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  • Who are you? グレイソン・ペリー展@肖像画美術館

    「また、やられた!」 最初の作品を見てそう思った。

    ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーで開催中の「Who are you? グレイソン=ペリー」という展覧会だ。

    展覧会のタイトルからして、直球。

    イギリスの王侯貴族から現代のセレブリティーまで、肖像画を歴史順に展示する美術館を舞台にして、

    「あんただれよ?」である。

    最初はだれに問いかけているのか戸惑うかもしれない。でも、すぐにわかる。

    たとえば、壁面いっぱいの大きくて、色鮮やかなタペストリー、でかでかとエリザベス女王の顔がある。

    でも、作品全体が女王のただの肖像画とはいえない。

    なぜなら、それを囲むようにイギリスを表す言葉がぎっしり敷き詰められているからだ。

    フィッシュ&チップス、雨、NHS(国民皆保険制度)、カッパ、ティー?(紅茶いっぱいどう?)、ヴィヴィアン・ウエストウッド、マグナカルタ・・・・

    つまり、これは「イギリス自体の肖像画」ってこと。

    女王の存在もその一部ってこと。

    DSCN9456
    Grayson Perry National Portrait Gallery

    ペリーの他の作品は、肖像画美術館の常設ギャラリーのさまざまなところに散在している。

    中世から現在にいたる歴史上の人物の肖像画と隣り合わせに、ペリーの作品がならべられているのだ。

    モダンライフの部屋にいけば、ペリーの陶磁器作品があった。

    そこに絵がかれているのは、「現代の」家族の肖像だ。

    白人男性同士のカップルに養子となったアフリカ系の男の子という家族である。

    別のコーナーにはシルクのタペストリー。 白人の女の子がイスラム教徒になり、ショッピング街からメッカにいくところを描いている。

    アルツファイマーの夫と暮らす女性の肖像画 (陶磁器作品)

    あるいは、キリスト教の慈善団体に助けられてホームレスの人たちが家族として暮らす家(陶磁器作品) ・・・

    作品の隣には、ペリー自身が書いた解説ラベルがついている。

    たぶん、モデルに出会っていろいろ話をきき、それをヒントに、作品をつくったに違いない。

    王侯貴族でもセレブでもないけれど、それぞれが、現在に生きるパーソナルな物語である。

    それらが美術館の常設展示のなかに、散在していることで、結局のところ肖像画とは何かとといかけてくる。

    そして、もっといえば、

    「WHO ARE  YOU?」だ。

    このブログを書きはじめた頃、グレイソン=ペリーの大英博物館での特別展のことをとりあげたことがある。

    ペリーは、子供の頃からクロス・ドレッサー (異性装)だった。

    今でこそ、晴れの舞台では、女性の格好をして人前に立つけれど、子供のころから自分のジェンダーやアイデンティティーに悩まされた。

    そのことを重ねるならば、

    「WHO ARE YOU?」の意味はもっと深くなるに違いない。

    もうひとつ、「してやられた!」と思った理由は、

    大英博物館での展示の時と同じように、展示という空間、しかも常設の展示と遊んでいることだ。

    ペリーの作品が散在することで、従来の展示がまた違うように語りかけてくる。

    ペリーは、英国人のアイデンティティーという枠組みだけではなく、アートという枠組み、展示という枠組みにも違う見方を誘うのである。

    (02/11/2014)

  • 展示にドップリ取り込まれる:マリーナ・アブラモヴィッチ展

    美術館に入ると、「所持品を全部ロッカーに入れて下さい」といわれた。時計も外して。ここは銭湯か? 
    が、言われるがまま、ロッカーにしまった(もちろん服は脱がない)。
    展示室への扉を開けると、たくさんの人々がテンでバラバラに動いていたり、フリーズしたりしていた。

    壁を向いて座る人々、その目と鼻の先には原色で塗られた紙があり、みんなそれをじっと見つめている。

    部屋の中央には大きく低いステージ。その上で人々が横たわっている。歩いている人もいる。ひとりだったり、連れ立っていたり。

    え?どれが作品?それよか、ここはどこ?

    ボケーとしてたら、若い女性が近づいてきて、いきなり手を繋がれた。

    なされるがまま、わたしは、見知らぬ彼女と一緒に歩きだした。

    そうか、これが作品なんだ。てことは、わたしも展示の一部になっちゃったてわけ!

    パートナーはすべての展示室に誘導してくれた。すこしずつ全体がみえてくる。

    手鏡をもって歩いている人もいる。手を繋いで歩いている人たちがいる。何人かは、わたしみたいに展示を見にきた訪問客なんだろう。

    でも、だれが観客でだれがパーフォーマーなのかわからん。観客たちは、何をみながら、何を思いながら、歩いているんだろう。あっちも、わたしを見ながらそう思ってるのかしらん?

    なーるほど、わたしは見る人だけど、同時に見られてるってことか。

    ちょっとかっこよくいえば、主体であり客体ってことか。あの手鏡もそういう意味があるんだろう。

    それが、ひょっとして、この展示をつくったアーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチの言いたい事なのかしら。

    「見る者」を展示に参加させる作品というのは、世にいっぱいあるけど、この作品みたいに、「いきなり」で、しかも「どっぷり」なのはない。

    美術館を一回りすると、パートナーはわたしを大きな窓の前に立たせた。
    窓には全面カーテンが下がっていて、外なんかまるで見えない。

    そして、優しく私の背中をなぜながら、こういうのである

    Marina 2

    「眼を閉じて、何もないって事を考えてみて」

    「そして、好きなだけここにいてください。あなたは自由です」

    わたしは、また一人になった。

    美術館のなかで、カーテンのさがった窓をじーっと見ながら、立っているのは始めてのことだった。

    ・・・さっきまで繋がっていた手のぬくもりを感じる。
    背中に聞こえるほかの人の足音に耳をすます。
    このギャラリーに到着した時の自分のことを思い出す。
    ギャラリーの向こうの世界のことを考える。

    ああ、「何もないこと」って、何? 世界は「何か」であふれてる。
    もうどれくらいここに立っているのだろう。

    アブラモヴィッチは、セルビア出身の女性アーティストで、70年代から自分の肉体を使うパーフォマンスで有名だ。

    自分の体に傷をつけたり、ろうそくの上に横たわったり、過激な切り口でセンセーショナルな表現をつくる。

    観客を動員させる作品もよくつくっていて、1対1でただただ座り続けたり、口紅やナイフなどの道具を与えて、彼女を好きにさせたり・・・。

    二度ほど、パーフォマンスの最中に死にかけた事もあるらしい。
    レディガガが大変敬愛するアーティストらしい。

    個人的には暴力的なのはいただけない。

    今回のサーペンタイン・ギャラリー(ロンドン)の展示「512 時間」は、他の作品と違って、アーティスト自身が現前しない。
    というか、展示全体がアーティストなんだろう。

    そして、タイトルに時間を使っているってことは、きっと、「時間」、「空虚な」と同時に、「詰まった」時間も、もうひとつのテーマなのにちがいない。

    静かで、内省的で、

    観客が自然にしかもどっぷり作品にとりこまれる展示で、

    まさに、アートを巡る主客の関係を、問いかける作品だった。

    そのアプローチのなんと、まっすぐなことか。

    The queue for Marina Abramovi? at the Serpentine Gallery

    (11/07/2014)

  • 「最後の日本オオカミ」に会いにロンドンへ

    桜の名所、奈良は吉野の知らない方から、一通のメールをいただいた。

    そこには「ロンドンの自然史博物館に日本オオカミを見に行きたい」とあった。

    ロンドンで日本オオカミ? 日本オオカミって、あの絶滅した・・・???
    日英ミュージアムのコーディネートを仕事にしている私は、メールを受け取るなり、これはちゃんと電話でお話を伺わなければと思った。

    依頼主は奈良県東吉野村の議員さんたちだった。

    明治も末のこと、なんでも村の猟師がオオカミを捕獲し、「山犬」はいらんかと売り歩いていたのだが (その時はそれが最後とは思いもしなかった)、折りしもアメリカの若い研究者がイギリス人貴族の援助を受けて調査旅行に来ていて、その山犬=オオカミを買ったのだそうな。

    そのイギリス人が買い取ったオオカミ(毛皮と頭蓋骨)を大英博物館に寄贈し、

    やがてその分館、現在の国立自然史博物館に移され、今もそこに保管されているという。

    だが展示公開されてはおらず、収蔵庫に眠っているらしい。

    実は、村会議員さんたちのロンドン訪問の真の目的はオオカミの返還である。

    人口が減った村をなんとか元気にしたい、そのためにはシンボルがいる。そう考えた議員さんたちは、ロンドンにいる故郷のオオカミに目をつけた。返還は難しそうだが、まずはそのオオカミに会いにいこうではないか。そこで交渉の糸口を探ろう。 奇特なことに旅行資金は、村のお金を使わないで、ご自分たちのお小遣いをためたのだそうだ。 もしうまくいって、オオカミが故郷に戻れば、村はさぞかし活気づくに違いない。確かに希望の持てる話である。

    わたしに頼まれた仕事はいわば仲介役である。はじめは不可能に近いのではと懸念した。だが、博物館学を専門とする私にとっても個人的に非常に興味深い話だし、なにより、それだけの熱意をもって村のことを考えておられる議員さんたちの想いに動かされ、お仕事をお受けすることにした。

    ヨーロッパは初めてという7人の議員さんたちにロンドンのホテルでお会いした時、はるばる海を越えてやってこられた彼らの熱意の大きさに改めて圧倒された。ところが、その時わたしは、すでに自然史博物館の担当学芸員から直に、「返還は不可能」という念押しを受けていた。意気揚々としておられるみなさんに、その返答をいつ切り出したらよいかわからなかった。しかし、ようやく、自然史博物館訪問当日の朝、博物館側からのNOをお伝えした。さあこれからという時に、みなさんの落胆される顔をみるのは、たいそう辛いことだった。

    だが、その返答はみなさんも想定内だったので、気を取り直し、まずは会いに来たという姿勢をみせたいと、自然史博物館訪問に臨んだ。

    博物館の玄関で担当学芸員がわたしたちを出迎え、オオカミの待つ特別室に招いてくれた。 

    すると、先に部屋に入った議員さんたちから「オオっ」という感嘆の声が聞こえてきた。このオオカミに会うために長い年月準備をし、はるばるいらしたのだからなあ・・・・。 しかし、わたしも部屋に入ってみれば、その感嘆の意味がさらに理解できたのである。

    CIMG7195

    立派なガラスケースのなかに、そのオオカミは、ほんとうに美しい毛皮を羽織って横たわっていた。
    触ればその柔らかな毛の感触や匂いが今でも感じられるようだった。

    学芸員は捕獲当時に描かれたという美しいイラストを見せてくれた。また、そのオオカミ標本に関する豊富な情報のファイルを準備し、村にプレゼントしてくれた。ロンドン博物館側のオオカミの故郷に対する歓迎ぶりにも、敬意と誠意が感じられた。

    写真撮影がすむと、オオカミの前で学芸員氏の説明が始まった。

    彼の話は、日本オオカミの特徴から始まり、標本の保管方法、さらには、この日本オオカミが、生物学的な側面だけではなく、自然環境の理解にいかに重要なのかを説明してくれた。

    通訳をしながら、私自身がたいへん興味を覚えたのは、

    このオオカミが、人間社会と動物社会の関係性の歴史的推移を理解するのに、世界的にみても貴重な資料だということだ。

    人間がまだ採猟生活をしていた頃、オオカミたちは人間社会にとても近く親しい存在だったという。危険な動物が村付近にやってきた時、村人たちに警告してくれたのがオオカミたちだった。ところが、人間が農耕生活を営むようになってから、オオカミたちが食料を摂る場所が減っていき、やがて田畑や家畜を荒らすようになった。そうしてオオカミは人間にとって悪者になってしまったのである。

    その物語の最後を語ってくれるのが、この日本オオカミなのだ。

    自然史レベルで世界的にもトップのこの博物館には、何百万点というコレクションがあるのだが、ここでさえ、そのように人間との関係を物語る資料は稀だという。だからこそ、この日本オオカミを大切に保管して、研究し、後世の世界の人々に伝えることが大事なのだと。

    通訳しながらあまりに壮大なお話に忘れかけていたのだが、ふと我に返って、議員の方々の日本オオカミ返還に対する強い想いを思い出した。視察団はまだ本音に触れていない、そのまま知らないふりをしてよいのだろうか。差し出がましくも仲介役のわたしが水を向けるべきだろうか。いや待て、議員さんたちの顔をごらん。おひとりおひとりとても満足している様子が伝わってくる。答えはそこにあった。

    そして、まさに、議員さんたち自身が声にだされたのである。
    「こんなに大切に保管してくれて、ほんとうに嬉しい」
    「そんなに貴重な資料であるこのオオカミが生息していた村の者であることを大変誇りに思う」と
    暗黙のうちに、このオオカミはロンドンの自然史博物館にあるほうが、より大きな意味でよいのだと納得されたようだった。

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    このオオカミの美しさは、博物館が守り続けている一定の温湿度・光の制限、虫の駆除など、注意深い保管の賜物だ(だからこそ、展示されていない)。 議員さんたちは、ロンドン訪問前に、他の日本オオカミ標本を見に、東京や和歌山の大学・博物館を訪問されたという、ところが、そこにあるのは、色が失せてしまって、毛も短くなっており、まるで「犬」のようだったと。 ある議員さんは、ロンドン自然史博で保管されているオオカミに会った瞬間、「これこそが思い描いていたオオカミだ」と思われたらしい。

    さらに喜ばしいのは、自然史博物館の学芸員が今回の村の訪問も「オオカミと人間との物語」の重要な一部になるといってくれたことだ。将来的にこのオオカミを展示することは大変難しいが、これは人類にとっても大変貴重な宝であり、そのストーリーを語っていくことは非常に重要だ。だから、これからもっと積極的に自然史博物館のウェブサイトなどで表にだしていきたいといわれた。それに対して、村のみなさんは、オオカミが捕獲された場所の写真を自然史博物館に送りましょうと応えた。その写真はきっとロンドン自然史博物館のウェブサイトの中で、オオカミのストーリーを飾ってくれるに違いない。

    奈良の東吉野村とロンドンの自然史博物館が絆を深めていく事、そして、その絆こそが村の発展につながるのではないか。 念願のオオカミ返還は果たせなかったけれど、その絆こそが東吉野村を元気にしてくれるのではないだろうか。 仮にオオカミが村に帰ってしまったら、この関係性はそこで終わってしまったことだろう。だが、最後の日本オオカミがロンドンにあるからこそ、その絆は将来にわたって続けることができる。そこには、村にグローバルなパワーを与えてくれる可能性が秘められている。

    桜の雲を眺めながら、その空が続く先にある東吉野の山々を想ってみる。そうして、その山々に住むオオカミが人間社会を守ってくれる動物だったことを思い出しながら、この最後のオオカミも遠くロンドンから日本の故郷の村を見守ってくれているような気がする。

    ロンドン自然史博物館のホームページ 日本オオカミ資料


    (19/03/2014)

  • 2013 ベネチアビエンナーレ2:田中功起とジェレミー・ディラー

    ベネチアビエンナーレは、先回書いた「Arsenale」会場のほかに、国単位のパビリオンで構成された巨大なエリアがある。各国のキューレターが、近年活躍した自国のアーティストの作品を、決められたパビリオンのなかで紹介するわけだ。

    たとえば、日本は田中功起、イギリスならジェレミー・デラーという具合。彼らが扱うテーマもナショナルなものだ。大半は、その国からみえてくる考えや疑問を投げかける作品だった。

    田中功起がテーマにしたのは東日本大震災。あの大惨事の直後、おおぜいの被災者がいきなり共同生活を強いられることになったーその非日常的体験によって、ひとりひとりの思いや他者との交わり方がどのように影響をうけたのか、何かを共につくりあげるというのはどういうことなのかを問いかけるのである。

    パビリオンのあちこちに大型スクリーンが設置されている。あるものは、五人のヘアースタイリストがひとりのモデルの髪を切っていくシーン、あるものは五人の中国人陶芸家たちがいっしょにひとつの作品をつくりあげていくシーン、あるものは、五人の詩人がひとつの詩を制作していくシーン。そのように、ありえない状況を強制的に作り出すことによって、コミュニケーションや社会というものに違う角度から光をあてることになるだろう。

    tanaka koki

    なるほど、あの大惨事からそういう点に目をむけることもできるってわけね、というのが、まずわたしの感想。確かに、被災によってひきおこされた負の記憶だけに目をむけるのではなく、それを乗り越えていこうとする日本人の社会性を捉えようとした建設的で客観的な視点ではある。しかし、会場を後にしたとき、残ったのはなんだかうすっぺらい印象であった。それ以上に深まることはなかったのだ。なぜだろう?ひょっとしたら、そのプラスの視点の裏側に現実的にあったはずの、絶滅的なあの経験がすっとんでいたからかもしれない。

    面白かったのはイギリスのジェレミー・ディラーの方だった。ディラーもイギリスという国がテーマだ。しかも、どっぷり。石器時代の昔から、ヘンリー王子が希少動物を撃ったスキャンダルまでカバーしている。あちこちに皮肉と批判が隠れている。たとえば、70年代のデビッド・ボーイの全国ツアーの狂乱ぶりとIRA運動の大混乱を捉えた写真を交互に並置するなど、イギリスという社会の表裏を時間軸を交差させながら、視覚的に問うている。パビリオンのなかに設置されたティーコーナー(これも、作品の一部?)でイングリッシュティーを飲みながら、どこかユーモアを感じていた。

    ここにあげたのは、たまたま日本とイギリスだけど、ベネチアビエンナーレでは、その全体的構造のために、無意識的にも、国どうしを比べてしまう。まるで現代アートのオリンピックだ。それが、このビエンナーレの特徴だといってもよい。そして、そのことを、現代のグローバリズムという現象から見直したとき、新たな問いが浮き彫りになるわけだが、そのことについて書くのは次の機会にしよう。 紅茶がさめそうだ。

    jeremy diller

    (17/08/2013)

  • ドロシーの赤い靴:ハリウッド映画コスチューム展@V&A

    はっきりいってハリウッド映画は嫌い。
    だから、ロンドンのヴィクトリア&アルバート・ミュージアム(V&A)での「ハリウッド・コスチューム」展にも、あまり触手が動かなかった。
    V&A館内にある美術図書館に行った折に、ついでだから行ってみようとしたこともあったが、いつもチケットオフィスに長蛇の列ができているのをみて、ますます引いた。
    先日また図書館に行ったら、ことのほか空いていたので、えいっとチケットを買った。
    それが面白いのである。

    ハリウッド映画かよって馬鹿にしているけれど、いやそれなりに歴史もあれば、深みもある。世界を騒がすには、ちゃんとわけもある。
    昔は数々の名作を世に出したのは確かだし、今だって世間を騒がす作品を生み続けている。
    だれもが知っているーおそるべきアメリカ文化だ。
    だから、どんな世代も、インドやイスラム圏からの移民も、アメリカ嫌いのイギリス人も、ハリウッド嫌いのわたしみたいなひねくれモノも、いくつかの作品はちゃんと見ている。
    つまり、だれもがこの展覧会に共感できる部分をはじめからもっているのである。
    展覧会の成功に、このことの意味は大きい。

    しかも、なじみの作品に登場したコスチュームをマジかでみることができるのだ。
    映像の中ではわからなかった実際の大きさや、質感や、微妙な色合いが手に取るようにわかる。
    たとえば、チャップリンが着た浮浪者の衣装を見て、ああ、やっぱり小さい人だったんだなとか。
    「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラの衣装はたっぷりドレープを施した光沢のある素晴らしいドレスで、衣装にも金がかかってたんだなとか。
    最近のでは、「パイレーツ オブ カリビアン」や「アバター」の衣装とかもあった・・・映画、観てないけど。
    3D映像を駆使した「アバター」はヴァーチャルだからこそ、その衣装は自然素材を使った手の込んだエスニックなもので、なるほど、リアリティをそういう細部で表現するのだと会得した、ような気になった。

    もうひとつ面白いのは、展示の主体である本物のコスチュームと映像をうまく利用していることだ。
    一点一点のコスチュームの頭の部分には、小さな映像があってそこにそれを着用した俳優たちの顔が映りこんでいる。それも静止画像ではなくて、しばらく見ていないとわからないほどゆっくり動いている。
    だから、そこにあるのは映画作品から切り離されたただの展示物ではなくて、オリジナルの映画の登場人物と結びつけながら、衣装のディテールを楽しめるようになっている。 

    もちろん、展示背景に映画の関連シーンをもってくるなど、展示の常套手段も使っていた。
    展覧会の協賛に「サムソン」がはいっている―なるほどね。

    展示会場全体で、もっとも興味を引かれたのは、中間あたりにあったコーナー。
    ここでは、大きな机があって、その上に現のコスチュームや映画の映像とかがあるのだけれど、
    隣接する椅子に、さも、そこに腰掛けているかのように、それを着た俳優や、衣装を作ったデザイナーあるいは映画監督などのインタビュー映像がある。彼らは、その衣装をめぐって会話をしている。
    まわりには、同じような空いた椅子があり、来館者も座ることができる。
    つまり、わたしたちもその会話のなかに入り込めるような、気の利いた設定になっているのだ。
    (もっとも、あんまりに混んでいたら、それもムズカシイだろうけど。)

    例えば、ヒッチコック作品の「鳥」で、メラニーが着ていたシンプルな緑のスーツが展示されており、
    椅子には、メラニーを演じたティッピ・ヘドレンと、衣装を担当したデザイナーがそのスーツにまつわる話をしている。そこに座って耳を傾けながら、衣装というものが、役作りの中、いや映画作り全体の中で、どんな役割を果たすのか、それに対してデザイナーはどんな挑戦をするのかが理解できていくってわけ。

    メリル・ストリープやロバート・デ・ニーロは、ハリウッド映画きっての演技派俳優として有名だけど、
    様々な役を演じるときに彼らが着たコスチュームがずらーっと並んでいるコーナーもあり、興味深かった。
    「タクシー・ドライバー」「レイジング・ブル」「カジノ」「フランケンシュタイン」・「サッチャー鉄の女」「ママ・ミアー」「愛と悲しみのはて」・・・
    映像のなかで彼らもインタビューにこたえており、役作りをしていく過程で衣装がどんなに重要か、その役作りが映画の話をいかに肉付けしていくかなどの話をしてくれる。
    ふと、こういうセッティングって、ミュージアムの展覧会だからこそできることなんだよな、と思った。

    最後の部屋は、ハリウッド映画の名作オンパレードという感じ。
    その生産力や世界に与えた影響たるや・・・。
    そこに、おとうさんと連れ立った小さな男の子がいたのだけど、
    まわりには大人たちが立ち並んでいて、面白くもなんともないただの服をじーっと見てて、ちっとも動かなくて、つまらなそうだった。
    そしたら、その子が上を見て、急に声をあげた。
    「ねえ、パパ、あそこ、スーパーマン」「あれは、バットマン」「あっちはスパイダーマンだー」(^∀^)
    そのキャラクターたちは、天井に浮かんでいたり、壁に張り付いていたり、暗い展示場に潜んでいて、大人たちは見過ごしていたのである。
    会場で笑いがおきたのは言うまでもない。
    ーおそるべしハリウッド。てか、V&A。

    (23/12/2012)

  • 包む文化:日英比較

    外国に暮らすと、自国の文化がよく見えるというのはよく言われることですが、
    ロンドンに住む私にとってのそのひとつが、日本は「包む文化」だという点です。
    こちらで買い物をして、包装紙で包んでもらうことなんて有り得ません。
    プレゼント用ですか?なんて絶対に聞かれない。
    そういう文化じゃないから。
    アクセサリーを買っても、靴を買っても、姪っ子のおもちゃを買っても、
    キャベツのように袋にボン。

    では、プレゼントの場合はどうするのかというと、自分で包装紙を買って包むのです。
    考えればエコですよね。
    文具店にいけば包装紙もいろんな種類があってそれを選ぶのも、リボンなどでアレンジするのも楽しいし。
    中身を手作りのものにしたり、時には、使いまわしなあーんてこともできちゃうわけで。

    こないだ、日本とイギリスのデパートに勤務されていた方とお話をしたのですが、
    日本では、包み方にもいろいろと規則があって、今でもほんとうに厳しいのだそうです。
    子どもの頃見たあのマジックは、やはり訓練の賜物なのですね。
    その方は、包みひとつだけではなく、いかに日本のデパートが規則に縛り付けられているか嘆いていました。

    それを聞いて、アメリカの現代美術家マシュー・バーニーの「拘束のドローイング」という映画を思い出しました。
    彼のパートナーのビョークといっしょに捕鯨船の中で日本風の結婚式をやって、心中するというへんちくりんな映画なのですが、その冒頭に登場するのが、モノを包む様子をクローズアップしたシーンだった。
    「包む文化」を「拘束」と結びつけて語っているということでしょうか。
    そういう風に話をもっていくと、なんだか否定的に捉えてるのかな、と危惧してしまうのですが・・・

    ところで、礼儀作法とか社会の息苦しさの問題は棚上げしても、
    「包む」ことは日本に根付いた文化だってことは、まちがいありません。
    着物だって包む衣服です。カーヴのある身体を平面で包むには、美しく包むために手順があるわけだし、着終わってたたむ時にも、着物を大事に保管する知恵がある。
    風呂敷だって、さまざまに変容する実に便利な鞄です。
    そういう作法や礼儀は、実は、洗練された所作の動きやより深いところでのエコな考えに基づいているのではないかと思うのです。
    ある日、こちらの職場でランチにおにぎりを持っていったら、注目されました。
    おにぎりにではなく、それを大判ハンカチに包んでいたことです。
    お弁当を包むのは、わたしにとっては当たり前だから、注目されたことに逆にびっくりでした。
    季節の柄が入った布にさりげなくくるんで持ち運び、テーブルマットにも様変わり・・・
    マジックですよね。少し得意な気分になりました。(そういや、おにぎりだって包む食べ物)

    付け加えますが、だからこそ、ヨーロッパに観光旅行される方に一言ご忠告したい。
    包むのは日本独自の文化なのだから、逆に、外国にもそれを期待しないでください。
    ハロッズとかの高級デパートで、お土産にと、たくさんお買い物する際、友人や家族に渡すときに小分けできるように、デパートのロゴが入った袋などをたくさんもらえると思わないでくださいね。日本のデパートはするでしょうが。
    こちらでは、ぜーんぶいっしょに大きな袋にボン、です。
    ロンドンの高級デパートでそんな扱いを受けたことに憤慨した日本の方のブログを拝見しましたが、
    逆にいえば、店員からいやな顔をされて当たり前、憤慨すること事体が筋違いなのです。
    文化が違うのですから。
    そして文化というのは違って当たり前なのですから。


    (01/10/2012)

  • アフリカのシェークスピア

    このブログの主たるテーマは展覧会・美術・ミュージアム関連にあるのですが、今日は、先日ストラッドフォード・アポン・エイボン(英国)のロイヤル・シェークスピア劇場で観た演劇のことを、ぜひともお話したいです。

    鑑賞したのはロイヤル・シェークスピア・カンパニーによるシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」。それを「アフリカ」という観点から演出したもの。


    この「ジュリアス・シーザー」は、手の込んだ舞台装置やサーカス的な要素や映像の活用など一切なく、台詞もオリジナルの古い英語をほとんど変えていません。言い換えれば、シェークスピアが書き下ろした戯曲にアレンジを加えず、素のままの「演劇」づくりに徹していました。


    しかし、演じるのはすべてアフリカ系黒人の役者たち、エキストラの大半もアフリカ系移民でした。キャスティングには大きな意味があります。つまりこのプロダクションは、紀元前のローマを舞台に16世紀の英国人が描いた演劇世界が、どのように現代のアフリカ社会に響くのか、その文脈の中で読み解くことができるのかを、わたしたちに問いかけているのです。

    例えば、最初のシーザー凱旋を迎える市民たちのシーンは、観る者の頭の中で、力ある政治家を音楽や踊りで陽気に讃えるアフリカの人々の様子に自然に置き換えられる。


    パワーを巡るシーザーと周囲の元老院の人々との摩擦や背信は、アフリカ独立後の独裁者やそれをとりまく権力争い、裏切り、それに続く殺戮を彷彿とさせる。
    シーザー暗殺後の有名なブルータスやアントニーの演説のシーンは、パワーが雄弁と密接に結びつくこと、それによって人々がいとも簡単に騙されることを思い出させる。


    しかし、ここに善悪の二極はありません。パワーを巡って、それぞれがそれぞれの立場で、己の信条や運命を生き抜いていく。シェークスピアの描く人物像はどれも両義的で複雑だからこそ、真実味に裏打ちされ、登場人物のだれにでも感情移入ができたのかもしれない。同時に、その両犠牲や脆さを役者たちも、実にうまく表現していました。

    古代ローマから現代アフリカへの置き換えが、観る者の中で自然になされたのは、演出が戯曲に忠実だからに相違ありません。そしてなにより、そういう出来事や感情を、演じるアフリカ系の役者たちが、直接的にも間接的にも彼らの実人生の記憶に深く刻み込んでおり、パワーをとりまく人間の愛憎や弱さや悲しみや苦しみもよく理解しているからこそ、シェークスピアの言葉が彼らのアフリカ訛りの英語を通して、観客の心に生き生きと響いてきたのではないかと思うのです。わたしも、いくつかのシーンで、南アフリカに住んでいた時の個人的な思い出と重ねながら観てしまいました。


    たとえば、シーザーが数名の暗殺者たちによってメッタ刺しにされた後、その亡骸を囲みながら、アントニーがシーザーの衣装を市民に見せ、この傷はキャシアスによって、この傷はキャスカによって、この傷はブルータスによってなされたのだと示すシーンがあるのですが、それを見ながら、ケープタウンのタウンシップ(黒人居留区)で知り合った40代の女性が、アパルトヘイト時代、彼女の父親が黒人警官(体制側)であったため、又たいへん頑強だったために、黒人同胞たちに数十箇所も刺されて死んだことを、そして、その彼女が同じ町に今も暮らし、コミュニティーに重要な貢献をしていることを思い出してしまったのです。


    飛躍のしすぎと思われるでしょうか。でも、南アフリカの人々にとって、政治的なパワーに巻き込まれ翻弄され、自らも加担し、傷つき、乗り越えていかざるを得ない現実が、劇場の世界ではなく、彼らの日常と背中合わせにあったことに、どうしても思いが至ってしまう。そして、今この時も世界のどこかで起きていることに気付くのです。

    このように現在の人の心をうつのは、シェークスピアの戯曲が時空を越えて普遍的であり、そしてそれを十二分に生かした素晴らしい演出と素晴らしい演技、それを支えたアーティストたちのコラボレーションであったからに他なりません。
    このプロダクションが、いつに日にかアフリカ諸国を巡り、市井の人々の目の前で演じられることを期待して。

    2012.6.25

  • レオナルド・ダ・ヴィンチの桃太郎

    レオナルド・ダ・ヴィンチの桃太郎

         © クィーンズ・ギャラリー

    ロンドンの、クィーンズ・ギャラリー(現在はキングス・ギャラリー)で「レオナルド・ダ・ヴィンチ:アナトミスト」が行われています。英国王室のコレクションには、大量のダヴィンチの素描があるのですが、今回の展覧会は人体の解剖学調査のための記録スケッチに焦点があてられたもの。

    周知のように、彼は絵画だけではなく、彫刻、建築、音楽、解剖学、エンジニアリング、地質学、植物学など広範囲にわたって人間や外界を理解しようと探究をした、いわゆる「ルネサンス人」です。

    展示された素描の一点一点からは、人体の構造だけではなく、生命のなぞに対してやむなき探究の精神が感じとれます。それらのいくつか、たとえば筋肉のつき方や骨格や神経のつながりなどを描写した作品群は、現代の医学の目から見ても、かなり正確なのだそうです。


    ダヴィンチが引き取り手のない死体を受け取って、自らメスをとって解剖をしたことは有名で、そこには、彼のエンジニアリング(動きの研究)や、人間に対する深い観察力と、なにより描写力がみごとなまでに融合しており、単なる解剖学書の解説図を越えているといっても過言ではないでしょう。

    わたしにとって最も興味深かったのは、女性の体の中の胎児を描いた素描でした。厚い殻に覆われた球体のなかに、胎児が臍の緒をからませて丸まっている不思議な図です。こちらの方は、科学的真実からはかなり的がはずれているのですが、それもそのはず、なぜなら、妊娠した女性の体を解剖することは適わなかったからです。

    そのため、ダヴィンチは、牛の子宮を人間の子宮に見立ててこれを描いたのだそうです。もちろん、牛の子宮は手にとって観察することができるし、また、動物と人間は生命的には同じ構造体をもっていると考えられていましたし。

    そこには現実的な障害とのジレンマの中でできうる限り科学的なアプローチをしようという生命の問いに対する並々ならぬチャレンジが伺えます。

    ところでこの擬似子宮、わたしには動物の臓器というよりも、木の実の殻のように見えてなりません。ここには、植物の生命にも関心があったダヴィンチのものの考え方が反映されていると言ったら言い過ぎでしょうか?

    実は、思わず桃太郎を思い出してしまい、ひそかにほくそ笑んでしまった次第です。

    2012.6.12

  • クリムト生誕150周年のウィーン

    2012年初夏、ウィーンの街は、クリムト生誕150周年記念で賑わっていました。街には、いたるところにクリムトのイメージが溢れ、美術館は特別展を企画して、彼の業績を称えています。

    興味深かったののは、各美術館が手法を凝らして、違う角度からクリムトの作品や、アーティスト自身、そしてウィーンや世界に残したレガシーに光をあてていたこと。当たり前といえば、そのとおりですが、はっきりとテーマを打ち出し、美術館同士がコラボレートしていたのは、さすが歴史ある芸術の都と感服しました。

    例えば、もっとも人気のある美術館「ウィーン美術史美術館」。ここには、玄関ホールの天井高いところに、クリムトが描いた壁画があります。今年は、そこに臨時の足場が組まれ、間近で鑑賞できるようになっていました。それは、古代エジプトから現代までのアートの流れを象徴的に語る壁画。クリムトの手によって、ファラオの時代の高貴な女性が、独特の甘美な表情とともに20世紀に甦ったかのようです。

    壁画といえば、セセッション(分離派協会)の有名な「ベートーヴェン・フレーズ」のことが思い出されるでしょう。
    果たして、ここにも、臨時の足場が組まれていました。この壁画(やはり天井近くの壁に描かれている)は、「人類の幸福への憧れ」がテーマになのですが、シンプルに響くこのテーマに、人生の微妙な色合いが織り込まれているのが、手に取るようにわかります。

    有名な「接吻」は、ヴェルヴェデーレ宮殿にあり、彼のほかの作品といっしょに展示されていました。他の展示室はそれほどでもないのに、この部屋だけは人がいっぱいで、館のスタッフが人の流れをコントロールしていたほど。わたしは天邪鬼なので、あまりに有名になりすぎると、逆に関心が薄らいでしまいがちなのですが、間近で見ると、彼独特の女性への賛美に心動かされます。その女性を前に、どうにもコントロールのできない男としての自分も赤裸々に描いています。

    レオポルド美術館は、彼の作品をその人生と照らし合わせてみせていました。パートナーであったエミリエ・フローゲに宛てた何百通もの手紙や、写真、彼が使った家具などといっしょに彼の作品が並べて展示され、アーティスト、クリムト像をさまざまな角度から理解し、かつ、生涯の時々に生み出された作品の背景、そしてウィーンに与えた影響を理解できるように工夫されています。展示のしかたもとても斬新で、目をみはるものがありました。

    でも、わたしが最も興味深かったのは、アルヴェルティナ美術館の展示でした。クリムトの素描だけを集めて、ラフに時代順に追うシンプルな展示です。クリムトというと、金色をふんだんに使った色鮮やかな装飾的絵画のほうが思い出されますが・・・、思えば、これだけの彼の素描をまとめてみるのははじめてでした。その一点一点が、実に生き生きとしていて、彼の表現に対する精神が如実に表れている。まさに、色づけされて飾られた絵画の奥底に、人生や女性への思いが流れていることを、筆の動きだけから感じることができるのです。

    正直いうと、はじめアルヴェルティナはあまり期待をしておらず、ウィーンの最後の日にとっておいたのですが、先にこれを見ておけば、他の絵画や壁画への鑑賞が違ったかもしれません。

    このように、街をあげて、ひとりの芸術家を違う角度から見せること、そこには、各美術館のテリトリーを越えるみごとな連携プレーがありました。そして、そのように表象することが、また、それを受け止めることが、ウィーンのアイデンティティを築く助けになっているに違いないと思うのです。

    2012.6.11

  • 鏡と椅子:ふたつのフロイド・ミュージアム

    精神分析学の権威フロイドの名前を冠したミュージアムが、世界にふたつあります。ひとつは、ロンドンの北部住宅街にある一軒家、もうひとつはウィーンのベルガッセ通りに面したアパルトメント。どちらも彼とその家族が住んだ家です。

    ウィーンは、1891年から45年以上の長きにわたって拠点とした場所。精神分析医としての名声を高めていったのも、家族を育てたのも、この家でした。しかし、やがてナチスが台頭すると、周知のように、家族ともどもイギリスに亡命したのです。

    ロンドンのミュージアムは我が家にも近く、興味深い企画展をよくうつので、何度か足を運びました。なかでも彼の書斎はとても面白い。大きな仕事机も、書棚も、暖炉の回りも、好奇心をそそられるオブジェに溢れ、こういうものを眺めながら、人間の深層世界を探究したのだろうかと思い描いてみます。


    患者たちがリラックスして診断を受けた大きな安楽椅子もあります。色鮮やかなイランカーペットがかけられたその椅子は、実にすわり心地がよいのだそうで、ウィーンからわざわざ運んできたのだとか。

    少し離れて、特別注文で作ったフロイド専用の不思議な形をした椅子が置いてある。彼が仕事をしていた空間がそのままの状態で残されているのです。

    ここを先に見ていたからでしょうか、
    今回のウィーンの旅で、フロイドの家を訪問した時、「亡命」の爪あとを見たように思います。なぜなら、当たり前のことですが、ウィーンの方はまさにも抜けの殻で、彼が仕事をした、生活をした、その匂いがほとんど感じられない。当時の面影を残すのは、特徴ある壁紙が張りめぐらされた玄関ホールだけでした。


    評判の医者として多くの患者を受け入れた仕事場には、壁面のガラスケースに、当時の室内を捉えた写真や手紙や身の回り品が展示されている。家族の住空間であったところは、ショップやミュージアムのオフィスになっています。

    ふたつのミュージアムを表面的に比較するならば、ロンドンの方がだんぜん血の通うミュージアムでしょう。見学客にとっても、彼のパーソナルな側面をより深く理解できるし、なにより見甲斐があります。

    だけれど、亡命したのはフロイドが83歳の時であり、その翌年には末期がんで亡くなっていること―つまり、ロンドンには1年しか生活しなかったこと、そして、弟子たちが亡命を勧めていたにもかかわらず、本人は最後の最後まで反対していたことを考えれば、フロイドにとって、本当に血が通った場所がウィーンだったのは、疑いようもありません。


    そんなことを考えながら、もぬけの殻のウィーンの家を見ていていると、そのあまりの空虚さが痛々しい。生活を根こそぎ奪われてしまうことの重さを、あるいは、ひとと空間の繋がりの深さに思いが至るのです。

    ところで、そのエンプティなミュージアムに、気がかりなものをふたつ見つけました。ひとつは、ロンドンの書斎にもおいてある、あの「フロイトの椅子」が、なんでもないコーナーにぽつんと置かれてあったこと。


    なぜ、この椅子はここにあるのだろう。フロイドはわざわざ同じものをロンドンでも注文したのだろうか。それなら、なぜ、この椅子だけがここに残されたのか。いや、博物館側が作ったコピーかもしれない―フロイトの分身として、この椅子が選ばれたとしても不思議ではない・・・。(ノートが置いてあるのにドイツ語が読めない)

    もうひとつは、外を望む書斎の窓の、そのど真ん中にかけてあった小さな飾り鏡。この鏡は、フロイドがここに住んでいた頃から、この不可解な位置にあったのだそうです。その鏡だけが、ひょっとしたら、フロイドがもっとも盛んだった頃の、仕事や家族の様子を知る唯一の目撃者なのではないかと、想像を膨らませます。今、ここに映っているのは、ガラスケースの展示資料や観光客だけだとしても。

    2012.5.19