カテゴリー: 旅

  • ビーバーたちの家:英国ウェールズ 2020年

    先回のブログからに引き続き、英国ウェールズの旅にお付き合いください。

    ウェールズ中央の人里離れた渓谷、そのまたドンツキにある宿に滞在しています。

    経営者のシャーロンたちは、自然と共存する生き方を問いかけていて、おおいに刺激を受けました。

    このエリア、かつては銀鉱山があったところなんですね。

    山深く、城郭遺跡かと思うような堅牢な建物、実は19世紀初期からの産業遺跡に出会したりします。

    宿から1時間ほど歩いたところには、スナフキンが住んでいそうな湖があったりして。途中には、ネコバスが通りそうな、バス停があったりして。

    そんな環境で、30年前から木を植え、オーガニックな手法で野菜を育て、動物たちを放し飼いで飼ってきたそうで。

    前のブログでも書いたように、サスティナブルな自然との共存を実践しているわけですが、その裏にはきっと、計り知れない苦労があったに違いありません。

    ところで、その循環の役割を担うことになったのが、もう400年以上も前に絶滅してしまったビーバーたちなのです。

    とある経緯で、数頭を入手し、敷地内を流れる小川に放ちました。

    やがて彼らはダムをつくり、小さな溜池ができる。その真ん中の小さな島がかれらの巣になるのです。

    溜池には小さな生物が生存始め、水草や植物が多様化し、渡り鳥がやってくるようになる。結果として、このあたりの自然の循環が改善されました。

    そして、たびたび下流でおきた洪水被害もうんと少なくなったそうです。

    シャーロンのパートナーは、毎夕、夜行性の彼らに人参やりんごなどの朝ごはんを用意します。ビーバーたちとの信頼関係が根付いていったのでしょう。

    わたしたちも、その朝ごはんの様子を距離をおいてそっと見守ることができました。

    2020.8.14

  • サステーナブルな旅・ウェールズ2020

    「どう?この絡み合ったカップルみたいなやつは?」と、シャーロンが、土からニンジンを引っこ抜きながら、笑ってみせてくれた。

    「他に何がいる?ロシアン・ケールなんていけるのよ」

    ケールとは、日本ならあの「青汁」で有名な、肉厚のいかにも栄養素の高そうな野菜だ。

    彼女の広々とした野菜畑で、あれこれと教わりながら、あっという間にバケツがいっぱいになった。

    「あ、卵と蜂蜜も入れてください」

    シャーロンの宿に着いた時、出迎えてくれたのは放飼いの鶏やアヒル、鴨たちだった。

    敷地の奥では、ミツバチも育てている。

    温室では、ウエールズの気候では育ちにくいハーブや果物、ブドウまで育てている。

    ここはウェールズの中央「アーティストの谷」という名の渓谷。

    主要道から離れ、中型車が一台通れるくらいの曲がりくねった細い道を10 分ほど走ったどんづまりにある宿だ。

    もともとロンドンの人材派遣会社で働くキャリアウーマンだったシャーロンが、30年前に耳の聞こえないパートナーとこの土地に移り住み、さまざまな木を植え、エコ農業を始めたという。

    B&Bでありながら、ひとびとにサステーナブルな自然との共存を伝える教育システムにもなっている。

    ここでは、排水も排泄物も含め、すべてを循環させる環境システムをつくっている。

    思えば、人間の身勝手な活動のせいで、地球の大きなシステムが壊れたことが、現在のコロナの根元にあると思えば、

    このウエールズの山中にきて、ただ、窮屈で暑い都会から離れてリラックスしているだけではないより重要なことを気づかされる。

    ところで、シャーロンの宿のシステムの大きな役割を担うことになったのが、ある動物たちなのだが、そのことは次のブログでお伝えすることにしましょう。

    ともかくも、スイスチャードもケールも、個々の野菜の独自の風味がいきるよう単純な料理をした。

    あの不味い!もう一杯と、冷やかされた野菜が、独特の優しい甘みがあり、歯応えがあり、とても美味しかった!

    2週間ほど、ウエールズで過ごします。

  • バンクシーの「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」に泊まったら・・@ベツレヘム、ヨルダン川西岸パレスチナ

    2019年4月、イスラエル旅行の最後に、ベツレヘムにあるバンクシーが建てたホテル「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」の「バンクシールーム」に泊まりました。

    自分へのご褒美です!

    イスラエル政府がパレスチナとの間に建立した分離壁のすぐ横にあります。

    ホテルにはバンクシーのブラックユーモアやメッセージがたくさんありました。

    宿泊客しか入れないエリアも含めて、写真でお伝えしますねー。

    ウォールド・オフ・ホテルの正面。すぐ右側に素晴らしく頑強な分断壁がある。命名は、アメリカ資本の最高級ホテル、「ウォールドフ・アストリア」のもじり? もとはなんの変哲もないビルだったらしい。そこをステンシルでバルコニーやギリシャ風のフェイク柱を描き、豪華にみせた。
    赤いユニフォームを着たチンパンジーのドアーマンが迎えてくれる。「マダム、お荷物をお持ちします。あら、蓋があいちゃった。まだ新米なもんで、すっんません。にしても素敵な下着をお持ちで。」「失礼な。それ、あたしが着るような下着じゃないよ。」
    レセプションには、ロンドン、NY、エルサレムの時間を示す時計。バンクシーネズミが回っている。東京は遠すぎる?
    ホテルのコンセプトは20世紀初めのコロニアルスタイル。壁には剥製の動物の頭の代わりにCCTVカメラ。鉄砲の代わりに壁を壊すトンカチとかが並んでる。一番下には、ダイアナ妃とかの記念プレートが。
    20世紀のホテルを再現するのに、グランドピアノは欠かせない。天井からは救命マスクをつけたエンジェルたち。ホテルがオープニングした時には、イギリスからの遠隔操作で、エルトン・ジョンがピアノ演奏をしたらしい。
    かの有名なバンクシーのストリートアートも金色の額縁に。しかも、花束は本物の花瓶に入っている。
    一見、本棚。でも秘密のドア。客室に行くにはこのドアをドロンと抜ける。ちなみに客室数は9つ。ドミトリー形式からジャグジー付き豪華部屋まであります。
    客室をつなぐ廊下には、バンクシーらしいセッティングが。「TWO DOGS」! 確かに、イギリスの画家は犬を描くのが好きだからね。
    将来的には、ちゃんとバリアフリーにするらしい。でも、コンセプトは壁なのよね〜。
    じゃーん、わが「バンクシー・ルーム」。今宵は、どんな夢を見よう?
    ルーム・キーは、すぐそこにある分離壁の形をしてます。
    テレビのスクリーン、割っちゃったの? いえ。これはテレビのように見えるアート作品で部屋にテレビはありません。わたしらをカメラで面白半分で映すなよ!とパレスチナのおばさん? バンクシーのホテルではお馬鹿でフェイクなテレビ番組なんかみないで、ゆるりと本を読みなさいと諭されます。はい。
    だから本ならいっぱい。自由に読んでいい。しかも古本。徹底して1920年代風。
    水は大事な資源。ホテルで一回使っただけのタオルを洗うのに、大量の水を使ったりなんかできないよ。イスラエル側から意地悪され、水不足のパレスチナのために、お泊りのお客さんも協力してね。はい。
    バンクシーホテルの宣伝文句は、「世界一、眺めの悪いホテル」。これが、二階にあるバンクシールームからみた景色。分離壁のあちらには、イスラエルの近代的な街がどんどん建築されているらしい。壁には世界中からやってきたストリートアーティストの絵。写実的な女性の絵はパレスチナの16歳のヒーロー。
    ホテル内には、分離壁についての歴史的な検証をする小さなミュージアムやパレスチナアーティストの作品が紹介されたアートギャラリーがあります。ユダヤ人も来ていました。
    ホテルのブレックファースト。フムスやらやわらかいパンやらのパレスチナ料理。ユダヤの料理に似てるんだよね。美味しかったわ〜。
    ロビーからみえる「最悪」の眺め。壁のせいで日照時間はとても短いけど、ストリートアートがエネルギーをだしてる。
    16日間の旅おしまい。よく歩いてヘトヘトだけどいっぱい学んだし、実に楽しかった〜。明日はロンドンへ帰ります。
  • この岩の上でキリストは処刑された:エルサレム2

    エルサレム旧市街には、新約聖書つまりキリストの話に登場するシーンが点在している。

    聖母マリアが生まれた所とか、キリストがエルサレムに入城した門とか、最後の晩餐をした洞窟とか、逮捕された郊外とか。

    とりわけ強調されるのは、キリストが有罪を言い渡された場所から十字架を背負って丘を登り、埋葬されるところまで、順に辿れるルートになっていることだ。

    途中にはステーションといって、母マリアに最後の別れをしたとか、ヴェロニカが汗をふいてあげたら、その布にキリストの像が映ったとか、三度倒れたところととかに、ひとつひとつ小さなチャペルが立っている。(全部で14箇所あるらしい)

    世界各地からやってきたたくさんの信者たちは、キリストの最後の道行きを自分の足で辿る。

    各ステーションに立ち寄っては、ガイド役の神父や司祭の話を聞いたり、肖像画にキスをしたり、賛美歌を歌ったりしている。

    その様子を観察しながら門外漢の私は、こうしてキリストの最後に自分を重ねる行為が、何百年も続いた巡礼なのだろうと想像した。

    巡礼のクライマックスは、キリストが処刑され、埋葬されたところといわれる、「聖墳墓教会」だ。

    混み合う時間を避け、朝7時ごろエルサレム旧市街の中心にあるその教会にに到りついた。

    ローマのサント・ピエトロ大聖堂やパリのノートルダム大聖堂のように、決して壮大でも豪華でもないが、オレンジ色の光を受けて美しい。

    暗い教会の中に入ったら、いきなり玄関の床に跪いている人たちがいる。

    よく見ると細長い岩にキスしたり、布で拭いたりしている。

    後で知ったのだが、その岩は処刑された直後にキリストの遺体が横たえられ、埋葬前に香油で身体を清められた場所だという。

    教会建物内の細い階段を上ったところには、キリストが十字架に架けられたといわれるところがある。

    小さな礼拝堂は早朝から人でいっぱいで、巡礼者たちはそれぞれに祈りを捧げていた。

    きれいに飾られた主壇に向かって数人が列をなしている。

    最前列の人は跪いて、床にキスをしている。

    よくみると、またそこに「岩」があった。

    聖なる十字架が立てられたスポットを意味する「岩」だ。

    新約聖書では、十字架の足元には最初の人間のアダムの遺骨があったとし、旧約聖書(ユダヤ教)と繋げる。

    聖墳墓教会の中心はキリストの墓。

    同じ建物内のドームの中心にそれがある。

    信者でない私は中に入ってはいないけれど、きっと石棺があるのだろう。

    世界各地のさまざまな宗派の人びとがここに集まり、それぞれの宗派のやり方で祈りを捧げている。

    白い衣装をまとったエチオピアの人びと、赤い豪華なマントをつけたカソリックの僧侶たち、エジプトのコプティック派の信者たち、茶色い僧衣のフランチェスコ派の神父たち、インドの衣装をまとったキリスト教徒たち、白い衣装の尼僧たち、黒づくめのギリシア正教の司教たち。

    先日、エルサレムは違う宗教の多様性が出会う場だと書いたけれど、キリスト教だけをみても、さまざまな宗派や祈り方やシンボルや服装があるのが観察できる。

    それにしても興味深いのは、先回のブログで書いた「岩のドーム」と同じように、またしても「岩」が聖地の印であることだ。

    聖書の出来事が起こったところがそのまま聖地になり、その上に教会が立つというのがよくわかる。

    岩はその場にある。消え失せない。動かない。

    そのストーリーが本当にあったことの、確たる証拠であり認識の礎なのだ。

    その岩を通して、信者たちは自分の信仰を自身が出会う風景の記憶に刻み付けている。

    ちなみに、エルサレムの城壁の外に、キリストが一旦復活して、天に昇ったところといわれる場所(「昇天の礼拝堂」)があり、小さなドームの中央に、キリストの最後の「足跡」がついた岩があった。

    ロンドンの美術館でガイドを文化講座を実施したりする中で、

    キリストの生涯は絶対欠かせないトピックだけれど、

    これまで、ラファエロやルーベンスたちが描いた作品を通して知っていた断片話が、エルサレムの街を自分の足で歩いてみて、その一片一片を実際の空間の中でつなぐことができ、大いに興味深かった。

    2019.4.10

  • この岩があったところ、神は天地を創造した:聖地エルサレム

    この岩があったところで、神は天地を創った。
    土と自分の息から最初の人間も創った。
    時が経て、その子孫のアブラハムは、
    「お前の子を殺せ」と神から命ぜられ、
    同じ「岩」の上で我が子イサクに刀を向けた。
    今にも手を下ろすところを、天使に止められ、
    神との契約が交わされた。と、ユダヤ教はいう。

    イスラム教は、メッカにいた預言者ムハンマドが大天使ガブリエルに連れてこられ、「その岩」の上から天に昇ったところだという。

    キリスト教はユダヤ教から生まれた新派で、旧約聖書はユダヤ教の話であることは周知の通り。
    聖母マリアに神の子をみごもったと告げたのは、ムハンマドを天に連れて行った同じ大天使ガブリエルだった。

    歴史を通し、そして今も紛争がたえない三大宗教だが、実は兄弟のように似通っている。
    考え方も儀式のやり方も建築様式も服装も、共通点がたくさんあるのに驚く。
    「岩」も共通する礎で、その岩がこの青い六角形と金のドームをもつ建物の中にある。

    ユダヤ教もイスラム教も、違う時代に「岩」を塀で囲い、やがて立派な神殿を建てた。
    写真の金のドーム、青いタイルをもつ建築は、紀元後7世紀末にこの地がアラブ、ウマイア朝の支配下になった頃、
    イスラム教の神殿として造られた建物(その後、16世紀に今の形に)だ。
    今、「岩のドーム」として知られている。

    ここは、エルサレムの旧市街。聖地中の聖地だ。
    歴史の巡り合わせで、現在はユダヤ教の国イスラエルにあって、
    イスラム教が管理する神殿で、建物内には基本的にはイスラム教徒以外入れない。

    しかし、それを囲む巨大な敷地、かつてユダヤ教のダビデ寺院があったところには、世界中から人びとが訪れる。
    わたしたちのような観光客だけではなく、世界各地から訪れた各宗教、各宗派の信者たちも。
    茶色のドミニコ会の僧衣を着た神父が率いるグループもあるかと思えば、黒づくめの正統派キリスト教徒らしき人びと、
    イスラムの礼拝にやってきたベールの人たちもいる。

    すぐそばには「嘆きの壁」があり、ユダヤ教徒たちが、本を片手に頭を振りながらお祈りを捧げている。
    集まる人びとの様子をみていると、まさに何千年も前に生まれた宗教の交流やすれ違いが、現在を生きる人びとにもおこっているのを目のあたりにして、実に感慨深い。

    エルサレム旧市街には「岩のドーム」以外に様々な聖地が点在している。
    その点と点をつないで人びとが行き交っている。
    聖地のそばには市が立つ。
    石畳の細い路地は食材や土産物やカフェが並び、とてもカラフルでエネルギッシュだ。

    外観だけ見ればイスタンブールやマラッケッシュやカイロに似ているが、エルサレムが全く違うのは、なんといっても宗教的・文化的な多様性だ。
    店もイスラム系、ユダヤ系、アルメニア系などいろいろあるけれど、そこで出会う人びとの多様性に驚く。

    本をもって、もぐもぐ言いながら歩く黒ずくめのストイックなユダヤ教徒たち。

    アメリカ訛りの英語で、たぶん金融街で働いていて、ここまでやってきました的な、でも今日ばかりは伝統的なユダヤの服を身につけた若者たち。


    そろいの帽子やスカーフをつけて、インドネシアや中国やオランダやロシアやら、ありとあらゆる国から大型バスでたどり着いた21世紀のキリスト教巡礼者たち。
    格子模様のスカーフをまいたアラブ風の男や全身を覆ったイスラムの女たち。

    世界各地で宗教をめぐる紛争が今も絶えないのに、わたしが訪れた時のエルサレムはいたって平和だった。
    異なる宗教が袖すり合わせる中、一発触発がおこったって不思議ではないのに、そのような気配は感じられず、お互いを普通に受け入れるのが日常の風景になっている。

    この五日間、迷路のような旧市街を歩きながら、ふと思いついた。

    エルサレムの平和の理由は、ここが共通の聖地であり、お互いをリスペクトする空気が歴史を通して熟成したからではないかと。


    「岩のドーム」がイスラム教の管轄だが、「モスク」ではないのも、他の宗教に対するリスペクトからだという。

    エルサレムには政治を入れこまないような暗黙の了解がある。だから、ここには各国の大使館がない。

    (2018年、ドナルド・トランプが米大使館をテルアビブからこの地に移したのは、大変思慮に欠ける事だった)

    明日からエルサレムを離れて地方を周る。そこでは、エルサレムとは違う印象を持つかもしれない。

    2019.4.16

  • ローマ:古代文明がつながる結節点

    2019の年頭にローマを旅した。

    ここ2-3年、エジプト、ギリシャと周り、この旅はその延長上にある。

    2度目のローマだ。10年前はお登りさんだった。

    今回、この順でまわったのは、古代文明の変遷と交流をこの眼で、現場でもう一度みたかったからだが、手にとるような小さな展示物から巨大な遺跡まで、あらゆるところでローマが文明の結節点だということを確認し、大いに満足して帰ってきた。

    キャパ以上に歩きすぎ、見すぎで、足は棒で頭はグチャグチャだけど、2つだけ書いておきたい事がある。

    1つ目は、有名なヴァチカンの、サント・ピエトロ大聖堂のとある一角。

    ご存知、教皇がいるカソリックの総本山。

    ここが最重要地になった理由は、キリストの弟子、聖ペテロが十字架に掛けられて処刑された聖地だからといわれる。

    じゃあ、なんでここなのかというと、キリスト教が禁じられていたローマ帝国時代、円形競技場、いわばエンターティンメントの場だったからで、処刑もここで行われた。

    すなわち、闘牛と同じように処刑はエンターティンメントのひとつだった。

    サント・ピエトロ大聖堂の前に巨大な円形広場が広がっている。

    丸い輪郭を辿って、そのまま古代のコロセウム(大円形競技場)を想い浮かべてみよう。

    あなたは、円形広場の中央に、古代エジプトのオベリスクが立っているのを目にするだろう。

    もともと、エジプト征服の戦利品としてもたらされたもので、カリギュラ皇帝によってコロセウムの中心に立てられたという。

    想像図の中央にそのままオベリスクを立ててみるのはいとも簡単だろう。もし、その場でできるなら、ついでに逆立ちしてほしい。

    それがまさに、聖ペテロが逆十字架にかけられた時に、両の眼に映ったはずのオベリスクなのだ。

    聖ペテロの処刑 / カラヴァッジョ

    時がたち、キリスト教は公認され、さらに時がたつと、この地はキリスト教の本拠地となった。

    大ローマ帝国が滅びたのは、その少し前だ。

    現在、オベリスクの一番てっぺんをみると、小さな十字架があるのがわかる。実は、その十字架には、キリストが処刑された時の十字架の一部が埋め込まれているのだそうだ。

    なんという歴史のドラマだろう。

    まるで、時間がこの円形広場に渦巻き、その中央で光のようにまっすぐ空に向かっているようで、その風景の中に佇むだけで身震いがした。

    *****

    2つ目、ヴァチカン美術館。

    ヴェルベデーレのトルソとか、システィーナ礼拝堂とか、カラヴァッジョとか、お宝がたんまりあって、1日あっても足りないくらいの美術館だが、今回のわたしの密かな発見は、こちらの大理石の男性像だった。

    ぱっとみたら、ローマやギリシャのミュージアム、あるいは大英博物館やルーブル美術館などどこにでもありそうな像だけど、

    よくみると、エジプト風で、ギリシャ彫刻のような肉体美をもち、その顔をみれば実にローマ的。

    ふっくらした頬と顎、花びらのように愛らしい唇をもった、若い男性の顔だ。

    ギリシャ彫刻の理想的立像に、エジプト風の衣装を着せ、ポーズをとらせているが、

    顔にはローマ芸術の特徴である「個」が描れている。

    モデルになった実在の人物がいるに違いない。

    解説をみると、「オシリス−アンティノオ」とある。

    実は、アンティノオは、あの有名なハドレアヌス皇帝(属州ブリタニアにハドレアヌスの砦やローマのパンテノンなど名建築を残した人)の若き恋人なのだ。

    そう、つまり(かなりの確率で)ゲイである。

    皇帝は、ビロードのような黒い目をしたアンティノオを一時も離さず、アフリカへの遠征にも連れて行ったが、その若者はナイル川で溺死してしまった。(自殺説もある)

    彼の死から皇帝は人が変わったように、内にこもってしまったという。

    ハドレアヌスは、自分の別荘にアンティノオのための神殿を造らせた。

    この像はそこに飾られていたものという。ちなみに、オシリスはエジプトの死の神である。

    近代美術史の父といわれるヴィンケルマンはこの像を絶賛している。

    エジプト、ギリシャ、ローマ・・・

    古代の人々の時空間のスケールの大きさがこんなひとつの像にもみてとれないだろうか。

    ローマで味わった歴史文化奥深さを、ここで十分に表現できないのがもどかしいけれど、

    ロンドンに戻り、我家の前に流れるテムズ川を見下ろしながら、

    まだ、記憶が新鮮なうちに、言葉にしておこう。

    紀元後43年、古代ローマはブリタニアを征服し、海潮が入る川があるから、この地を属州ブリタニアの都とし、街を作り、それをロンドニウムと呼んだ。

    ロンドンの始まりである。

    2019.1.19.

  • ギリシャ正教のイースター

    2018/4/7、ギリシャ旅行5日目、ペルセポネス半島南にある港町、Nafplioに来ている。

    紀元前の昔、ここにはケーネ文明が栄えた歴史があるが、その後、長らく、マケドニア、ローマ、ビザンチン、ベニス、トルコなど他国に支配され続けてきた。やがて19世紀になって、ギリシャが独立を果たした時、この国の首都になったのはアテネではなく、この町だという。といっても都市というよりは、ベニスを思わせる建物が並んだかわいい町だ。

    その日は旧暦でイースターのグッドフライデーの日だった。

    ギリシャ正教のイースターの祝い方、人々の過ごし方は、プロテスタントはもとより、カソリックともずいぶんと違う。

    当日は朝から、町に点在する教会の鐘が鳴り響いた。時に不協和音を生じさせたり、時にハーモニーを醸し出したりしながら、町全体を祝祭的な雰囲気に満たしていた。

    夕方になると大勢の住民が中心部にある教会に集まってきた。

    年寄りも若者も、みんな黒い服を着ている。まるでお葬式のようだ。

    旧市街にある歴史ある教会に行くと、中は人でごった返していた。

    明るめの旋律の聖歌が教会内に響き、ろうそくが揺らめき、香しい香りで満たされ、

    壁から天井には金箔を施したたくさんのイコンが並び、紫の布で飾られていた。

    シャンデリアの下などさまざまなところに、イースターエッグの飾りもぶら下がっていた。

    教会の中心に花で飾られたドーム型の大きな置物がある。人々はそこに向かって前へ前へとゆっくり流れていき、その置物にキスをして行った。

    黒い被り物を纏った僧侶は、周囲を回り、御香や花びらや聖水を撒き散らしていた。

    教会内での一連の儀式が済むと、今度は、磔刑に使われたほどの大きな十字架を先頭にして、聖書を手にした僧侶、花のドーム、聖歌隊、ろうそくをもった一般参列者という順番で列を作って、教会から出発して、町の中心部を練り歩き始めた。

    やはり、ろうそくを手にした大勢の人々が、沿道に並び、その行列を見送る。

    行列を見送り、花のドームを間近でみて、初めて気がついた。

    これはイエス・キリストの葬列で、ドームは花で飾られたキリストの棺なのだ。

    グッドフライデーとはイエス・キリストが十字架に架けられて、亡くなった日とされている。

    ギリシア正教では、こうして毎年、キリスト埋葬の儀式を執り行って、彼が私たちの犠牲で処刑されたことを、思い起こすのだろう。

    ロンドンでは形式しかほとんど残らず、卵のチョコレートが売られたり、ウサギの飾り物を飾ったりするのが目につくほどで、商業ベースになっている印象が強い。(もっともカソリック教会などは伝統的な儀式をしているところもあるけれど)でも、ギリシャではまだまだ人々の生活に根付いている気がした。

    ギリシャの町では、イースターサタディーの深夜、キリストの復活を祝って花火があがるらしい。

    イースターサンディーは、クリスマスと同じように、家族で祝う宴会の日だ。羊の丸焼きがメインらしい。羊って、思えば、キリストを意味するのだけど。食べちゃうのね。

    4/9には、わたしたちは、山中にある違う町に移動していたが、そこの宿の人が、伝統的なイースターのお菓子をわたしたちに作ってくれた。

    小麦粉と卵と蜂蜜とナッツでつくった揚げ菓子。わたしたちも少しだけ、イースターのお祝いを楽しませてもらった。

  • オリンピアで古代と近代のオリンピックを比べてみる

    16日間のギリシャ(ぺルポネス半島)の旅行で、10箇所近い古代遺跡を見て回った。

    どれも似たような建造物なので、しまいにゴッチャになってしまった(笑)。

    でも、オリンピアだけは他と違っていた。

    紀元前8世紀に始まったというオリンピックの発祥地。

    他の遺跡と何が違うかというと、ここが人が住む都市ではないことだ。 わたしはオリンピアという都市があって、そこで競技会が開催されるのだと思い込んでた。 そうではなくて、ここは完全にオリンピックのためだけの場所なのだ!!

    4年に一回だけ、ギリシャ全土や遠くギリシャの植民地(遠くマルセイユとか)から、競技者が集まり、それを見に来る人々が、ここに集まるのである。 だから、競技場だけではなく、広大な敷地に、ゼウスの神殿や選手たちの練習場やホテル、お風呂、判定者たちの集会場、各都市の神殿などが点在している。

    まずは、これがその競技場。

    ここがレースのスタートラインです! 向こうにはフィニッシュラインもある。

    トラックというよりも、まっすぐ走ったのね。

    近代オリンピックはもちろんのこと、他の古代ギリシャの競技場にも、観客が座る座席があるのだけど、ここにはない。みんな土か芝生の上に座って観戦したらしい。

    座れる人たちもいる。

    判定者たちだ。王でも政治家たちでもない。

    そこがデモクラシーの古代ギリシャらしい。ここが、スタジアムの真ん中にあるその座席。

    これが聖火がともされる場所。

    2020年には、ここから遠く東京に運ばれるんだろうなと思うと、感慨深い。

    そんなわけで、オリンピアを廻りながら、

    近代オリンピックと古代オリンピックの違いをツラツラ考えてみた。

    <競技の数>

    古代:短距離走、中距離走、レスリング、ボクシング、レスリングとボクシングをくっつけたやつ、円盤投げ、槍投げ、幅跳び、馬車競争(ローマ皇帝ネロは、これに自ら参加して、インチキして勝利したらしい!)

    近代:柔道を含めて50以上

    <競技者の資格>

    古代:ギリシアの自由市民なら誰でも、でも男性のみ。

    近代:性別関係なく誰でも、でも金持ち国の国籍を取得する必要がある。

    <勝者の賞品>

    古代:精なるオリーブの冠、豊富なオイル、たくさんの牛、税金の免除、出身地のヒーローになる。

    近代:金・銀・銅メダル、テレビ出演、スポンサーからの報酬、広告出演料

    <競技者の服装>

    古代:裸-完全に。 特別の脱着室がある!

    近代:スポンサーのロゴや出身国の旗が入ったスポーツウエアー。

    <競技者がインチキをしたら>

    古代:ゼウスに罰金を払う

    近代:オリンピック協会に罰金を払う?

    <オリンピック開催の目的>

    古代:ギリシャの一体性を謳う。ゼウスを楽しませる。

    近代:表向きには平和を謳いつつ、各国が豊かさを競いあう。スポンサーを喜ばせる。

    いずれにせよ・・・。

    古代競技がが行われたオリンピアでは、ピンクの花が咲き乱れ、

    気持ちよい自由な風が吹いていました。

    オリンピアの勝利のモニュメントにあったニケの像。

    すぐそばのミュージアムにある。息をのむほど美しかった。

  • 大英博物館とパルテノン神殿

    「他国のお宝を、もってきちゃったんですね! 世界の大泥棒ですね」大英博物館で歴史教室をしたり、観光のご案内しているとそんな風に言われることがある。

    確かに、そういわれても仕方ないのかもしれない。

    でも、そうも言い切れない側面がある。

    2018年4月、25年ぶりに、アテネのパルテノン神殿を訪れ、その思いを強くした。

    同時にミュージアムの研究者として、観光地になった文化遺産とミュージアムの関係について、文化遺産と国民意識について改めて考えるきっかけにもなった。

    青い空の下、黄や赤の花々が咲き乱れるアクロポリスの丘に登った。壮大な大理石の建物を再び目前にして、その存在感、環境との響き合い、文化や時間とのつながりを五感で感じとり、ただただ圧倒された。25年前の春と同じように。

    それは、ロンドンの大英博物館では感じえない身震いだ。

    だが、はっきり言って、そこにあるのは、いわば建築の骨組みだけ。

    芸術的価値のある彫刻群はその場になく、半分以上は18世紀末までに、さまざまな理由で壊されたり、崩れたりした。

    残されたうちのかなりが、イギリス人トルコ大使、エルギン卿に買い取られ、最終的に大英博物館に寄贈された。19世紀初めの事だ。

    その後、アテネにはわずかな彫刻が残ったが、それらも、今はアクロポリスの丘ではなくて、目と鼻の先に建てられた新しい博物館にある。

    アクロポリス遺跡の重要な資料を保管展示する施設、文字通り、「アクロポリス博物館」だ。

    25年前はなかったこのミュージアムに、今回はじめて訪れた。

    重要な展示は最上階にあると聞き、まっすぐそこまで上ってみる。

    果たして、そのフロアーはパルテノン神殿とほぼ同じスケール/形状になっていて、まるで本物をそっくりうつしたようだ。

    東西の破風に入っていた彫刻群や、ぐるりと二重にあるレリーフ作品が東西南北や位置も正確に設置されている。

    といっても、展示されているのは、

    本物の断片か大英博物館にある本物のコピーである。

    前者は、風雨にさらされて、ほとんど見る影もない。

    後者は、コピーであることがすぐわかるような代物で、全く生気がない。

    かたや、大英博物館の方は、破損があるとはいえ、作品はどれもとても美しく、生命力が感じられる。

    決して贔屓目に言っているのではない。本当にそうなのだ。

    エルギン卿が買い取らなかったものは、そのまま20世紀に至るまで、そのまま野ざらしだったために、そこまで破損してしまった事が、心痛いくらい見て取れた。

    もし、あの時買い取らなかったら、私たちは、素晴らしい人類の遺産を失っていたに違いない。ある意味、アテネの文化遺産はこの一イギリス人によって救われたとも言えまいか?

    今回、この古都に残る彫刻群を自分の目で確認し、脳裏に焼き付いている大英博物館の作品たちと比較できたからこそ、改めて確信することができた。

    その一方で、返して欲しいという、ギリシャ側の要求もよくわかる。エルギン卿が買い取った当初、ギリシャはトルコの植民地だった。イスラム教徒であるトルコ政府にしたら、偶像ばかりの神殿に興味はなかったのだろう。それよりズバリ金が欲しかった。しかし、そのすぐあとに、古代ギリシア時代以来はじめて、ギリシャは独立を果たした。

    そんなギリシアにとって国民意識のシンボルであるパルテノン神殿は代え難い遺産にちがいない。

    2004年のアテネオリンピックに合わせて、鳴り物入りでこのアクロポリス博物館を作った背景もそこにあるのだろう。

    ところでこのフロアーは全面ガラス張りになっていて、その向こうに、アクロポリスの丘にある本物のパルテノン神殿を望む事が出来る。来館者は窓の向こうに、そのオリジナルのセッティングをみながら、彫刻群を間近で鑑賞できるように工夫されている。

    なかなか考えられた演出だ。

    大英博物館にある展示物がどんなにすばらしくても、こんなセッティングは真似できっこない。

    現場にあるこその強みを活かしている。同時に文化保存の重要性を啓蒙してもいる。

    思えば、この例に限らず、ミュージアムにあるものは、全てオリジナルの文脈から剥ぎ取られたものだ。

    遺産は本来あるべき土地にあるほうがよい。心情的にはそう思う。

    その一方で、どんなものでも、特に大理石のような自然素材は風雨にさらされるだけで、時とともに朽ちていく。

    わたしたちの子孫に先祖の遺産を残していくためには、保管保護は必須なのだ。

    そしてギリシャという国家も、古代にあったわけじゃなく、近代に創られた概念であり枠組みだ。

    パルテノンはギリシャの遺産であり、同時に人類の遺産なのかもしれない。

    これからは、そんな思いを持って、大英博物館のご案内をしよう。

  • 日が登るアブ・シンベル神殿

    2017 年1月、エジプトの旅はカイロから始まり、ナイル川を遡る行程だった。

    カイロから夜行寝台電車に乗ってルクソールへ、古都にしばらく滞在して、電車で4時間ナイル川をさらに遡り、アスワンへ。

    ローカルの匂いのするこの町でゆっくりしてから、今度は地元の長距離バスに乗って、さらに4時間南下、アブ・シンベルの地に着いた。

    ここがわたしたちの終着駅だ。

    お目当ては、ラムセス2世が建てた巨大なアブ・シンベル神殿。

    一般的な観光パックツアーなら、砂漠の僻地にあるこの神殿をみるためだけに、飛行機かナイル川クルーズで到着し、

    そこにタッチしたと思えば、すぐに別の土地に移動する。

    でも、わたしたちは日程のゆとりがあったし、その地がどれほど遠いのか、身体的に知りたかったし、この土地でも一夜を過ごしたかった。

    宿に到着したのは昼過ぎ、ここから神殿までは車で10分ほど。

    すぐに目的地に出向いてもいいのだが、今日は、伝統的ですてきな宿でリラックスして、明朝早く起きて、神殿に出向くことにした。

    神殿は朝5時から開いているという。特に夏場はとてもじゃないけれど、日中に訪れられないからだ。

    驚いた事に、その宿で日本人観光団体がランチをとっていた。

    料理で有名なその宿は、いくつもの日本の旅行代理店からコミッションを受けているらしい。

    わたしたちが出会ったのは、クラブツーリスト(近畿ツーリスト?)に参加した30人ほどのグループだ。

    聞けば、全行程5日間、今日は別の大きなホテルに滞在し、今夜のライトアップと明朝の日の出を見に神殿に行くという。

    スカーフを頭に巻いていたからか、わたしは地元に住んでいる人に思われてしまった。

    さて、明朝6時、湖畔にある神殿へ向かう。

    果たして、わたしたちよりも先にその団体の方々がいらした。

    わたしは、神殿全体が見えるところに座って、オレンジを食べながら太陽の光の神殿の様子を見ることにした。

    この神殿も、以前に書いた、カルナック神殿と同じで、

    設立者である王の誕生日と即位の日 (たまたま6ヶ月の差)に、日の出とまっすぐ対峙するように場所が選ばれている。

    選ばれた日は2月22日だから、あと1ヶ月先なので、その状態に近い現象がみられるだろう。

    クラブツーリズムの方々は、残念ながら日の出をみたらすぐに、次に移動されてしまった。

    その後、次の団体がくるまでの30分ぐらい、

    まさに友人とわたしの二人だけの贅沢な神々しい時間だった。

    日の出直前から40分ぐらい同じところに座った時の写真を並べてみることにする。

    真正面から陽が当たっている時は神殿はもっとも赤々としていて、

    太陽の位置がもっと高くなると、また彩度を落としていった。

    わたしたちの旅を終えるのにふさわしい The End だ。

    深い体験をありがとう。

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    2017.1.17.