投稿者: Opekepen

  • ビーバーたちの家:英国ウェールズ 2020年

    先回のブログからに引き続き、英国ウェールズの旅にお付き合いください。

    ウェールズ中央の人里離れた渓谷、そのまたドンツキにある宿に滞在しています。

    経営者のシャーロンたちは、自然と共存する生き方を問いかけていて、おおいに刺激を受けました。

    このエリア、かつては銀鉱山があったところなんですね。

    山深く、城郭遺跡かと思うような堅牢な建物、実は19世紀初期からの産業遺跡に出会したりします。

    宿から1時間ほど歩いたところには、スナフキンが住んでいそうな湖があったりして。途中には、ネコバスが通りそうな、バス停があったりして。

    そんな環境で、30年前から木を植え、オーガニックな手法で野菜を育て、動物たちを放し飼いで飼ってきたそうで。

    前のブログでも書いたように、サスティナブルな自然との共存を実践しているわけですが、その裏にはきっと、計り知れない苦労があったに違いありません。

    ところで、その循環の役割を担うことになったのが、もう400年以上も前に絶滅してしまったビーバーたちなのです。

    とある経緯で、数頭を入手し、敷地内を流れる小川に放ちました。

    やがて彼らはダムをつくり、小さな溜池ができる。その真ん中の小さな島がかれらの巣になるのです。

    溜池には小さな生物が生存始め、水草や植物が多様化し、渡り鳥がやってくるようになる。結果として、このあたりの自然の循環が改善されました。

    そして、たびたび下流でおきた洪水被害もうんと少なくなったそうです。

    シャーロンのパートナーは、毎夕、夜行性の彼らに人参やりんごなどの朝ごはんを用意します。ビーバーたちとの信頼関係が根付いていったのでしょう。

    わたしたちも、その朝ごはんの様子を距離をおいてそっと見守ることができました。

    2020.8.14

  • サステーナブルな旅・ウェールズ2020

    「どう?この絡み合ったカップルみたいなやつは?」と、シャーロンが、土からニンジンを引っこ抜きながら、笑ってみせてくれた。

    「他に何がいる?ロシアン・ケールなんていけるのよ」

    ケールとは、日本ならあの「青汁」で有名な、肉厚のいかにも栄養素の高そうな野菜だ。

    彼女の広々とした野菜畑で、あれこれと教わりながら、あっという間にバケツがいっぱいになった。

    「あ、卵と蜂蜜も入れてください」

    シャーロンの宿に着いた時、出迎えてくれたのは放飼いの鶏やアヒル、鴨たちだった。

    敷地の奥では、ミツバチも育てている。

    温室では、ウエールズの気候では育ちにくいハーブや果物、ブドウまで育てている。

    ここはウェールズの中央「アーティストの谷」という名の渓谷。

    主要道から離れ、中型車が一台通れるくらいの曲がりくねった細い道を10 分ほど走ったどんづまりにある宿だ。

    もともとロンドンの人材派遣会社で働くキャリアウーマンだったシャーロンが、30年前に耳の聞こえないパートナーとこの土地に移り住み、さまざまな木を植え、エコ農業を始めたという。

    B&Bでありながら、ひとびとにサステーナブルな自然との共存を伝える教育システムにもなっている。

    ここでは、排水も排泄物も含め、すべてを循環させる環境システムをつくっている。

    思えば、人間の身勝手な活動のせいで、地球の大きなシステムが壊れたことが、現在のコロナの根元にあると思えば、

    このウエールズの山中にきて、ただ、窮屈で暑い都会から離れてリラックスしているだけではないより重要なことを気づかされる。

    ところで、シャーロンの宿のシステムの大きな役割を担うことになったのが、ある動物たちなのだが、そのことは次のブログでお伝えすることにしましょう。

    ともかくも、スイスチャードもケールも、個々の野菜の独自の風味がいきるよう単純な料理をした。

    あの不味い!もう一杯と、冷やかされた野菜が、独特の優しい甘みがあり、歯応えがあり、とても美味しかった!

    2週間ほど、ウエールズで過ごします。

  • コロナ、そして鎮魂の音楽:ベルリン・フィル May 2020

    ベルリン・フィルハーモニーのコンサートホール。

    いつもなら、舞台には、演奏家たちが袖擦り合うほどの近距離で指揮者が入ってくるのを待っているはず。

    この時は違った。

    舞台の上には、バイオリン、ビオラ、チェロ、オーボエ、クラリネット、打楽器・・・

    各楽器パートにたった一人だけ。

    大きな間隔をあけて、心の準備をしている。

    主席指揮者キリル・ペトレンコが入ってきた。

    観客席に向かって丁寧に一礼をする。

    すると、カメラがズームアウトし、広いコンサートホール全体をとらえた。

    そこに、観客は一人もいない。

    指揮者は演奏者側に向き直すと、ゆっくり力強くタクトを振りはじめた。

    最初の曲は、エストニアの現代音楽家、アルヴォ=ペルトの《フラトレス》だった。

    テンポの速いバイオリンから始まる。

    曲想は悲しく、懐かしく、そして孤独だ。

    《フラトレス》とは「親族、兄弟、同志」という意味なのだけど、

    その単語から立ち上がる温かみよりも、音楽からは寂しさや痛みが響いている。

    親密な人々とは離れ離れのまま、孤独の只中にいるようだ。

    それは、コロナ禍の世界中の一人一人の心情を映し出しているようだった。

    他に演奏されたのは、リゲティの《ラミフィケーション》、

    サミュエル=バーバーの《弦楽のためのアダージョ》。

    かつて経験したことのないような暗い世界で、

    なんで、こんなに悲しい曲ばかりなのだ、初めわたしはそう思った。

    でも、すぐに気づいた。

    心底、悲しいのだ。

    世界中の人々ひとりひとりが、寂しく、辛い、もう、すっかり疲弊しているのだ。

    それを、自分に隠すことはない。

    明るく振る舞ってばかりいることもない。

    なんとか生きていこうと足掻くけれど、明日のことが、本当に心配なのだ。

    もちろん、音楽が、この現実を、わたしたちの不安や心配を一掃できるわけじゃない。

    でも、その悲しみを、辛さを、共感することはできる。

    これが、ベルリン だったことも意味深かった。

    ドイツ社会もベルリンの街も、過去の痛みを隠さない。

    その途方も無い古傷をしっかりと受け止めて、それと一緒に生きている。

    ロックダウンのこの時期、たくさんの名演が、アーカイブから流され、音楽に親しむ機会を与えてくれているけれど。

    これは違った。

    今の、今の、わたしたちの音楽だと思った。

    だから心に響く。

    世界的に有名なベルリン ・フィル・コンサートのすばらしい会場に、聴く人は誰もいないけれど、

    演奏家たち一人一人が、これまでないような想いをこめて、演奏していることがみてとれる。

    それぞれの想いが、個々の楽器の音色を通して、互いに美しく響きあっている。

    痛みを一緒に抱いている。

    鎮魂の音楽である。

    +++++++++

    European Concert Berliner Philharmonie 

    2020年5月1日のストリーミングを聴きながら。

    近い将来、また再生されると思います。

  • キモノを魅せる大展覧会@ヴィクトリア&アルバート美術館:伝統から21世紀世界へ

    「KIMONO:京都からキャットウォークまで」と題する展覧会がロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館(通称V&A)で開催中だ。

    キモノを扱う本格的な展覧会としても注目を浴びている。

    さすがV&A。装飾工芸で世界トップのこのミュージアムだけのことはある。

    キモノという、一国の服飾をその伝統やデザイン性だけではなく、その窓を通して日本の社会性を眺め、いかに21世紀まで発展し、欧米のデザインに影響を与えているか、幅広く奥深く展開してみせる。

    西洋の眼を通してみる展覧会だから、日本人の私にも新鮮な発見がいくつかあった。

    まず、フォルムの基本が17世紀くらいに出来あがって以来、現在に至るまで、大きく変化していないという事実。

    西洋の服飾史と比べれば、その長さは驚愕に値することを今更ながら気づかされた。

    変化が現れるのはフォルムではなく文様。だからその変化は社会や時代に応じてフレキシブルで実に自由だ。

    もうひとつ、性差があまりないこと−これも日本の中にいたら、あまり気に留めないことかもしれない。色合いや柄に多少の男女差があるけれど、形は基本的に同じである。

    だからこそ、キモノのアイデンティティーがジェンダーを超えて共有される。

    展覧会が例として提示していたのは、江戸初期、男性用と女性用の境目が曖昧であったこと。

    展示室は離れていたけれど、その延長上に、なんとThe Queenのフレディー・マーキュリーが家でキモノを気軽に身につけていたことを紹介する。

    性をめぐるアイデンティティーについて深い悩みを抱いていたフレディーにとって、キモノはある意味、隠れ蓑であり、アイデンティティーの開放だったかもしれないと展示は示唆する。面白い指摘だ。

    フレディーが日本に行った時に、自分で購入したキモノ。映画「ボヘミアン・ラプソディー」でもキモノを着ていた。

    展覧会全体のデザインも、日本の伝統を思わせる設えから、現代の開かれたファッションへと移行していく様子をうまく表していた。

    そこには、キモノが日常着から離れてしまっても、今も、節句や成人式、結婚式など、人生の節目で意味をなしていること。

    古澤万千子、松原良道、森口邦彦など、現代のキモノ作家を紹介しているだけではなく、

    デビッド・ボウイ、ビョーク、スターウォーズなど、世界の音楽界・映画界に影響を与えているかも語っていて、

    日本の伝統という閉じられた世界がいかに世界的に自由に展開しているかを、展示空間全体が物語っていたように思う。

    ひとつ残念なことがある。それは、今日のイギリス一般市民への広がりについて、展示ではほとんど語られていないことだ。

    今、ロンドンの若者たちの間では、ヴィンテージのキモノを、ドクター・マーチンのブーツやヴィンテージのジーパン、Tシャツに合わせるなど、気軽に普段着にとりいれるのが静かなブームになっている。

    展示を見に来ている人々の大半は中高年のイギリス人だが、なかにはファッションに敏感な若い人々も見かけた。展示場をでたあとのミュージアムショップには、なんとビンテージの日本のキモノが100—300ポンド(2〜5万円)くらいで売られていた。ポスターや付随するビデオでは、そのような自由なキモノの取り入れ方が一部紹介されているのに、展示にはその地べたでの広がり方にはほとんど語られていない。

    もちろん、限られたスペースで何を語り、語らないかの選別は必須だ。しかし、この展示のくくり方では、キモノは非日常の特別なコスチュームだけで終わってしまっている。かつて、欧米では高級食だったスシが、今はスーパーでも手軽に買えるようになったご時世に、せっかくの興味深い展覧会が、今のイギリス人が日常で袖を通すアウティングになっているその生命力を語っていないのは大変残念なことだ。

    とはいうものの、キモノを総括的に語る、よくつくられた展覧会だと思う。

    2020.3.10

  • 『小学三年生』:ロンドンの多文化共生を語る美術展

    ロンドンの地下鉄プラットフォームを歩きながら、いつもと違う大広告に目が入った。

    そこにあるのは小学生の集合写真。

    どこの広告?と、企業名を探すが、みつからない。

    「Year 3 プロジェクト」とあるだけ。

    Year 3とは、イギリス小学校の学年で、7−8歳の生徒たちを指す。

    なるほど、写真のこどもたちはそれくらいの年頃で、先生を中心にこちらをみて笑っている。

    駅を出て街を歩くと、営業車が飛び交う道路脇の巨大なビルボード(広告看板)に、同じようなクラス写真があるのをみつけた。

    この街で一体何がおこっているのか。

    答えは美術館にあった。

    実は、イギリスのアーティスト、Steve McQueenのテートブリテン美術館(Tate Britain) での展覧会の一貫なのだ。

    そのタイトルこそが『Year 3』。

    だからといって、美術展の「宣伝」ではない。だって、ビルボードに「Tate Britain」という言葉もなく、そもそもこの特別展は入場無料だから。

    美術館の巨大ホールの全壁面は、ロンドンにある学校のクラス写真で覆い尽くされていた。

    一枚一枚のクラス写真に写った子供たちの多様性といったら!

    黒人の子もいれば、ヒジャブを被った女の子もいれば、白人の子もいれば、アジア系の子もいれば、車椅子の子もいれば、トランスジェンダーの先生もいれば。。。

    世界的な都、ロンドンは多民族都市だ。人口の53%は移民である。

    多様性はもちろん「民族」だけではない。

    「Year 3」といえば、子供が家庭から社会全体に関心を持ち始め、

    自分は何者なのかと、自己のアイデンティティーを獲得していく年齢でもある。

    アーティストは、現代の社会状況を、その豊かさを、その共存を静かに表現しているのだ。

    そこには、アーティスティックな技巧もない。◯◯イズムもない。学術的な解釈もない。

    あるがまま。シンプルで、だから力強い。

    わたしが美術館を訪れた時、まさに写真に撮影された子供たちが、招待されて学校からやってきていた。

    思えば、一般的に、美術館経営の中で「子供」は、「教育の対象」でしかない。

    ところがここでは、彼らこそが、アイデンティーという現代的なテーマの主人公でありコンセプトなのである。

    Steve McQueenといえば、20年ほど前に、あのトラファルガー広場の第四の柱に、

    障害のある妊婦をモデルに巨大な彫刻を作ったアーティストだ。

    彼の表現には、常に社会から差別されたり、見過ごされた人々の目線がある。

    彼自身も黒人のアーティストだ。

    さらに興味深いのは、彼のプロジェクトが、美術館という枠組みを超えて、ロンドンの市中に展開したこと。

    実に約600点がロンドン中にあるという。

    なんとアンビシャスなプロジェクトであることか。

    「文化における多文化共生」とか「美術館教育」とかという議論を超えて、

    その現実が生きられている街中に、道行く人々の目に、すっと入ってくるのだ。

    振り返って、日本も多文化共生の時代を迎えた。

    日本のミュージアムもようやく多文化対応を模索し始めている。

    ロンドンほどではないでしょうと、あなたは言うだろうか。わたしの周りは日本人ばかりですよと。

    本当にそうだろうか?

    この9月日本に帰って、コンビニやカフェで働く人の多くが移民の人々で驚いた。

    海外に住んでいるから、たまに帰国すると、その変化に敏感に気づくのだ。

    大きな変動が起こっていることを、ひょっとしたら、あなたは意識から外しているだけかもしれない。

    「外国人」は、一時的な「旅行者」だけではない。

    いや、もはや、「外国人」という認識自体を捨てるべき時ではないか。

    その現実を、刻一刻と変化する日本の社会図を、見て見ぬふりをすることはできないだろう。

    ***

    展覧会は、2020年5月3日まで。

    ビルボードのプロジェクトは2019年の11月22日まで

    2019.11.15

  • 奈良の国宝が大英博物館にやってきた

    この秋、たくさんの国宝/重要文化財の仏像や神像が、はるばる古都奈良からロンドンの大英博物館にやってきた!

    夏の大「マンガ」展の後なだけに、ちょっと陰が薄くて、あまり広く知られていないかもしれない。

    私自身も、来たのはせいぜい一、二体だろうと期待薄だった。

    ところがどっこい、先日展示場を訪れたところ、その質と量にびっくりしてしまった!

    いつもは着物、浮世絵、甲冑、茶器などが並んでいる常設展示室が、

    今回の展示のために、3分の1は展示替えしたようにみえる。

    「国宝」も何体もある。

    いったい、どんなお宝が揃ったか、

    • 「天上天下唯我独尊」と天地を指差した『誕生釈迦仏像』 (国宝 東大寺)
    • おおらかな顔立ちの『夢違観音像』(国宝 法隆寺)
    • 700年頃といわれる持国天と増長天の力強い立像 (国宝 唐招提寺)
    • 教科書でも出てきた 聖徳太子像 (重要文化財 法隆寺)
    • 12世紀に作られた 能楽の三面 (重要文化財 春日大社) などなど。

    ざっとこんな感じ。

    わあ、あれも!これも! こんなすごいのが集まっちゃったんだ!!

    あまり日本の古美術を知らない私でさえ、見覚えのある美しい姿や勇姿が並び、心の中で、感嘆の声をあげてしまった。

    これだけの日本の宝が、今、この大英博物館に展示されている。ってことは、

    英国人はもとより、世界からここを来館した人々が、日本のお宝を、遠い日本まで行かなくても

    しかも無料(大英博物館は入館無料で、この特別展示も無料)で拝観できる。 なんて贅沢なことだろう。

    私のコーフンもやがて落ち着いてくると、

    今度は、このセッティングだからこそ、浮き立ってくるいろいろな面に思いが広がり始めた。

    まず、寺社仏閣とミュージアムじゃあ、場がまったく違うという、アッタリ前のこと!

    だが、その違いが大きい。

    たとえば、「夢違観音」なら、

    法隆寺という建物、内部の暗さ、お香、鐘の音、取り巻きのたくさんの像や装飾のしつらえ、周囲の祈る人々、奈良という自然環境など、総合的なコンテキストの中で、わたしたちはその像に出会う。普通はそうだ。そのために造られ、これまでも、その場に長く安置されてきた。

    ミュージアムでは、そういう全てのコンテキストから切り離され、無機質なガラスケースの中に、他と同じように置かれる。

    なんとバチあたりな、なんか味気ない、こんなはずじゃ、、。。。と、あなたは思うだろうか?

    だが、別の見方からすると、

    観音様や仏様をこんな至近距離で、目の高さで、像の後ろも横も四方八方から、すみずみまで舐め尽くすように目で堪能できる

    この首から肩、背中の線の美しいこと。それに初めて気づき、身震いしたりする。

    そんな体験、お堂の暗い中で、正面からしか像を仰ぎ見れないなら、あり得ないことじゃないですか?

    「持国天」と「増長天」は、日本のお寺なら、東西南北を守る四天王としてあるはずなのに、

    大英博物館のケース内では、二像だけが横並びで、フィギュアーのように立っている。なんと間の抜けた。。。

    本当なら、仰ぎ見る高さにあるから、表情だって夢に出そうなくらい恐ろしいのに。。正面からじゃ迫力ないワー。

    でもね、ミュージアムでは、すみずみまで照明があたっているおかげで、彫刻の細部がみてとれる。

    踏みつけられた邪鬼も、こんな面白い顔をしてたんだ。彫刻師が作り込んでいた時の手の跡が感じられる。

    崇拝の場とミュージアムで、決定的に違うもう一つのことは、一緒に展示されたものとの関連性・総合的なストーリーだ。

    大英博物館での展覧会では、この館が所有する日本のモノや他の外国のミュージアムから借りられたモノと間近で比較することができる。

    たとえば、法隆寺からきた11世紀の聖徳太子の木像のとなりには、大英博物館が所有する14世紀に描かれたという聖徳太子像の巻き物が展示されていた。

    同じモデルが、時期によって、どう描かれ方が変化したのかをみてとることができた。

    大英博物館には、日本からやってきた、12世紀の非常に力強い「不動明王立像」(国宝級と劣らないと私は思った)があるのだが、

    それが、奈良からの関連のモノと置かれるとより生き生きとみることができた。

    そういう比較は、やはり、奈良のオリジナルの場ではできないのではないかしら。

    どちらがあるべき設定だとか、どちらの解釈が正しいとか、言うつもりは毛頭ない。

    むしろ、同じものが多様な面をもつこと、違う角度からみれば異なって見えることを、もっと知りたいと思う。

    同じものを見ながら、信仰の魂を五感で感じるのも、あるいは制作された技術の巧みさや表現の変化を見るのも、

    出会う者の認識の枠によって、自由に変わるし、変えることができる。

    そして、認識の枠を構成する重要な要素のひとつが、神殿、寺院、ミュージアムなどという場なのだ。

    認識枠を構成するのは他にもある。

    見る人の宗教や政治志向や、その人が生きた時代背景、その時の気分。。。きっと無数にある。

    でも、個々人の認識の枠はできるだけ広げた方がよいし、柔軟である方がよい。常にそうでありたいと思う。

    ここまで書きながら、(飛ぶようだが)

    仏像の故郷の日本では、あの「あいちトリエンナーレ」が、無事終了したばかりだったと、ふと思い出した。

    ところで、「国宝」だの「重要文化財」などという名称やシステムは日本独自のもの。

    だから、大英博物館の展示の最初に、「国宝」に関する説明があることを、付け加えておきたい。

    最後に、今、イギリスに住んでいる方々はもちろん、訪れる予定の方々は、大英博物館の奈良の展示に足を伸ばされてみてはどうだろう。

    きっと、日本での仏像・神像との出会いとは、全く違う出会いをされるに違いない。

    それはきっと貴重な体験になるはず。

    *******

    大英博物館 日本展示室+第3展示室

    2019年 11月24日まで

    2019.10.16

  • バンクシーの「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」に泊まったら・・@ベツレヘム、ヨルダン川西岸パレスチナ

    2019年4月、イスラエル旅行の最後に、ベツレヘムにあるバンクシーが建てたホテル「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」の「バンクシールーム」に泊まりました。

    自分へのご褒美です!

    イスラエル政府がパレスチナとの間に建立した分離壁のすぐ横にあります。

    ホテルにはバンクシーのブラックユーモアやメッセージがたくさんありました。

    宿泊客しか入れないエリアも含めて、写真でお伝えしますねー。

    ウォールド・オフ・ホテルの正面。すぐ右側に素晴らしく頑強な分断壁がある。命名は、アメリカ資本の最高級ホテル、「ウォールドフ・アストリア」のもじり? もとはなんの変哲もないビルだったらしい。そこをステンシルでバルコニーやギリシャ風のフェイク柱を描き、豪華にみせた。
    赤いユニフォームを着たチンパンジーのドアーマンが迎えてくれる。「マダム、お荷物をお持ちします。あら、蓋があいちゃった。まだ新米なもんで、すっんません。にしても素敵な下着をお持ちで。」「失礼な。それ、あたしが着るような下着じゃないよ。」
    レセプションには、ロンドン、NY、エルサレムの時間を示す時計。バンクシーネズミが回っている。東京は遠すぎる?
    ホテルのコンセプトは20世紀初めのコロニアルスタイル。壁には剥製の動物の頭の代わりにCCTVカメラ。鉄砲の代わりに壁を壊すトンカチとかが並んでる。一番下には、ダイアナ妃とかの記念プレートが。
    20世紀のホテルを再現するのに、グランドピアノは欠かせない。天井からは救命マスクをつけたエンジェルたち。ホテルがオープニングした時には、イギリスからの遠隔操作で、エルトン・ジョンがピアノ演奏をしたらしい。
    かの有名なバンクシーのストリートアートも金色の額縁に。しかも、花束は本物の花瓶に入っている。
    一見、本棚。でも秘密のドア。客室に行くにはこのドアをドロンと抜ける。ちなみに客室数は9つ。ドミトリー形式からジャグジー付き豪華部屋まであります。
    客室をつなぐ廊下には、バンクシーらしいセッティングが。「TWO DOGS」! 確かに、イギリスの画家は犬を描くのが好きだからね。
    将来的には、ちゃんとバリアフリーにするらしい。でも、コンセプトは壁なのよね〜。
    じゃーん、わが「バンクシー・ルーム」。今宵は、どんな夢を見よう?
    ルーム・キーは、すぐそこにある分離壁の形をしてます。
    テレビのスクリーン、割っちゃったの? いえ。これはテレビのように見えるアート作品で部屋にテレビはありません。わたしらをカメラで面白半分で映すなよ!とパレスチナのおばさん? バンクシーのホテルではお馬鹿でフェイクなテレビ番組なんかみないで、ゆるりと本を読みなさいと諭されます。はい。
    だから本ならいっぱい。自由に読んでいい。しかも古本。徹底して1920年代風。
    水は大事な資源。ホテルで一回使っただけのタオルを洗うのに、大量の水を使ったりなんかできないよ。イスラエル側から意地悪され、水不足のパレスチナのために、お泊りのお客さんも協力してね。はい。
    バンクシーホテルの宣伝文句は、「世界一、眺めの悪いホテル」。これが、二階にあるバンクシールームからみた景色。分離壁のあちらには、イスラエルの近代的な街がどんどん建築されているらしい。壁には世界中からやってきたストリートアーティストの絵。写実的な女性の絵はパレスチナの16歳のヒーロー。
    ホテル内には、分離壁についての歴史的な検証をする小さなミュージアムやパレスチナアーティストの作品が紹介されたアートギャラリーがあります。ユダヤ人も来ていました。
    ホテルのブレックファースト。フムスやらやわらかいパンやらのパレスチナ料理。ユダヤの料理に似てるんだよね。美味しかったわ〜。
    ロビーからみえる「最悪」の眺め。壁のせいで日照時間はとても短いけど、ストリートアートがエネルギーをだしてる。
    16日間の旅おしまい。よく歩いてヘトヘトだけどいっぱい学んだし、実に楽しかった〜。明日はロンドンへ帰ります。
  • この岩の上でキリストは処刑された:エルサレム2

    エルサレム旧市街には、新約聖書つまりキリストの話に登場するシーンが点在している。

    聖母マリアが生まれた所とか、キリストがエルサレムに入城した門とか、最後の晩餐をした洞窟とか、逮捕された郊外とか。

    とりわけ強調されるのは、キリストが有罪を言い渡された場所から十字架を背負って丘を登り、埋葬されるところまで、順に辿れるルートになっていることだ。

    途中にはステーションといって、母マリアに最後の別れをしたとか、ヴェロニカが汗をふいてあげたら、その布にキリストの像が映ったとか、三度倒れたところととかに、ひとつひとつ小さなチャペルが立っている。(全部で14箇所あるらしい)

    世界各地からやってきたたくさんの信者たちは、キリストの最後の道行きを自分の足で辿る。

    各ステーションに立ち寄っては、ガイド役の神父や司祭の話を聞いたり、肖像画にキスをしたり、賛美歌を歌ったりしている。

    その様子を観察しながら門外漢の私は、こうしてキリストの最後に自分を重ねる行為が、何百年も続いた巡礼なのだろうと想像した。

    巡礼のクライマックスは、キリストが処刑され、埋葬されたところといわれる、「聖墳墓教会」だ。

    混み合う時間を避け、朝7時ごろエルサレム旧市街の中心にあるその教会にに到りついた。

    ローマのサント・ピエトロ大聖堂やパリのノートルダム大聖堂のように、決して壮大でも豪華でもないが、オレンジ色の光を受けて美しい。

    暗い教会の中に入ったら、いきなり玄関の床に跪いている人たちがいる。

    よく見ると細長い岩にキスしたり、布で拭いたりしている。

    後で知ったのだが、その岩は処刑された直後にキリストの遺体が横たえられ、埋葬前に香油で身体を清められた場所だという。

    教会建物内の細い階段を上ったところには、キリストが十字架に架けられたといわれるところがある。

    小さな礼拝堂は早朝から人でいっぱいで、巡礼者たちはそれぞれに祈りを捧げていた。

    きれいに飾られた主壇に向かって数人が列をなしている。

    最前列の人は跪いて、床にキスをしている。

    よくみると、またそこに「岩」があった。

    聖なる十字架が立てられたスポットを意味する「岩」だ。

    新約聖書では、十字架の足元には最初の人間のアダムの遺骨があったとし、旧約聖書(ユダヤ教)と繋げる。

    聖墳墓教会の中心はキリストの墓。

    同じ建物内のドームの中心にそれがある。

    信者でない私は中に入ってはいないけれど、きっと石棺があるのだろう。

    世界各地のさまざまな宗派の人びとがここに集まり、それぞれの宗派のやり方で祈りを捧げている。

    白い衣装をまとったエチオピアの人びと、赤い豪華なマントをつけたカソリックの僧侶たち、エジプトのコプティック派の信者たち、茶色い僧衣のフランチェスコ派の神父たち、インドの衣装をまとったキリスト教徒たち、白い衣装の尼僧たち、黒づくめのギリシア正教の司教たち。

    先日、エルサレムは違う宗教の多様性が出会う場だと書いたけれど、キリスト教だけをみても、さまざまな宗派や祈り方やシンボルや服装があるのが観察できる。

    それにしても興味深いのは、先回のブログで書いた「岩のドーム」と同じように、またしても「岩」が聖地の印であることだ。

    聖書の出来事が起こったところがそのまま聖地になり、その上に教会が立つというのがよくわかる。

    岩はその場にある。消え失せない。動かない。

    そのストーリーが本当にあったことの、確たる証拠であり認識の礎なのだ。

    その岩を通して、信者たちは自分の信仰を自身が出会う風景の記憶に刻み付けている。

    ちなみに、エルサレムの城壁の外に、キリストが一旦復活して、天に昇ったところといわれる場所(「昇天の礼拝堂」)があり、小さなドームの中央に、キリストの最後の「足跡」がついた岩があった。

    ロンドンの美術館でガイドを文化講座を実施したりする中で、

    キリストの生涯は絶対欠かせないトピックだけれど、

    これまで、ラファエロやルーベンスたちが描いた作品を通して知っていた断片話が、エルサレムの街を自分の足で歩いてみて、その一片一片を実際の空間の中でつなぐことができ、大いに興味深かった。

    2019.4.10

  • この岩があったところ、神は天地を創造した:聖地エルサレム

    この岩があったところで、神は天地を創った。
    土と自分の息から最初の人間も創った。
    時が経て、その子孫のアブラハムは、
    「お前の子を殺せ」と神から命ぜられ、
    同じ「岩」の上で我が子イサクに刀を向けた。
    今にも手を下ろすところを、天使に止められ、
    神との契約が交わされた。と、ユダヤ教はいう。

    イスラム教は、メッカにいた預言者ムハンマドが大天使ガブリエルに連れてこられ、「その岩」の上から天に昇ったところだという。

    キリスト教はユダヤ教から生まれた新派で、旧約聖書はユダヤ教の話であることは周知の通り。
    聖母マリアに神の子をみごもったと告げたのは、ムハンマドを天に連れて行った同じ大天使ガブリエルだった。

    歴史を通し、そして今も紛争がたえない三大宗教だが、実は兄弟のように似通っている。
    考え方も儀式のやり方も建築様式も服装も、共通点がたくさんあるのに驚く。
    「岩」も共通する礎で、その岩がこの青い六角形と金のドームをもつ建物の中にある。

    ユダヤ教もイスラム教も、違う時代に「岩」を塀で囲い、やがて立派な神殿を建てた。
    写真の金のドーム、青いタイルをもつ建築は、紀元後7世紀末にこの地がアラブ、ウマイア朝の支配下になった頃、
    イスラム教の神殿として造られた建物(その後、16世紀に今の形に)だ。
    今、「岩のドーム」として知られている。

    ここは、エルサレムの旧市街。聖地中の聖地だ。
    歴史の巡り合わせで、現在はユダヤ教の国イスラエルにあって、
    イスラム教が管理する神殿で、建物内には基本的にはイスラム教徒以外入れない。

    しかし、それを囲む巨大な敷地、かつてユダヤ教のダビデ寺院があったところには、世界中から人びとが訪れる。
    わたしたちのような観光客だけではなく、世界各地から訪れた各宗教、各宗派の信者たちも。
    茶色のドミニコ会の僧衣を着た神父が率いるグループもあるかと思えば、黒づくめの正統派キリスト教徒らしき人びと、
    イスラムの礼拝にやってきたベールの人たちもいる。

    すぐそばには「嘆きの壁」があり、ユダヤ教徒たちが、本を片手に頭を振りながらお祈りを捧げている。
    集まる人びとの様子をみていると、まさに何千年も前に生まれた宗教の交流やすれ違いが、現在を生きる人びとにもおこっているのを目のあたりにして、実に感慨深い。

    エルサレム旧市街には「岩のドーム」以外に様々な聖地が点在している。
    その点と点をつないで人びとが行き交っている。
    聖地のそばには市が立つ。
    石畳の細い路地は食材や土産物やカフェが並び、とてもカラフルでエネルギッシュだ。

    外観だけ見ればイスタンブールやマラッケッシュやカイロに似ているが、エルサレムが全く違うのは、なんといっても宗教的・文化的な多様性だ。
    店もイスラム系、ユダヤ系、アルメニア系などいろいろあるけれど、そこで出会う人びとの多様性に驚く。

    本をもって、もぐもぐ言いながら歩く黒ずくめのストイックなユダヤ教徒たち。

    アメリカ訛りの英語で、たぶん金融街で働いていて、ここまでやってきました的な、でも今日ばかりは伝統的なユダヤの服を身につけた若者たち。


    そろいの帽子やスカーフをつけて、インドネシアや中国やオランダやロシアやら、ありとあらゆる国から大型バスでたどり着いた21世紀のキリスト教巡礼者たち。
    格子模様のスカーフをまいたアラブ風の男や全身を覆ったイスラムの女たち。

    世界各地で宗教をめぐる紛争が今も絶えないのに、わたしが訪れた時のエルサレムはいたって平和だった。
    異なる宗教が袖すり合わせる中、一発触発がおこったって不思議ではないのに、そのような気配は感じられず、お互いを普通に受け入れるのが日常の風景になっている。

    この五日間、迷路のような旧市街を歩きながら、ふと思いついた。

    エルサレムの平和の理由は、ここが共通の聖地であり、お互いをリスペクトする空気が歴史を通して熟成したからではないかと。


    「岩のドーム」がイスラム教の管轄だが、「モスク」ではないのも、他の宗教に対するリスペクトからだという。

    エルサレムには政治を入れこまないような暗黙の了解がある。だから、ここには各国の大使館がない。

    (2018年、ドナルド・トランプが米大使館をテルアビブからこの地に移したのは、大変思慮に欠ける事だった)

    明日からエルサレムを離れて地方を周る。そこでは、エルサレムとは違う印象を持つかもしれない。

    2019.4.16

  • ローマ:古代文明がつながる結節点

    2019の年頭にローマを旅した。

    ここ2-3年、エジプト、ギリシャと周り、この旅はその延長上にある。

    2度目のローマだ。10年前はお登りさんだった。

    今回、この順でまわったのは、古代文明の変遷と交流をこの眼で、現場でもう一度みたかったからだが、手にとるような小さな展示物から巨大な遺跡まで、あらゆるところでローマが文明の結節点だということを確認し、大いに満足して帰ってきた。

    キャパ以上に歩きすぎ、見すぎで、足は棒で頭はグチャグチャだけど、2つだけ書いておきたい事がある。

    1つ目は、有名なヴァチカンの、サント・ピエトロ大聖堂のとある一角。

    ご存知、教皇がいるカソリックの総本山。

    ここが最重要地になった理由は、キリストの弟子、聖ペテロが十字架に掛けられて処刑された聖地だからといわれる。

    じゃあ、なんでここなのかというと、キリスト教が禁じられていたローマ帝国時代、円形競技場、いわばエンターティンメントの場だったからで、処刑もここで行われた。

    すなわち、闘牛と同じように処刑はエンターティンメントのひとつだった。

    サント・ピエトロ大聖堂の前に巨大な円形広場が広がっている。

    丸い輪郭を辿って、そのまま古代のコロセウム(大円形競技場)を想い浮かべてみよう。

    あなたは、円形広場の中央に、古代エジプトのオベリスクが立っているのを目にするだろう。

    もともと、エジプト征服の戦利品としてもたらされたもので、カリギュラ皇帝によってコロセウムの中心に立てられたという。

    想像図の中央にそのままオベリスクを立ててみるのはいとも簡単だろう。もし、その場でできるなら、ついでに逆立ちしてほしい。

    それがまさに、聖ペテロが逆十字架にかけられた時に、両の眼に映ったはずのオベリスクなのだ。

    聖ペテロの処刑 / カラヴァッジョ

    時がたち、キリスト教は公認され、さらに時がたつと、この地はキリスト教の本拠地となった。

    大ローマ帝国が滅びたのは、その少し前だ。

    現在、オベリスクの一番てっぺんをみると、小さな十字架があるのがわかる。実は、その十字架には、キリストが処刑された時の十字架の一部が埋め込まれているのだそうだ。

    なんという歴史のドラマだろう。

    まるで、時間がこの円形広場に渦巻き、その中央で光のようにまっすぐ空に向かっているようで、その風景の中に佇むだけで身震いがした。

    *****

    2つ目、ヴァチカン美術館。

    ヴェルベデーレのトルソとか、システィーナ礼拝堂とか、カラヴァッジョとか、お宝がたんまりあって、1日あっても足りないくらいの美術館だが、今回のわたしの密かな発見は、こちらの大理石の男性像だった。

    ぱっとみたら、ローマやギリシャのミュージアム、あるいは大英博物館やルーブル美術館などどこにでもありそうな像だけど、

    よくみると、エジプト風で、ギリシャ彫刻のような肉体美をもち、その顔をみれば実にローマ的。

    ふっくらした頬と顎、花びらのように愛らしい唇をもった、若い男性の顔だ。

    ギリシャ彫刻の理想的立像に、エジプト風の衣装を着せ、ポーズをとらせているが、

    顔にはローマ芸術の特徴である「個」が描れている。

    モデルになった実在の人物がいるに違いない。

    解説をみると、「オシリス−アンティノオ」とある。

    実は、アンティノオは、あの有名なハドレアヌス皇帝(属州ブリタニアにハドレアヌスの砦やローマのパンテノンなど名建築を残した人)の若き恋人なのだ。

    そう、つまり(かなりの確率で)ゲイである。

    皇帝は、ビロードのような黒い目をしたアンティノオを一時も離さず、アフリカへの遠征にも連れて行ったが、その若者はナイル川で溺死してしまった。(自殺説もある)

    彼の死から皇帝は人が変わったように、内にこもってしまったという。

    ハドレアヌスは、自分の別荘にアンティノオのための神殿を造らせた。

    この像はそこに飾られていたものという。ちなみに、オシリスはエジプトの死の神である。

    近代美術史の父といわれるヴィンケルマンはこの像を絶賛している。

    エジプト、ギリシャ、ローマ・・・

    古代の人々の時空間のスケールの大きさがこんなひとつの像にもみてとれないだろうか。

    ローマで味わった歴史文化奥深さを、ここで十分に表現できないのがもどかしいけれど、

    ロンドンに戻り、我家の前に流れるテムズ川を見下ろしながら、

    まだ、記憶が新鮮なうちに、言葉にしておこう。

    紀元後43年、古代ローマはブリタニアを征服し、海潮が入る川があるから、この地を属州ブリタニアの都とし、街を作り、それをロンドニウムと呼んだ。

    ロンドンの始まりである。

    2019.1.19.