してきたペリーは、
    アンビバレントな自己を通して見える世界観を、陶芸作品のになかに表現してきました。

    今回の展覧会は、グレイソン・ペリーと大英博物館コレクションの「名もなき職人たち」とのコラボレーションだと、彼は言います。
    古今東西から集められ、博物館の倉庫に眠っているモノたちからインスパイアを受け、作品を生み出し、それらのモノといっしょに自身の作品を展示しました。

    たとえば、「Shrine」のコーナーでは、
    古代エジプトの「ソウル・ハウス」に、チベットのストゥーパ、
    日本の路地にある小さな神社に発想を得たペリー自身の作品、といった具合。

    彼は、文化の「Give and Take」に焦点をあてます。
    いつの時代も文化は境界を越えて交流し、他者の影響を受け、また、与えてきたのだと。その意味で、日本は他文化を吸収し、新旧を融合させる名手だと賞賛し、「展覧会のテーマをもっともよく表している一点」と彼がコメントするのは、
    お遍路の格好をしたハロー・キティのタオル(大英博のコレクション!)。
    何百年も続く伝統が現在のアニメと融合することに、文化の有機性や継続性をみるのです。

    ペリーはまた、展覧会のもうひとつの主役は、鑑賞者のイマジネーションだと主張します。
    展示のラベルには、学芸員や専門家たちの解説はいっさいありません。
    代わりに、作品に対するペリー自身の見方やそこから繰り広げられる独自の世界が、
    彼の言葉で添えられています。

    ペリーのコメントに刺激されて、わたしの心もかきたてられました。
    なんだか懐かしい気持ちです。字も満足に読めない子供の頃に、父に連れられて行ったミュージアムで、いろいろなものを見て、想像を膨らませたあの感覚を、すこしばかり取り戻したかのような、、、。この展示は、わたしたち個人の理解というものは、
    もっと直感的で、脈略もないほど多様で、自由であってよいということを思い出させてくれる。

    大英博物館のプラス面とマイナス面を示唆するようなペリーの作品も展示されています。
    その名も、「ロゼッタの壷」ーもちろんおわかりですね。
    大英博の大目玉「ロゼッタ・ストーン」をパロッてること。
    「ナイスなお出かけ/ 植民地主義 / アイコニック・ブランド  / 寺院としてのミュージアム、、、」
    丁寧につくられた、黄色の美しい壷のなかに、そんな言葉が埋め込まれています。

    展覧会の最後のコーナーは、アーティストがこの企画に寄せて新たに創った「名もないクラフト・マン(名工)たちの墓」という、展覧会と同名の作品で終わります。

    船形の墓には、エジプトの棺や中国の彫刻、サクソンの武具、アフリカの頭部像など、
    大英博のコレクションのコピーで埋められ、上には、作り手の血と汗と涙を表すボトルがたくさんぶらさがっている。
    「これは世紀を越えて、世界が驚嘆するようなものをこしらえてきた名もなき名工たちの記念碑です」
    と、書き添えられています。

    ここには、アイデンティティのもうひとつの両義性があるように思います。
    つまり、陶芸作品を通して現代美術のスターダム入りした彼自身の立ち位置です。
    西洋美術史において、クラフト(工芸)とアート(美術)のあいだには深淵な境界がありました。
    伝統的に、アートのためのアートは作り手の名前が歴史に残り、クラフトのほうはほとんどの場合残りませんでした。

    TATE美術館が主催する現代美術のターナー賞において、
    陶芸ジャンルの作家が入賞すること事体も、初めてのできごとだったのです。
    大英博物館の方には、作り手の名前などさほど重要視されないアーティファクト(工芸品)が、集められてきました。
    このことは、博物館と美術館の境界についての議論ともつながっています。

    グレイソン・ペリーは、そのことを踏まえて、
    いまやセレブなアーティストとなった自分自身が、
    世界のクラフト・マンたち、彼にインスパイアを与えてきた名もなき作り手たちに、
    敬意を込めてこの作品を創ったのではないでしょうか。
    博物館に展示されたものは、創りあげられた結果としての「もの」でしかないと、
    わたしたちは見てしまいがちですが、この展示はそれを創った人々に光を当てようとしたのです。

    記事:2011年10月22日