投稿者: Opekepen

  • 第一次世界大戦から100年、知らない記憶を思い出させるアート

    首、胴体、膝、足首を紐で巻かれ、

    頭から足先まで白い布ですっぽり覆われた、
    小さな一体、一体。

    布の下に特徴ある鼻がみてとれる。首の向きがぎこちない。

    腕のない者。重いヘルメットがくいこんだような頭部。
    上体/下体を不自然に曲げた者。伸びきったまま硬直した身体。
    それぞれの最期が、目の前に無造作に転がっている。

    緑の芝に見渡す限り、無言のまま。

    小さな身体たちが、なぜか行儀正しく横たわっている。

    その数、72,396体。

    それは、第一次世界大戦の戦地で死んだイギリスとその連邦国からの兵士、

    遺体もみつからず、埋葬されてもいない兵士の数だ。

    毎年、11月11日はリメンバランス・デーといって、

    イギリスでは 戦争で亡くなった人々を追悼する式典が行われる。

    イギリスだけではなく、主たる戦地となったヨーロッパは無論の事、戦争に参加したカナダ、オーストラリア、インド・・・

    世界中のあらゆるところで、追悼の記念が行われる。

    この時期に、欧米に旅をしたことがある人は、街行く人々が 赤いポピーを身につけたり、街に飾られていたりするのをみたことがあるだろう。

    たくさんの兵士たちが死んだ激戦区で、赤いポピーが自然に群生したといわれ、第一次世界大戦の戦没者を悼む象徴となった。

    今年、2018年は、その大戦終結の100年目にあたり、イギリスの首都ロンドン各地でも、さまざまな記念行事が開催されている。

    逆に日本人が世界大戦と聞いて、 一般的に思い出すのは第二次世界大戦の方かもしれない。

    だが、欧米では、被害/加害の大きさだけではなく、それまでの戦争観を大きく変えた事、世界地図を大きく塗り替えた事、第二次世界大戦へのしこりを残したという意味で

    非常に重要な歴史的出来事なのである。

    冒頭で紹介したのは、ロンドンオリンピック会場(2012年開催)の敷地内に特別に設置されたインスタレーションアートだ。

    作品のタイトルは「ソンムのシュラウド」。

    ソンムとは第一次大戦の最も悲惨な激戦区(フランス北部)、シュラウドとは死者を包む白布を意味する。

    アーティストの名はロブ・ハード。小さな兵士の人形は全て彼が手がけたものだ。

    兵士たちが横たわる芝の向こうには、ねじれた赤い塔が立っている。

    オリンピックの記念塔、現代のイギリスを代表するアーティスト、アニッシュ・カプーアの巨大な彫刻作品だ。

    生命そのものをテーマとしてきたカプーアの巨大な作品と無数に広がる兵士たちの白い身体は、なぜだか不思議に響き合っている。

    全体を見下ろす高台の上に立つ。

    すると、自分を含めた見物人の大きな影たちが、横たわる白い小さな兵士たちの上を、長く亡霊のように動いているのが見えてくる。

    上空では、兵士たちの名前がこだましている。

    会場の脇で、ボランティアの人々が兵士たちの名前や出身地、戦死した原因を、ひとつひとつ読み上げているのだ。

    何日間かに及ぶパーフォーマンスだ。

    ここまで、100周年イベントの様子を描いてきたが、実は、個人的には、戦没者とか戦争追悼とかのイベントは好きではない。

    負の記憶を忘れまいという姿勢は、そうであるべきだと思うし、大いに賛同するが、母国を守って死んでいった英霊という崇め方をされると、違和感を覚える。

    もし、そこに愛国主義的な臭いを強く嗅ぎ取ってしまったら、近づきたくもない。

    この追悼の場は様子が違った。

    確かに、かつてのオリンピック会場というセッティングにすっきりしないものを感じたのは否めない。

    しかし、その日ここにきていた人々は、国旗を大きく振りかざす思想の持ち主ではなく、子供からおじいさんおばあさん、さまざまな人種の人々、近隣からふらっとやってきたような人々だった。

    そこには、若い兵卒たちのひとつひとつの死を、今を生きるわたしたち一人ひとりが思いやれる時間が流れていた。

    会場ルートの最後に、大きなテントに招き入れられる。

    中には兵士たちの名前が書かれたパネルが張り巡らされている。

    そこにある名前をひとつひとつみてまわっている人々がいる。

    知っている人や会ったこともない家族を探しているのだろうか。

    Charley Griffin  ドーセット州 兵卒 19歳

    Clement Griffith  ウエールズ、火打ち石銃兵 18 歳

    一人ひとりが名前をもち、戦場での小さな使命をもち、

    戦争の後ろに生活をもち、家族をもった人々だという、当たり前の事。

    そういう普通の人々が戦争の一番の犠牲者だった事を、今更ながら思い返した。

    戦没者が「かたまり」として、慰霊される式典では気付かない事だった。

    先にロンドンの各地で関連のイベントが行われていると書いた。

    実は、数日前にも、観光名所「ロンドン塔」で行われている式典にも足を運んでみた。

    塔をとりまく広大な堀では、この時期毎夜、戦死者の数だけのトーチにひとつひとつ火が灯され、荘厳なコーラスが響き渡る。

    同じロンドン塔で、2014年、つまり第一次大戦がはじまった100周年の時には、堀一面が戦死者の数の赤いポピ−で覆われた。

    どちらも確かに美しかった。

    でも、あまりに抽象すぎて、ノスタルジックで、正直なところピンとこなかった。

    自分が体験しなかった歴史、特に市民を巻き込んだ負の歴史は、

    その時代を生きた人々のパーソナルな存在を通して、はじめて思い遣ることができるのかもしれない。

    2018.11.18

  • ギリシャ正教のイースター

    2018/4/7、ギリシャ旅行5日目、ペルセポネス半島南にある港町、Nafplioに来ている。

    紀元前の昔、ここにはケーネ文明が栄えた歴史があるが、その後、長らく、マケドニア、ローマ、ビザンチン、ベニス、トルコなど他国に支配され続けてきた。やがて19世紀になって、ギリシャが独立を果たした時、この国の首都になったのはアテネではなく、この町だという。といっても都市というよりは、ベニスを思わせる建物が並んだかわいい町だ。

    その日は旧暦でイースターのグッドフライデーの日だった。

    ギリシャ正教のイースターの祝い方、人々の過ごし方は、プロテスタントはもとより、カソリックともずいぶんと違う。

    当日は朝から、町に点在する教会の鐘が鳴り響いた。時に不協和音を生じさせたり、時にハーモニーを醸し出したりしながら、町全体を祝祭的な雰囲気に満たしていた。

    夕方になると大勢の住民が中心部にある教会に集まってきた。

    年寄りも若者も、みんな黒い服を着ている。まるでお葬式のようだ。

    旧市街にある歴史ある教会に行くと、中は人でごった返していた。

    明るめの旋律の聖歌が教会内に響き、ろうそくが揺らめき、香しい香りで満たされ、

    壁から天井には金箔を施したたくさんのイコンが並び、紫の布で飾られていた。

    シャンデリアの下などさまざまなところに、イースターエッグの飾りもぶら下がっていた。

    教会の中心に花で飾られたドーム型の大きな置物がある。人々はそこに向かって前へ前へとゆっくり流れていき、その置物にキスをして行った。

    黒い被り物を纏った僧侶は、周囲を回り、御香や花びらや聖水を撒き散らしていた。

    教会内での一連の儀式が済むと、今度は、磔刑に使われたほどの大きな十字架を先頭にして、聖書を手にした僧侶、花のドーム、聖歌隊、ろうそくをもった一般参列者という順番で列を作って、教会から出発して、町の中心部を練り歩き始めた。

    やはり、ろうそくを手にした大勢の人々が、沿道に並び、その行列を見送る。

    行列を見送り、花のドームを間近でみて、初めて気がついた。

    これはイエス・キリストの葬列で、ドームは花で飾られたキリストの棺なのだ。

    グッドフライデーとはイエス・キリストが十字架に架けられて、亡くなった日とされている。

    ギリシア正教では、こうして毎年、キリスト埋葬の儀式を執り行って、彼が私たちの犠牲で処刑されたことを、思い起こすのだろう。

    ロンドンでは形式しかほとんど残らず、卵のチョコレートが売られたり、ウサギの飾り物を飾ったりするのが目につくほどで、商業ベースになっている印象が強い。(もっともカソリック教会などは伝統的な儀式をしているところもあるけれど)でも、ギリシャではまだまだ人々の生活に根付いている気がした。

    ギリシャの町では、イースターサタディーの深夜、キリストの復活を祝って花火があがるらしい。

    イースターサンディーは、クリスマスと同じように、家族で祝う宴会の日だ。羊の丸焼きがメインらしい。羊って、思えば、キリストを意味するのだけど。食べちゃうのね。

    4/9には、わたしたちは、山中にある違う町に移動していたが、そこの宿の人が、伝統的なイースターのお菓子をわたしたちに作ってくれた。

    小麦粉と卵と蜂蜜とナッツでつくった揚げ菓子。わたしたちも少しだけ、イースターのお祝いを楽しませてもらった。

  • オリンピアで古代と近代のオリンピックを比べてみる

    16日間のギリシャ(ぺルポネス半島)の旅行で、10箇所近い古代遺跡を見て回った。

    どれも似たような建造物なので、しまいにゴッチャになってしまった(笑)。

    でも、オリンピアだけは他と違っていた。

    紀元前8世紀に始まったというオリンピックの発祥地。

    他の遺跡と何が違うかというと、ここが人が住む都市ではないことだ。 わたしはオリンピアという都市があって、そこで競技会が開催されるのだと思い込んでた。 そうではなくて、ここは完全にオリンピックのためだけの場所なのだ!!

    4年に一回だけ、ギリシャ全土や遠くギリシャの植民地(遠くマルセイユとか)から、競技者が集まり、それを見に来る人々が、ここに集まるのである。 だから、競技場だけではなく、広大な敷地に、ゼウスの神殿や選手たちの練習場やホテル、お風呂、判定者たちの集会場、各都市の神殿などが点在している。

    まずは、これがその競技場。

    ここがレースのスタートラインです! 向こうにはフィニッシュラインもある。

    トラックというよりも、まっすぐ走ったのね。

    近代オリンピックはもちろんのこと、他の古代ギリシャの競技場にも、観客が座る座席があるのだけど、ここにはない。みんな土か芝生の上に座って観戦したらしい。

    座れる人たちもいる。

    判定者たちだ。王でも政治家たちでもない。

    そこがデモクラシーの古代ギリシャらしい。ここが、スタジアムの真ん中にあるその座席。

    これが聖火がともされる場所。

    2020年には、ここから遠く東京に運ばれるんだろうなと思うと、感慨深い。

    そんなわけで、オリンピアを廻りながら、

    近代オリンピックと古代オリンピックの違いをツラツラ考えてみた。

    <競技の数>

    古代:短距離走、中距離走、レスリング、ボクシング、レスリングとボクシングをくっつけたやつ、円盤投げ、槍投げ、幅跳び、馬車競争(ローマ皇帝ネロは、これに自ら参加して、インチキして勝利したらしい!)

    近代:柔道を含めて50以上

    <競技者の資格>

    古代:ギリシアの自由市民なら誰でも、でも男性のみ。

    近代:性別関係なく誰でも、でも金持ち国の国籍を取得する必要がある。

    <勝者の賞品>

    古代:精なるオリーブの冠、豊富なオイル、たくさんの牛、税金の免除、出身地のヒーローになる。

    近代:金・銀・銅メダル、テレビ出演、スポンサーからの報酬、広告出演料

    <競技者の服装>

    古代:裸-完全に。 特別の脱着室がある!

    近代:スポンサーのロゴや出身国の旗が入ったスポーツウエアー。

    <競技者がインチキをしたら>

    古代:ゼウスに罰金を払う

    近代:オリンピック協会に罰金を払う?

    <オリンピック開催の目的>

    古代:ギリシャの一体性を謳う。ゼウスを楽しませる。

    近代:表向きには平和を謳いつつ、各国が豊かさを競いあう。スポンサーを喜ばせる。

    いずれにせよ・・・。

    古代競技がが行われたオリンピアでは、ピンクの花が咲き乱れ、

    気持ちよい自由な風が吹いていました。

    オリンピアの勝利のモニュメントにあったニケの像。

    すぐそばのミュージアムにある。息をのむほど美しかった。

  • 大英博物館とパルテノン神殿

    「他国のお宝を、もってきちゃったんですね! 世界の大泥棒ですね」大英博物館で歴史教室をしたり、観光のご案内しているとそんな風に言われることがある。

    確かに、そういわれても仕方ないのかもしれない。

    でも、そうも言い切れない側面がある。

    2018年4月、25年ぶりに、アテネのパルテノン神殿を訪れ、その思いを強くした。

    同時にミュージアムの研究者として、観光地になった文化遺産とミュージアムの関係について、文化遺産と国民意識について改めて考えるきっかけにもなった。

    青い空の下、黄や赤の花々が咲き乱れるアクロポリスの丘に登った。壮大な大理石の建物を再び目前にして、その存在感、環境との響き合い、文化や時間とのつながりを五感で感じとり、ただただ圧倒された。25年前の春と同じように。

    それは、ロンドンの大英博物館では感じえない身震いだ。

    だが、はっきり言って、そこにあるのは、いわば建築の骨組みだけ。

    芸術的価値のある彫刻群はその場になく、半分以上は18世紀末までに、さまざまな理由で壊されたり、崩れたりした。

    残されたうちのかなりが、イギリス人トルコ大使、エルギン卿に買い取られ、最終的に大英博物館に寄贈された。19世紀初めの事だ。

    その後、アテネにはわずかな彫刻が残ったが、それらも、今はアクロポリスの丘ではなくて、目と鼻の先に建てられた新しい博物館にある。

    アクロポリス遺跡の重要な資料を保管展示する施設、文字通り、「アクロポリス博物館」だ。

    25年前はなかったこのミュージアムに、今回はじめて訪れた。

    重要な展示は最上階にあると聞き、まっすぐそこまで上ってみる。

    果たして、そのフロアーはパルテノン神殿とほぼ同じスケール/形状になっていて、まるで本物をそっくりうつしたようだ。

    東西の破風に入っていた彫刻群や、ぐるりと二重にあるレリーフ作品が東西南北や位置も正確に設置されている。

    といっても、展示されているのは、

    本物の断片か大英博物館にある本物のコピーである。

    前者は、風雨にさらされて、ほとんど見る影もない。

    後者は、コピーであることがすぐわかるような代物で、全く生気がない。

    かたや、大英博物館の方は、破損があるとはいえ、作品はどれもとても美しく、生命力が感じられる。

    決して贔屓目に言っているのではない。本当にそうなのだ。

    エルギン卿が買い取らなかったものは、そのまま20世紀に至るまで、そのまま野ざらしだったために、そこまで破損してしまった事が、心痛いくらい見て取れた。

    もし、あの時買い取らなかったら、私たちは、素晴らしい人類の遺産を失っていたに違いない。ある意味、アテネの文化遺産はこの一イギリス人によって救われたとも言えまいか?

    今回、この古都に残る彫刻群を自分の目で確認し、脳裏に焼き付いている大英博物館の作品たちと比較できたからこそ、改めて確信することができた。

    その一方で、返して欲しいという、ギリシャ側の要求もよくわかる。エルギン卿が買い取った当初、ギリシャはトルコの植民地だった。イスラム教徒であるトルコ政府にしたら、偶像ばかりの神殿に興味はなかったのだろう。それよりズバリ金が欲しかった。しかし、そのすぐあとに、古代ギリシア時代以来はじめて、ギリシャは独立を果たした。

    そんなギリシアにとって国民意識のシンボルであるパルテノン神殿は代え難い遺産にちがいない。

    2004年のアテネオリンピックに合わせて、鳴り物入りでこのアクロポリス博物館を作った背景もそこにあるのだろう。

    ところでこのフロアーは全面ガラス張りになっていて、その向こうに、アクロポリスの丘にある本物のパルテノン神殿を望む事が出来る。来館者は窓の向こうに、そのオリジナルのセッティングをみながら、彫刻群を間近で鑑賞できるように工夫されている。

    なかなか考えられた演出だ。

    大英博物館にある展示物がどんなにすばらしくても、こんなセッティングは真似できっこない。

    現場にあるこその強みを活かしている。同時に文化保存の重要性を啓蒙してもいる。

    思えば、この例に限らず、ミュージアムにあるものは、全てオリジナルの文脈から剥ぎ取られたものだ。

    遺産は本来あるべき土地にあるほうがよい。心情的にはそう思う。

    その一方で、どんなものでも、特に大理石のような自然素材は風雨にさらされるだけで、時とともに朽ちていく。

    わたしたちの子孫に先祖の遺産を残していくためには、保管保護は必須なのだ。

    そしてギリシャという国家も、古代にあったわけじゃなく、近代に創られた概念であり枠組みだ。

    パルテノンはギリシャの遺産であり、同時に人類の遺産なのかもしれない。

    これからは、そんな思いを持って、大英博物館のご案内をしよう。

  • 地球の肌:アンドレア・ガースキー展@ヘイワード・ギャラリー

    ロンドンのヘイワード・ギャラリーがリニュアル・オープンした。

    そのこけら落としの展覧会が、ドイツの写真家アンドレア・ガースキー(Andreas Gursky)。

    あの企画力のあるギャラリーが新展覧会で何をみせてくれるんだろう? 告知段階から気になっていた。

    地下鉄の広告ポスターにも目が奪われた。

    果たして、会場を訪れたら、やはり期待を裏切らない力強い写真展だった。

    ソーラーパネルの畑、90年代東京の株取引場、アマゾンの倉庫、イケアの工場、バフレーンのサーキット。

    どれも、群像を引きでとった集合写真。それがまるで、美しい模様のようにみえる。

    同時に、その裏にグローバル化、大量生産、スウェット工場、環境問題。。。が見え隠れする。

    アーティストが声高に何かをアピールしているのではないけれど、

    写真という真実のレンズを通して、観る者に考えさせる作品ばかりだった。

    カメラというフレームとアングルで、わたしたちが生きている現代を切り取ってみせ、この社会を振り返ることを静かに促していた。

    それらはまるで地球の肌のようだ。

    言葉はこれくらいにしよう。

    展覧会のスケールには及びもしないけれど、作品の向こうに見えてくるものに思いを寄せてみて下さい。

    4/22まで ヘイワード・ギャラリー Hayward Gallery にて

    2018.4.1.

  • 「ハリーポッター:魔法の歴史」展@大英図書館

    「ハリーポッター:賢者の石」が出版されて、20年。

    それを記念して、大英図書館で、「ハリーポッターと魔法の歴史」という展覧会をやっている。

    いつも大人や子供の長蛇の列ができて、すごい人気だ。こんなのこの図書館でみたことがない。

    魔法に関する本って、洋の東西を問わず、長い歴史があるし、奥が深いんだね。

    薬を作ること、錬金術、予言、人の心を読む事、想像上の動物たち、呪い、悪魔、天文学、、、

    魔法って、科学の始まりであり、忌み嫌われるものだったり。

    「賢者の石」だって、実際に、中世のヨーロッパでは錬金術師たちが智恵を絞りあって求めたもの。

    展示室の真ん中に、「賢者の石」の作り方を絵解きした2 メートルぐらいの多彩色の巻物があって、目を見張りました。

    さらに、驚いた事に、ハリーポッターの中で、「賢者の石」を造ったとされる「ニコラス・フラメル」はフランスにいた実在の錬金術師なのです。

    そのフラメルの墓標さえありました。

    「ハリーポッター」の挿絵:不死鳥フェニックス

    うぉ! この想像力! なんか、ヴィーナスの誕生みたいに見えなくもないけど。違うわ。

    何百年も前に書かれた魔法に関する書物やモノが、

    20世紀の作家JKロ−リングスの手書きの原稿とか、「ハリー・ポッター」シリーズの挿絵の原画とかと、隣合わせになっていて、絶妙な組み合わせ。

    作家が、歴史的資料を基にアイデアをだしていたのがよくわかる。

    もう一つ興味深かったのは、ローリングスが書き始めた初期の頃、

    登場人物がやがてどうなって、どこで危ない目にあったり、どういう死に方をしたり、どのように救われるかというプロットをちゃんとつくってた事。

    最後の展示室には、その手書きの表がありました。

    あれだけの世界観を最初から作り上げていたのね。

    作者の頭の中こそが、想像と創造の世界なのね。

    言葉こそが、マジックよね!!!

    2018.2.18

  • バスキアとバンクシー 2018

    80年代、NYのストリートから出発した独学の黒人アーティスト、バスキア。

    21世紀の今、世界中で神出鬼没のストリート・アーティスト、バンクシー。

    ふたりに共通するのはストリート。

    彼らの拠点は、美術館なんかじゃあない。

    美術館という権威の場ではない。

    2017年末から2018年頭、ロンドンのバービカンホールで、『バスキア展』が開催された。

    バービカンホールも美術館。そこで彼の初めての大回顧展が行われた。

    ところが、開催中に美術館側が想定もしなかった事が起こってしまった。

    展覧会がはじまってすぐ、バービカンの建物のすぐそばのストリートで、

    突然、バンクシーによるバスキアへのオマージュ作品が出現したのだ。

    これがそれ。レントゲン写真のような人体は、バスキアの自画像を思わせる。

    その身体検査をする警官たち。

    警官たちが骨まで真剣に検査するって、実にアホらしい。

    そこにバンクシー特有のブラックユーモアがある。

    突き詰めれば、アート作品のセンサーシップにも思いが至る。

    こんな眼と鼻の先で、しかも、建物の中と外で、

    バスキアとバンクシーが同時に立ち現れたことで、

    美術館って何? アートって何? という疑問まで立ち現れる。

    美術館に入るものが「アート」で、そうでないものは「落書き」???

    そんな風に世間がとらえてしまうのも、美術館が権威の衣をまとっているからではないかしら?

    美術館って、たかがか3世紀前に現れた機関にすぎない。

    でも、美術館が出現する、うーんとうーんと昔からアートってあったわけでしょう?

    美術館に入るモノが「アート」だって、誰が決めたわけ?

    ま、実は、バンクシーも美術館で展示されたりしているんだけど。

    彼の場合、この疑問を自覚した、確信犯でもある。

    ラスコーの壁画に描かれた牛たちの絵のように、人類の最初のアートが出現したのは、いわばストリートだったはず。

    それは、指示するもの=シンボル(絵)と、指示されるもの=対象(牛)という相対関係だった。

    思えば、バスキアだって、バンクシーだって、表現の中心にシンボルがある。

    自分のヘアースタイルとしての「王冠」とか、自画像としての「サル」や「ネズミ」とか。

    ラスコーの牛とルーツは同じじゃないか。

    そんなことをグルグルと考えてしまった展覧会とストリートでした。

    2018.1.18

  • ロシアから自由をこめて:イリヤ&エミリア・カバコフ展@テート・モダン

    部屋の外壁に厚手の黒いコートがかかっている。

    部屋の入り口には板がハマっている。

    板の隙間から、中をのぞいてみる。

    4畳ほどの広さ。床は散らばり放題。

    古新聞、汚れた靴、伸び切ったベルト、使いさしのペンキの缶・・・簡易ベットがふたつ。

    壁はポスターで覆い尽くされ、スターリンやレーニンの顔がみえる。

    赤・黒を基調にした、ソ連のプロパガンダ・ポスターだ。

    部屋には誰もいない。さっきまでいた気配はある。

    衝撃的なのは、天井に大きな穴がぽっかり空いていること。

    何かが空から落ちてきた。爆弾か? 隕石か?

    だとしたら、部屋の床に形跡があるはず。でも、奇妙なことに、そんなものもない。

    ふと、何かが宙吊りになっているのが目に入る。

    小さな板のようだ。それが天井の四隅からバネで吊り下げられている。

    あれは一体、何なんだ。

    わたしがみているのは、ロシアのアーティスト、イリヤ・カバコフのインスタレーション作品。

    タイトルは『自分の部屋から宇宙へ飛んだ男』とある。−なんと奇妙な。

    『宇宙から堕ちてきた男』なら、わかるけど。

    展覧会をみながら、少しずつカバコフが生きたソ連時代の人々の生活が垣間見えてきた。

    と、同時にこの作品の意味もつかめてきた。

    ソ連体制下では「表現」は大きな制限を受けた。

    一般の人々の生活も自由なものではなかった。

    都会には政府が造った共同アパートメントが立ち並んでいた。

    そこでは共同風呂や共同キッチンが当たり前で、常に他人の眼にさらされる場だった。

    つまり、コミュニティーが自前の監視システムとして機能していたのだ。

    作品は、抑圧された日常のリアリティーと、

    彼自身の、いや、すべての個人の自由への願望をあらわしているのだろう。

    思えば、この頃はアメリカと競り合って、宇宙船を飛ばしていた時代だった。

    テーマとしては重いけど、

    ここまでまっすぐSF的スケールで迫られると、

    感情を突き抜け、ユーモアさえ感じてしまう。

    展示はゆるやかにカバコフの活動歴を追っていく。

    ソ連が崩壊した後の作品も、かつての体制の記憶が残り、けっして自由ではないことを物語っている。

    最後の展示室では、天使が主なモチーフになっていた。

    不安定なハシゴのてっぺんに、小さな人がいて、両手を伸ばしている。

    天井からは天使がその手に自分の手をさしのべようとしている−そんな、部屋全体を占めるほどの大きな彫刻があれば、

    美術館の中の天使を描いた平面作品や、ビル街に落ちた天使や。。。

    羽をもつ天使は、最初の作品、『自分の部屋から宇宙に飛んだ男』の裏返しなのか。

    そこまで展示をみてきて、

    なるほど、抑圧された生活って、ソ連だけに特有なのではなくて、

    現在の社会にもつながることに気付かされる。

    21世紀のイギリスにも、日本にも。

    あの小さな人は、実は私たちなのかもしれない。

    あの天井に穴を開けたのは、わたしたちの望みなのかもしれない。

    どの国にも体制による、あるいは社会自身による抑圧がある。

    でも、どんな人にも自由への希望がある。

    展示全体が、そう語っているかのようだった。

    2018.1.18

  • 戦後の日本のいえ:バービカン・センター

    ロンドンのバービカン・センターで日本の戦後建築についての展覧会が開催中だ。

    建築展示ならよくあるように、有名な建築家によるアイコニックな近代的な建物の話ではない。建築学的なアプローチでもない。

    ではなくて、普通の民家の建築を通して、戦後の日本の家族や住まい方を追う、とても興味深い展覧会だった。

    特に面白かったのは展示の最初と最後、そして、そのコンビネーションだ。

    展示は、小津安二郎の映画のいくつかのシーンを写す部屋から始まる。

    あの、「タタミに座るアングル」で捉えた家屋のなかだ。

    笠智衆や原節子じゃなくて、屋内に目を注いでみる。

    戦後、物はないけれど、障子のグリッドや縁側、タタミの上の丸いちゃぶ台。どこもこれもシンプルで美しい。

    貧しいからそうなだけなのだろうが、こうしてみると、ミニマリスト的な美を見出してしまう。

    そこに住まう家族は、戦後が生んだ「核家族」だ。

    そんな小さな家に住む家族の関係を、映画は静かに描いていた。

    展示の最後は、現代の建築家、西沢立衛が手がけたある個人、「Mさん」の家のコピーをそっくり展示場内にセットしたもの。

    真四角な白いキューブが間隔をおいて並んでいる。

    ひとつひとつが、寝室だったり、お風呂場だったり。

    建物内に生活空間のすべての部屋が入り込むという常識を打ち破っている。

    ひとつの機能が、ひとつの箱にはいり、それが敷地の中に点在する感じ。箱と箱をつなぐのは狭い庭。

    お風呂に行くのに、居間からいったん庭にでて、その箱に行く。

    箱の中には、住まう人々の興味や生き方が伺えるような本やレコードや家具がおかれている。

    一瞬、ここに住むにはとても不便にみえる。でも、そこには、現在の人々の家族や生き方が反映されている。

    オーナーの「Mさん」は、東京の下町で生まれ育ち、外国にも行ったことがない。

    前の年に、看病していた母を亡くし、たったひとりになった。

    普通なら、その家を売り、土地を離れて、マンションなどでもっとコンパクトに暮らすだろうに、

    そうはしなくて、彼は建築家西沢氏に手紙を書いた。

    建築家からの返事は、「あなたは家が必要なんじゃない、必要なのは小さな村だ。しかも、東京のど真ん中に。」

    Mさんが暮らす様子を描いたビデオが隣に流れているのだが、けっして有名な建築家に注文するようなお金持ちにみえない。

    こんな洒落た家に暮らすにふさわしような、趣味のよいおしゃれな人でもない。

    いつも、Tシャツと短パンだけの、ちょっとシャイな60代の男性だ。

    母を亡くし、Mさんは孤独になった。

    西沢氏がMさんの敷地内に建てた建築のいくつかのボックスは、他の人に貸せるように設計されたもの。

    そこには、コンパクトでいいからこんな家に住みたいと思う若者が暮らすようになった。

    そのボックスのゆるやかに内外につながるデザインのおかげで、まるでご近所さんのように、若い棚子さんたちと会える。

    洗濯場を共有する。醤油を貸し借りする。バーベキューをする。小さなコミュニティーができた。

    その小さな「村」は、かつての東京の下町がもっていたような、家と外が有機的につながる空間なのだ。

    もしMさんが、住み慣れた土地を離れて、コンクリートのマンションに移り住んだら、さらに孤独になった事だろう。

    高齢化が進み、結婚しない人が増えている日本。

    東京には、Mさんのように、ひとりで親を看取って、天涯孤独になる人々が潜在的にたくさんいるに違いない。

    時代とともに、家族の有り様や、人々の生き方が変われば、容れ物のあり方も変わる。

    展示はその事をうまく語っていた。

    イギリスの博物館が、日本をこのように深く掘り下げているのにとても関心したと同時に、

    離れているからこそ、客観的に描けるのかもしれないとも思った。

    この展示場には、日本人というよりは、イギリス人がたくさん見に来ていた。

    地味だけど、とても評判がよい展覧会だという事も、なんだか嬉しかった。

    追記:ところで、バービカン・センターのあるバービカンも戦後にできた巨大な住居コンプレックスだ。ここでやる意味がよくわかる。

    2017.6.12

  • 私たちが生きる時代を撮る:ヴォルフガング=ティルマンス

    時を忘れた。思いもよらず見入ってしまった。

    写真の展示でそんな経験をしたのは、何年ぶりだろう。

    何に魅了されたのか−すぐに答えがみつからなかった。

    でも、そうやって美術館を出た後々まで、

    「なんでわたしは魅せられたわけ?」と、答えを探さないではいられない展覧会が好きだ。

    だから、こうやって拙い言葉でつなげとめようとしている。

    テート・モダンでの「ヴォルフガング=ティルマンス(Wolfgang Tillmans)2017」展。

    よい展覧会はいつも最初の部屋から惹かれてしまう。今回もそうだった。

    ひとつひとつの作品は、

    何気ないホテルの一室・島が浮かぶ星空・赤い車のヘッドライト・アラブの街のマーケットの様子・カニとハエのクローズアップ。。。

    なんの変哲も、なんの主張もない写真にみえる。

    そんな日常的なものがショッキングに新鮮なのは、

    まるで宇宙人がみるように捉えているからだ。

    宇宙人がはじめて地球に降りて、今までみたこともない世界を留めておきたいと思ったら、

    こうなるんじゃないかという写真なのだ。

    わたしたちは、レンズを構える前に、すでに「車」というものを知っている。「カニ」という存在も知っている。

    当たり前すぎて気が付かないのだけど、

    そういう知識が先にあって、その「知識のフレーム」の中で写真を撮る。

    車なら車のように、カニならカニのように。

    でも、ティルマンスは違う。その「アングル」も「切り取り方」も、何が彼の視覚レンズに映るかも。

    もちろん、彼は宇宙人ではない。

    逆にいうと、そのような知識のフレームを取っ払うのは並大抵の事じゃないだろう

    −そこに彼が単なるカメラマンではなく、アーティストである所以がある。

    そうやって撮った写真作品は、マクロで同時にミクロ、知的でかつ感覚的、アブストラクトで写実的。

    そして部屋にあるすべての作品が、被写体も手法も大きさもバラバラなのに不思議に響き合っている。

    写真一点一点で完結するのではなく、部屋全体がひとつのインスタレーションとして作られ、

    そこに詩がある。

    思うに、ひとつだけ、彼が宇宙人から人間に戻るジャンルがあった。

    それは被写体が人間の時だ。

    彼の恋人を撮る時、パーティーのグループを撮る時、街の民衆を撮る時。

    彼は宇宙人から人間に戻って、人の存在の愛おしさやはかなさや強さを表現しようとする。

    でも、その人を被写体にしたものが、アブストラクトな写真や、植物、海面、建築物などと、同じ部屋で結ばれた時は

    また、あの彼独特の詩の世界のひとつとなる。

    ヴォルフガング=ティルマンスは1968年生まれのドイツ人、イギリスの美大をでて、2000年にターナー賞を受賞した。

    現在もロンドンとベルリンを拠点にするアーティストだ。

    日本でも何度か個展が行われたらしい。

    もうひとつ、わたしが魅了された理由は、彼の表現に、わたしたちが生きている「現在」に対しての、アーティスティックな問いかけが込められている事だ。

    イラク戦争−その大義となった「殺戮兵器の存在」をめぐる、「真偽」というそのもの、

    日本海の領海水域問題の緊張をめぐって、その根本にある「領域」という考え方そのもの、ゲイの差別や解放運動をめぐっての「ジェンダー」とは何か、トランプ政権の誕生−ポピュリズムをめぐっての社会の危うさ。

    アートに政治を持ち込むなんて、とお思いだろうか?

    でも、アートは歴史を通して常に政治的でその時の社会を反映していた。

    ダ・ヴィンチもカラバッチオもレンブラントもゴヤもマネもゴッホもピカソも。。。

    彼らは時代や社会から目をそむけはしなかった。

    政治的な主張をしたのではなく、

    他のメディアとは違う視点から、彼らが生きた「時代/世界」をみせつつ、

    人々にしっかりと自分で考えるよう、誘ってくれた。

    ヴォルフガング=ティルマンスもまた、

    今回の展覧会を通して、

    今わたしたちが生きている社会を、一歩ひいた位置から違う「アングル」「切り取り方」「レンズ」で問い直してくれる。

    2017.5.31