投稿者: Opekepen

  • 画家たちのヒーロー

    「ぼくらはみな、ドラクロワの言葉を使って絵を描いているのさ」

    そう言ったのは、セザンヌだ。

    19世紀半ば、若い画家たちは、アカデミズムの伝統の縛りから抜け出ようとしていた。

    そんな彼らにとってヒーローだったのがドラクロワである。

    セザンヌのほかにも、ゴッホ、ゴーギャン、ルドン、マティス、、、、。

    こんなに多彩な方向性もバラバラの画家たちが、

    自分たちが目指すべき方向はドラクロワだと絶賛したことは、驚きだ。

    今、ナショナルギャラリーで開催中の「ドラクロワ:近代美術の幕開け」展は、ドラクロワの作品が後輩の画家たちの作品と並んで展示されているという点で、とてもユニークな展覧会だ。

    だが、全体を見終わって、ドラクロワの表現の何が後の画家たちひとりひとりに影響を受けたのか、はっきり言ってわからない。

    それなら、ドラクロワに集中した展覧会の方がよいのではという声もある。

    だが、展示場を二度目に回って、彼の影響は表現技法というよりも、制作に対する態度なのだと、わかった気がする。

    その意味では、ちょっと玄人受けする展覧会かもしれない。

    オーソドックスな展示方法ではない構成がとられているからこそ、

    当時のドラクロワの卓越さが別の角度から理解できたという意味で興味深い展覧会だった。

    ドラクロワの時代には、フランスのアカデミズムが権威の光を放っていた。

    ドラクロワは、当時では珍しく独学の画家だ。

    学校では、過去の巨匠たちの模倣が基本だった。

    そこでは、まず色を使わないで、手本の作品のデッサンをするのが当たり前だったという。

    ところが、ドラクロワは、はじめから色を使った。

    作品のすべてを丸ごと、自分の脳裏に焼き付けたのだ。

    やがて、色の表現は、彼の画業の中で最も重要な要素となった。

    当時のアカデミズムでは、わかりやすい物語を伝える事がよしとされた。

    ドラクロワは、典型的な物語よりも、ケオスのエネルギーを、人間の複雑性を描いた。

    それが、例えば、あの大作「サルダナパルスの死」に対する当時の批判になったのである。

    後世の画家たちがドラクロワをヒーローだとしたのは、

    そうした既存の概念を突き破るような、新しい目となってくれたからではないだろうか。

    私たちの見方は、その時代、その社会のありように影響を受けて、ある種の枠にはまっている。

    アートは、その枠を外して、別の角度から世界に光をあててくれるものなのだ、

    この展覧会をみて改めて感じたように思う。

    Eugène_Delacroix_-_La_Mort_de_Sardanapale

    2016.3.14

  • スターマンになったデビット・ボウイ:追悼

    デビッド・ボウイが死んだ夜、

    一番好きなアルバム、「72年、サンタ・モニカ、ライヴ」を聴きながら、このブログをかいています。

    聴く度に、前には気がつかなかった彼の新しい表現をみつけて、、、今日も驚きました。

    音の作り方も、ずらし方も、素晴らしいミュージシャンたちとの新しいコラボレーションの仕方も、なにより歌詞の不可解さも。

    中学生の頃は、なんかとても斬新すぎて、ついていけなかった。

    なにがなんだかわからないけど、綺麗な顔だし、かっこいいから、ボウイが好きと言ってただけ。

    今朝のラジオで、18ヶ月もの長い闘病後、他界した事を聞いて、

    ジョン・レノンの突然の死に匹敵する喪失感を覚えました。

    レノンが死んだ時は、真夜中のコタツに入って、受験勉強のさなかだった。

    ノートなんか放り投げて、深夜放送に聴きびたっていた。

    ボウイの死を聞いた今は、わたしはレノンの歳を越えて、かつて彼らが活躍したロンドンに住んでいます。

    ボウイの存在をもっと身近に感じることができるところに住んでいる。

    だからでしょうか、ロンドン中心地での仕事の合間、自然にゆかりの地に足が向きました。

    あの、伝説のアルバム「ジギー・スターダスト」のジャケットが撮影された場所です。

    ジギー・スターダストとは、ご存知のようにボウイの想像上の分身。

    宇宙のどこかの星からやってきて地球に大きな影響を与えるロックスターで、ステージ上で死をとげた想像上のヒーローです。

    当時のイギリスのティーンエイジャーは、ボウイのことをジギーとよんでいたそうで、

    そう信じさせるくらいリアルにジギーになりきっていたのでしょう。

    背景には、今はない毛皮屋「K・WEST」の看板。

    Quest=探し求める、と読めて、星の人ジギーのお気にいりだったとか。

    IMG_3641

    イギリスには、大きな功績を残した(実在の)人物のために、彼らのゆかりの地にブループレートというのがつくのですが、

    その撮影場所には、想像上の人物にかかわらず、ジギーのためのプレートがついている。

    ロンドンでもっとも賑やかな中心地から、少し裏道にはいった奥まったところに隠れています。

    わたしが向かった昼下がりには、その裏道にはいっていくところから、ボウイの音楽がエリア全体に流れていました。

    人の群れがすでにあり、ジャーナリストが集まっていました。

    ジギーのプレートの下には、すでに花束が手向けられていました。分身ジギーを生み出したボウイに向けて。

    IMG_3631

    亡くなる2日前の2016年1月8日、69歳の誕生日、ボウイは最新で最後のアルバム「Blackstar」をリリースしました。

    18ヶ月前からガンと闘っていたということだから、

    このアルバムづくりのはじめから自分の死を覚悟して、病いと闘いながら、底知れぬ孤独と闘いながら、

    最後の仕事を成し遂げたにちがいありません。

    そのアルバムに収録された曲の詩には、次のようなフレーズが散りばめられているのだそうです。

    「彼が死ぬ日に何かが起こる。誰か別の人が現れて、勇敢にこう叫ぶのさ、I am a Blackstar! Blackstar! と。」

    「見上げてごらん、わたしは天国にいるから。わたしには君には見えない傷がある。わたしにはドラマがある-誰にも盗めないドラマが。」

    昔とかわらず、不可解で不思議な魅力のある詩です。

    このアルバムづくりに関わった友人は、ボウイの死への追悼でこういっています。

    「彼の死は、彼の生き方と同じだよ。アートさ。 ボウイはみんなのためにBlackstarをつくったんだ。彼のさよならの贈り物なんだ」

    駆け出しの頃から、音楽だけではなくて、ファッションも化粧もステージクラフトもすべて、

    独自の美学をもって最初から自分でコンセプトをつくりあげ、納得のいく最上のできあがりを目指したスターでした。

    自分の死を含め、ボウイは一貫して、彼の人生そのものをアートにした-その意味でも世に稀なアーティストなのだと思います。

    ボウイ、やっぱりその死までかっこいい。

    David Bowie R.I.P.

    2016.1.11

  • フェイス・オブ・ブリテン-英国の顔

    「イギリス人であるとはどういうこと?」

    「肖像画って何?」

    肖像画美術館で開催中の特別展、『FACE of BRITAIN』は、そんな疑問をまっすぐに問いかけてくる。

    -副題には、『肖像画を通してみるNation (国民国家)』とある。

    イギリスは言うに及ばず、どの西洋諸国も今や多民族が共存する国家だ。

    片や待ったなしの移民問題やイスラムとの軋轢で、

    「ある国の国民である」とはどういうことなのか-そんな根本的な問いにわたしたちは揺さぶりがかけられている。

    だからこそ、欧米のミュージアムでは、アイデンティティー問題を問う展覧会がますます増えてきたのだろう。

    翻って、この問題は私自身にも身のつまされる問いでもある。

    日本で生まれ育ち、40代になってからの留学がきっかけでイギリスに渡り、この国に家族をもち、生活をし、おそらく骨を埋めるだろう、

    では、わたしは日本人なのかイギリス人なのか?

    どこまでいっても根無し草のよそ者でしかないのではないか?・・・

    片や、アイデンティティーを巡るミュージアムの問題は、実はわたしの研究テーマでもある。

    そんなわけで、これまでたくさんの展覧会をその観点から観てきたわけだけれど、

    アイデンティティーという難問を、ミュージアムの展示のなかでいかに公平公正に物語るのか-失敗するケースも少なくない。

    そんな中、この『FACE of BRITAIN』は、内容、解釈、構成、すべてにおいて優れた展覧会だったと思う。

    展覧会は、5つのテーマで構成されていた。

    「Power」を表す肖像画 ・ 「Love」を謳う肖像画 ・ 「Fame-誉れ」を促す肖像画 ・ 普通の「People」を捉える肖像画 そして 画家自身の「Self」を見つめる肖像画。

    どれもが内容の濃い展示だったけれど、このブログでは、特に興味深い作品や新しい解釈があった「Love」「Self」「People」の展示室について触れたい。

    例えば、「Love」

    - 愛する者をモデルに、画家に絵を依頼する事は、よく知られた肖像画の役割だろう。

    だが、時には、他界した者、二度と出会えぬ者を永遠にそばにおいておきたいという、測りがたい熱情がこめられる事もある。

    数時間後には射殺されるジョンがヨーコと抱き合っているシーンを捉えた写真も、

    あるいは愛する若妻が亡くなり、彼女の体がまだ温かいうちに画家ヴァン・ダイクを呼び寄せて描かせた絵も、その思いを伝える。

    写真が開発されたヴィクトリア時代には、死んだ子供を撮影して家族のアルバムの中に入れる習慣があったのだそうだ。

    当時は幼い子供の死亡率が現代人の想像を絶するほど高かった事を思いおこせば、

    その家族アルバムの存在自体に心を動かさずにはいられまい。

    自分自身をみつめる内省的表現も肖像画の永遠のテーマだ。

    「Self」の展示室には、

    女性の社会的な地位がまだまだ低かった19世紀の一女性画家の自画像から、

    自らの血を使って赤い頭像を作った現代アーティスト、マック・クィーンまで並んでいた。

    中でも目をひいたのは、イギリスで生み出された最も初期の自画像だ。

    小さな板に描かれた二人の男性像。

    パレットをもっているのが画家フリッケ自身。隣で楽器をもっているのは牢獄で一緒だった画家の友人だ。

    この絵は、牢獄(ロンドン塔?)に二人が捕らわれの身だった時に描かれたものと、解説される。

    どちらかが処刑された後、友を覚えておきたい、自分を忘れないでほしい、という願望がこめられているのだろう。

    その願いは、他者の眼を通して永遠に行き続けたいいう、人間の根源的な思いと通じている。

    by Gerlach Flicke, diptych, oil on paper or vellum laid on panel, 1554
    by Gerlach Flicke, diptych, oil on paper or vellum laid on panel, 1554

    「People」の展示室は、

    歴史的、社会的な有名人ではなく、名も無き人々をとらえた肖像に焦点をあてる。

    鑑賞者が目にするのは、奴隷として連れてこられ自由市民になったイスラム教徒、ロンドンで差別と闘った黒人と白人のカップル。

    極端に背が高い男性など、いわゆる「フリーク」と言われた人々・・・。

    興味深かったのは、イギリス特有の作品を生み出したウィリアム=ホガースの描いた肖像画だった。

    王侯貴族を描くことが肖像画のそもそもの役割だったが、

    18世紀になり演劇が流行ると、有名な俳優もその対象になり始める。

    ところが、ウィリアム=ホガースが描いたのは舞台の上のセレブリティーではなく、芝居を観にくる普通の人々の様子だ。

    明日には死刑になるという女性を描いた彼の版画も展示されている。

    この部屋には、ホガースのほかにも、「人間」の多様性や彼らのバイタリティーに興味をもち、社会全体を見抜こうとするアーティストたちの眼差しがある。

    after William Hogarth, mezzotint, (1733)
    after William Hogarth, mezzotint, (1733)
    by William Hoare, oil on canvas, 1733
    by William Hoare, oil on canvas, 1733

    ことほどさように、ひとつのテーマを扱った展示室もおおいに面白かったし、

    そこで選ばれた展示品や展示がつくるストーリーからも新しい発見があった。

    さらに付け加えなければいけないのは、

    この期間限定の特別展示が、別に設えられた企画展示室にまとめられたのではなく、

    常設展示室のあちこちに散らばった5つの小部屋が、この期間だけいつもの展示を外して、そこに持って来ている事だ。

    そうすることで、来館者の経験がまとまりのない断片的なものになるかもしれない。

    だけれど、この意図的な構成によって、常設展示に飾られた他の肖像画作品に対しても、新しい光があたるのではないか。

    思えば、「肖像画美術館」そのものが、王侯貴族や政治家、偉人賢人などの肖像を並べることで、

    まさに「英国性」というまとまったひとつのアイデンティティーを育てる場として機能してきた。

    この「フェイス・オブ・ブリテン」は、

    そのようなまとまったアイデンティティーがあるわけではなく、

    わたしたちの社会は、歴史上常に、多様で、流動的な人々の像が共存してきたし、

    今まさにそのような波の中にあるのではないかと問いかけている。

    もし、あえて「英国性」というものを見つけようとするのなら、

    「Love」や「Self」といった、いわば肖像画の普遍的なテーマで構成されることで、

    そのテーマの下に選ばれたひとつひとつの顔が交錯するなかに、見え隠れするのだろう。


    ロンドン肖像画美術館 2016年1月4日まで

    http://www.npg.org.uk/whatson/simon-schamas-face-of-britain/exhibition.php


    2015/12/27

  • 教会の中の現代アート:ウィンチェスター大聖堂のアンソニー・ゴムリー

    教会の地下室に降りていくと、ヒヤリとした空気に包まれた。

    いくつも重なるゴチック式の屋根の下、

    ひとりの男の像がぽつんと立っている。

    両手を丸めて小さな杯をつくり、そのなかに目をおとして立っている。

    水をすくってできた手のなかの小さな池に、自分自身を映しているかのようだ。

    教会という空間だけに、静寂で瞑想的な空気が満ちている。

    だけれど、魂は神に向かっているのではない-自分自身に向かっているのだ。

    2015-11-08 13.37.03

    この教会は、イギリスでも最も古く、重要な教会のひとつ-ウィンチェスター大聖堂(642年設立)である。

    地下室は教会建築の中で最古の部分だ。

    男性像をつくったアーティストは、現在イギリスで注目を集める彫刻家、アンソニー・ゴムリー。

    作品のタイトルは「Sound II」。

    その像は、実は、アーティスト自身の体からとったキャストだという。

    わたしが訪れた時、像が立つ床のヒビには、水が含まれていたのが見て取れた。

    立像の足元に湿ったヒビが広がり、まるで作品が空間全体に広がっているようにみえる。

    雨が降り続くと、その像が立っている床は水浸しになり、像の膝丈ぐらいまで達するらしい。

    実は、この教会の下にはもともと川が流れていた。

    紀元後100年以前にやってきた古代ローマ人たちが、その川の流れをかえて、町をつくったのがこのウィンチェスターという古都の起源だ。

    そんな歴史を知れば、水をすくう人物像がより深い歴史の厚みのなかでみえてこよう。

    思えば、教会は西洋美術のゆりかごだった。

    音楽や演劇と同様に、美術は神の世界を表現するツールだった。

    それが、貴族の家々を飾り、ブルジョワ階級を潤し、美術館に展示され、やがて美術館の外にでていった。

    美術の機能も意味も表現も多様化した。

    この10年、再び、美術が教会の中に新たにとりいれらたケースが増えたように思う。

    でも、かつての機能や表現とは決して同一ではない。

    宗教画ではなく、現代美術だ。

    アンソニー・ゴムリーの Sound II がそうであるように。


    2015/11/28

  • ぶさいくな王:ゴヤの肖像画展

    ロンドンでは、近年肖像画に焦点をあてた展覧会が多い。

    ナショナルギャラリーでは今、ゴヤの肖像画をテーマにした特展をやっている。

    -ご存知のように、18世紀後半スペインを代表する画家だ。

    描かれた対象のほとんどは言うまでもなく王侯貴族、スペイン風の豪華な衣装をつけた高貴な方々である。

    そんな中、ぷっと吹き出したくなるユニークな顔にもいくつか出くわした。

    こんな顔を描いて、モデルから何も言われなかったのかと心配したくなる面さえある。

    これが、イギリスのほぼ同時代の肖像画家、ジョシュア・レイノルドだったら、きっと、もっと美しくしあげただろう。

    逆に言えば、ゴヤは、パトロンをけして美化しない正直な人だった。

    だが肖像画に焦点をあてた展覧会をみていくうちに、そのぶさいくな顔が、

    この画家の「黒い絵」の時代の、人間社会の暗部を描く画風にも重なった。

    ゴヤといえば、わたしが好きなのは、

    ナポレオン軍によるスペイン民衆の虐殺を描いた「マドリード、1805年5月3日」や「巨人」などの、

    人間の悪を抉り出すような絵や、その愚かさをユーモラスに描いた小品だ。

    民衆の生活や当時の社会全体に目を注ぎ、鋭い観察力でそれをアートとして表現した、画家が聾になってから暗黒の世界で制作した作品。

    彼が尊敬してやまなかったベラスケスと一線を画す独自の芸術表現だ。

    今回の展覧会の中心は王侯貴族の全身像を描いた立派な肖像画、いわば彼の表である。

    画家としての名誉と生活の糧を得るための、ゴヤの表の顔だ。

    わたしのように、暗黒を描くゴヤに興味がある人にとっては、

    今回の展覧会はつまらないかもしれない。

    解説が極端に少なく(ありすぎるのも、困りものだが)、その点も展覧会のつくりこみが弱いと思う。

    だが、その王侯貴族たちの顔のなかにも、

    ゴヤらしい真実を追究する観察眼があること、

    ある種のユーモアをこめてモデルの人間臭さを正直に描いている事を知り、その意味で表に裏がかさなって面白い。

    表裏でいえば、この展覧会で一点気になった小さな小品があった。

    表には、ナポレオンを倒し、スペイン王室にとっては恩人である、英国軍人ウェーリントンを描いた小さなスケッチ。

    その裏には、友人を描いたチョークスケッチ。

    Friar Juan Fernández de Rojas

    簡単なスケッチだけれど、

    眠っているのか、死んでいるのか。いや、きっと死んでいるのだろう。なぞめいた魅力ある絵だ。

    死の床の古い友人を描く観察力とタッチは、

    まちがいなく、あの「黒の絵」の手になるものだった。

    下の絵は、重い病気になった時のゴヤの自画像 (Friar Juan Fernández de Rojasとは異なる)

    07.SelfPortraitwithDoctorArrieta
  • 母のいる空間:ジャコメッティー展

    部屋の真ん中に、老いた母がこちらを向いて座っている。

    母の身体を描く線が自由に伸び、その周囲に広がり、

    椅子やカーペットや柱時計や部屋のすみずみまでつくったかと思えば、

    今度は、その線が母に戻ってきて、また彼女の身体やまなざしの周りで渦巻く。

    母を中心に部屋の宇宙ができていて、もはや母がこの家だ。

    いや、彼女が部屋になったのかもしれない。

    確かなことは、この空間に一人の老いた女がいるということ。

    今わたしがみているのは、ジャコメッティが描いた彼の母の肖像画である。

    ロンドンの肖像画美術館、特別展示の一室でのこと。

    そこには、彼の描いた肖像画と一緒に、あの特有の細長い人体の彫刻が並んでいた。

    平面の肖像画も立体の彫刻も一体になって響きあっている。

    母と母がいる部屋を描く神経質な線からは、粘土をつけたり、削ったりするアーティストの手の動きがみえる。

    平面だろうが立体だろうが、彼にとって追求するものはきっと同じなのだ。

    ジャコメッティがモデルにするのは、母のほかに妻アネッティや弟のディエゴといったごく身近な人々。

    個人としてのモデルが、彼の手にかかると普遍的な人間像に生まれ変わる。

    アーティスト自身もこう残している。

    「ずっと一緒に仕事をしてきた弟を何度も何度も描いているうちに、目の前の人が弟であるという意識が消えてしまうのだ」と。

    ジャコメッティーといえば、有名なのは巨大でやせ細った「歩く人」や「立つ人」だろう。

    そのブロンズの人体像は、ありえないようなデフォルメで細長く表現されたいるのだけれど、

    なぜか、まさに「人がそこにいる」と思わせる不思議なリアリティーがある。

    残念ながらこの展覧会ではそのような巨大な全身像はなかったけれど、

    これだけの数の肖像画と小ぶりの人体彫刻をまとめてみることで、

    そのリアリティーがどこからきたのか、少しわかったような気がした。

    若い頃から彼は同じモデルを使って、何体も何枚も肖像をつくった。

    あらんかぎりの集中力で観察し、作り上げていくのに、

    目の前の表情は雲を掴むように消えてしまい、また新しい表情が現れる。

    だから、その人の印象を自分の作品に仕上げることが出来なかった、と彼は言う。

    シュールリアリズムに向かったこともあったけれど、そこには自分の求める答えはなかった。

    そして、再びリアリズムに戻った。なんども作っては壊し、壊しては作った。

    ある時、自分の恋人を窓の外、遠目に見かけた。

    パリの道端で、彼女はとある空間のなかに立っていた。

    その時の印象をそくざに小さな彫刻にこめた。

    それをマッチ箱の中にいれ、戦争で故国スイスに逃れた時ももっていった。

    そのマッチ箱の小さな像を眺めながら、恋人の記憶をたどりながら、

    女性の人体像をつくってみたが、それは彼がパリでみた彼女ではない。

    何度も何度も作り直していく上で、気がついたら巨大な像になっていった。

    そして不思議なことに、巨大な像になってはじめて、かつての恋人のリアリティーを感じたのだという。

    彼と同時代に生きたサルトルは、戦後はじめてのジャコメッティの展覧会のカタログに序文を寄せている。

    そのなかで哲学者は、ジャコメッティの巨大な細長い像にこそ戦争を体験した人間の実存をみるとかいた。

    そうなのかもしれない。

    戦争はそれを生きたすべてのアーティストにとって避けてはとおれない人間の真実だ。

    でも、今回の展覧会をみて、わたしは、

    ジャコメッティーが、そんな大きな哲学をもって作品づくりにとりくんだというよりは、

    モデルを執拗に観察し、その周囲の空間を捉え、「その人がそこにいる」という彼がみた印象を作品に表そうとした。

    ただただ、それを追求しただけなのではないかという気がした。

    できあがったものが、結果的に、サルトルや現代人にとって普遍的な人間像に映ったのだろう。

    アーティストのなかには、その時どきの芸術の奔流には流されずに、

    自分自身の目や考えだけを信じて、自分の表現をつきつめていく孤高の人がいる。

    ジャコメッティーは間違いなくその一人だと思う。

    Giacometti-1

    ロンドン 国立肖像画美術館


    2015/10/28

  • 大英博物館での「マンガなう」展

    昨今、欧米のミュージアムでは日本の展示に「マンガ」は欠かせない文化だ。世界に冠たる博物館、大英博物館でも、現在、玄関近くの小さな展示室で特別展をやっている。

    題して「マンガなう」。副題には「三世代のマンガ」とある。

    戦後三世代を代表する作家は、ちばてつや、星野之宣、中村光の三人だ。

    外野的視点から面白かった事は、ふたつ。

    まず、それぞれの作家が大英博物館に依頼されて、今回のために新作をつくり、その原画が展示されていること。

    例えば、ちばてつやは、ゴルフの発祥地セント・アンドリューでのゴルフをネタにした。

    星野は、時空を超えるミステリー - 古代の歴史との関わりが大英博物館と絡んでいるのだろう。

    中村は、ブッタとキリストが現代の東京で漫画を制作するという設定だ。

    大英博物館あるいは英国をキーワードにしたときの、三つの世代の異なるアプローチに、

    戦後日本の世界に対する考え方が反映されているという、主旨だろうか?

    いずれにせよ、この展示からは、来館者の目にはそのように映ってしまったとしてもしかたがない。

    ではなぜ、大英博物館は日本の3世代を代表する漫画家とし、あまたある漫画家の中から彼らを選んだのか。

    残念ながら、展示はそのことに触れていなかった。

    2015-10-06 13.10.00
    2015-10-06 13.13.56
    2015-10-06 13.16.49

    もうひとつ面白かったのは、

    大英博物館の日本担当の学芸員がそれぞれの作家たちにインタビューした状況を、マンガチックに紹介していることだ。

    わたしは、数年前に大英博物館のアジア部門で働いていたので、

    たまたま日本関係の学芸員たちを知っているのだが、

    たとえば、ティム・クラークはもともと浮世絵の、またニコラは陶磁器の専門家で、実は現代漫画の専門家ではない。

    言い換えれば、彼らにとっても漫画は新しい分野で、それなりのチャレンジであるはずだ。

    確かに、いまや、日本文化を紹介する欧米の博物館美術館は、「漫画」は欠かせない存在になっている。

    だからこそ、ふだんは展示の裏側にいるはずの学芸員が表にでて、

    漫画作家と学芸員のパーソナルな出会い自体を、展示に持ち込んだことはとても新鮮で正直なアプローチだった。

    その一方で、だったらなおのこと、なぜ、ちば、星野、中村の3人を代表として選んだのかを、

    この展示のなかで説明してほしかったと思う。

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    それにつけても、漫画を読むことは、カイコの中にいるような、とても個人的で親密な時間だ。

    その経験そのものは、博物館という公的で開かれた環境のなかで、いったいどう現しえるのだろう?

    漫画と博物館の文化メディアの違いをどう乗り越えるのか、(あるいはそんな必要は、実はないのか)

    きっと、そこに、漫画を博物館という空間のなかで表象することの難しさがあるに違いない。

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    聞けば、2年前に大英博物館で行われた春画展が、やっと日本で開催の運びになったらしい。

    素晴らしいコレクションで構成された展示、大英博物館で展示された時は大変好評だった展示を、

    大英博は本国日本で紹介したいと考え、受け入れてくれる日本の博物館を長い間探したものの、

    大きな国立博物館からは悉く断られた。

    内部筋から、大英博物館からの依頼ならいつもは二つ返事でゴーするはずなのに、日本の権威ある博物館ではこのテーマは受け入れられなかったことを聞いている。

    やっとのことで、小さな博物館(永青文庫)で展示の運びとなった。

    あの素晴らしい展示が、春画という文化を生み出した当の日本人の目に広くわたること、そのこと自体はとても喜ばしい。

    博物館関係者や専門家はともあれ、日本の一般の人々のあいだでは、どのように受け止められているのか、とても興味深い。

    春画と漫画は、読む側の経験という意味で重なるところがあるように思えて、ついつい、話が広がってしまった。

    2015/10/10

  • 陰鬱なテーマパークから明るい未来へ:バンクシーのディスマランド

    2015年初秋、イングランド西海岸のある寂れたリゾート地に、突如としてテーマパークが現れた。

    その名も「ディスマランド Dismaland」という。

    Dismal=陰鬱な、みじめな、気がめいる ・・・ という英語がひっかけてある。

    ロゴやポスターから 「ディズニーランド Disneyland」を皮肉っているのがすぐに読み取れる。

    明るく、笑い声に溢れ、夢のようなアミューズメントパーク、ディズニーランドとは正反対のイメージを前面におしだしているのだ。

    気のめいるようなこのテーマパーク、5週間限定の開催なのだが、大変な人気で、チケットをとるのは至難の業だ。

    人気のひみつは、チケットがたったの3ポンド=600円ということもあるが、

    このテーマパークを手がけたのが、世界的に有名なストリートアーティスト、あの覆面のBanksyだからにちがいない。

    運よく、チケットをとれたわたしたちは、ブリストル郊外にあるかつてのリゾート地 Weston-Super-Mareを目指した。

    駅を降りて、小さな町中を15分ぐらい歩くと、海からは冷たい風が吹き、向こうの方に暗雲がたちこめていた。

    まさに、Dismaland日和。

    Dismalandの看板がかかった正面建物(ゴチック建築の廃墟)にはいれば、

    いきなり、セキュリティーチェックを通ることになる。

    スタッフたちは、ミッキーマウスの耳をつけて、不快な顔つきでわたしたちに近づいてきた。

    セキュリティーチェックの機械も、大きな無線機も、拳銃もすべてダンボールでできている。

    一緒にいった友人など、チケットを破られ、いきなり口のなかにチケットをいれられたのだそうだ。

    どの来場者にもこんな対応をしているのだろう。

    実はこれは、カナダ人アーティスト、Bill Barminskiの作品で、

    テーマパークの商業主義/ポピュリズムと現代の管理社会を皮肉っているのだ。

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    そこを通過すると、ハワイアンがどよーんと流れ、枯れかけたやしの木が植わっている。

    今やすっかり荒廃したリゾート地。

    その荒れ果てた様子を逆に利用して、テーマパークができている。

    正面には、お化け屋敷のようなシンデレラ城が聳え立ち、城を囲む池には、警察の車がひっくりかえっている。

    その警察の放水車からでた水が噴水というわけだ。

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    薄暗い城の中に入ると、いきなりたくさんのフラッシュがたかれてびっくりしてしまう。

    カメラマンたちのレンズの先には、なんと、かぼちゃの馬車がひっくり返り、そこからシンデレラが仰向けに放りだされている。

    すぐにあのダイアナ妃の事故とパパラッチたちの事と結びつくに違いない。

    これはBANKSYの作品だ。

    その脇では、釣竿でアヒルのおもちゃを釣るコーナーがある。

    水は黒々とし、その中心には全身油まみれになったペリカンがいる-もちろん、いいたい事は、石油会社の油漏洩による自然環境破壊。

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    ボードの穴から顔を出し、なにかに扮装して、写真をとるコーナーでは、

    ボードには、二つのアナがあるだけで、なにも描かれておらず、ただ、「SELFIY HOLE=自画撮り穴」とある。

    みんな喜んで自画撮りしていた。

    自分を茶化すことが、ユーモア精神の根っこだと思う。

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    別のコーナーには、まさに今の惨事。

    大きな水槽の中に、たくさんのおもちゃのボートが浮かんでいて、どのボートも避難民たちで溢れているし、水の中にはぷかぷか浮かんでいる人もいる。

    来場者はそのボートを操縦できるようになっているのだが、コントロールがぜんぜんきかない。

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    テーマパークが設置された廃墟自体がそもそも惨めだが、

    会場内にいるピンクのユニフォームのスタッフたちも、決して笑うことはない。

    作品が扱うテーマも

    - 避難民問題、グローバル化、商業主義、管理社会、消費社会、警察や軍をめぐる権力問題、イスラム社会の問題・・・

    暗澹とした現代社会の様々な問題だ。

    そこには、Banksyたちストリートアーティストらしい、批判精神が徹底してみなぎっている。

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    とはいうものの、内外のアーティストによる様々な「アート」をみて、ああ、やられたーと思ったものは、正直2-3点しかなかった。

    ある美術評論家がいうように、どこか薄っぺらで、直接的すぎるからだろう。

    だが、それはひとつひとつの作品についての印象で、

    Dismalandが面白いのは、

    むしろ、このテーマパークそのもの、見捨てられたメランコリックな環境、そこに都会から足を運ぶ人々、私自身も含めて、全体でジョークを作り出していたことだ。

    当日見逃してしまったテント(長い列ができていたので断念した)があった。

    後で知ったのだが、そこでは、皮肉をこめた社会批判のポスターが何千枚と売られていた。

    ポスターには、イギリスのバス停の広告塔をあける鍵がついている。

    わたしたちが訪れた翌日、ロンドンの地下鉄やバス停が、そのポスターに差し替えられたというニュースが流れた。

    色鮮やかで目をひく写真やコピー文をつかい、いっけん、普通の商業ポスターのようにみえて、

    よくよく読むと、体制批判の内容。

    例えば、

    イギリス製の大量の兵器がイスラエルに売られ、ガザ地区の市民がいかに大勢、殺されたかを告発するポスターだ。

    ちょうど、ロンドンの見本市で「軍兵器関連のものが取引されるフェアー」がオープンしたばかりで、それにあわせたらしい。

    そういう見本市があるなんて、おおっぴらに宣伝なんかしないから、

    ロンドンの人々はほとんど無知で、そこにきっと効果的な気付きを与えてくれることだろう。

    差し替えた張本人は、Dismalandのテントでポスターをかった普通の人たちだ。

    なかには、マクドナルドのマックの広告が、子供が描いた自然いっぱいの絵になっていた。

    「毎日、息子が学校にいくバスを待っていると、こういうジャンクフードの広告をみて、興味をひくんだ。

    糖尿病になるんじゃないかとひやひやだよ。

    だから、マックの広告をとって、息子の絵にさしかえたんだよ。この方がずっといいだろ?」

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    こういう行為はむろん違法だ。

    興味深いのは、そうやって、市井の人々が、突然ゲリラのストリートアーティストになったこと。

    そういう行為を支持する人々が大勢いることだ。

    今までなら「プロ」のストリートアーティストにまかせていた。

    自分自身がこういう行為をしたのは、もちろん愉快犯的な要素もあるだろうけれど、

    今すんでいる世の中が絶対に変だと思うから、敢えて行為を起こしたに違いない。

    その奥には、やはり現状の政治に対する鋭く、胸のすくような批判精神がある。

    Dismalandが、西海岸の寂れたリゾート地の短期のイベントに終わるのではなく、

    それがロンドンにも飛び火して、草の根の、また今までにないような表現、特定のアーティストではなく、普通の人々が自主的にする表現する行為に広まった事自体が、たいへん興味深い。

    ブリストル育ちのBanksyは、もともとグラフィティーをやっていた。

    グラフィティーは、仲間にだけ向けた表現活動だ。

    ストリートアートはもっと一般の人を相手にする。

    美術館に行くようなちょっと高級趣味の一握りの人々だけではなく、町に生きる、町を歩く人々に向けて表現している。

    Dismalandには、子供から高齢者、車椅子の人々・・・あらゆる人々がきていた。

    驚く事に、学校からの子供たちの団体もいた。

    ロンドンからわざわざやってきた現代美術館に行くようなおしゃれな人たちもいたけれど、来場者の多くは普通の人々だった。

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    2015/9/18

  • カーニヴァルの光と影:ノッティングヒル

    ロンドンの夏は、カーニバルで幕を閉じる。

    8月の終わりの週末二日間- 町は大音響と極彩色と張り裂ける踊りで、ものすごい渦巻きになる。

    世界三大カーニバルのひとつに数えられる「ノッティングヒル・カーニバル」だ。

    だが、歓喜の祭りの裏には、暗い過去がある。

    逆にいえば、そんな過去があるからこそ、あらんかぎりのエネルギーの爆発になったに違いない。

    過去は土地と深く関わる。

    ノッティングヒルといえば、映画「ノッティングヒルの恋人」や、ヨーロッパ一のアンティークマーケット「ポートベロー」で知られる、とても魅力的な町だ。

    しゃれたブティックやレストランも並び、若者たちが住みたがる、ちょっとカジュアルな高級住宅地でもある。

    ところが、この町は、1960年代までたいへん貧しく、犯罪の絶えないところだった。

    それ以前から貧困区だったこの町に、カリブ海諸国から移民してきたアフリカ系のひとびとが多く住み着いた。

    戦後労働力を確保するために、イギリス政府が移住を優遇したり、仕事や豊かな生活を求めて、多くのひとびとが自ら移住してきた結果である。

    しかし、故郷を捨てて、外国で生活をたてていくのは並みたいていのことではない。

    イギリス社会における人種差別は根強く、労働や福祉のシェアーを巡って、さまざまな軋轢があった。

    このカーニバルは、その暗い過去からの解放と、自らのアイデンティティーを再構築する祝祭のなのだ。

    狂乱の踊りのうずのなかに、年老いたひとびとや子供連れの人々たくさんいるのもそんなわけなのだろう。

    現代風の衣装をつけた若者たちのなかに隠れて、背中に大きな貝殻をいくつもつけた鹿がいて、後ろから厳かに水をかけているグループを目にしたが、あれは、ひょっとしたら伝統的なカリブの儀式なのではないか。

    カーニヴァルで撮った写真を整理しながら、ふと、昨今のヨーロッパの最大関心事が頭をよぎった。

    シリアやアフガニスタン、アフリカなどから紛争を逃れて、決死の覚悟で過酷な旅を続ける避難民たち-とてつもない規模の大移動のことだ。

    今緊迫した問題は、もちろんヨーロッパ側の受け入れ体制だ

    。だがなんとか安住の地に彼らが辿りつけたとして、さまざまな軋轢がすぐに生じ始めることも目にみえている。

    身体は故国を離れても、心に抱いた文化アイデンティティーは自分が自分であることを確認できる重要なファクターになるだろう。

    新しい文化や生活との融合もあるだろう。

    出エジプトの昔から、いや太古の昔から、ひとびとは生きるために移動してきた。

    21世紀の現代も同じ事が起こっている。衝突はありながらも、ひとびとは新しい地でたくましく生きてきたし、これからも生きていくに違いない。

    ノッティングヒル・カーニヴァルの余韻に浸りながら、人間のもつ生命力の大きさに改めて感じ入っている次第である。

    2015/8/31

  • 全てを抱いて、宙に浮く:ケーテ・コルヴィッツ

    目をみはって少女は怒っていた。

    展示壁には、たくさんの自画像 − ひとりの人生が並べられている。

    年月が過ぎ、少女は老いて、

    今や彼女の目はうつろだけれど、ごつごつした手には様々な感情が交錯する。

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    次の展示室に足をすすめると対象は群像になる。

    貧しい人々、働く人々、母親、子供たち。みな社会的弱者だ。

    ドロゥーイングから、エッチング、木版画、そして彫刻。

    弱い人々に対するシンパシーと同時に憤りがこめられ、どれもこれも、とてもパワフルだ。

    なかでも心動かされたのは、死んだ息子を抱く母である。

    慟哭の顔、魂がぬけたような顔、命がけで守ろうとする大きな腕、幼い顔を優しく抱く皺だらけの手・・・

    時に、死んだキリストを抱えるマリア、ピエタ像と重なる。

    違うメディアで、違うアプローチで、これでもかこれでもかと同じテーマに迫る。

    女性アーティストの名前は、ケート・コルビィッツ Kathe Kollwitz 。

    第一次、第二次大戦と戦争の時代を生きたドイツ人である。

    彼女もまた、第一次大戦で息子を、第二次大戦では、孫をなくした。

    戦争に対する非難を表現してきたために、本人や夫もナチスに脅迫された。

    作品の圧倒的なパワーは、自分が生き抜いた苦悩の深さからくるに違いない。

    もうひとつ、よく使われたモチーフに、宙に浮く人体を描いたものがある。

    時に亡骸のように見える。

    一縷の望みを抱いて飛ぶ人間そのものにも見える。

    墓の中で硬直したまま横たわるイエス・キリストのイメージ

    − あの、ホルバインの絵とも、繋がる。

    この夏、友人とドイツのケルンに行った時、

    Kollwitzの事、彼女だけをとりあげた美術館がある事を教えてもらった。

    恥ずかしながら、このアーティストの事を全く知らなかったのだが、

    わたしにとって、ケルン大聖堂にも劣らぬ、忘れがたい深い出会いになった。

    そこでたまたま出会った英国人と言葉をかわすチャンスがあった。

    彼らは、Kollwitzのことを、一昨年前に大英博物館でやっていた「ドイツ展」で、知ったという。

    その展覧会で、Kollwitzの友人が手がけたKollwitzをモデルにした像をみたのがきっかけなのだそうだ。

    実はわたしもその展覧会に行き、像も目にしていたのだが、たいして記憶に残っていなかった。

    ぼんやり覚えているのは、独特な顔をして、宙に浮かんでいる像だ。

    彼らは、この美術館のそばにある教会にいけとすすめる。

    大英博物館で展示された、宙にうくKollwitzの像があるという。

    彼女の作品にとても感銘を受けたので、ぜひ、訪ねる事にした。

    教会の暗いステンドグラスの前に、まさにそのKollwitzの像が宙に浮いていた。

    その下には、第一次世界大戦と第二次世界大戦の年号。

    その作品を、そのセッティングのなかでみて、大英博物館では思いもしなかったような、震えを覚えた。

    教会の前に彼女の生涯の仕事をみせてもらったお陰なのだろう。

    宙に浮くKollwitzは、もはや、死んだ自分の息子だけの母ではない。

    全ての兵士たちの母、

    ドイツ兵だけではなく、全世界の子供たちの母である。

    だけれど、もう、しっかり腕をまいて子供たちを守る必要もない。

    死んだ子供たちの魂とその悲しみを優しく抱きながら、ひとつになって空を飛んでいる。

    怒りと悲しみを超越した穏やかな顔をしていた。

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    2015/8/24