投稿者: Opekepen

  • 素晴らしく裏切ってくれた「ターナーと海」展:ロンドン海事博物館

    グリニッジにある国立海事博物館で開かれている「ターナーと海」展がかなり盛況らしい。この展覧会のポスターをみた時、なるほど、海の博物館でやるターナー展だから、きっと美術館とは違って、ターナー作品と海にまつわる道具や船などの海事資料がいっしょに展示されるのだろうと思い込んでいた。それはそれで面白い企画に違いない。 欧米はもちろん、昨今では日本でも動物園と美術館のコラボレーションなど様々な企画が活発になっている。

    先日、やっとグリニッジにまで行くことができた。ところが、先の期待をもちつつ、展示室に足を踏み入れるとどうやら様子がおかしい。すぐにわたしはとんでもない思い込みをしていたことに気がついた。海にまつわる道具と絵画の並列など見られず、展示室はすべてターナーの絵画作品(80%)とそれをサポートするような関係のある画家(20%)の作品で埋め尽くされていた。そうして、それも当たり前のことではないかと合点がいったのである。

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    海事博物館が「海」を物語るのならば、ターナーという巨匠が追求した「海」の作品世界だけで展覧会を構成して、なんの不都合があろうか。仮に、展示が海事関係の「もの」と並列していたら、彼が絵画の中で表現した世界観が薄まってしまったかもしれない。ターナーはその世界を薄めてはならない巨匠だ。そう気がついたら、わたしの先入観が鑑賞を妨げていたような損をした気分になり、はじめからもう一度作品一点一点をみていくようココロを入れ替えたのである。

    全体的によく創られた展示であった。なにより、「海」をテーマにした作品だけを、イギリス本国だけではなく、アメリカ合州国やオランダ、ポルトガルなどから集めてきて、ひとところで一度にみることのその贅沢。展示構成は、ゆるやかに、彼の画歴を追う流れになっている。 水彩画に秀でた若き天才が、初めて油絵に挑戦したのも、海の作品、「Fishermen at Sea」だ。 月の光に映された海のなんとミステリアスで深遠なことか。畏怖の念を抱かせ、同時に小船を包み込む懐の深さがうまく表現されている。

    作品を見ながら、自ら荒れ狂う海の船に乗り込み、船長に頼んで、自分の体をロープでマストに括りつけ、嵐のなかを長時間もスケッチしたという、逸話を思い出した。目だけではなく、体まるごと海や自然の驚異の中に入り込み、それをキャンパスの中でアートとして再現したのである。そうして、後年は、具体的な細部は削られ、エッセンスだけが凝縮されていく。まるで数十年後にフランスでおこる印象派を先取りするような。

    展示構成に話を戻せば、最後から二番目の小さな展示室が彼の残した海のスケッチや水彩画だけを集めていたのも、とてもよかった。 油絵でみられる抽象的な表現が、スケッチの段階から何度も何度も彼のなかで繰り返されていることがわかる。そうした積み重ねが、より大きなキャンパス、油彩という画材に挑んだとき、結実するのだろう。

    ちなみに、わたしが思い込んでいた海事資料とターナー絵画の並列だが、展覧会のリーフレットでちゃんと試みられていた。 リーフレットを開けば、展示されたターナー作品の写真の隣に、それに関連する資料、たとえば、漁船のための水先案内のランプとか、ネルソン総督が着ていた軍服とかが、並んでおり、常設展示室のどのギャラリーにいけばそれがあるかも書いてある。 さりげない誘いである。

    (15/03/2014)

  • 白熊(はくま)祭り

    昨秋、イギリス人パートナーとロンドンに住む台湾の友人と三人で、九州を旅した。彼らと一緒だからこそ、違う視点から自分の生まれたくにや文化がみえてきて、とても新鮮な経験だった。それらのいくつかを、Facebookで、「エゲレス人の見た日本シリーズ」と称して紹介してきたけれど、今日は、このブログで、そのマトメでもしてみよと思いたった。

    旅で、つくづく見直したこと、我ながら誇らしく思ったことは、このくにの地域文化の豊かさである。同じ九州だって、町がかわれば、食材が違う、川をひとつ越えれば、温泉の色や匂いが違う。 小さな町や村が、それぞれの文化を色濃く残していて、人々がそれをとても大切にしている。こーんな地域文化の豊かさは、イギリスにはない。ほんとにない。もちろん、地域の方言や名物はそれなりにあるけれど、日本のその多様性に比べたら、うすぺらで、平坦とさえいえる。

    なんでだろう?ひとつはっきりしてるのは、地形の複雑さ。このくにには豊かな自然がある、高い山々があり、谷川があり、海に囲まれている。島は縦に細長く、地域によって違う気候がある。地球の歴史のなかでも新しい土地だから、火山や温泉がある。そこには、多様な生物の営みがある。それがきっと、違う風景をうみ、違う感性を育て、違う食文化を育むんだろうなあ。

    ええとこあるやろ~? こんなんないやろ、イギリスに? 台湾だってかなわんちゃう?なあんて、思わず心の中でつぶやいてしまった。で、なぜか関西弁。

    「エゲレス人の見た日本シリーズ」の最後に、彼らもわたしも一番印象深かったものをご披露したい。それは、大分は湯平という風情ある温泉街のお祭り「白熊(はくま)祭り」、いわゆる収穫祭だ。

    夜の8時ぐらいから深夜にいたるまで、石畳の温泉街を子供たちの鼓笛隊や、男性の優雅な踊り、豪快なお神輿担ぎが練り歩き、家々を祝福してまわる。「志美津」というもてなしの宿で、繊細かつ独創的な夕食をいただいてから、下駄を鳴らしてお祭りの隊列に追いついた。見ていて、ああ、これは観光客向けではなく、地元の人による、地元の人のためのお祭りだと分かった。慣れない浴衣を着たわたしら三人グループが、高台にある神社のクライマックスまで、しぶとくついていったら、祭りの中核のおひとりが、声をかけてくれた。

    「どこから来たの?」

    「イギリスです」

    「あー、遠くから来てくれたんだね。自分、ラグビーするんだけど、イギリスのラグビーってのは、頭使わないで体当たりだね」

    「あ、僕の父もラグビーやってました」・・・

    そういや、お神輿担ぎの岸和田祭りにもつながる豪快さは、ラグビーのタックルのようだった。最後までついてきたことに対して逆に感謝されてしまい、特別な御祓いや、お神酒までご馳走になった。

     湯平の文化が末長く続きますように。 


    <白熊まつり:湯平温泉街石畳の坂道で> 風情ある温泉街の石畳の坂道を、お祭りの隊列が進む。重いお神輿を担いだ若者たちが、狭い道イっパイ駆け巡る。その勢いがあまりにすごいので、見物人は道の両脇に張り付いてる。

    <白熊まつり:湯平温泉神社 クライマックスその1> 200段以上の階段を上がったところにある谷川神社の境内いっぱい、お神輿を振り回すとてもエネルギッシュなイベント。最後は、お神輿を神社に投げ込むようにして、安置する。終わった後に、感涙する若者もいるとか。

    <白熊まつり:湯平温泉神社 クライマックスその2> お神輿が、神社に帰った後は、長い棒を操るとても優雅な踊りで締める。棒の先の白い房から、白熊の名前がついたという。

  • 新しいアムステルダム国立美術館

    十年の歳月をかけて大掛かりな改装工事をしていたアムステルダム国立美術館(Rijks Museum)が、2013年4月にリニュアルオープンした。昨年11月にオランダを旅した折、わたしとしても十年ぶりに訪れる機会を得ることになった。

    この国立美術館は、いやゆるオランダの黄金時代といわれる十六世紀芸術で有名だ。レンブラントの「夜警」もここにある。しかし、ここで、その素晴らしいコレクションについて語る気はない。それよりも、この美術館が挑戦した美術館としての「新しい空間づくり」について、お話したい。

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    まず驚いたのは、エントランスである。伝統的なミュージアムは、まず例外なく、正面に階段があり、それを上がって入っていく構造になっている。

    それは、ミュージアムは「美の殿堂」であるべきだという考え方からきている。神殿に入るように厳かな気持ちになるよう演出されているわけだ。この美術館は、ルーブル美術館に倣って、1885年に造られたのだが、同じようにその定石を踏んでいた。

    ところが、外観は昔のままにしながら、リニュアルしたこの美術館では、エントランスがガラッとかわったのである。写真からもわかるように、石造りの建物の中央にアーチ型の屋根の三つの通路があるが、自転車も行き来するその通路にはいっていくと、その両側に大きなガラス張りの壁面があり、そこから、外光のはいる明るいホールが見渡せるようになっている。反対側には、ひろびろとしたレストランや人々の寛いでいる様子が手にとるようにわかる。

    ようするに、ここを訪れた人はまず、この美術館の開放的な空間に引き込まれ、そして、ガラス戸扉を開いて、階段を「降りていく」=「浸っていく」のである。

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    この最初の入り方は、来館者の心理的な経験を変えるにちがいない。

    かつての美術館の空間は、崇高な気持にさせられたり、圧倒されたりするものだった。それは、時に、精神的な疲労を導く経験だった。そもそも、美術との出会いはそのような崇高なものであるべきだと考えられていたからだ。

    ところが、近年、そうした伝統的な美術館のあり方に疑問が投げかけられるようになった。もっと、明るく、オープンで、親しみやすいものになってきている。言い換えれば、まず芸術がありきではなく、それと出会う人々の経験を重視しようと試みはじめているのだ。

    私自身も、その入り方が、その後のギャラリー内の見学に少なからず影響を与えたように思う。 加えて、ギャラリー内の構造も配慮が行き届いていた。シンプルでわかりやすいルートづくり、ひとつひとつのギャラリーの適度な大きさと、適度な展示物の数、ところどころにおかれたベンチ。

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    また、従来のように、絵画なら絵画だけとか、陶磁器なら陶磁器だけというような、衒学的なジャンル分けがなされるているのではなく、大雑把な時代ごとに、その時代に生み出された物が、絵画でも陶磁器でも家具でもいっしょに並べられているのも、新鮮だった。

    そういう構成はややもすると、ごちゃごゃした感じになるが、そうではない。むしろ、とても有機的で心地のよいものであった。ある時代を知るうえでも、その変化を見る上でも有意義な見学になった。

    難をいえば、もうすこし、レストランとかカフェテリアの空間が広くて、トイレももっともっと要所要所にあればよいと思ったけれど、贅沢はいうまい。まずは、来館者の経験を中心にすえて配慮された新しい美術館の誕生におめでとうを送りたい。


    (22/01/2014)

  • Chinese Painting を知る@ヴィクトリア&アルバート美術館

    中国美 術を知っているかと聞かれたら、いや、ほとんどと答えるしかない。典型的なイメージは浮かんでも、その長い歴史についてはなおさらだ。ヴィクトリア&アル バート美術館(V&A)で開催中の「Chinese Painting 700- 1900 」は、イギリスでも始めての総括的な展示であった。

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    (c) All Art News

    まず、ハッとさせられたのは、中国での風景画の風格だ。美術史に通じた人なら、ヨーロッパでは風景画というジャンルがずいぶんと遅れて発達したことをご存知だろう。はやくて15世紀末ではないか。ルーベンスが大きな風景画を描いたけれど、それは注文ではなく、自分が楽しむためであって、すでに巨匠となっていたからできたことだった。風景は、より上格にある物語画や宗教画の背景でしかなかったのである。

    それが中国ではなんと11世紀にはりっぱなジャンルとして確立していたというわけだ。改めて作品を眺めてみれば、目の前の風景の描写というより、そこには空気やCOSMOS(宇宙)さえもが表現されている-そのスケールのなかに、旅人など人間の営みを小さく添えて。自分を取り巻く世界の捉えかたが西洋のそれとは全く違うのだ。一幅の巨大な墨絵を見て、わたしはうなってしまった。

    西洋絵画には見出せないジャンルもある。「文人画」というやつだ。絵と詩が一体化した独特の表現。中国の文人画家たちは、絵の表現技術を磨くと同時に自身で詩作をし、それを書にしたため、融合した芸術を創ることを追求した。絵の心と詩の心が一つになってはじめて生まれる芸術だ。今回わたしが足を止めたのは、蘇東坡の有名な詩と風景画を融合させた十数メートルにおよぶ巻物だった。かつての愛好家たちは、この巻物を少しずつ繰りながら、独特のヴィジョンのなかに旅をしたに違いない。

    興味深いことに、V&Aの展覧会場の一角で、16-18世紀ごろの日本がいかに中国絵画-特に文人画を敬愛していたかについて具体的に説くコーナーがあった。展示品のいくつかは、なんと大阪の市立博物館など日本の博物館から借り出されたものだ。確かに、歴史を通して日本人は中国の文化からたくさんのことを学び、それを手本としながら、独自の表現法を探ろうとした。そして、ハタとわれを振り返ってみるのである。なぜ今のわたしたちは、中国の美術についてほとんど知らないのだろう?

    そのように仕向けたのは明治初期の文化のリーダーたちだった。当時、いきなり世界と向き合うことになった日本は、いわゆる脱亜入欧路線を突き進んだ。美術についても、躍起になって西洋の芸術観や技法を取り入れようとしたり、あるいは逆に大和絵をもとにした「新しい伝統」を創ろうとした。ところが、書と絵が一体になった「文人画」は、その新しい考え方には全くそぐわなかったのである。乱暴な言い方をすれば、明治は中国や韓国との紐帯を打ち捨てようとしたのだ。それを先導したのが当時の日本の博物館・美術館だった。学校教育も同じ方向性をとった。

    それが、わたし自身をはじめ大半の日本人が中国の壮大な世界観、その美術の歴史を知らない、一つのしかし重大な理由ではないか。 かつてわたしたちがあれほど敬愛し、学び、さらに新たな表現として昇華しようとした文化にもかかわらず。 

    そのことを振り返り、加えて関係性の危うい今だからこそ、改めて中国の美術について学んでもよいのではないか、と考える。実は、今春、自著が出版される予定なのだが、そのあたりのことにも触れている。どこかで『美術館とナショナル・アイデンティティ』(仮題)の本をみつけたら、ちょっとページを繰ってみてください。

    思わず宣伝をしてしまったが、もう一度、V&Aでの展示に戻ろう。もうひとつ、今回の展覧会で学んだことがある。それは、巻物という表現の特異性だ。 これは西洋のキャンバスや壁画、東洋でも掛け軸などとは全く違う表現形態だ。違いを一言で言うなら、後者がよりパブリックで常態として展示されるものであるのに対し、前者はもっともっとプライベートで一時的に鑑賞される形態であることだ。

    V&Aでは、かなり長大な巻物がたくさんあったが、どれも巻物をずらーと引き出して展示していた。だが、これは本来の鑑賞の仕方ではないだろう。所有者は、自分が愛でる巻物を美しい箱の中に保管しており、何かの折を見つけては、それを箱から出し、その紐を解き、ゆっくりすこしずつ巻きとりながら、そこに展開する世界を楽しんだに違いない。それは、なんと親密で至福の時だったことか。

    実のところ、巻物は展覧会向きではないのかもしれない。それでも、わたしたちは、暗い展示室内で背をかがめ、少しずつ歩を進め、友といっしょに目にはいったところを指さし、語らいながら、長い巻物を歩いて楽しむのである。それはそれで、まるで自分たちがそこに描かれた風景の中に旅するような体験であった。


    (03/01/2014)

  • 大英博物館で「春画展」をみて誇りに思ったこと

    「春画」-このタイトルに興味をもった皆さんは、春画とは何かもうご存知だろう。

    日本なら、今でも秘められた絵である。実は、私の父も持っていた。でも、金庫に隠されて、わたしら子ども目に触れることはなかった。

    その春画が、この秋、堂々、世界に冠たる大英博物館で公開されている。

    いわずもがな、多くの人々に鑑賞してほしいとの大ミュージアムの望みからである。

    -先日、見学をおえて、ほんとうにそのとおりだと思った。

    この展示を見て、個人的に思ったこと四つ。

    一つ。

    わたしにとって、春画といえば、北斎や広重ら有名な絵師たちも手がけた江戸期の版画という認識だったけれど、実はなんと17世紀まで遡ること、そんな長い歴史があることを、今回はじめて知った。

    色絵刷りの巻物 (当時、版画という技法はまだ確立されていない)に、高貴な方々の、愛のシーンがまざまざと描かれている。

    すごいと思ったのは、普通、絵巻ものは、絵と言葉が融合された表現だけれど、展示でみた多くは、いわば愛のハイライトシーンで、絵だけが描かれていて、言葉がないこと。

    まるで、ヒッチコック映画である!

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    ふたつ。

    性に対する日本人のおおらかさ。

    おそらく、同じシーンを19世紀の西洋が描いたなら、

    もっと暴力的になるか、さもなければ、卑猥で後ろめたい事として表現されたことだろう。

    もちろん、日本でも、江戸も後期になれば、次第に春画に対してタブー視がなされるようになったという。

    だが、ひとつの作品のなかで表される、恋人たちの愛の営みが、なんと美しくリラックスしていることか。

    彼らの表情もさることながら、わたしは、衣服の紋様や襞の美しさ、そこに包まれる肉体の白さや線の美しさ、そして、もっとも中心たる恋人たちの接点を描いた入念さが、みごとなハーモニーをつくっていることに、目をみはった。そして、それによって表現される、恋人たちの互いのとろけるような親密さ。

    また、展示には、同性愛者たちの、リラックスした愛のシーンもたくさん紹介されていた。

    そう、あまり知られていないけれど、少なくとも江戸初期の日本社会は、そのような性の多様性におおらかであった。

    三つ。

    どのような場でそれを観るかで、受け止め方がずいぶんと違うだろうこと。

    わたしが、今回、春画というものを上のように見ることができたのは,ひょっとしたら、これが、ミュージアムという場だったからかもしれないと思う。これが、もし、もっとプライベートで閉鎖的な場だったら、受け止め方はずいぶん違ったのではないか。

    わたしが見に行ったときは、大英博物館のひとびとは、結構、中高年の男女が多かった。彼らはどのように観たのかしら?

    いずれにせよ、作品というものは、それを観る環境で受け止め方が、ずいぶんと違うことを、今回、改めて考え直した。

    四つ。

    この展覧会のハイライトは、北斎の有名な絵、美人と蛸の性交を描いたものと、歌川国芳の女性器をものすごいクローズアップで描いたものだ。

    前者は、エキスタシーの女性のすごい濃厚な表情が息を飲まんがばかりで、とても印象深いものだった。さらに、わたしが驚いたのは後者。まず、そのような対象に迫るものを、この日本の画家が挑戦していたなんて、まったく知らなかった。

    それをみて、ついつい、わたしは、クールベの「世界の始まり」と題した、女性器のクローズアップの絵画(オルセー美術館に展示されている)を思い出した。

    が、クールベとはまったく、違うのだ。

    国芳のほうは、もっともっとユーモラスで、リラックスしている。同じ対象を捉えながら、社会主義者であったクールベのような深刻さは微塵も感じられない。

    それでいて、ちゃんと、絵としてのコンポジションが深く考えられている。まさに絵師である。だから、ピカソもビアズリーも魅了されたのだ。

    ところで、大英博物館はこの展示を日本に持っていって、どこかのミュージアムで展示したいと、ずいぶん探しまわったらしい。

    ところが、本国、日本のミュージアムは、どこもそれを受け入れられなかった。(すくなくとも今の時点では)

    日本の社会がもっていた、あの性に対するおおらかさは、今はないのだろうか。

    とにもかくにも、この春画展をみて、久しぶりに日本の文化の深さに、不思議な誇りをもったわたしです。


    (14/11/2013)

  • 戦争を語る展示2:広島平和記念資料館

    広島平和記念資料館に行った。十歳の時、親に連れられ尋ねて以来である。あの時は資料がずらーと並んでいるというだけの印象だったが、それでも着物の柄が皮膚に張り付いた女性の写真や真っ黒な弁当箱、人影がくっきりと残るコンクリート壁などを鮮明に覚えている。

    現在の資料館は、ずっと博物館らしく充実していた。1995年の改築時に大きく変わったのだろう。まず今回のポジティブな感想は、パーソナルな語りが充実していたことだ。それも物と直結したストーリーである。

    た とえば女学生の下駄。

    ピカドンの後、ある母親が娘を探し回り、結局この下駄だけがみつかった。その鼻緒は母の着物でつくられていて、下 駄には娘の足跡が残っている。現物の下駄と、娘の実名、母が探し回り、鼻緒からそれが娘のものとわかったことなどが語られている。

    従来の展示手法のように、物を資料的に展示することで、できごとが抽象的に語られるのではなく、

    このように実物を介してパーソナルな記憶を語ることによって、その負の記憶は見る者、つまりはその記憶が受け継がれるべきも者の心に深く響くのではないかしら。

    このような手法は、近年、欧米のミュージアム、特にこのような負の遺産を扱うミュージアムでは主流になっている。日本もすこしずつ増えてきているならば、よいのだけれど。

    だけれど展示の全体的な構成には首をかしげてしまった。ひとつのできごとを東館と本館と違うアプローチで語っているのだ。

    東館が歴史的検証をしているのに対して、本館が焦点をあてるのは被爆者の体験という具合に。分けたからには、何か理由があったのだろうが、来館者からすれば、見学経験が 途切れてしまい、混乱を招くだけではなく、せっかくの体験が希薄になってしまう。館の統合的カタログは、構成がちゃんと考えられひとつの本になっている。 なぜ展示ではできないのだろう。

    GOOGLEで、面白い記事をみつけた。3時間かけてみるべき展示なのに、平均的見学時間は45分ほど。結果 的に、後半の本館はほとんど素通りするだけなのだそうな。で、それを解消すべく、本館から先にみてもらえるように改装をしつつあるらしい。だけど、見学順 路を変えればOKっていう、そんな話しだろうか?

    もうひとつ気になったのは、その東館の方。

    原爆が広島に落とされた主たる原因について、加害者であるアメリカの国立歴史博物館が語らなかったことにきちんと触れている。それは、戦後の日本を含めたアジアへの覇権争い(主として対ソ連)だ。

    その反面、語っていないことがある。フクシマのことだ。

    原爆と原発は切っては切り離されない問題なのに、あの重要なできごとについて、しかももう2年の歳月がたっているのに何のメッセージもない。チェルノブイリについての展示コーナーはあるというのに。

    きっ と、さまざまなプレッシャーがあるに相違ない。そのプレッシャーは、ここが日本で外国人が訪れるNO1なのに、いや、なにより国が関わるべき重要な記憶の はずなのに、国立ではなく市の財団の運営であること、今だに「博物館」ではなく「資料館」という名称であることと、裏腹なのではないだろうか。だとした ら、病巣はほんとうに根深い。

    気をとり直して、もう一度ポジティヴな面でしめくくろう。

    展示をひととおり見おわると、丹波健三がつくった建造物の大きな窓列に沿って歩きながら、出口に導かれる。

    その窓の向こうには、記念公園や現在の広島市が見渡せる。

    過去の遺産とそれを受け継いだ土地の現在を見る-ミュージアムは、過去を過去で終わらせず、現在や将来とつなげて語らねばなるまい。

    (17/10/2013)

  • 2013 ベネチアビエンナーレ2:田中功起とジェレミー・ディラー

    ベネチアビエンナーレは、先回書いた「Arsenale」会場のほかに、国単位のパビリオンで構成された巨大なエリアがある。各国のキューレターが、近年活躍した自国のアーティストの作品を、決められたパビリオンのなかで紹介するわけだ。

    たとえば、日本は田中功起、イギリスならジェレミー・デラーという具合。彼らが扱うテーマもナショナルなものだ。大半は、その国からみえてくる考えや疑問を投げかける作品だった。

    田中功起がテーマにしたのは東日本大震災。あの大惨事の直後、おおぜいの被災者がいきなり共同生活を強いられることになったーその非日常的体験によって、ひとりひとりの思いや他者との交わり方がどのように影響をうけたのか、何かを共につくりあげるというのはどういうことなのかを問いかけるのである。

    パビリオンのあちこちに大型スクリーンが設置されている。あるものは、五人のヘアースタイリストがひとりのモデルの髪を切っていくシーン、あるものは五人の中国人陶芸家たちがいっしょにひとつの作品をつくりあげていくシーン、あるものは、五人の詩人がひとつの詩を制作していくシーン。そのように、ありえない状況を強制的に作り出すことによって、コミュニケーションや社会というものに違う角度から光をあてることになるだろう。

    tanaka koki

    なるほど、あの大惨事からそういう点に目をむけることもできるってわけね、というのが、まずわたしの感想。確かに、被災によってひきおこされた負の記憶だけに目をむけるのではなく、それを乗り越えていこうとする日本人の社会性を捉えようとした建設的で客観的な視点ではある。しかし、会場を後にしたとき、残ったのはなんだかうすっぺらい印象であった。それ以上に深まることはなかったのだ。なぜだろう?ひょっとしたら、そのプラスの視点の裏側に現実的にあったはずの、絶滅的なあの経験がすっとんでいたからかもしれない。

    面白かったのはイギリスのジェレミー・ディラーの方だった。ディラーもイギリスという国がテーマだ。しかも、どっぷり。石器時代の昔から、ヘンリー王子が希少動物を撃ったスキャンダルまでカバーしている。あちこちに皮肉と批判が隠れている。たとえば、70年代のデビッド・ボーイの全国ツアーの狂乱ぶりとIRA運動の大混乱を捉えた写真を交互に並置するなど、イギリスという社会の表裏を時間軸を交差させながら、視覚的に問うている。パビリオンのなかに設置されたティーコーナー(これも、作品の一部?)でイングリッシュティーを飲みながら、どこかユーモアを感じていた。

    ここにあげたのは、たまたま日本とイギリスだけど、ベネチアビエンナーレでは、その全体的構造のために、無意識的にも、国どうしを比べてしまう。まるで現代アートのオリンピックだ。それが、このビエンナーレの特徴だといってもよい。そして、そのことを、現代のグローバリズムという現象から見直したとき、新たな問いが浮き彫りになるわけだが、そのことについて書くのは次の機会にしよう。 紅茶がさめそうだ。

    jeremy diller

    (17/08/2013)

  • 2013ベネティア・ビエンナーレ:百科事典の宮殿を歩く

    2週間後のベニス行きのチケットを買った。かの地では、二年に一度の現代美術の祭典が行われている。ラストミニッツで決断したのは今回のビエンナーレのテーマ「百科事典の宮殿」に惹かれたからだ。

    ミュージアム史の研究者にとって、「The Encyclopedic Palace 百科事典の宮殿」は、ミュージアムの原型、「好奇心のキャビネット」や「ワンダーカンマー」を容易に想起させる。ミュージアムというものが近代の姿になる以前、その祖形は、さまざまな奇妙な物や珍しい物、高価な美術品が、ところ構わず混在する、まさに玉手箱だった。

     いや、ゴチャマゼ状態というのは近代人の目にそう映るのであって、実のところ、そこには持ち主の深層なシステムがあるのだが、ここでウンチク垂れるつもりは毛頭ない。わたしが興味を惹かれたのは、なぜ、今またその「宮殿」なのか、そして、現代美術を素材にして、いかにその宮殿が創られるのかが、とても気になったからだ。

    ややこしいことは、さておき全体的にはとても面白く、無理して旅してよかったと思った。特に「Arsenale」といわれる旧港湾倉庫の会場が非常によく考えられた構成だったし、選ばれた作品のひとつひとつも興味をそそられるものがおおかった。

    会場は、細長いL字型の回廊になっている。百科全書的な中世のミュージアムは、多種多様なもので全宇宙を表現するため、それなりのボリュームある空間が必要だ。細長い回廊空間と百科事典の宮殿というコンセプトには、正直いって矛盾がある。だが、それははじめから織り込み済みだったに相違ない。

    最初の部屋に入ると、まず、中央にそびえる近代的なタワーのモデルに目が行く。それが、ビエンナーレの構想のもとになった、独学のアーティスト、マリノ・アウリッチ(1891-1980)の作品「百科事典的宮殿」である。パネルには、アウリッチの考えがなぜ今回のビエンナーレのテーマになったか説明されているのだが、それも、ここではすっとばしてしまおう。


    会場にもどって、その壁面に目をやると白黒の人物写真がズラーと並んでいる。どれも、アフリカのさまざまなヘアースタイルをクローズアップしたものだ。ナイジェリアのアーティストJD’Okhai Ojeikere (1930-)である。ふたりの作品のあいだには、ジャンルだけではなく、時代的にも、地域的にもはっきりした接点がない。そのような異質のものの並列が、すべての部屋を通して構成の核になっている。しかも、アウリッチらのように、独学の画家や精神的な障害をもった人、つまり主流ではないアーティストと世界に名を馳せた現代美術家の作品が、さらっといっしょに展示されているのである。

    なぜこの組み合わせなのか-システマティックに構成された展示空間に慣れた目には、今回のビエンナーレは不可解このうえない。だけれど、「好奇心のキャビネット」のように、その(迷宮状態)に圧倒されたり、混迷させられたりすることはない。会場を歩き終え、わたしには、むしろなにか詩的な流れやリズムを感じることができた。それは、ひょっとしたら、回廊という会場の構造に救われたのかもしれない。「自然の形態」から、「人間の体」、「デジタル時代の体系」へと、ゆるやかにオーガニックにつながる流れである。

    そういえば、ベニスに行く前に、ロンドンで見たふたつの展示-「SOUZO展」も「宇宙へのもうひとつの案内展」も、同じように傍流のアート作品を脈略なく紹介する展示だった。 その重なりは偶然なのか、それとも、今のアート界における新しい方向性を示唆するのだろうか。だとしたら、わたしには楽しみなことだ。


    (09/08/2013)

  • 音楽と政治:ニーベルングの指輪

    指揮棒が降ろされた。巨大な丸天井を、その下にいる聴衆、演奏者たちすべてを、すっぽり包む、沈黙。
    四夜にわたって繰り広げられた壮大な音楽世界が、そこに凝縮される。

    至高のコンサートを聴いた後は、その一瞬が永遠のように思える。

    ヴァーグナーの生誕200年を記念し、この夏、ロンドンのアルバートホールのプロムスで、長大オペラ「ニーベルングの指輪」の全曲がいっきに上演された。

    日本では、四曲すべてが一シーズンに演奏されたことはないと聞く。たいていは、連続4年かけて演奏されるのだそうだ。 だから、ロンドンのロイヤル・アカデミー・ホールでその機会に恵まれたのは、ほんとうに素晴らしい経験だった。そのあとで、ニーベルングはやはりそのように経験されるべきだと思った。

    わたしには、音楽に触れた経験を言葉にする力がない。批判的に聴く耳すらもたない。ただただ、圧倒されるだけだった。ひとりひとりの歌手の素晴らしいこと。その、厚みや滑らかさや、情感や。ひとりひとりの演奏家たちの質の高いこと、ソロプレイヤーとして、仲間とハーモニーやリズムを織り成す力。

    さりとて、全部で15時間に及ぶ大曲、さすがに聴くだけでもエネルギーがいる。ときには、こちらがだれてしまって、不覚にもうとうとしてしまったこともあった。 だが、いまだに頭のなかでさまざまなモチーフが甦り、あの興奮が冷めやらぬのだ。

    聴く方がそんなだから、演じる方にとっては大チャレンジに相違ない。なかでも、指揮者は四曲すべて出ずっぱり、ずーっとたちっぱなしである。いや、そんな低レベルの話じゃあない。その壮大な曲を、解釈して、個性あるひとりひとりの歌手や演奏家をまとめ、ひとつの神話世界を作り上げるのだから。

    今回その偉業をやり遂げたのは、ダニエル=バレンボイムだ。21世紀のカリスマ指揮者といわれるだけあって、そこに居合わせたすべたの者が吸い込まれてしまうようなオーラを発していた。

    この曲とこの人-そこに、全曲をぜひ聴きたいと思ったもうひとつの理由がある。

    なぜなら、 バレンボイムはユダヤ人であり、ヴァーグナーは周知のようにナチスに愛されたドイツ人作曲家であり、演奏したオーケストラはベルリン歌劇場管弦楽団だからだ。このことが何を意味するか。もう説明はいらないだろう。

    バレンボイムは、時に政治的な発言をしたり、音楽活動のなかでその姿勢を示すことで知られている。

    イスラエル人とパレスチナ人で構成された管弦楽団 ウエスト・イースタン・ディヴァンの創設にも深く関わったし、いまもその育成に多大な貢献をしている。

    歴史を通して、美術も音楽も、その時々の政治や社会と絡みあいながら、生み出され、解釈され、再生され、受容されてきた。そのことを、今回もまた思わずにいられないし、バレンボイムはじめ、この演奏に関わったひとびとに、おおいにブラボーを送りたい。

    しかし、それと同時に、そのことさえ、あの沈黙のなかでは、みごとに昇華されてしまったのである。

    (25/07/2013)

  • オリンピアが見たもの:マネ展@ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ

    マネが描く人々は、どこか虚ろな目をしている。
    最初にそれに気付かせてもらったのは、 たまたま仕事で、精神科医の方をロンドンのコートルード美術館にご案内した時だった。

    あの《フォーリー・ベルジュールのバー》を見て、彼はこういうのである。

    「この女給さん、周囲から自分を消していますね。 世の中には、こういう人っているんですよ。」

    確かに、パリのバーの喧騒から、黒衣のこの女性だけが浮いている。 まるでヒッチコック映画の手法だ。
    照明、匂い、タバコの煙、音楽、人々の歓声・・・はじめは、バー全体の賑やかで華々しい様子を映し出し、 カメラがある女性を捉えると、そこにズームインしながら、周囲の様子はぼやけ、音も消えていく。

    そこに、近代の都会に住むひとりの女性の孤独が浮き彫りになる。
    また新しい発見をさせてもらった。だから、絵を見ながら会話をするのは楽しい。

    先日、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツでやっている 「Manet : Portraying Life」を観に行って、 そこに登場する多くの人々の目にも、そんな虚ろさが浮かんでいるのが見て取れた。

    妻の連れ子のレオンも(彼が着ている服の黒の美しいこと!) 詩人マラルメも、とらえどころの無いまなざしをもっている。
    そのまなざしは、彼らの心の内を探るようにわたしたちを誘うのだ。

    そして、ふと思う。これは、ひょっとしたらマネが社会に向けたまなざしなのではないかと。

    最後の部屋は、マネが若い頃からモデルにしたVictorine Meurentのコーナーになっていた。

    Meurentは、あの名作「オランピア」や「草上の昼食」を含め7作に登場した、モネのお気に入りのモデルだ。
    このギャラリーには、彼女が18歳のときに描かれたという正面からの肖像画や「ストリート・シンガー」、 最後にモデルになった「列車」(ワシントンのナショナルギャラリーから)が並んでいる。

    どの作品もそれぞれのテーマがありセッティングがあるのだが、 いつも彼女の虚ろな目に吸い込まれてしまう。
    そこに急速に発展する近代という時代(バーや列車に象徴されるような)と個人のギャップがみえてくる。

    彼女は画家としてもサロンで入選する(マネが落選したときに)など活躍したのだが その後、パリを離れ、名前を変え、アルコールと貧困の中で生涯を閉じたという。

    (24/02/2013)