カテゴリー: エキシビジョン・レビュー

  • 「踊り子の画家」へのアングル:ドガとバレエ展

    ひとりの画家に焦点を当てた「個人展」が、わたしは好きです。
    複数のアーティストを比較したり、芸術や社会を複合的に捉えたりする、いわゆる「テーマ展示」が盛んなご時勢ではありますが。

    「個人展」に惹かれる理由は、ある芸術家の作品ひとつひとつをじっくりと鑑賞し、その考え方や技法の変化を知ることができるだけではなく、制作の喜びや苦渋、家族友人との関係、彼・彼女が生きた社会、それが作品にどのような影響を与え、
    作品が社会にどういう意味をもたらしたのか、総合的にみることができる
    ―展覧会を見終わって、満足感を得ることが多いからです。

    振り返ってみると、こうした個人展はほとんどの場合が、
    一芸術家の制作の過程をなぞる‘時間軸’構成でした。
    そうでなければ、日本の美術館がよくやるように、「○○と同時代の画家たち」てな感じの、近い時代に活躍した芸術家たちの作品をいっしょに並べ、互いの影響を明らかにする手合いのもの。

    ところが、昨今ヨーロッパでは、
    時間軸とは違うアプローチで構成された個人展が開かれるようになりました。
    そういう新しいタイプの個人展は、腰の据わった取り組みのなかにも、静かな挑戦がみらるのです。
    ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催中の「ドガとバレエ」展がまさにそのような展覧会でした。

    「踊り子たちの画家」として知られたドガゆえに、「ドガとバレエ」という主タイトルはすんなり響きます。
    かたや、「Picturing Movement(動きを描く)」というサブタイトルは、展示の明確なアングルを示しています。
    つまり、彼が動きというものをいかに絵画という静的な表現に落とし込もうとしたかを、
    この展示はみようとしているのです。
    さらに興味深いことに、ドガが生きた時代に誕生した技術、写真や映画との関連も描いています。

    たとえば、「Mobile Viewing」という展示室の中央には、著名な彫刻「14歳の踊り子」が置かれており、
    周囲の壁には同じポーズをとった少女を360度違う角度から描いた素描が並べられていました。
    どのような視線で14歳の踊り子が捉えられ、彫刻に命を与えられたのかが読み取れます。
    その部屋の一角では、周囲に設置された多数のカメラで中心のモデルを捕らえ、
    撮影された複数の写真から彫刻をつくるという当時の実験も紹介されていました。

    「The Dancer in Movement」では、位置の定まった体に何重にも異なる手足の線を描いた素描や、ひとりの踊り子の別の瞬間の体の線が同じ画面のなかに展開する油彩画など、
    ダンスのムーブメントを平面に表そうとするドガのチャレンジが紹介されています。

    また、同じ部屋には、映画の第一人者、ルミエール兄弟の踊り子を映し出した作品が流れています。別の一室には、踊り子たちを写したドガの写真作品が展示され、
    撮影された踊り子と同じポーズを描いた素描や彫刻も並べられています。
    展示の解説にあるように、彼は写真や映画という新しいテクノロジーに対して、
    一定の距離をおきながらも、自分の芸術制作にその技術や対象の捉え方を取り入れようとしたのです。

    会場に入る前、入り口で展示構成の図をみたとき、
    実はわたしはいささか懐疑的でした。科学的な分析を取り入れることで、
    ドガの人間性がみえにくくなり、どこか血の通わない展示になっているのではないかと心配したのです。
    ところが、展示会場も終わりに近づいたときそんな心配は消えていた。
    ドガという芸術家に親しみを抱き、充実した読後感に酔いしれていました。

    なぜだったのか、日がたって考えてみるのですが、
    まず何よりもドガの視線に近づけたことでしょう。
    ひとりのモデルを描いただけの小さな素描をこんなにじっくり鑑賞したのは初めてかもしれません。
    線の強弱や、微妙な筆のリズム、手のひらでこすったような跡、
    踊り子のめくるめく動きそのもののなかに入り込まんばかりに食い入るドガの視線、
    それに連動した手の動きが感じられた。

    また、展示全体がざっくりではあるけれど画家の人生に沿っていることも原因ではないか。
    音楽を愛する若いドガが、踊り子たちの練習場や舞台に通い、
    彼女たちの動きや舞台の空気を表現しようとしたこと。
    30年以上も同じテーマを追い続け、
    そのなかで巡り合わせた写真や映画というテクノロジーとの躊躇いがちなしかし先見の明ある受容。
    晩年になって視力が衰え足腰が弱まり、もはや劇場に行くことすらできなくなっても、
    自分の記憶のなかで踊り子たちの動きを再生し、それを色の世界で表現しようとしたドガ。
    きれぎれになりがちな分析的構成の背後に、有機的につながった芸術家の魂が透けてみえる。

    彼は、なぜ、生涯にわたってバレエの踊り子たちを描き続けたのでしょう。
    当時のバレエダンサーたちは、現在のようにハイカルチャーではなく、むしろ社会の低層に属していました。
    富裕層出身のドガが踊り子たちを対象としたことが疎まれ、
    その構図は覗き見を思わせ猥褻だという批判の声もありました。
    彼が描いた「アブサンを飲む女」が、イギリスの印象派展ではじめて紹介されたとき、
    退廃的な題材だという理由で非難囂々だったことも重なります。

    踊り子を選ぶわけは、
    バレエが「ギリシアのムーブメントをよく表しているから」と、
    彼自身がこたえていることが、展示の最後のほうで解説されていました。
    彼の口からムーブメントという言葉が出てくるのは腑に落ちるとして、
    では、「ギリシア」とは何でしょうか。
    バレエとギリシアにはなんの関係もない。

    印象派の先駆けにあったドガが自らを「現代生活を描く古典画家」と自称していたことを知れば、「ギリシア」とは古典芸術を意味することが推測できます。
    ヨーロッパでは永年にわたって、ギリシア・ローマの古典が人間が到達した最高芸術だと考えられていました。
    つまり、ドガは、あくまでも正統的な芸術的探究に根ざしつつ、
    時間の芸術を非時間の芸術に表現しようという野心の火を静かに燃やしたのであり、
    そのためには、バレエの踊り子たちが最適のモデルと考えたのではないかと思うのです。

    死の二年前のこと。
    ドガは彼を撮影させてほしいという若い映像作家の申し出をはねつけました。
    断られた映像作家はひるまず、こっそりカメラを据え、
    パリの通りをステッキを持ちながらこちらに向かって歩いてくる80歳の老画家をフィルムにおさめました。
    展覧会の最後は、生涯をかけて「動き」を捉えようとした画家自身のゆっくりとした歩みで終わります。

    記事:2011.12.3

  • もうひとつのドガ:ボストン美術館

    2011.11.29-12.9まで、大西洋を渡ってボストンとワシントンDCを回ってきました。何回かにわたって、そこで訪れたミュージアムのことを記しておきます。

    まずは、ボストン美術館でみた‘もうひとつの’ドガ展―『ドガとヌード』のこと。ボストン美術館での展示は完全に「時間軸」展示になっていたという点で、旅の一週間前に訪れたロンドンのロイヤル・アカデミーでの展示『ドガとバレエ』よりも、オーソドックスなものでした。

    それでも、若いドガが美術館に通い古典作品を模写した時代のあとで、こんどは売春宿に通って、娼婦たちのヌードや水浴の様子をささっと描きあげた何枚ものスケッチの展示があり(これまであまり公開されなかった)、次に大きなヌードの油彩画へとつながっていく経緯をたどることができ、画家への理解が深まったように思います。

    対象も描き方も違うけれど、ドガにとっては生涯をかけて人体のフォルムを探究する同じ旅の途上だったことを、この展示は示していました。そして、そのことは、もちろん、ロンドンの美術館が提示してみせた踊り子たちの「動き」を追うドガのまなざしとも重なる。執拗さがアーティストを創るのだと、改めて感じ入りました。

     ただ、この展覧会でわたしが消化不良に感じたのは、なにがドガのアプローチを変換させたか(古典の模写から娼婦のスケッチへ)が不透明なままだったこと。それとも、美術史的にはまだまだ解読の余地があることなのか。だとしても、ひとつのテーマを執念に追い続けたこの芸術家にとって、そのことの意味は小さくははいはずなのだけど。

    また、フォルムがテーマとはいえ、娼婦の背中に浮かぶ憂いについてもほとんど触れていなかった。たしかに、人体に距離をおいてアプローチしようとしたドガではありますが(だからこそ、覗き見的だと、逆に非難されたのでしょうが)、モデルの顔を描いたほかの作品をみれば、あるいは、顔の表情がなくても使われた色合いやタッチから、この画家が科学的な視線からだけ人物を描こうとしたのではないことがわかるのです。このあたりのことを考えさせられる要素が展示にあったら、もっと面白かっただろうにと思った次第です。

    ともあれ、二つの美術館、別のテーマで、立て続けにドガをみたおかげで、この芸術家にますます興味をもったのは言うまでもありません。もちろん、展覧会の描き方によってみえてくるドガ像が違うことも理解できました。展覧会というメディアはひとりの芸術家にいろいろな角度から光をあてることができます。違う色合いの光の重なるなか、観る者の記憶のなかで芸術家の像が結ばれ、彼・彼女が生きた時代や社会の像が結ばれるのでしょう。そしてその像も時代とともに変化するのだと思います。

    Museum of Fine Arts, Boston  “Degas and the Nude”

    記事:2011.12.14

  • 裏返しの神の家:ロンドン・ナショナル・ギャラリー

    美術館というものが世に現れる前、市井の人々が絵画に出会ったのは、西洋では「教会」をでした。教会の絵画は総じて宗教画ですが、同じ一枚の宗教画が、「美術館」の壁に掛かっているのと「教会」のなかで飾られているのでは、出会いや見え方は相当異なるでしょう。それを「美術館」のなかで問うたのが、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの『神に捧げるデザイン』展でした。

    中心の展示室では、中世イタリアの教会内陣が再現されています。部屋の暗さに目が慣れると、周囲の壁に15世紀以前の宗教画がぼんやり見えてきます。でも、圧倒的に視線が注がれるのは、蝋燭で照らし出された大きな祭壇画。その前には、美術館のベンチが、祈祷のベンチのように並んでいる。


    そこに腰掛けて、金色の額で縁取られた聖母像をみていると、キリスト教信仰者でもないのに崇高な気分になってくる、、、なんて、そんなわけはない。わたしがひねくれ者だから?いや、どんなに忠実に再現していようが、ここは美術館だということ、その聖母像が美術館のコレクションだということを頭がちゃんと認識しているからです。
    でもせっかくだから、ベンチに腰掛けたまま、教会でみるのと美術館でみるときの絵画の受け入れ方の違いを、ちょっと想像してみようではありませんか。

    まず、観るものと絵の位置関係。教会の場合は、絵とのあいだに距離があります。しかもかなり高い位置にある。照明も美術館のように一様に明るくはない。蝋燭の光のゆらめきのなかで、絵の背景や聖人たちの光背にふんだんにつかわれた金箔が、賛美歌とともにハーモニーを奏で、キリスト像や聖母像を浮き上がらせたことでしょう。絵画は、地上における天上界を演出する教会装置の一部として機能しました。

    かたや美術館では、一枚の絵画はそれそのもので独立し、鑑賞者と一対一で向かいあいます。観る者は、そのディテールを作り手のタッチを読み取り、その絵がどのような背景で描かれたのか、画家たちの内面や表現技法を捉えようとします。そのような鑑賞に見合うように、美術館は均質な光で満たされ、その鑑賞の助けとなるよう解説ラベルが備えられ、時代や地域毎に配列されました。

    それとも、逆か?美術館装置がかような演出をしたから、近代的な鑑賞が生まれたというほうが、正しいのかもしれません。実は、そんな情報は、教会というセッティングにおいては、どうだってよいことなんですが。

    そもそも、教会や美術館を訪れる人は、はじめからそれぞれの場の機能を承知の上で、目的をもってそこに立ち入っていく、っていう前提がある。そこで体験することは、あらかじめ訪れる者の意識のなかで想定された体験なのです。
    「神に捧げるデザイン」展で教会の忠実な再現があっても、ナショナル・ギャラリーを訪れたという、もっと大きな意識の枠組みの中で、わたしはわたしの体験を認識するのです。だから、すなおに崇高な気分には、どうしたってなり得ない。もちろん、鑑賞者を崇高な気分にさせることがこの企画展のねらいではありませんが。

    でも、せっかくだから、いま一度15世紀にタイム・スリップして、もうすこしだけ想像を膨らませて比べてみようではありませんか。当時の人々が教会を訪れることは、21世紀のわたしたちが超ポスト・モダンの美術館にはいる以上に、とてつもなくスペクタクルな体験だったのではないかと思うからです。

    そう考えさせる要因は、教会の演出や機能、訪問するときのわたしたちの意識からくるだけではありません。教会をとりかこむ社会がどのような環境であったかということにも考慮すべきでしょう。今日の日常はありとあらゆるところにイメージがあふれています。コンピュータを駆使した映像も、斬新なデザインの建築物も、生活のすみずみにあふれる広告も、一昔前と比べたって比較にならないくらい目も脳みそもイメージの海にどっぷり浸かっています。

    ところが、宗教画が描かれた時代は、よっぽど裕福でなければ、絵画とか彫刻とか、いや、イメージといわれるもの一般とは、縁遠い社会だったはず。
    そんな世界に生きていた人々が、教会のなかにひとたび足を入れたときの体験は、現代人には想像もつかないほど、圧倒的に抗しがたく、それだけに畏怖の念を抱かせるものだったのではないでしょうか。そしてそれが宗教的体験だと思われたのでしょう。

    美術館のなかに、中世の宗教画をとりいれられるようになったのは、ルーヴル美術館が最初でした。このことには、ふたつの時代背景が関与しています。ひとつはフランス革命、もうひとつは美術史などの学問を生み出した近代性です。ルーヴル美術館はフランス革命の落とし子といわれます。ルイ家の至宝や王政時代の貴族たちの美術品と同様、前時代の権力者である聖職者たちの財産つまり教会の宗教画なども、革命政府によって没収されました。それらの行き先はやがて公開されることになる美術館(かつての王宮)だった。

    権力と結びついていた教会は、フランス革命精神とは相容れないものでした。さまざまな宗教行事が中止されたり「自由の女神」が誕生したのはそのためです。また、ナポレオン軍がヨーロッパ各地で勝利をおさめ、その戦利品としてたくさんの文化財産を略奪してきたのは有名な話です。教会や修道院からも美術品が剥ぎ取られ、パリに運び込まれました。その数があまりに多すぎて、ひとつの美術館では管理しきれないほどだった。ルーヴルのあと、フランス国内外につぎつぎと美術館が建てられましたが、その背景にはそんな事情もあったのです。

    フランス革命は、近代性の幕開けでもあります。近代性とは、前時代の神学的・迷信的な精神から解き放たれ、すべてのものを理性の光のもとに照らそうという志向です。かつて教会の一部であった宗教画もそのコンテキストから抜き取られ、美術館という近代性の均質な光のもとに公開されました。教会ではただ朽ちるばかりになっていた絵画が、近代的な修復技術で甦りました。中世の絵画も、「美術史」という近代学問のタイム・シークエンスにおいて、あるべき位置をあてがわれました。そんななかで、表象や受容のしかたも、神への崇高な祈りから科学的なまなざしによる解釈へと変わったのです。

    「神に捧げるデザイン」展は、従来の展示とはアプローチの違う興味深い試みでした。でも、美術館のなかで、教会における宗教画体験を見直すという、いわば裏返しのまなざしそのものが、やはり近代性の思考に他ならないのではないか。その意味では、実に美術館的なアプローチだったといえるのかもしれません。ありゃ?ちょっと論点がこんぐらかっちゃいましたね。ともかくも、企画展会場をでたあと、ギャラリーの常設展示の中世宗教画のセクションに行ったときに、そこに掲げられた宗教画が違う角度から見られたことは、大きな収穫でした。

    記事:2011年10月30日

  • テディ・ベアの大英博物館お遍路:グレイソン・ペリー展

    テディ・ベアの大英博物館お遍路:グレイソン・ペリー展

    すりきれた50歳のテディ・ベアとアーティストのバイク巡礼、この展覧会はそこから始まります。おとぎの国の乗り物のような改造バイクの背には小さな祭殿が備えられ、中にテディ・ベアがローマ皇帝のように腰掛けています。運転するのは、ライラック色のキュートなコスチュームに身を包むアーティスト。

    2003年、陶芸作品でターナー賞を受賞したGreyson Perry (グレイソン・ペリー)は、
    少年時代からクロス・ドレッサー(異性装)でした。
    テディ・ベアは半生をともにした彼のヒーロー。
    小さなぬいぐるみはペリーの「男性性」の体現であり、
    女装するペリーはもうひとつの彼のアイデンティティなのです。

    子供の頃から社会に映し出された自分と自分の内面との対話を繰り返してきたペリーは、
    アンビバレントな自己を通して見える世界観を、陶芸作品のになかに表現してきました。

    今回の展覧会は、グレイソン・ペリーと大英博物館コレクションの「名もなき職人たち」とのコラボレーションだと、彼は言います。
    古今東西から集められ、博物館の倉庫に眠っているモノたちからインスパイアを受け、作品を生み出し、それらのモノといっしょに自身の作品を展示しました。

    たとえば、「Shrine」のコーナーでは、
    古代エジプトの「ソウル・ハウス」に、チベットのストゥーパ、
    日本の路地にある小さな神社に発想を得たペリー自身の作品、といった具合。

    彼は、文化の「Give and Take」に焦点をあてます。
    いつの時代も文化は境界を越えて交流し、他者の影響を受け、また、与えてきたのだと。その意味で、日本は他文化を吸収し、新旧を融合させる名手だと賞賛し、「展覧会のテーマをもっともよく表している一点」と彼がコメントするのは、
    お遍路の格好をしたハロー・キティのタオル(大英博のコレクション!)。
    何百年も続く伝統が現在のアニメと融合することに、文化の有機性や継続性をみるのです。

    ペリーはまた、展覧会のもうひとつの主役は、鑑賞者のイマジネーションだと主張します。
    展示のラベルには、学芸員や専門家たちの解説はいっさいありません。
    代わりに、作品に対するペリー自身の見方やそこから繰り広げられる独自の世界が、
    彼の言葉で添えられています。

    ペリーのコメントに刺激されて、わたしの心もかきたてられました。
    なんだか懐かしい気持ちです。字も満足に読めない子供の頃に、父に連れられて行ったミュージアムで、いろいろなものを見て、想像を膨らませたあの感覚を、すこしばかり取り戻したかのような、、、。この展示は、わたしたち個人の理解というものは、
    もっと直感的で、脈略もないほど多様で、自由であってよいということを思い出させてくれる。

    大英博物館のプラス面とマイナス面を示唆するようなペリーの作品も展示されています。
    その名も、「ロゼッタの壷」ーもちろんおわかりですね。
    大英博の大目玉「ロゼッタ・ストーン」をパロッてること。
    「ナイスなお出かけ/ 植民地主義 / アイコニック・ブランド  / 寺院としてのミュージアム、、、」
    丁寧につくられた、黄色の美しい壷のなかに、そんな言葉が埋め込まれています。

    展覧会の最後のコーナーは、アーティストがこの企画に寄せて新たに創った「名もないクラフト・マン(名工)たちの墓」という、展覧会と同名の作品で終わります。

    船形の墓には、エジプトの棺や中国の彫刻、サクソンの武具、アフリカの頭部像など、
    大英博のコレクションのコピーで埋められ、上には、作り手の血と汗と涙を表すボトルがたくさんぶらさがっている。
    「これは世紀を越えて、世界が驚嘆するようなものをこしらえてきた名もなき名工たちの記念碑です」
    と、書き添えられています。

    ここには、アイデンティティのもうひとつの両義性があるように思います。
    つまり、陶芸作品を通して現代美術のスターダム入りした彼自身の立ち位置です。
    西洋美術史において、クラフト(工芸)とアート(美術)のあいだには深淵な境界がありました。
    伝統的に、アートのためのアートは作り手の名前が歴史に残り、クラフトのほうはほとんどの場合残りませんでした。

    TATE美術館が主催する現代美術のターナー賞において、
    陶芸ジャンルの作家が入賞すること事体も、初めてのできごとだったのです。
    大英博物館の方には、作り手の名前などさほど重要視されないアーティファクト(工芸品)が、集められてきました。
    このことは、博物館と美術館の境界についての議論ともつながっています。

    グレイソン・ペリーは、そのことを踏まえて、
    いまやセレブなアーティストとなった自分自身が、
    世界のクラフト・マンたち、彼にインスパイアを与えてきた名もなき作り手たちに、
    敬意を込めてこの作品を創ったのではないでしょうか。
    博物館に展示されたものは、創りあげられた結果としての「もの」でしかないと、
    わたしたちは見てしまいがちですが、この展示はそれを創った人々に光を当てようとしたのです。

    記事:2011年10月22日

  • サイ・ツォンブリとプッサン:現代アートと古典作品が響き合う

    サイ・ツォンブリとプッサン:現代アートと古典作品が響き合う

    2000年、ロンドンにオープンしたTATE Modenは、19世紀のモネの油彩画とイギリスの現代美術作品の組み合わせなど、違う文化背景の作品をいっしょに並べるという展示構成で、世界にあっといわせました。作品を歴史に沿って構成するのが常道だったミュージアムは、それ以来、時に物議をかもしながら、異質なもの同士を並べてみせる、という試みを始めたのです。

    では、それを受けとる鑑賞者にとってはどうでしょう。うまくいけばとっても新鮮で刺激的。外れてしまえば、意味をなさなかったり、惑わ すだけだったりします。
    鑑賞者とコミュニケーションがつくれなければ、せっかくの試みは水の泡。

    その意味で、21世紀のミュージアムはモダニズムの視点から離れて新しい方向性を探りながら、コミュ ニケーションをいかに大切につくっているかが問われるのです。
    そんな中、先日、その試みが成功したすばらしい展覧会にであいました。
    ロ ンドンのDulwich Picture Galleryで行われた「サイ・トゥオンブリーとプッサン:アルカイダの画家たち」という特別展です。

    現代のアメリカのアーティストと17世紀フランスの代表的な画家です。文化背景も違えば、表現手法もまったく異なるふたり―どうみたってミスマッチ。
    実は、この展覧会、ツォンブリーの次のような言葉をきっかけに生まれたものでした。
    「もし生まれ変わることができたら、わたしはプッサンになりたい。」
    サイ・トゥオンブリーはプッサンの熱烈な敬愛者だったのです。

    実はこの二人、人生や関心に重なる事がある。ふたりとも30代前半にイタリアに拠点を移し、「ギリシア・ローマ神話」など古典的なテーマを創作活動のなかで掘り下げました。

    たとえば、上の写真にある組み合わせ。
    左はプッサンの「リナルドとアルミダ」、右はトゥオンブリーの「ヴィーナスとアドニス」です。どちらとも、愛憎の絡み合う恋人たちを描いています。ふたりの作品が小さな展示室の向かいあわせに掛けられているからこそ、寓意にあふれ崇高で静謐な画面の奥から、アルミダの引き裂かれた情念がふつふつと聞こえてくる。

    恋人の寝顔をみる熱いまなざし、その髪をやさしく愛撫する左手と、、、もうひとつの震える手。(画面がきれていますが、彼女は右手にナイフをもっています。)白い胸の内には如何ともしがたい愛憎の炎がたぎっているのです。

    作品が隣接しているからこそ、トゥオンブリーの激しい筆の動きや色のぶつかり合いに、愛と死という永遠のテーマが浮かび上がってくる。この赤はヴィーナスとの愛の時間であり、彼女の夫によって殺されたアドニスの血であり、その死から生まれたアネモネなのでしょう。

    従来の展示構成を踏まえれば、同じ美術館でさえみることのできない作品同士が、このように並ぶことによって、それぞれの作品がより豊かに語りかけてくる、作者が言わんとしたことの深層がみえてくる、、、そんな気がしました。

    批判の声も、もちろんありました。違う手法の作品を並べることでお互いのよさを損ねているとか、来館者をクレージーにさせるだけだとか。

    たしかに、時代や流派に沿った構成によって、アーティストのスタイルの微妙な違いや美術の発展というものを知ることができます。しかし、スタイルはあくま でも表現の手段。耳を傾けるべきは、その奥にある芸術家のメッセージであり、それをいかに視覚表現で表そうとしたかという独自のクリエイティヴィティです。

    この展覧会は、手段ではなく芸術家の内面に注目することで、ふたりの作品を結びつけ、それによって彼らのメッセージだけではなく、実はそのアプローチのしか たそのものを浮かび上がらせたのではないでしょうか。わたしにはクレージーどころか、二人の表現の織り成すハーモニーが時空を越えて響きあっているように思えたのです。

    実は、この展覧会が始まって一週間も たたないときに、予期せぬ訃報が届きました。サイ・トゥオンブリーがローマで死を迎えたのです。83歳でした。展覧会は、図らずも、プッサンを愛したこのアメリカの芸術家への最高のオマージュになったのです。

    記事:2011.10.11

    Dulwich Piture Gallery/ London : 29.06.2011 -25.09.2011