投稿者: Opekepen

  • 叫んじゃいないムンク!

    叫んじゃいないムンク!

    ひとつの強烈なイメージで、ある芸術家のキャリアーが括られてしまうのは実に残念なことです。
    その名を聞けば、あのゆがんだ顔をついつい思い浮かべてしまう、ムンクもしかり。
    今、テートモダンで行われている「ムンク展」は、そんなわたしたちの固定概念にチャレンジしています。

    この展覧会は、ムンクに対してわたしたちが抱きがちな陰湿な雰囲気や病弱性というものをまずは棚に上げて、
    このノルウェーの芸術家がパリやベルリンで制作を続けながら、いかに近代の新しいテクノロジーを利用し、その制作に応用させていったか、いや、そのような手法だけではなく、テクノロジーの「視覚」を吸収することで、社会に向ける芸術家としての視線を見い出し、積極的に自分の表現世界を広めていったかに、光を当てるのです。

    したがって、展示の構成も展覧会お定まりの画家の一生を順に追うものではありません。
    ひとつの部屋にはあるテーマがあり、その下で別の時代に制作された作品が並んでいます。
    例えば、「再制作」のコーナーでは、「病気の子ども」や「バンパイアー」など、20年も30年もたってから、同じ題材に戻りとりくんだ作品群を並べて、社会の変化のなかで作風がいかに変わったかを見せている。
    「視覚空間」では、ムンクの奥行きのない画面を印象派や日本の版画の影響のなかだけで説明するのではなく、写真やフィルムというテクノロジーによって獲得されたものの捉え方を、いかに画布の上におとしこんでいるかを語っている。

    展覧会全体のレイアウトをみれば、ムンク自身による写真を並べた部屋やフィルム(ムンク作)の部屋が、ところどころで絵画の部屋の間に挟まっているのがわかるでしょう。
    ムンクが撮った写真を見るのは初めてだったので、その意味でも新鮮でしたが、そのように構成することで、写真を視覚表現として十分堪能できたし、絵画との影響も見てとれた。
    ひとつひとつの小さな白黒写真をみれば、意図的な構図や二重写しが試みられており、まだ開発されたばかりの技術なのに、斬新なことやっとるなーと関心してしまいました。

    最後のコーナー「Unfliching Gaze (ひるまぬ まなざし)」では、病に犯された自分や友人の肖像画(ムンクは確かに幼少時代から病弱でした)が展示されているのですが、
    わたしたちがイメージしがちな(あるいは、見たがる)人間の病弱性に焦点があたるのではなく、そういう負の自分を対象とすること、表現者として凝視しようとする、逆の意味で精神的な強さを伝えようとしていました。

    展示をまわりながらムンクの別の側面を知ることができたおかげで、すぐに出口を抜けてしまわないで、もう一度最初の部屋に戻って、新しい光をあてながら二度楽しむことができてしまった次第です。
    これは、やっぱムンクの生涯を追う従来型の展示手法ではできないアプローチでしょうね。

    munch-marat
    Munch by Munch

  • 博物館をステージに:大映博物館のシェークスピア展

    2012 年は、オリンピック・パラリンピックに乗じてか、イギリスのあちこちでシェークスピア劇がかかっています。
    ロイヤル・シェークスピア・カンパニー(RSC)はもちろん、世界中のさまざまな劇団が、その国の言語でアレンジしたものをイギリスにもってきていて、とても賑やかなんです。
    わたしもブラジルの劇団によるサーカス仕立ての「リチャード3世」と、チュニジアの劇団が、一昨年末に起ったジャスミン革命を絡めた「マクベス」を観ました。

    今、大英博物館で「シェークスピア展」が行われているのもその流れ。
    この展示は、シェークスピアという作家・詩人・演出家・役者に焦点をあてるのではなくて、彼の作品ひとつひとつを当時のロンドンやイギリス、そして世界という文脈のなかで眺めるものです。

    「作品に焦点をあてる」のをコンセプトにするってことは、街中でやっているシェークスピア演劇祭とコラボレートしようぜという意図なのですね。
    実は展示のつくりもそのようになっていたのです。
    たとえば、「ヘンリー5世」劇のコーナーの展示には、対フランス戦に勝利した王のヘルメットや剣(葬式で棺の上に飾られたホンモノ)があり、その奥の壁一面には映像が映し出され、RSCの俳優がヘンリー5世の有名な台詞を語ってる。
    両方を見てたら、あのハンサムな俳優に重そうなヘルメットをかぶせてみたくなった私です(´・ω・`)

    中でも面白かったのは、「ジュリアス・シーザー」のコーナー。
    そこには、わたしがストラットフォード・アポーン・エイボンで観た「ジュリアス・シーザー」のブルータス役の俳優が演じる映像がありました。
    ネクタイをしめた黒人のブルータスが、台詞の最後に小さなコインを胸の前に差し出すのですが、その現のコインが、実は大英博のローマ時代のコレクションで、隣接したケースにちょこんと展示されている。
    その小さなコインの表にはシーザーを殺した武器が、その裏にはブルータスの横顔が彫られている。
    シーザー暗殺直後、アンソニーらがブルータス含め暗殺に加担した集団を貶めるまでのほんの短い期間に、このようなプロパガンダ的コインが流布されたのだと知って、超びっくり。
    それつけても、この映像と実際のコインの並列!なかなかやるなー、とうなってしまいました。
    (RSCの「ジュリアス・シーザー」劇はほんとに素晴らしかった―記事はこちらから。)

    という感じで、確かに、いくつか面白い箇所があったのは事実。
    それはそうなんだけど、全体的な感想はと聞かれれば、正直言うと、ちょっと散漫だったと答えねばなりません。
    展示場の出口を出た後で、あー満足!っという感じではなかったんです。残念ながら。
    かなり工夫して、かつ慎重に映像を展示にとりいれているのがよくわかるし、その挑戦に対してはよくやったといいたい。
    だけど、映像の役者たち(みな有名な俳優みたい)の演技はたとえ短くても素晴らしいし、「モノ」自体だって、時代の証人として絶対的な存在感の強さをもっているわけで・・・しかも、大英博としてはその「モノ」を本当は見せたかったはずで。。。
    きっと、その二つが相克してしまうのでしょうね。
    それが、結果的に展示全体の経験を損ねてしまったのかもしれない。

    ところで、大英博物館のグレートコートの中央にある特別展示場は、かつて図書館であった円柱形の建物です。
    なんだか、そこにも勝手に関連を見つけてしまいました。
    ひとつは「本」というキーワード。
    「シェークスピア展」で出会う最初の展示物は、シェークスピアの死の直後に編まれた「第一選集」だった。
    それから「円形建物」というキーワード。
    シェークスピアの芝居小屋、「グローブ座」も「ローズ座」も円形劇場でした。
    そんなこんなをつらつら考えながら、展示場の丸天井や未だ残っている本棚をぼーっと眺めておりました。

    いや、しかしだ。シェークスピアの世界に酔いしれたいなら、やっぱり芝居小屋だよな!


    (09/09/2012)

  • アナ、3分 そしてフクシマへ :ビクトル・エリセからのメッセージ

    遠い外国に暮らしながらフクシマのことを書いたりすることには、説明のつかない躊躇があります。その場の空気を吸い、その苦渋の一滴も味わっていないくせに、いったいどんな言葉が吐きだせるのか。何を言っても薄っぺらなものでしかないのではないか。

    わたしにできるのは、今までほとんど無知だった放射能被害やチェルノブイリについての情報をかき集めることだけ。事故当初、海外の報道は日本の報道よりも早かったし、開かれてもいました。だから、なおのこと危機感が膨らんでしまい、日本の家族や友人たちによけいなお節介をしたのではないかと反省しています。

    もうかつての世界ではないことを理解するのは決して容易なことではありません。今日は、だからこそ、書いておきたいと思うのです。そのことを自分に言い聞かせるため、すこし遠のいてしまった痛みを思い出すために。そう駆り立てたのはスペインの映画監督でした。

    事故から7ヶ月が過ぎようというある日、ツィッターで、ビクトル・エリセ監督が日本にメッセージを送っていることを知り、驚いてさっそく開いてみました。監督は射定めたある女優に小さな映画作りを手伝ってほしいと頼んだところ、ふたつ返事で承諾をもらい、即座に制作されたのだそうです。その女優とは、あの《ミツバチのささやき》(1973)の少女アナ・トレントです。

    ご存知のように、エリセは10年に1本撮るか撮らないかという寡作の作家。それだけに、作品一本一本が作り手の心が込められた、美しい輝きを放つ珠玉です。その彼が、今回の日本の惨事をうけて、すぐさま映像のメッセージを発信してくれた、広島原爆の記念日に、素敵な女性に成長したアナといっしょに、たった3分のまっすぐなメッセージを。そのことにまず心を動かされたのです。

    コンピュータのカメラに向かって最後にアナが語りかけます。

    「わたしは感じるの、わたしたちを見つめる死者たちの問いかけを」

    そういい終わると、アナはカメラをじっと見つめる。その瞳は、わたしのなかで6歳のアナの瞳とみごとに重なりました。あのときのアナは、姉イザベルといっしょに古いフランケンシュタインの映画を見ていた。映像には女の子と花を積んで遊ぶフランケンシュタインが映し出されていましたね。その後、女の子も怪物も殺されてしまいます。そして、姉にこう聞くのです。

    「どうしてあの怪物は殺されたの? どうして女の子は殺されたの?」

    6歳のアナの瞳も成熟したアナ・トレントの瞳の奥にも同じ問いがありました。(上記の写真)

    「なぜ、彼らは死ななければいけないのか。なぜ、そのような不条理が世のなかに存在するのか」

    でも、それぞれの問いはすこし質が違うように思います。ミツバチのアナのそれは、無垢な少女のしかし本質を見抜いた純真な問い。現実と夢想のいれまじる世界に「わたしはアナよ」と呼びかけながら問う問い。舞台の控え室にいるアナのそれは、現実社会の矛盾を見据えたうえでの、訴えかけるような問いかけです。そう「わかってる」。だから、繰り返し、繰り返しひとびとに、また自分に問いかけなければならない。でなければ「地球が疲弊してしまう」。

    《ミツバチのささやき》で、小さなアナはフランケンシュタインとスペイン市民戦争後の逃亡兵をごっちゃにしていましたね。そして、その兵士も政府軍によって殺されてしまった。彼の死はスペインにとって何を意味したのか。それは、比喩を巧みにちりばめたエリセの社会への問いかけでした。当時のスペイン政府の検閲から逃れるための方策でもあった。しかし、その手法も手伝ってか、あの映像詩が生み出され、ひとびとの心に残る普遍的な作品となったのでしょう。

    今回の短い映像は、これまでの隠喩を使った手法ではなく、実にシンプルで直接的なものです。そのなかでも、静かで美しい語り口は生きています。「地球の隅々に伝わるように」と、あえてそういう手法をとったのだです。比喩や音楽でオブラートするのではなく。現実はそんなものを吹き飛ばしてしまうほど凄まじいのだから。音をいれるなら、腹底に響く尺八の音しかないし(核戦争を描いたタルコフスキー「サクリファイス」で使われた音楽)、語り手はアナをおいて他にいないのでしょう。

    主演アナ・トレント 監督ビクトル・エリセ 

    記事:2011.08.11

  • 「第三の男」とウィーンのアイデンティティ

    20うん年ぶりに映画「第三の男」を観ました。
    光と影の映像美や、墓地での長いカットシーン、すばらしい音楽が強く印象に残っています。今回は、3ヶ月ほど前に訪れたウィーンの思い出と照らし合わせながら鑑賞することができました。


    プラーター公園の大観覧車の名シーンについて言っているのではありませんよ。いえ、むしろウィーンの街全体です。はじめて観たときは、第二次大戦の敗戦国の首都ウィーンがアメリカ・イギリス・フランス・ロシアに四分割統治された背景を少ししか理解することができなかったのですが、この犯罪事件が、かつてヨーロッパ一の栄華を誇ったウィーンの街が破壊されたそのショック、アイデンティティーがずたずたに引き裂かれた都市で繰り広げられた出来事だった事がよくわかったのです。

    というのは、訪れたウィーンの街は痛みの跡も残らぬほどに修復し、文化都市としての誇りを取り戻し、クリムト生誕150周年記念展などにみるように、ウィーンのアイデンティティーを強く感じることができた。それに照射する形で、「第三の男」に現れたウィーンの街の悲哀が、甘いシターの音とともに流れてきたのです。


    本当の主人公は、名優オーソン・ウェルズ演じる「第三の男」ではなくて、ウィーンの街そのものかもしれない。

    先回は見逃してしまった興味深い面をみつけることもできました。たとえば、オーソン・ウィールズの演技も改めてすばらしいと思ったけれど、彼が住むアパートのおばあさんもよかった。
    4つの国の治安部隊や警察が、土足で彼女の静かで豊かな生活をかき乱すことに対し抗議の声をあげる、その怒りや誇り高さがよく響いてきた。


    前は小うるさいばあさんにしか見えなかったけれど、今回は、誇りを失わないウィーンの気概を体現する重要な脇役にみてとれました。

    第三の男の元恋人で、チェコスロバキア出身のアナの役は、もっと複雑でしょう。そこには戦前からの、オーストリア帝国とチェコスロバキアの関係も横たわっているに違いありません。
    それを理解するには、もっと勉強しないといけないのだろうけど。

    爆撃によってめちゃめちゃに破壊された地上と、巨大な地下水道の対比も実に面白い。あの地下水道は、過去のウィーンの力を象徴しているとも、あるいはナチスの陰とも読み取れます。第三の男がその地下水道で追跡にあい、結局地上にでることなく殺される事にも、なにか意味があるのかもしれません。

    すでに観た映画でも、その舞台となった土地を訪れてから再び鑑賞すると、さらに感慨深いものになるよい例でした。そして、もっともっと読み解きたいと興味がそそられる。名画とはそういうものなのでしょう。

    2012.7.18

  • 「きょうの料理」古代ローマ編:ロンドン博物館

    「フライパンにオリーブオイルをちょっととたらして、おだんごにまんべんなくこげ色をつけます。いい色になってきました・・・」

    料理番組かしら?いいえ、ここは博物館。古代ローマの展示室の中です。TV画面の向こうには、古代ローマ時代の一般家庭のキッチンを再現した展示があります。そこに展示されているものは、もちろん本物の考古学資料。

    なるほど、古代ローマの料理の再現ってわけね?ってことは歴史家か料理家がさもなきゃ学芸員がデモンストレーションしてるって事?


    確かに古代ローマのスィーツの作り方なんですが、画面の解説者は、ちょっとシャイな男の子で、試食してるのもその仲間。
    これはロンドン博物館の新しいプロジェクト、ティーンエイジャーを展示作りに巻き込もうという試みなのです。他コーナーでも、同じような展開がくりひろげられています。

    例えば、化粧品の道具や材料の展示コーナーでは、古代のおしろいの作り方を高校生たちがやっている映像が考古学資料とともに展示されている。


    古代のメッセージが書かれた石片のわきには、フェイスブックのページを示したiPad がおかれている。ローマ時代が斜陽し、社会的問題が生じた頃の記念碑のわきには、授業料値上げを実施した政府に抗議するプラカードが掲げられている。


    ワインの壷やガラス器などのわきには、キッコーマンしょうゆなどスーパーマーケットで入手できるさまざまな輸入食材が並んでいる。どれもこれも、現代の若者による考案を元にしているのです。

    博物館はもっと専門的で正統的なものであって、こんな若年思考でごちゃ混ぜにされてはかなわない、という声もあるでしょう。
    確かに、このつながりって無理があるんでないのという箇所もありました。展示全体の一貫性が保てないというマイナスもあるでしょう。


    でも、こういう展示をすることのプラス面に、むしろ目を向けたい。重要なのは、古代ローマが一般来館者にとってもっと身近なものに感じられることです。共通点や違いをみつけたり、市井の人々が現代人と同じ悩みを抱えていた事や、人生や社会に対する個人的なチャレンジを、新鮮な目を通して感知することができる。


    もうひとつ、博物館にとって大事なのは、ティーンエイジャーを巻き込むことなのかもしれません。というのも、この世代はミュージアムにとって最も難しい世代。

    子供たちなら学校や親が連れてきてくれる。大人になれば、彼ら自身の興味で訪れてくれるだろう。ところが、ティーンエイジャーからすればミュージアムなぞもっともしらける場所で、逆に言えば、ミュージアムにとってはもっとも手ごわい世代なのです。

    でも、この世代を大事にすることによって、将来的に層の厚い来館者を作ることができます。欧米の博物館で、ティーンエイジャーを巻き込むかようなプロジェクトが増えてきたのも、そうした理由からかもしれません。

    さまざまな取り組みが行われる中で、数々の問題点が生じているのも事実。ですが、ロンドン博物館のそれは、常設展示にさえその動きを積極的にとりいれた斬新な試みだといえるのではないか。小さな問題点はさておき、わたしは、そのことを評価したいのです。

    2012.7.6

  • 「目に見えない」展覧会

    「Invisible ―目に見えない」という展覧会がヘイワード・ギャラリーで始まっています。どんな作品があるのかは、もうご自分の眼?で確かめていただくより他ないー
    何ていったら、このブログが成り立たないので、目に見えるようにざくっとご紹介しましょう 

    ますは、1950〜60年代のアメリカから。イブ・クラインは、「空気の建築」という構想を作って、そのプランをインクでスケッチしました。

    オノ・ヨーコは、詩的なメッセージを壁に張って、見る者に想像力でもってイメージを結ばせました。

    アンディ・ウォーホールは、NY のナイトクラブに台座を設置し、そばの壁に「Andy Warhol, USA/ Invisible 目に見えない彫刻   mixed media 1985」というラベルをつけ、台座の上でしばらく立つと、やがて立ち去りました。

    中国系アーティストSong Dongは、「石の上に水で書く日記」というのを1995年いらい今も続けています。面白かったのは、すぐに消えていく文字を重ねながら、その日記がますます自分自身になり、厚くなっていくという作家の言葉。

    政治的なメッセージがこめられ、この展覧会ではいちばん重かったのは、メキシコの現代作家Teresa Margollesでしょう。
    彼女は、メキシコの犯罪の町で、実際に犯罪が行われた場所の舗装道路を穿ち、そこに犠牲者たちの家族が思い思いのものを埋め、またコンクリートで固めて、もとのような状態に戻したーというプロジェクトを記録したものでした。

    もっとも痛快だったのは、英国のアーティストBethan Huwsによる「from NY toSan Fransico to ・・・」という作品。 展覧会場の出口のそばにラベルがあるだけ。そこには、この展覧会場である「人」が、まるで他の来館者と同じように歩き回っているのだそうで、つまりその人やその行為自体が作品だというわけです。

    どれもこれも、なんだか狐に抓まれたような作品ですが、これのどこがアートなのよ、とか、こんなんでよく入館料払ったね、なんて思われるでしょうか?

    わたしは、そうは思いません。なぜなら、ここに来ている人たちはわたしを含め、騙されるのを承知で、いやそれを楽しみにきているからです。


    美術家というのは、こういうばかばかしい?ことを、真面目くさってトコトンやる人たちです。だからこそ、そこにユーモアが生じたり、ちょっと待てよと私たちが日常忘れてしまっていることに気付かせてくれるのでしょう。

    こんな展覧会があってもよいではありませんか。特に夏には、その考え方自体涼しげでいい。

    2012.6.29

  • アフリカのシェークスピア

    このブログの主たるテーマは展覧会・美術・ミュージアム関連にあるのですが、今日は、先日ストラッドフォード・アポン・エイボン(英国)のロイヤル・シェークスピア劇場で観た演劇のことを、ぜひともお話したいです。

    鑑賞したのはロイヤル・シェークスピア・カンパニーによるシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」。それを「アフリカ」という観点から演出したもの。


    この「ジュリアス・シーザー」は、手の込んだ舞台装置やサーカス的な要素や映像の活用など一切なく、台詞もオリジナルの古い英語をほとんど変えていません。言い換えれば、シェークスピアが書き下ろした戯曲にアレンジを加えず、素のままの「演劇」づくりに徹していました。


    しかし、演じるのはすべてアフリカ系黒人の役者たち、エキストラの大半もアフリカ系移民でした。キャスティングには大きな意味があります。つまりこのプロダクションは、紀元前のローマを舞台に16世紀の英国人が描いた演劇世界が、どのように現代のアフリカ社会に響くのか、その文脈の中で読み解くことができるのかを、わたしたちに問いかけているのです。

    例えば、最初のシーザー凱旋を迎える市民たちのシーンは、観る者の頭の中で、力ある政治家を音楽や踊りで陽気に讃えるアフリカの人々の様子に自然に置き換えられる。


    パワーを巡るシーザーと周囲の元老院の人々との摩擦や背信は、アフリカ独立後の独裁者やそれをとりまく権力争い、裏切り、それに続く殺戮を彷彿とさせる。
    シーザー暗殺後の有名なブルータスやアントニーの演説のシーンは、パワーが雄弁と密接に結びつくこと、それによって人々がいとも簡単に騙されることを思い出させる。


    しかし、ここに善悪の二極はありません。パワーを巡って、それぞれがそれぞれの立場で、己の信条や運命を生き抜いていく。シェークスピアの描く人物像はどれも両義的で複雑だからこそ、真実味に裏打ちされ、登場人物のだれにでも感情移入ができたのかもしれない。同時に、その両犠牲や脆さを役者たちも、実にうまく表現していました。

    古代ローマから現代アフリカへの置き換えが、観る者の中で自然になされたのは、演出が戯曲に忠実だからに相違ありません。そしてなにより、そういう出来事や感情を、演じるアフリカ系の役者たちが、直接的にも間接的にも彼らの実人生の記憶に深く刻み込んでおり、パワーをとりまく人間の愛憎や弱さや悲しみや苦しみもよく理解しているからこそ、シェークスピアの言葉が彼らのアフリカ訛りの英語を通して、観客の心に生き生きと響いてきたのではないかと思うのです。わたしも、いくつかのシーンで、南アフリカに住んでいた時の個人的な思い出と重ねながら観てしまいました。


    たとえば、シーザーが数名の暗殺者たちによってメッタ刺しにされた後、その亡骸を囲みながら、アントニーがシーザーの衣装を市民に見せ、この傷はキャシアスによって、この傷はキャスカによって、この傷はブルータスによってなされたのだと示すシーンがあるのですが、それを見ながら、ケープタウンのタウンシップ(黒人居留区)で知り合った40代の女性が、アパルトヘイト時代、彼女の父親が黒人警官(体制側)であったため、又たいへん頑強だったために、黒人同胞たちに数十箇所も刺されて死んだことを、そして、その彼女が同じ町に今も暮らし、コミュニティーに重要な貢献をしていることを思い出してしまったのです。


    飛躍のしすぎと思われるでしょうか。でも、南アフリカの人々にとって、政治的なパワーに巻き込まれ翻弄され、自らも加担し、傷つき、乗り越えていかざるを得ない現実が、劇場の世界ではなく、彼らの日常と背中合わせにあったことに、どうしても思いが至ってしまう。そして、今この時も世界のどこかで起きていることに気付くのです。

    このように現在の人の心をうつのは、シェークスピアの戯曲が時空を越えて普遍的であり、そしてそれを十二分に生かした素晴らしい演出と素晴らしい演技、それを支えたアーティストたちのコラボレーションであったからに他なりません。
    このプロダクションが、いつに日にかアフリカ諸国を巡り、市井の人々の目の前で演じられることを期待して。

    2012.6.25

  • パーソナルな経験を展示にする:国立海事博物館

    ロンドンのグリニッジには、世界で最大級の国立海事博物館があります。近年、そこで大掛かりな拡張工事が行われ、新しいエントランスをもつSammy Ofer翼が完成しました。今日は、その新しい常設展示室のチャレンジについてお話したいと思います。

    Voyagers:Britons and the Sea (航海する人びと:英国人と海)と題されたギャラリーに入ると、いきなり部屋全体を占領する巨大なスクリーンに出くわします。スクリーンは、多面体を解体したような様々な角度をもつ三角形で構成されていて、一つの帯のように繋がっています。画面にはいろいろな言葉や映像が流れ、波をイメージしているのでしょう。

    解説によれば、この映像は、ミュージアムの300点ものコレクションやアーカイブをソースとして、6つのテーマ、すなわち技術、不和、レジャー、探検、貿易、航海術、のもとにグループ化され、編集されたとのこと。具体的には、航海図や航海日誌、国旗、戦争、海のレジャー体験を表したイメージが、寄せては消えまた寄せてくるというわけです。

    映像を駆使する展示テクニックは、昨今、帝国戦争博物館やロンドン博物館など、欧米のさまざまな博物館で採用されるようになりました。特徴的なのは、映像を展示の一角で説明的補助として使うのではなく、展示室全体を覆うように照らし出し、展示の主要素として利用することですが、この手法に関して、博物館関係者の間でもさまざまな論争がおこりました。

    一言で言ってしまえば、賛成派は新しいテクノロジーを展示の語りに導入した挑戦にエールを送るのであり、反対派は、それによって従来の「もの」を通しての語りが損なわれてしまうことを危惧するのです。


    わたしは、基本的には後者の立場をとります。
    これまでのところ、その導入自体が、来館者の経験を乱してしまう危険の方が強いと確信した事が少なからずあるからです。

    今回も、そのように映像を展示の中心的語り部としているわけですが、反対派の声を反映したのか、少し工夫が凝らされているようにも思いました。部屋に入るやいなや映像が圧倒的に訴えかけてくるのですが、そのバックには従来の「もの」による展示が並んでおり、そちらの方を見学する際には、鑑賞を妨げないように、映像のセッティングが考慮されていたからです。

    映像展示の是非を巡るディベートはさておき、その「もの」による語りの方が、わたしには革新的で面白かった。というのは、その展示が例えば教科書のような、社会史的あるいは科学史的な展開を追うものではなく、「人々の経験」にテーマが据えられていたからです。


    経験をテーマにするとは、少し抽象的に聞えるかもしれません。例えば、「期待」とか「悲しみ」「愛」「攻撃」など、海を巡って人々が経験した感情というものを、時代の垣根を越えて織り成してみせるのです。


    そこには、エリザベス女王やネルソン提督など歴史上の人物の海との関わりが、一介の船乗りやタイタニック号の生還者などの経験とともに語られる。手紙や手記、スケッチ、お土産、写真など彼らが残したパーソナルな「もの」を通して。

    ひとつの展示室で扱うには、かなり大きなテーマには違いありません。しかしながら、博物館のもうひとつの入り口のギャラリーとしては、来館者が親近感をもって入っていくことのできる、
    よく考えられた導入ではないでしょうか。

    さて、この第二の入り口は、第一の入り口と、別な意味でも違う貌をもっています。新しい玄関の外に、ナイジェリアの血をひくアーティスト、ユンカ・シュニバレによる大英帝国の負の歴史を語る作品(海事博物館が購入)が備え付けられているからです。
    この作品は、ホビークラフトでおなじみのボトルの中の帆船を巨大化したもの。


    しかも、その帆船、アジアやアフリカ貿易の対象になった独特な柄のろうけつ染めの布地でできています。昨年、ロンドンにいらした方ならば、あのトラファルガー広場のネルソン総督の記念塔のそばに、しばらく備えられていた作品を思い出していただけるでしょう。


    つまり、英国の航海の歴史には、植民地支配や奴隷貿易など暗い過去が歴然とあること、そのレガシーがいまだに現代社会にも横たわっていることを、わたしたちに挑戦的に喚起させるのです。

    2012.6.20

  • レオナルド・ダ・ヴィンチの桃太郎

    レオナルド・ダ・ヴィンチの桃太郎

         © クィーンズ・ギャラリー

    ロンドンの、クィーンズ・ギャラリー(現在はキングス・ギャラリー)で「レオナルド・ダ・ヴィンチ:アナトミスト」が行われています。英国王室のコレクションには、大量のダヴィンチの素描があるのですが、今回の展覧会は人体の解剖学調査のための記録スケッチに焦点があてられたもの。

    周知のように、彼は絵画だけではなく、彫刻、建築、音楽、解剖学、エンジニアリング、地質学、植物学など広範囲にわたって人間や外界を理解しようと探究をした、いわゆる「ルネサンス人」です。

    展示された素描の一点一点からは、人体の構造だけではなく、生命のなぞに対してやむなき探究の精神が感じとれます。それらのいくつか、たとえば筋肉のつき方や骨格や神経のつながりなどを描写した作品群は、現代の医学の目から見ても、かなり正確なのだそうです。


    ダヴィンチが引き取り手のない死体を受け取って、自らメスをとって解剖をしたことは有名で、そこには、彼のエンジニアリング(動きの研究)や、人間に対する深い観察力と、なにより描写力がみごとなまでに融合しており、単なる解剖学書の解説図を越えているといっても過言ではないでしょう。

    わたしにとって最も興味深かったのは、女性の体の中の胎児を描いた素描でした。厚い殻に覆われた球体のなかに、胎児が臍の緒をからませて丸まっている不思議な図です。こちらの方は、科学的真実からはかなり的がはずれているのですが、それもそのはず、なぜなら、妊娠した女性の体を解剖することは適わなかったからです。

    そのため、ダヴィンチは、牛の子宮を人間の子宮に見立ててこれを描いたのだそうです。もちろん、牛の子宮は手にとって観察することができるし、また、動物と人間は生命的には同じ構造体をもっていると考えられていましたし。

    そこには現実的な障害とのジレンマの中でできうる限り科学的なアプローチをしようという生命の問いに対する並々ならぬチャレンジが伺えます。

    ところでこの擬似子宮、わたしには動物の臓器というよりも、木の実の殻のように見えてなりません。ここには、植物の生命にも関心があったダヴィンチのものの考え方が反映されていると言ったら言い過ぎでしょうか?

    実は、思わず桃太郎を思い出してしまい、ひそかにほくそ笑んでしまった次第です。

    2012.6.12

  • クリムト生誕150周年のウィーン

    2012年初夏、ウィーンの街は、クリムト生誕150周年記念で賑わっていました。街には、いたるところにクリムトのイメージが溢れ、美術館は特別展を企画して、彼の業績を称えています。

    興味深かったののは、各美術館が手法を凝らして、違う角度からクリムトの作品や、アーティスト自身、そしてウィーンや世界に残したレガシーに光をあてていたこと。当たり前といえば、そのとおりですが、はっきりとテーマを打ち出し、美術館同士がコラボレートしていたのは、さすが歴史ある芸術の都と感服しました。

    例えば、もっとも人気のある美術館「ウィーン美術史美術館」。ここには、玄関ホールの天井高いところに、クリムトが描いた壁画があります。今年は、そこに臨時の足場が組まれ、間近で鑑賞できるようになっていました。それは、古代エジプトから現代までのアートの流れを象徴的に語る壁画。クリムトの手によって、ファラオの時代の高貴な女性が、独特の甘美な表情とともに20世紀に甦ったかのようです。

    壁画といえば、セセッション(分離派協会)の有名な「ベートーヴェン・フレーズ」のことが思い出されるでしょう。
    果たして、ここにも、臨時の足場が組まれていました。この壁画(やはり天井近くの壁に描かれている)は、「人類の幸福への憧れ」がテーマになのですが、シンプルに響くこのテーマに、人生の微妙な色合いが織り込まれているのが、手に取るようにわかります。

    有名な「接吻」は、ヴェルヴェデーレ宮殿にあり、彼のほかの作品といっしょに展示されていました。他の展示室はそれほどでもないのに、この部屋だけは人がいっぱいで、館のスタッフが人の流れをコントロールしていたほど。わたしは天邪鬼なので、あまりに有名になりすぎると、逆に関心が薄らいでしまいがちなのですが、間近で見ると、彼独特の女性への賛美に心動かされます。その女性を前に、どうにもコントロールのできない男としての自分も赤裸々に描いています。

    レオポルド美術館は、彼の作品をその人生と照らし合わせてみせていました。パートナーであったエミリエ・フローゲに宛てた何百通もの手紙や、写真、彼が使った家具などといっしょに彼の作品が並べて展示され、アーティスト、クリムト像をさまざまな角度から理解し、かつ、生涯の時々に生み出された作品の背景、そしてウィーンに与えた影響を理解できるように工夫されています。展示のしかたもとても斬新で、目をみはるものがありました。

    でも、わたしが最も興味深かったのは、アルヴェルティナ美術館の展示でした。クリムトの素描だけを集めて、ラフに時代順に追うシンプルな展示です。クリムトというと、金色をふんだんに使った色鮮やかな装飾的絵画のほうが思い出されますが・・・、思えば、これだけの彼の素描をまとめてみるのははじめてでした。その一点一点が、実に生き生きとしていて、彼の表現に対する精神が如実に表れている。まさに、色づけされて飾られた絵画の奥底に、人生や女性への思いが流れていることを、筆の動きだけから感じることができるのです。

    正直いうと、はじめアルヴェルティナはあまり期待をしておらず、ウィーンの最後の日にとっておいたのですが、先にこれを見ておけば、他の絵画や壁画への鑑賞が違ったかもしれません。

    このように、街をあげて、ひとりの芸術家を違う角度から見せること、そこには、各美術館のテリトリーを越えるみごとな連携プレーがありました。そして、そのように表象することが、また、それを受け止めることが、ウィーンのアイデンティティを築く助けになっているに違いないと思うのです。

    2012.6.11