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  • コロナ、そして鎮魂の音楽:ベルリン・フィル May 2020

    ベルリン・フィルハーモニーのコンサートホール。

    いつもなら、舞台には、演奏家たちが袖擦り合うほどの近距離で指揮者が入ってくるのを待っているはず。

    この時は違った。

    舞台の上には、バイオリン、ビオラ、チェロ、オーボエ、クラリネット、打楽器・・・

    各楽器パートにたった一人だけ。

    大きな間隔をあけて、心の準備をしている。

    主席指揮者キリル・ペトレンコが入ってきた。

    観客席に向かって丁寧に一礼をする。

    すると、カメラがズームアウトし、広いコンサートホール全体をとらえた。

    そこに、観客は一人もいない。

    指揮者は演奏者側に向き直すと、ゆっくり力強くタクトを振りはじめた。

    最初の曲は、エストニアの現代音楽家、アルヴォ=ペルトの《フラトレス》だった。

    テンポの速いバイオリンから始まる。

    曲想は悲しく、懐かしく、そして孤独だ。

    《フラトレス》とは「親族、兄弟、同志」という意味なのだけど、

    その単語から立ち上がる温かみよりも、音楽からは寂しさや痛みが響いている。

    親密な人々とは離れ離れのまま、孤独の只中にいるようだ。

    それは、コロナ禍の世界中の一人一人の心情を映し出しているようだった。

    他に演奏されたのは、リゲティの《ラミフィケーション》、

    サミュエル=バーバーの《弦楽のためのアダージョ》。

    かつて経験したことのないような暗い世界で、

    なんで、こんなに悲しい曲ばかりなのだ、初めわたしはそう思った。

    でも、すぐに気づいた。

    心底、悲しいのだ。

    世界中の人々ひとりひとりが、寂しく、辛い、もう、すっかり疲弊しているのだ。

    それを、自分に隠すことはない。

    明るく振る舞ってばかりいることもない。

    なんとか生きていこうと足掻くけれど、明日のことが、本当に心配なのだ。

    もちろん、音楽が、この現実を、わたしたちの不安や心配を一掃できるわけじゃない。

    でも、その悲しみを、辛さを、共感することはできる。

    これが、ベルリン だったことも意味深かった。

    ドイツ社会もベルリンの街も、過去の痛みを隠さない。

    その途方も無い古傷をしっかりと受け止めて、それと一緒に生きている。

    ロックダウンのこの時期、たくさんの名演が、アーカイブから流され、音楽に親しむ機会を与えてくれているけれど。

    これは違った。

    今の、今の、わたしたちの音楽だと思った。

    だから心に響く。

    世界的に有名なベルリン ・フィル・コンサートのすばらしい会場に、聴く人は誰もいないけれど、

    演奏家たち一人一人が、これまでないような想いをこめて、演奏していることがみてとれる。

    それぞれの想いが、個々の楽器の音色を通して、互いに美しく響きあっている。

    痛みを一緒に抱いている。

    鎮魂の音楽である。

    +++++++++

    European Concert Berliner Philharmonie 

    2020年5月1日のストリーミングを聴きながら。

    近い将来、また再生されると思います。

  • この岩があったところ、神は天地を創造した:聖地エルサレム

    この岩があったところで、神は天地を創った。
    土と自分の息から最初の人間も創った。
    時が経て、その子孫のアブラハムは、
    「お前の子を殺せ」と神から命ぜられ、
    同じ「岩」の上で我が子イサクに刀を向けた。
    今にも手を下ろすところを、天使に止められ、
    神との契約が交わされた。と、ユダヤ教はいう。

    イスラム教は、メッカにいた預言者ムハンマドが大天使ガブリエルに連れてこられ、「その岩」の上から天に昇ったところだという。

    キリスト教はユダヤ教から生まれた新派で、旧約聖書はユダヤ教の話であることは周知の通り。
    聖母マリアに神の子をみごもったと告げたのは、ムハンマドを天に連れて行った同じ大天使ガブリエルだった。

    歴史を通し、そして今も紛争がたえない三大宗教だが、実は兄弟のように似通っている。
    考え方も儀式のやり方も建築様式も服装も、共通点がたくさんあるのに驚く。
    「岩」も共通する礎で、その岩がこの青い六角形と金のドームをもつ建物の中にある。

    ユダヤ教もイスラム教も、違う時代に「岩」を塀で囲い、やがて立派な神殿を建てた。
    写真の金のドーム、青いタイルをもつ建築は、紀元後7世紀末にこの地がアラブ、ウマイア朝の支配下になった頃、
    イスラム教の神殿として造られた建物(その後、16世紀に今の形に)だ。
    今、「岩のドーム」として知られている。

    ここは、エルサレムの旧市街。聖地中の聖地だ。
    歴史の巡り合わせで、現在はユダヤ教の国イスラエルにあって、
    イスラム教が管理する神殿で、建物内には基本的にはイスラム教徒以外入れない。

    しかし、それを囲む巨大な敷地、かつてユダヤ教のダビデ寺院があったところには、世界中から人びとが訪れる。
    わたしたちのような観光客だけではなく、世界各地から訪れた各宗教、各宗派の信者たちも。
    茶色のドミニコ会の僧衣を着た神父が率いるグループもあるかと思えば、黒づくめの正統派キリスト教徒らしき人びと、
    イスラムの礼拝にやってきたベールの人たちもいる。

    すぐそばには「嘆きの壁」があり、ユダヤ教徒たちが、本を片手に頭を振りながらお祈りを捧げている。
    集まる人びとの様子をみていると、まさに何千年も前に生まれた宗教の交流やすれ違いが、現在を生きる人びとにもおこっているのを目のあたりにして、実に感慨深い。

    エルサレム旧市街には「岩のドーム」以外に様々な聖地が点在している。
    その点と点をつないで人びとが行き交っている。
    聖地のそばには市が立つ。
    石畳の細い路地は食材や土産物やカフェが並び、とてもカラフルでエネルギッシュだ。

    外観だけ見ればイスタンブールやマラッケッシュやカイロに似ているが、エルサレムが全く違うのは、なんといっても宗教的・文化的な多様性だ。
    店もイスラム系、ユダヤ系、アルメニア系などいろいろあるけれど、そこで出会う人びとの多様性に驚く。

    本をもって、もぐもぐ言いながら歩く黒ずくめのストイックなユダヤ教徒たち。

    アメリカ訛りの英語で、たぶん金融街で働いていて、ここまでやってきました的な、でも今日ばかりは伝統的なユダヤの服を身につけた若者たち。


    そろいの帽子やスカーフをつけて、インドネシアや中国やオランダやロシアやら、ありとあらゆる国から大型バスでたどり着いた21世紀のキリスト教巡礼者たち。
    格子模様のスカーフをまいたアラブ風の男や全身を覆ったイスラムの女たち。

    世界各地で宗教をめぐる紛争が今も絶えないのに、わたしが訪れた時のエルサレムはいたって平和だった。
    異なる宗教が袖すり合わせる中、一発触発がおこったって不思議ではないのに、そのような気配は感じられず、お互いを普通に受け入れるのが日常の風景になっている。

    この五日間、迷路のような旧市街を歩きながら、ふと思いついた。

    エルサレムの平和の理由は、ここが共通の聖地であり、お互いをリスペクトする空気が歴史を通して熟成したからではないかと。


    「岩のドーム」がイスラム教の管轄だが、「モスク」ではないのも、他の宗教に対するリスペクトからだという。

    エルサレムには政治を入れこまないような暗黙の了解がある。だから、ここには各国の大使館がない。

    (2018年、ドナルド・トランプが米大使館をテルアビブからこの地に移したのは、大変思慮に欠ける事だった)

    明日からエルサレムを離れて地方を周る。そこでは、エルサレムとは違う印象を持つかもしれない。

    2019.4.16

  • 第一次世界大戦から100年、知らない記憶を思い出させるアート

    首、胴体、膝、足首を紐で巻かれ、

    頭から足先まで白い布ですっぽり覆われた、
    小さな一体、一体。

    布の下に特徴ある鼻がみてとれる。首の向きがぎこちない。

    腕のない者。重いヘルメットがくいこんだような頭部。
    上体/下体を不自然に曲げた者。伸びきったまま硬直した身体。
    それぞれの最期が、目の前に無造作に転がっている。

    緑の芝に見渡す限り、無言のまま。

    小さな身体たちが、なぜか行儀正しく横たわっている。

    その数、72,396体。

    それは、第一次世界大戦の戦地で死んだイギリスとその連邦国からの兵士、

    遺体もみつからず、埋葬されてもいない兵士の数だ。

    毎年、11月11日はリメンバランス・デーといって、

    イギリスでは 戦争で亡くなった人々を追悼する式典が行われる。

    イギリスだけではなく、主たる戦地となったヨーロッパは無論の事、戦争に参加したカナダ、オーストラリア、インド・・・

    世界中のあらゆるところで、追悼の記念が行われる。

    この時期に、欧米に旅をしたことがある人は、街行く人々が 赤いポピーを身につけたり、街に飾られていたりするのをみたことがあるだろう。

    たくさんの兵士たちが死んだ激戦区で、赤いポピーが自然に群生したといわれ、第一次世界大戦の戦没者を悼む象徴となった。

    今年、2018年は、その大戦終結の100年目にあたり、イギリスの首都ロンドン各地でも、さまざまな記念行事が開催されている。

    逆に日本人が世界大戦と聞いて、 一般的に思い出すのは第二次世界大戦の方かもしれない。

    だが、欧米では、被害/加害の大きさだけではなく、それまでの戦争観を大きく変えた事、世界地図を大きく塗り替えた事、第二次世界大戦へのしこりを残したという意味で

    非常に重要な歴史的出来事なのである。

    冒頭で紹介したのは、ロンドンオリンピック会場(2012年開催)の敷地内に特別に設置されたインスタレーションアートだ。

    作品のタイトルは「ソンムのシュラウド」。

    ソンムとは第一次大戦の最も悲惨な激戦区(フランス北部)、シュラウドとは死者を包む白布を意味する。

    アーティストの名はロブ・ハード。小さな兵士の人形は全て彼が手がけたものだ。

    兵士たちが横たわる芝の向こうには、ねじれた赤い塔が立っている。

    オリンピックの記念塔、現代のイギリスを代表するアーティスト、アニッシュ・カプーアの巨大な彫刻作品だ。

    生命そのものをテーマとしてきたカプーアの巨大な作品と無数に広がる兵士たちの白い身体は、なぜだか不思議に響き合っている。

    全体を見下ろす高台の上に立つ。

    すると、自分を含めた見物人の大きな影たちが、横たわる白い小さな兵士たちの上を、長く亡霊のように動いているのが見えてくる。

    上空では、兵士たちの名前がこだましている。

    会場の脇で、ボランティアの人々が兵士たちの名前や出身地、戦死した原因を、ひとつひとつ読み上げているのだ。

    何日間かに及ぶパーフォーマンスだ。

    ここまで、100周年イベントの様子を描いてきたが、実は、個人的には、戦没者とか戦争追悼とかのイベントは好きではない。

    負の記憶を忘れまいという姿勢は、そうであるべきだと思うし、大いに賛同するが、母国を守って死んでいった英霊という崇め方をされると、違和感を覚える。

    もし、そこに愛国主義的な臭いを強く嗅ぎ取ってしまったら、近づきたくもない。

    この追悼の場は様子が違った。

    確かに、かつてのオリンピック会場というセッティングにすっきりしないものを感じたのは否めない。

    しかし、その日ここにきていた人々は、国旗を大きく振りかざす思想の持ち主ではなく、子供からおじいさんおばあさん、さまざまな人種の人々、近隣からふらっとやってきたような人々だった。

    そこには、若い兵卒たちのひとつひとつの死を、今を生きるわたしたち一人ひとりが思いやれる時間が流れていた。

    会場ルートの最後に、大きなテントに招き入れられる。

    中には兵士たちの名前が書かれたパネルが張り巡らされている。

    そこにある名前をひとつひとつみてまわっている人々がいる。

    知っている人や会ったこともない家族を探しているのだろうか。

    Charley Griffin  ドーセット州 兵卒 19歳

    Clement Griffith  ウエールズ、火打ち石銃兵 18 歳

    一人ひとりが名前をもち、戦場での小さな使命をもち、

    戦争の後ろに生活をもち、家族をもった人々だという、当たり前の事。

    そういう普通の人々が戦争の一番の犠牲者だった事を、今更ながら思い返した。

    戦没者が「かたまり」として、慰霊される式典では気付かない事だった。

    先にロンドンの各地で関連のイベントが行われていると書いた。

    実は、数日前にも、観光名所「ロンドン塔」で行われている式典にも足を運んでみた。

    塔をとりまく広大な堀では、この時期毎夜、戦死者の数だけのトーチにひとつひとつ火が灯され、荘厳なコーラスが響き渡る。

    同じロンドン塔で、2014年、つまり第一次大戦がはじまった100周年の時には、堀一面が戦死者の数の赤いポピ−で覆われた。

    どちらも確かに美しかった。

    でも、あまりに抽象すぎて、ノスタルジックで、正直なところピンとこなかった。

    自分が体験しなかった歴史、特に市民を巻き込んだ負の歴史は、

    その時代を生きた人々のパーソナルな存在を通して、はじめて思い遣ることができるのかもしれない。

    2018.11.18

  • スターマンになったデビット・ボウイ:追悼

    デビッド・ボウイが死んだ夜、

    一番好きなアルバム、「72年、サンタ・モニカ、ライヴ」を聴きながら、このブログをかいています。

    聴く度に、前には気がつかなかった彼の新しい表現をみつけて、、、今日も驚きました。

    音の作り方も、ずらし方も、素晴らしいミュージシャンたちとの新しいコラボレーションの仕方も、なにより歌詞の不可解さも。

    中学生の頃は、なんかとても斬新すぎて、ついていけなかった。

    なにがなんだかわからないけど、綺麗な顔だし、かっこいいから、ボウイが好きと言ってただけ。

    今朝のラジオで、18ヶ月もの長い闘病後、他界した事を聞いて、

    ジョン・レノンの突然の死に匹敵する喪失感を覚えました。

    レノンが死んだ時は、真夜中のコタツに入って、受験勉強のさなかだった。

    ノートなんか放り投げて、深夜放送に聴きびたっていた。

    ボウイの死を聞いた今は、わたしはレノンの歳を越えて、かつて彼らが活躍したロンドンに住んでいます。

    ボウイの存在をもっと身近に感じることができるところに住んでいる。

    だからでしょうか、ロンドン中心地での仕事の合間、自然にゆかりの地に足が向きました。

    あの、伝説のアルバム「ジギー・スターダスト」のジャケットが撮影された場所です。

    ジギー・スターダストとは、ご存知のようにボウイの想像上の分身。

    宇宙のどこかの星からやってきて地球に大きな影響を与えるロックスターで、ステージ上で死をとげた想像上のヒーローです。

    当時のイギリスのティーンエイジャーは、ボウイのことをジギーとよんでいたそうで、

    そう信じさせるくらいリアルにジギーになりきっていたのでしょう。

    背景には、今はない毛皮屋「K・WEST」の看板。

    Quest=探し求める、と読めて、星の人ジギーのお気にいりだったとか。

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    イギリスには、大きな功績を残した(実在の)人物のために、彼らのゆかりの地にブループレートというのがつくのですが、

    その撮影場所には、想像上の人物にかかわらず、ジギーのためのプレートがついている。

    ロンドンでもっとも賑やかな中心地から、少し裏道にはいった奥まったところに隠れています。

    わたしが向かった昼下がりには、その裏道にはいっていくところから、ボウイの音楽がエリア全体に流れていました。

    人の群れがすでにあり、ジャーナリストが集まっていました。

    ジギーのプレートの下には、すでに花束が手向けられていました。分身ジギーを生み出したボウイに向けて。

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    亡くなる2日前の2016年1月8日、69歳の誕生日、ボウイは最新で最後のアルバム「Blackstar」をリリースしました。

    18ヶ月前からガンと闘っていたということだから、

    このアルバムづくりのはじめから自分の死を覚悟して、病いと闘いながら、底知れぬ孤独と闘いながら、

    最後の仕事を成し遂げたにちがいありません。

    そのアルバムに収録された曲の詩には、次のようなフレーズが散りばめられているのだそうです。

    「彼が死ぬ日に何かが起こる。誰か別の人が現れて、勇敢にこう叫ぶのさ、I am a Blackstar! Blackstar! と。」

    「見上げてごらん、わたしは天国にいるから。わたしには君には見えない傷がある。わたしにはドラマがある-誰にも盗めないドラマが。」

    昔とかわらず、不可解で不思議な魅力のある詩です。

    このアルバムづくりに関わった友人は、ボウイの死への追悼でこういっています。

    「彼の死は、彼の生き方と同じだよ。アートさ。 ボウイはみんなのためにBlackstarをつくったんだ。彼のさよならの贈り物なんだ」

    駆け出しの頃から、音楽だけではなくて、ファッションも化粧もステージクラフトもすべて、

    独自の美学をもって最初から自分でコンセプトをつくりあげ、納得のいく最上のできあがりを目指したスターでした。

    自分の死を含め、ボウイは一貫して、彼の人生そのものをアートにした-その意味でも世に稀なアーティストなのだと思います。

    ボウイ、やっぱりその死までかっこいい。

    David Bowie R.I.P.

    2016.1.11

  • 母のいる空間:ジャコメッティー展

    部屋の真ん中に、老いた母がこちらを向いて座っている。

    母の身体を描く線が自由に伸び、その周囲に広がり、

    椅子やカーペットや柱時計や部屋のすみずみまでつくったかと思えば、

    今度は、その線が母に戻ってきて、また彼女の身体やまなざしの周りで渦巻く。

    母を中心に部屋の宇宙ができていて、もはや母がこの家だ。

    いや、彼女が部屋になったのかもしれない。

    確かなことは、この空間に一人の老いた女がいるということ。

    今わたしがみているのは、ジャコメッティが描いた彼の母の肖像画である。

    ロンドンの肖像画美術館、特別展示の一室でのこと。

    そこには、彼の描いた肖像画と一緒に、あの特有の細長い人体の彫刻が並んでいた。

    平面の肖像画も立体の彫刻も一体になって響きあっている。

    母と母がいる部屋を描く神経質な線からは、粘土をつけたり、削ったりするアーティストの手の動きがみえる。

    平面だろうが立体だろうが、彼にとって追求するものはきっと同じなのだ。

    ジャコメッティがモデルにするのは、母のほかに妻アネッティや弟のディエゴといったごく身近な人々。

    個人としてのモデルが、彼の手にかかると普遍的な人間像に生まれ変わる。

    アーティスト自身もこう残している。

    「ずっと一緒に仕事をしてきた弟を何度も何度も描いているうちに、目の前の人が弟であるという意識が消えてしまうのだ」と。

    ジャコメッティーといえば、有名なのは巨大でやせ細った「歩く人」や「立つ人」だろう。

    そのブロンズの人体像は、ありえないようなデフォルメで細長く表現されたいるのだけれど、

    なぜか、まさに「人がそこにいる」と思わせる不思議なリアリティーがある。

    残念ながらこの展覧会ではそのような巨大な全身像はなかったけれど、

    これだけの数の肖像画と小ぶりの人体彫刻をまとめてみることで、

    そのリアリティーがどこからきたのか、少しわかったような気がした。

    若い頃から彼は同じモデルを使って、何体も何枚も肖像をつくった。

    あらんかぎりの集中力で観察し、作り上げていくのに、

    目の前の表情は雲を掴むように消えてしまい、また新しい表情が現れる。

    だから、その人の印象を自分の作品に仕上げることが出来なかった、と彼は言う。

    シュールリアリズムに向かったこともあったけれど、そこには自分の求める答えはなかった。

    そして、再びリアリズムに戻った。なんども作っては壊し、壊しては作った。

    ある時、自分の恋人を窓の外、遠目に見かけた。

    パリの道端で、彼女はとある空間のなかに立っていた。

    その時の印象をそくざに小さな彫刻にこめた。

    それをマッチ箱の中にいれ、戦争で故国スイスに逃れた時ももっていった。

    そのマッチ箱の小さな像を眺めながら、恋人の記憶をたどりながら、

    女性の人体像をつくってみたが、それは彼がパリでみた彼女ではない。

    何度も何度も作り直していく上で、気がついたら巨大な像になっていった。

    そして不思議なことに、巨大な像になってはじめて、かつての恋人のリアリティーを感じたのだという。

    彼と同時代に生きたサルトルは、戦後はじめてのジャコメッティの展覧会のカタログに序文を寄せている。

    そのなかで哲学者は、ジャコメッティの巨大な細長い像にこそ戦争を体験した人間の実存をみるとかいた。

    そうなのかもしれない。

    戦争はそれを生きたすべてのアーティストにとって避けてはとおれない人間の真実だ。

    でも、今回の展覧会をみて、わたしは、

    ジャコメッティーが、そんな大きな哲学をもって作品づくりにとりくんだというよりは、

    モデルを執拗に観察し、その周囲の空間を捉え、「その人がそこにいる」という彼がみた印象を作品に表そうとした。

    ただただ、それを追求しただけなのではないかという気がした。

    できあがったものが、結果的に、サルトルや現代人にとって普遍的な人間像に映ったのだろう。

    アーティストのなかには、その時どきの芸術の奔流には流されずに、

    自分自身の目や考えだけを信じて、自分の表現をつきつめていく孤高の人がいる。

    ジャコメッティーは間違いなくその一人だと思う。

    Giacometti-1

    ロンドン 国立肖像画美術館


    2015/10/28

  • 陰鬱なテーマパークから明るい未来へ:バンクシーのディスマランド

    2015年初秋、イングランド西海岸のある寂れたリゾート地に、突如としてテーマパークが現れた。

    その名も「ディスマランド Dismaland」という。

    Dismal=陰鬱な、みじめな、気がめいる ・・・ という英語がひっかけてある。

    ロゴやポスターから 「ディズニーランド Disneyland」を皮肉っているのがすぐに読み取れる。

    明るく、笑い声に溢れ、夢のようなアミューズメントパーク、ディズニーランドとは正反対のイメージを前面におしだしているのだ。

    気のめいるようなこのテーマパーク、5週間限定の開催なのだが、大変な人気で、チケットをとるのは至難の業だ。

    人気のひみつは、チケットがたったの3ポンド=600円ということもあるが、

    このテーマパークを手がけたのが、世界的に有名なストリートアーティスト、あの覆面のBanksyだからにちがいない。

    運よく、チケットをとれたわたしたちは、ブリストル郊外にあるかつてのリゾート地 Weston-Super-Mareを目指した。

    駅を降りて、小さな町中を15分ぐらい歩くと、海からは冷たい風が吹き、向こうの方に暗雲がたちこめていた。

    まさに、Dismaland日和。

    Dismalandの看板がかかった正面建物(ゴチック建築の廃墟)にはいれば、

    いきなり、セキュリティーチェックを通ることになる。

    スタッフたちは、ミッキーマウスの耳をつけて、不快な顔つきでわたしたちに近づいてきた。

    セキュリティーチェックの機械も、大きな無線機も、拳銃もすべてダンボールでできている。

    一緒にいった友人など、チケットを破られ、いきなり口のなかにチケットをいれられたのだそうだ。

    どの来場者にもこんな対応をしているのだろう。

    実はこれは、カナダ人アーティスト、Bill Barminskiの作品で、

    テーマパークの商業主義/ポピュリズムと現代の管理社会を皮肉っているのだ。

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    そこを通過すると、ハワイアンがどよーんと流れ、枯れかけたやしの木が植わっている。

    今やすっかり荒廃したリゾート地。

    その荒れ果てた様子を逆に利用して、テーマパークができている。

    正面には、お化け屋敷のようなシンデレラ城が聳え立ち、城を囲む池には、警察の車がひっくりかえっている。

    その警察の放水車からでた水が噴水というわけだ。

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    薄暗い城の中に入ると、いきなりたくさんのフラッシュがたかれてびっくりしてしまう。

    カメラマンたちのレンズの先には、なんと、かぼちゃの馬車がひっくり返り、そこからシンデレラが仰向けに放りだされている。

    すぐにあのダイアナ妃の事故とパパラッチたちの事と結びつくに違いない。

    これはBANKSYの作品だ。

    その脇では、釣竿でアヒルのおもちゃを釣るコーナーがある。

    水は黒々とし、その中心には全身油まみれになったペリカンがいる-もちろん、いいたい事は、石油会社の油漏洩による自然環境破壊。

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    ボードの穴から顔を出し、なにかに扮装して、写真をとるコーナーでは、

    ボードには、二つのアナがあるだけで、なにも描かれておらず、ただ、「SELFIY HOLE=自画撮り穴」とある。

    みんな喜んで自画撮りしていた。

    自分を茶化すことが、ユーモア精神の根っこだと思う。

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    別のコーナーには、まさに今の惨事。

    大きな水槽の中に、たくさんのおもちゃのボートが浮かんでいて、どのボートも避難民たちで溢れているし、水の中にはぷかぷか浮かんでいる人もいる。

    来場者はそのボートを操縦できるようになっているのだが、コントロールがぜんぜんきかない。

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    テーマパークが設置された廃墟自体がそもそも惨めだが、

    会場内にいるピンクのユニフォームのスタッフたちも、決して笑うことはない。

    作品が扱うテーマも

    - 避難民問題、グローバル化、商業主義、管理社会、消費社会、警察や軍をめぐる権力問題、イスラム社会の問題・・・

    暗澹とした現代社会の様々な問題だ。

    そこには、Banksyたちストリートアーティストらしい、批判精神が徹底してみなぎっている。

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    とはいうものの、内外のアーティストによる様々な「アート」をみて、ああ、やられたーと思ったものは、正直2-3点しかなかった。

    ある美術評論家がいうように、どこか薄っぺらで、直接的すぎるからだろう。

    だが、それはひとつひとつの作品についての印象で、

    Dismalandが面白いのは、

    むしろ、このテーマパークそのもの、見捨てられたメランコリックな環境、そこに都会から足を運ぶ人々、私自身も含めて、全体でジョークを作り出していたことだ。

    当日見逃してしまったテント(長い列ができていたので断念した)があった。

    後で知ったのだが、そこでは、皮肉をこめた社会批判のポスターが何千枚と売られていた。

    ポスターには、イギリスのバス停の広告塔をあける鍵がついている。

    わたしたちが訪れた翌日、ロンドンの地下鉄やバス停が、そのポスターに差し替えられたというニュースが流れた。

    色鮮やかで目をひく写真やコピー文をつかい、いっけん、普通の商業ポスターのようにみえて、

    よくよく読むと、体制批判の内容。

    例えば、

    イギリス製の大量の兵器がイスラエルに売られ、ガザ地区の市民がいかに大勢、殺されたかを告発するポスターだ。

    ちょうど、ロンドンの見本市で「軍兵器関連のものが取引されるフェアー」がオープンしたばかりで、それにあわせたらしい。

    そういう見本市があるなんて、おおっぴらに宣伝なんかしないから、

    ロンドンの人々はほとんど無知で、そこにきっと効果的な気付きを与えてくれることだろう。

    差し替えた張本人は、Dismalandのテントでポスターをかった普通の人たちだ。

    なかには、マクドナルドのマックの広告が、子供が描いた自然いっぱいの絵になっていた。

    「毎日、息子が学校にいくバスを待っていると、こういうジャンクフードの広告をみて、興味をひくんだ。

    糖尿病になるんじゃないかとひやひやだよ。

    だから、マックの広告をとって、息子の絵にさしかえたんだよ。この方がずっといいだろ?」

    2015-09-19 12.52.44

    こういう行為はむろん違法だ。

    興味深いのは、そうやって、市井の人々が、突然ゲリラのストリートアーティストになったこと。

    そういう行為を支持する人々が大勢いることだ。

    今までなら「プロ」のストリートアーティストにまかせていた。

    自分自身がこういう行為をしたのは、もちろん愉快犯的な要素もあるだろうけれど、

    今すんでいる世の中が絶対に変だと思うから、敢えて行為を起こしたに違いない。

    その奥には、やはり現状の政治に対する鋭く、胸のすくような批判精神がある。

    Dismalandが、西海岸の寂れたリゾート地の短期のイベントに終わるのではなく、

    それがロンドンにも飛び火して、草の根の、また今までにないような表現、特定のアーティストではなく、普通の人々が自主的にする表現する行為に広まった事自体が、たいへん興味深い。

    ブリストル育ちのBanksyは、もともとグラフィティーをやっていた。

    グラフィティーは、仲間にだけ向けた表現活動だ。

    ストリートアートはもっと一般の人を相手にする。

    美術館に行くようなちょっと高級趣味の一握りの人々だけではなく、町に生きる、町を歩く人々に向けて表現している。

    Dismalandには、子供から高齢者、車椅子の人々・・・あらゆる人々がきていた。

    驚く事に、学校からの子供たちの団体もいた。

    ロンドンからわざわざやってきた現代美術館に行くようなおしゃれな人たちもいたけれど、来場者の多くは普通の人々だった。

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    2015/9/18

  • カーニヴァルの光と影:ノッティングヒル

    ロンドンの夏は、カーニバルで幕を閉じる。

    8月の終わりの週末二日間- 町は大音響と極彩色と張り裂ける踊りで、ものすごい渦巻きになる。

    世界三大カーニバルのひとつに数えられる「ノッティングヒル・カーニバル」だ。

    だが、歓喜の祭りの裏には、暗い過去がある。

    逆にいえば、そんな過去があるからこそ、あらんかぎりのエネルギーの爆発になったに違いない。

    過去は土地と深く関わる。

    ノッティングヒルといえば、映画「ノッティングヒルの恋人」や、ヨーロッパ一のアンティークマーケット「ポートベロー」で知られる、とても魅力的な町だ。

    しゃれたブティックやレストランも並び、若者たちが住みたがる、ちょっとカジュアルな高級住宅地でもある。

    ところが、この町は、1960年代までたいへん貧しく、犯罪の絶えないところだった。

    それ以前から貧困区だったこの町に、カリブ海諸国から移民してきたアフリカ系のひとびとが多く住み着いた。

    戦後労働力を確保するために、イギリス政府が移住を優遇したり、仕事や豊かな生活を求めて、多くのひとびとが自ら移住してきた結果である。

    しかし、故郷を捨てて、外国で生活をたてていくのは並みたいていのことではない。

    イギリス社会における人種差別は根強く、労働や福祉のシェアーを巡って、さまざまな軋轢があった。

    このカーニバルは、その暗い過去からの解放と、自らのアイデンティティーを再構築する祝祭のなのだ。

    狂乱の踊りのうずのなかに、年老いたひとびとや子供連れの人々たくさんいるのもそんなわけなのだろう。

    現代風の衣装をつけた若者たちのなかに隠れて、背中に大きな貝殻をいくつもつけた鹿がいて、後ろから厳かに水をかけているグループを目にしたが、あれは、ひょっとしたら伝統的なカリブの儀式なのではないか。

    カーニヴァルで撮った写真を整理しながら、ふと、昨今のヨーロッパの最大関心事が頭をよぎった。

    シリアやアフガニスタン、アフリカなどから紛争を逃れて、決死の覚悟で過酷な旅を続ける避難民たち-とてつもない規模の大移動のことだ。

    今緊迫した問題は、もちろんヨーロッパ側の受け入れ体制だ

    。だがなんとか安住の地に彼らが辿りつけたとして、さまざまな軋轢がすぐに生じ始めることも目にみえている。

    身体は故国を離れても、心に抱いた文化アイデンティティーは自分が自分であることを確認できる重要なファクターになるだろう。

    新しい文化や生活との融合もあるだろう。

    出エジプトの昔から、いや太古の昔から、ひとびとは生きるために移動してきた。

    21世紀の現代も同じ事が起こっている。衝突はありながらも、ひとびとは新しい地でたくましく生きてきたし、これからも生きていくに違いない。

    ノッティングヒル・カーニヴァルの余韻に浸りながら、人間のもつ生命力の大きさに改めて感じ入っている次第である。

    2015/8/31

  • 全てを抱いて、宙に浮く:ケーテ・コルヴィッツ

    目をみはって少女は怒っていた。

    展示壁には、たくさんの自画像 − ひとりの人生が並べられている。

    年月が過ぎ、少女は老いて、

    今や彼女の目はうつろだけれど、ごつごつした手には様々な感情が交錯する。

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    次の展示室に足をすすめると対象は群像になる。

    貧しい人々、働く人々、母親、子供たち。みな社会的弱者だ。

    ドロゥーイングから、エッチング、木版画、そして彫刻。

    弱い人々に対するシンパシーと同時に憤りがこめられ、どれもこれも、とてもパワフルだ。

    なかでも心動かされたのは、死んだ息子を抱く母である。

    慟哭の顔、魂がぬけたような顔、命がけで守ろうとする大きな腕、幼い顔を優しく抱く皺だらけの手・・・

    時に、死んだキリストを抱えるマリア、ピエタ像と重なる。

    違うメディアで、違うアプローチで、これでもかこれでもかと同じテーマに迫る。

    女性アーティストの名前は、ケート・コルビィッツ Kathe Kollwitz 。

    第一次、第二次大戦と戦争の時代を生きたドイツ人である。

    彼女もまた、第一次大戦で息子を、第二次大戦では、孫をなくした。

    戦争に対する非難を表現してきたために、本人や夫もナチスに脅迫された。

    作品の圧倒的なパワーは、自分が生き抜いた苦悩の深さからくるに違いない。

    もうひとつ、よく使われたモチーフに、宙に浮く人体を描いたものがある。

    時に亡骸のように見える。

    一縷の望みを抱いて飛ぶ人間そのものにも見える。

    墓の中で硬直したまま横たわるイエス・キリストのイメージ

    − あの、ホルバインの絵とも、繋がる。

    この夏、友人とドイツのケルンに行った時、

    Kollwitzの事、彼女だけをとりあげた美術館がある事を教えてもらった。

    恥ずかしながら、このアーティストの事を全く知らなかったのだが、

    わたしにとって、ケルン大聖堂にも劣らぬ、忘れがたい深い出会いになった。

    そこでたまたま出会った英国人と言葉をかわすチャンスがあった。

    彼らは、Kollwitzのことを、一昨年前に大英博物館でやっていた「ドイツ展」で、知ったという。

    その展覧会で、Kollwitzの友人が手がけたKollwitzをモデルにした像をみたのがきっかけなのだそうだ。

    実はわたしもその展覧会に行き、像も目にしていたのだが、たいして記憶に残っていなかった。

    ぼんやり覚えているのは、独特な顔をして、宙に浮かんでいる像だ。

    彼らは、この美術館のそばにある教会にいけとすすめる。

    大英博物館で展示された、宙にうくKollwitzの像があるという。

    彼女の作品にとても感銘を受けたので、ぜひ、訪ねる事にした。

    教会の暗いステンドグラスの前に、まさにそのKollwitzの像が宙に浮いていた。

    その下には、第一次世界大戦と第二次世界大戦の年号。

    その作品を、そのセッティングのなかでみて、大英博物館では思いもしなかったような、震えを覚えた。

    教会の前に彼女の生涯の仕事をみせてもらったお陰なのだろう。

    宙に浮くKollwitzは、もはや、死んだ自分の息子だけの母ではない。

    全ての兵士たちの母、

    ドイツ兵だけではなく、全世界の子供たちの母である。

    だけれど、もう、しっかり腕をまいて子供たちを守る必要もない。

    死んだ子供たちの魂とその悲しみを優しく抱きながら、ひとつになって空を飛んでいる。

    怒りと悲しみを超越した穏やかな顔をしていた。

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    2015/8/24

  • あの後、アーティストは何もいわなかった:Chim↑Pomの場合

    「2011年の震災の後、アーティストはほとんど何も作らなかった。でも、何かしなくっちゃ。でないと、アーティストは何も表現しなかったと将来に認めさせる事になるから」

    2015年初夏、日本の若手アーティスト集団Chim↑Pomが、展覧会の準備のためにロンドンにきていた。

    冒頭は、その記念トークでの、メンバーのひとり卯城の発言だ。

    確かに、東北大震災、それに続くフクシマの惨事がおこった時、

    アーティストたちは頭が真っ白になって、「アーティストとして、いったい自分に何ができるのか」と身がすくんだという。

    たくさんの予定された作品展が、刺 激が強すぎるからといって、キャンセルにもなった。

    せいぜいあるとしたら、チャリティー目的の心を和らげるような小品の展覧会ぐらいだったのだろう。

    そんななか、Chim↑Pomはすぐさま行動をおこした。

    まずは、渋谷駅にある岡本太郎の壁画「明日への神話」の欠けている部分(最初のセッティング状況ではじめから不定形だった)に、

    岡本の作風をまねて、福島第一原発が爆発した絵をはめこんだ。

    許可を得ずに公共の場でやったゲリラ作戦である。

    だが、コンテキストをよく考えた、かつ時機を得た表現活動だった。

    なぜなら、岡本の絵も、第五福竜丸の被爆をテーマにしたものだからだ。

    確かに過激ではあるけれど、

    口をつぐんだまま町ゆく人々に、麻痺してしまった社会に、

    その過去と今起こった現実を結びつけ、はっとさせたという意味では、

    大変パワフルな行為だったと思う。

    過去のダークな社会的出来事、みんなが素通りしてしまう現実に対して鋭く警告をはなつという点では、彼らには前歴がある。

    2008年、広島の空、飛行機雲で「ピカッ」の字を描いて、社会を驚かせた。

    主要新聞のトップ記事にもなったから、覚えがあるのではないだろうか。

    あのときは、市民を「不快な気分」にさせたと非難の声もあがったが、

    彼らとしてはそんなネガティヴな反応がおこることは、最初から折り込みすみだったに違いない。

    そんなことより、鋭い切り口で社会を「騒がせる」事が重要だった。

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    フクシマの非難地区にも立ち入った。

    6人のメンバーが白い防護服をまとって、立ち入り禁止区域にはいりこみ、

    白旗と日本の国旗と原爆のマークの旗をたてて、ビデオ作品をつくった。

    ロンドンの会場から、「あなたたちの行為は、原発反対という政治活動なのか?それともアートなのか?」と質問があった。

    「反対とか賛成とかいっているのではないんです。

    わたしたちはあくまでもアーティストなので、社会におこった出来事に反応しつつ、

    より抽象的に問いかけているだけです」と、集団で紅一点のエリイ。

    つっけんどんな感じだった。

    そいう問いには、答え慣れているんだろう。

    「解釈するのはあなたたちだから」と、多くは語らないアーティストをちゃんと演じている。

    彼らの作品はそれがビデオであれ、パフォーマンスであれ、正直いうとわたしの好みではない。

    あまりに直裁的で、そういう行為がおこなわれたと記事で読めば、なるほどと納得できてしまい、

    で、もうそれで充分で、彼らの作品をじかにみてみたいとは思わない。

    だけれど、日本社会が、目にみえない拘束社会になってきているのなら、

    彼らのような若手表現者たちが、風穴をあけてくれるのは注目に値する。

    放射能汚染が目にみえないところで、フクシマに限らず日本を覆っているのなら、

    その現実に「想像力」をもって立ち向かわなければならない事を

    気付かせてくれるという意味では、エールを送りたい。

    最後に一つ、わたしがトークで質問し損なった事。

    Chim↑Pomのなかでエリイという存在は、ジェンダー的な観点から、どう位置づけられるのだろう。

    集団として、どう考えているのだろう。

    彼女は常に女性性を全面にだしているし、周囲はそれを強調しているようにみえる。

    彼らの名前が端的に表しているように。

    ヨーロッパのアーティストだったら、きっと説明を求められるに違いない。

    Chim↑Pomの場合、とても曖昧な感じがする。

    ひょっとしたら、それも日本社会の特徴なのだろうか?

    「勝手に解釈して」で、すまされるのだろうか?

    2015/5/15

  • イギリスのミュージアムにある日本のモノ

    イギリスには、日本のモノ(美術・工芸・その他)をもっているミュージアムが何館ぐらいあると思われるでしょうか?実に150を超えるといいます。

    その数をはじめ聞いた時、少なからず驚きました。さすがミュージアム大国、いや大帝国だった名残と言ったほうがよいのかも。

    だけれど、日本を専門とする学芸員がいるのは、大英博物館やヴィクトリア&アルバートミュージアム、スコットランド国立博物館など、両手でおさまるくらいだといいます。

    つまり、ほとんどのミュージアムは、ほかの地域や分野を専門とする学芸員が面倒をみているってわけ。

    いったい、イギリスにおける日本コレクションの実態はどうなっているのでしょう?

    少し前ですが、大学共同利用機関法人・人間文化研究機構 (本拠:国立歴史民俗博物館)から、

    その実態調査のお手伝いをする依頼をうけました。

    具体的にした仕事内容(ディレクターの個人の仕事として)は、

    日本コレクションをもつミュージアムのウェブサイトを調べ、

    どのくらい日本コレクションが紹介されているか、どのような紹介のされ方をしているのか等の調査と、

    担当学芸員に直接アンケートを依頼し、

    オンライン構築上に直面している問題点とか、日本からどのような支援を得られれば有効かなどを聞きとり、

    それを分析する事でした。

    その結果をここでお話するつもりはないけれど、

    (ご興味がある方は、ページ下にある報告書を参考にしてください。)

    その調査の一貫で出会ったある日本展示室の様子や、考えたことを記しておきたいと思います。

    イギリスという国が日本をどうみているのかー

    その一辺がわかって、後からでも興味をもって読んでいただけるのでは?と思うからです。

    ダラムは、イングランドの北部にある、ユネスコ世界遺産にも指定された歴史ある美しい町です。

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    ダラムには、オックスフォード、ケンブリッジに続く歴史ある大学があります。

    ハリーポッターで一躍有名になったダラム大聖堂もあります。

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    訪れたダラム大学のミュージアムは、町の外れにありました。

    大学のミュージアムっていうと、日本の大学ミュージアムのような、堅苦しいイメージがありますが、

    このミュージアムは、家族向けをメインとした、とても親しみやすいものでした。

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    展示室の全体はこんな感じ。韓国と隣り合わせにあります。

    右手に仏像とか甲冑とかがみえますね。

    もう、「日本といえば○○○」、という代表格です。

    手前は、子供たち用の小さな机と椅子。

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    こんな日本風のリラックスするワークショップスペースもあります。

    襖絵をみながら、サムライたちの物語を読み解くのでしょーか。

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    このへんも、典型的な日本を代表するモノたちです。

    でも、日本で使われたモノではなくて、ヨーロッパへの輸出用の磁器です。

    鎖国されていても、日本とヨーロッパのあいだに交流があったことを伝えているのですね。

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    古いものばかりではなくて、現代の工芸家の作品も隣に並んでいます。

    そうかと思えば、着物のとなりにあるのは、かわいいファッション。

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    かわいいファッションの下には、セーラームーン。

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    そいでもって、リラっクマ温泉グッズまで!

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    日本って、面白い国ですね~。

    富士芸者のステレオタイプではなくて、こういう新しい面を紹介してくれているのは、なんだか嬉しい。

    まさに今の日本の一面なんだし。

    イギリスの若者も漫画やサブカルチャーから日本に親しんでいるのなら、

    それをとっかかりにして、日本にますます興味をもってくれるし。

    そのことをミュージアムはわかっているのですね。

    でも、このミュージアムの学芸員も日本の専門ではありません。

    特別展示では、50年代から70年代の日本の映画ポスターの展覧会とかをしていました。

    彼女は、なにもないところから、苦労して調査したんだと話してくれました。

    こういうがんばってくれている学芸員がいる一方で、

    残念ながら、もっているコレクションの価値が充分わからず、

    昨今のキューキューの経済事情で、コレクションを売り飛ばさざるを得ない館も、実際でてきているようです。

    日本側がなんとか手をかしてあげて、

    イギリスのミュージアムで日本の文化をもっと活き活きと紹介してくれて、

    世界のひとびとが日本のことをもっとわかってくれたら、と素直に思います。

    アートローグは、

    日本とイギリス(ヨーロッパ)の文化コーディネートのお手伝いもしていますので、

    何かお役に立てそうなことがあれば、是非ご連絡下さい。

    ・・・と、今回は、宣伝で締めくくってしまいました。

    ちなみに、冒頭に書いた報告書は以下になります。


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    『英国とアイルランドの日本関連コレクションの現状とデータベース化に係る調査報告書』

    大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 編

    執筆者 三木美裕

    データ集積/分析 吉荒夕記

    監修  国立歴史民俗博物館 館長 久留島 浩