カテゴリー: ミュージアム・レビュー

  • 水車のある博物館:バーゼル

    中秋の曇り空の下、スイスのバーゼルの町のはずれを歩いていた。
    ここには、中世の昔、修道院があったという。
    ライン川を見下ろす小高い場所には、その一部であった塔がぽつんと立っている。
    落ち葉が敷き詰められた坂道を降りていけば、時折、犬と散歩する人々と出くわした。
    川に注ぎ込むように細い運河が流れ、石造りの家々が軒を並べている。
    入り組んだ小道は、かつて人々の生活と運河が結びついていたことを静かに語ってくれた。

    その運河の一角に、大きな水車をみつけた。
    風格のある木製の水車は、今も水しぶきをあげて仕事をしている。
    それが、探していた「紙の博物館」だった。
    中に入ると、博物館というより工房そのもので、水車のギアが音をたてて回り、石臼のなかの布のはぎれを砕いていた。
    はぎれからとりだした繊維が紙の原料になるのである。

    濡れた石床を進むと、子供たちがスタッフといっしょに、製紙のある工程を実践していた。
    博物館には、そのように、製紙・製本に関し、来館者が実際に手を動かせるコーナーがいくつもあった。
    印象的なのは、それらの活動が、子供にもわかりやすいようにと噛み砕いた、
    ややもすると上から目線にもなりかねないアプローチにはなっていないことだ。
    かつての面影をうまく利用しながら、博物館のコレクションである各時代の道具がセットされ、
    製本までのさまざまな仕事を体験しながら、だれでも理解できるようになっている。
    それぞれのコーナーでつくった紙は、お土産にと封筒にいれて渡してくれる。
    子どもたちを、決して子ども扱いしすぎず、好奇心旺盛な学ぶ人として、対応しているのがわかる。
    博物館全体が、建物もモノも人々のかかわりも、実に自然で有機的だと思った。
    そして、そのことは中世ヨーロッパでは、修道士こそが本を生み出す人々だったという歴史、この土地の歴史と繋がっていくのである。

    水車のある博物館をあとに、封筒の中の紙のにおいを嗅ぎながら、町に向かって歩き出した。
    本というものが今後どのように変わっていくのか、
    その存在そのものが、消えうせるのだろうか。
    そうなったとき、この博物館はどのように次の世代に伝えていくのかと、思いをはせつつ。

    Paper Mill Museum Basel


    (03/11/2012)

  • 風景・建物・美術館:バイエラー財団美術館

    (2012年10月半ば、スイス北部のバーゼルと、首都ベルンに行ってきました。2から3回にわたり訪ねたミュージアムをご紹介します)

    フランスとドイツの国境に接するバーゼルの街中からトラムで15分ほどの郊外。
    電車から降り立つと、道路を隔てた生垣の向こうに小道があり、美術館へと続いていた。
    目指すのは、バイエラー財団美術館。
    実は、行く前から、その建物がかのレンゾ・ピアノによるものと聞いていたので、パリのポンピドュー・センターのようなハイテク・ポストモダン建築を思い描いていたのが、みごとに裏切られてしまった。
    植え込みの向こうに見えてきたのは、赤い砂岩の壁とガラスで覆われた、落ち着きのある建物。
    壁面いっぱいのガラス窓からギャラリーの内部が見通せ、その様子は庭の色づいた木々とともに、手前の池に映りこんでいる。
    池はゆるやかな傾斜となって起伏ある土地に溶け込み、目を転じればワイン畑が小高い丘に繋がっている。
    その庭にジェフ・クーンによる花で覆われた巨大な頭部が立っていなければ、現代美術の美術館だとは思わなかったかもしれない。
    チケット売り場で、これがレンゾ・ピアノの建築かと確認したほどだ。
    だが、建築や周囲の環境がもつこの穏やかさは、美術館の基本コンセプトに呼応していることを、あとで理解するのである。

    さらに建物に向かえば、美術館建築によくあるような美の殿堂に上がっていくステップがない。
    小道がそのままギャラリーの床に繋がり、圧倒されることなく、空間に吸い込まれていく。
    中に入れば、天井高く、全体的に明るい。
    池に面したギャラリーでは大窓から、内部に位置するギャラリーでは天井全体からやわらかな自然光が差し込んでくる。
    通気孔から明るい色の木材で覆われた床に至るまで、すべてが控えめだ。

    展示構成は歴史順にはなっていない。
    ひとつの部屋は2-3人の美術家たちの作品が展示されているが、その組み合わせには、審美的な観点と作品の背景に対する配慮の融合がみられる。
    ピカソとセザンヌの女性の頭部の作品を描いたものが並列しているかと思えば、アンリ・ルソーのジャングルを描いた大作の隣に大きなオセアニアの仮面が置かれてい たりする。
    後者についてつけ加えれば、「プリミティブ」というモダンの見方をいまだにやっているのかと批判的に捉えられそうだが、それぞれの作品間に主従の関係など見当たらず、同じリスペクトをもって展示されているのがわかる。
    別の部屋では、壁面すべてにマーク・ロスコの大作が架けられ、床にはジャコメッティの大きな人体像が置かれている。しかも、それらが整然と配置されているのではなく、自然な主体的位置を与えられているのだ。
    そのためか、ギャラリー内で歩いたり立ち止まったりする来館者たちさえもがその空間のなかに溶け合っているように見えた。
    はっとさせられたのは、フランシス・ベーコンのゆがんだ人体を描いた油絵と、ロダンの屈折した人体像、ルチオ・フォンタナの呼吸を思わせるような彫刻作品が並んでいる部屋だった。美術史的には関連の薄い3人の作品が、テーマや形態という点で不思議に共鳴しあっている。

    ここにあるのは、ロンドンのテートモダンのようなテーマ展示でもない。テートのように、なぜこの組み合わせなのかと悩まされることもない。 このギャラリーの展示はどこをとっても自然で気負いがない。
    そこでの体験は、どこか暖かで親密なものだった。
    それは、同じ空間に展示された作品同士が、作品と建物が、建物と周囲の風景が実に心地よく響きあっていることからもくるのだろう。月並みな言い方だが、そこには、レンゾ・ピアノや創設者バイラー、キューレターたちのパーソナルな想いが感じられたのである。

    自分のコレクションをパブリックに公開しようと思った時、バイエラーはまず手っ取り早く市に寄付することを考えたのだそうだ。(バーゼル市美術館は市規模では欧州最大と聞く)
    だが、ロケーション選びなどで難航し、最終的に財団を作って、私設の美術館をつくることにした。
    建築はコンペにせず、レンゾ・ピアノと決まっていた。その彼ともなんども美術館づくりの話合いをしたのだとか。
    もし最初の考えどおり、公の美術館にはいったとしたら、このような親密さを感じさせる美術館体験にはならなかったのではないだろうか。
    好きな美術館がまたひとつ増えた。

    beyeler foundation

    (15/10/2012)

  • スロヴァキアの小さな陶磁器ミュージアム

    スロヴァキアの首都ブラティスラヴァの小さなミュージアムのお話をしたいと思います。

    ブラティスラヴァ郊外のワインの町、モドラにある陶磁器ミュージアムです。町は色鮮やかなマジョリカ陶器でも有名で、たくさんの工房があります。町のInfoで入手した地図に、陶磁器のミュージアムが紹介されていたので、足を伸ばしてみることにしました。

    小雨降る中、地図を頼りに歩いていくと、まるで要塞のようながっちりとした茶色の建物が見えてきました。どうやらあれが目指すミュージアムのようですが、看板にはホテルとでています。
    首をかしげながら近づくと、たしかにミュージアムでもあるようです。

    ははぁ~、ホテルが経営する商売目的のミュージアムか、あんまり面白くないかもしれないな、というのが最初の推測でした。
    レセプションで、ミュージアムを見たいのだと告げると、こちらですと部屋の電気をつけてくれました。なんの変哲もない扉を開けると、時間が止まったかのような工房の中。
    いるのはわたしたちだけ、最初の推測は、どうやら間違っていたようです。

    部屋の真ん中には、かつては忙しく音を立てていたであろう砕石機が埃をかぶっています。部屋を見渡すと、水を混ぜるための大きなシンク、足で蹴るタイプの大きなロクロ、50年代式の赤いバイクが目にはいってくる。ふと窓際に目をやれば、陶磁器作品といっしょにレーニンの頭像が射し始めた光のなかにあります。

    ミュージアムらしきものがあるとすれば、壁際のガラスケースぐらい。棚には初期のあまり色づけがなされていないシンプルな陶磁器や、当時の写真が無造作に置かれているだけ。

    建物のさらに奥に入っていくと、炉釜や作業場がありました。どの一角をとっても、まるで、つい昨日まで作業をしていたのに、急に時間が止まったかのような様子です。写真から伝わるとよいのですが。

    簡易階段があったので、わくわくしながら2階へあがっていきました。そこには天井まで届くような棚が並んでおり、出来上がった陶磁器や型が置かれています。工房だったときも、ミュージアムとしての今も、陳列棚として機能しているのです。

    ここがかつて工房であったことは、もはや疑いもありません。
    ならば、なぜ、ホテルになったんだろう。いや、ホテルになったのはよしとして、なぜ、ホテルの経営者がここを残したのかが、むしろ気になるのです。これだけのスペースならば、客室がいくつも入るだろうに・・・。

    階段をさらに上がっていくと、
    やはり有名な陶芸家を輩出した歴史ある工房であったことがわかりました。工房は町の郊外に移転し、ホテルが建物を買い取ったとのこと。要塞のような建築も伝統的な工房の特徴なのです。
    ホテルの名前は、ある陶芸家の名前にちなんだもの。
    それらのことから、ホテルの経営者の伝統に対する敬意が感じられます。工房をつぶさないで、ミュージアムとして残したのも、その思いと繋がるのかもしれません。

    しかし、ミュージアムにするなら、もう少し手をいれて、もっと訪問客が入るようにしたり、ついでに陶磁器のショップなど置くのが、常道だと思うのですが。
    いや、わたしにとっては、手前勝手ながら、このような空間だからこそ、感慨深いものがあったし、逆にいえば、heritageのあり方を考えるきっかけにもなりました。


    この中途半端に忘れられた時間の隙間は、いったいホテルの経営者の考えに沿ったものなのか、単に、お金が回らないだけなのか、そこには、社会主義から資本主義への社会的移行の影響があるのか・・・。なにより、次に尋ねるときには、このまま残っているのだろうか・・・。
    そんなことを思いながら、再びばらつき始めた雨の中、傘をさしてワイナリーに向かいました。

    記事:2012.5.12

  • ママンのいる家:ルィーズ・ブルジョワ@フロイド・ミュージアム

    ロンドン北部の閑静な住宅街。フロイド・ミュージアムの前庭は桜が満開です。
    ここは、精神分析学の父ジークムント・フロイドがナチス配下のウィーンから逃れて家族と供に移り住み、晩年を過ごした家。

    ヴィクトリア期の家には彼の日常の面影がそのまま残された
    常設展示事体が面白いだけではなく、革新的な特別展示もしばしば仕掛けられ、目が離せないミュージアムです。


    その大半は、フロイドの業績や影響と関連のある美術展示で、
    しかも興味深いことに、常設展示やドメスティックな空間とコラボレートするように展示されるのです。

    今回は、フランス(後年はアメリカ)の現代作家、ルイーズ・ブルジョワでした。東京の六本木ヒルズにある巨大な蜘蛛の彫刻で御馴染みの方も多いでしょう。

    展覧会の企画を知った時、これは逃せないと思ったのですが、
    期待にたがわず、分析医の日常が彫刻家の作品と響きあったり摩擦したりするたいへん刺激的な内容でした。
    また、美術館や大都会の屋外に置かれるのとでは、異質の光が当てられていることで、ミュージアムという「スペース」そのものについても考えさせられることになったのです。

    例えば、フロイドの仕事部屋。
    ここには一点だけ、ブルジョワのブロンズ像があるのですが、すぐにそれをみつけることはかなり難しい。あなたの目は部屋全体に捕らわれてしまうから。


    壁一面の書棚から、大きな机の上、患者のためのソファー、暖炉周り、大小の飾り棚には、世界各地から集められた様々なもの、神像とかマスクとか絵画とか壷とか、好奇心をそそられるオブジェの数々が、脈略なく所狭しと並んでいる。
    部屋全体がヨーロッパルネサンス期の「驚異のキャビネット」のような独特な雰囲気で包まれているのです。

    そんな中に、これまた有機的で奇怪なブルジョアの彫刻作品があるわけですから、空間にすっかり溶け込んでいて、フロイドのコレクションかと思っても不思議ではない。


    ところが、いったんそれを見つけけるや、
    ふたつの奇妙な遭遇に立ち会っているあなた自身に、いきなり気付くことになるかもしれません。

    ブルジョワの作品は、「Janus Fleuri」とタイトルされています。
    頭の前後にふたつの顔をもったヤーヌスです。彼女の仕事は、幼少時からのトラウマや家族との関連のなかで語られることが多いのですが、精神的な問題に生涯悩まされ、NY時代は、まさにフロイド派の精神分析医の患者でもあったことは、わたしも初耳でした。

    美術作品を解釈する際に、そうした作家の背景をどのように重ねながら鑑賞すべきなのか、わたしなど戸惑ったりすることも正直あるのですが、今回の展示は、その背景をいやおうもなしに突きつけてくるセッティングになっていました。しかも、フロイドミュージアムでのこの企画は、彼女が生前から意図したものだという。

    ここには、二項対立がまざまざとあります。
    医者と患者。男性と女性。父親と娘。
    時に軋轢や衝突を生み、深い傷にもなりうる関係です。
    患者が座るソファー近くにぶら下がったブルジョワの作品そのものが、ふたつの顔をもつ守護神をモチーフとしていることも、見るものの連想を促します。顔のようでもあり、性器のようにも見える。

    これは自分の自画像だと、彼女自身が語ったとか。そのかおがスタディルームの天井から所在なげにぶら下がっている。
    フロイドの空間の中にあるからこそ、存在の引き裂かれた不安定さや、バルナビリティ、「なにものでもない」という空虚が漂ってくる。

    その反面、矛盾するようですが、彼女の作品に奇妙な親しみを感じる空間でもありました。それは、展示された場が「家族の住まう家」だったからだと思うのです。たとえそれが精神分析学者のものであれ。

    彼女のテーマは、ジェンダーなどの社会問題にまで及びますが、それ以前に家族というもっとも身近なところ、家という環境のなかで生まれたことを思い起こさせます。


    もしや、いつものように、美術館の何もない白い展示室であれば、その印象は、もっとニュートラルな平坦なものだったに違いありません。

    果たして、フロイドの家の裏庭にも、あの「Mamanママン」が立っていました。他の巨大な彫刻に比べれば、中規模の庭にマッチしたスケールの作品です。
    さりとて大人の身長をゆうに超える雌蜘蛛です。
    彼女が腹に抱える卵には、手が届きそうで届かない。

    「ママン」はブルジョワにとっての母の肖像―強靭な母であると同時に、優しく保護する母です。
    テートモダンのあの壮大なタービンホールにも、挑戦的な姿を見せてくれました。
    テートのそれや六本木ヒルズの大型作品からは、母親のもつこうした二面性というよりも、そのスケールのせいか威嚇的な印象が先にたちます。

    でも、フロイドの庭の蜘蛛は、鉄の足と頑強な外観を備え、
    同時に慈しみを内包した、身を挺して全てからあなたを守るママンです。同じテーマをもつ作品なのに、こんなにも印象が違ってくるのは、作品のサイズだけではなく、ドメスティックなセッティングからくるからに他なりません。

    これまで出会った展示のなかで、今回のフロイド・ミュージアムでの展覧会が、ブルジョワ作品についてもっともよく考えることができた機会だったように思います。
    それだけではない。
    花曇の空の下、庭のベンチに腰掛け、蜘蛛のママンを眺めながら、数週間前にみたフロイドの孫、画家ルシアン・フロイトのポートレートについて思いを巡らしたり
    ―そう、彼にとっても、‘父親と娘’の関係が大きなテーマのひとつだったけ、はたまた、「美術館」という空間について改めて考え直したりしました。


    後者については、まだまだ言葉にまとまらないけれど、
    これからも、さまざまな展示に出会いながら、考えていこうと思います。

    記事:2012.3.24

  • くにの美術館とわたしの美術館:フィリップス・コレクション

    フィリップス・コレクション

    昨年末からこのブログに綴ってきたワシントンDCとボストンのミュージアム巡りの最後に、フィリップス・コレクションのことを書いておこうと思います。

    この美術館はルノワールの「舟遊びの昼食」をはじめ、世界的な名画が集まっていることで有名ですが、ここがアメリカで最初の現代美術館だったことはあまり知られていないし、
    歴史的・社会的な背景についてもまだまだ議論の余地があるようです。

    その誕生は、ダンカン・フィリップスという美術蒐集家が自分の邸宅を美術館として一般公開した1921年に遡ります。
    当時、アメリカ合州国が豊かになるにつれて、同じようなコレクターたちが自分のコレクションを公開する動きが膨れ上がっていきます。

    やがて、その多くは、経済的、政治的折衝の中で、国の機関すなわちスミソニアン博物館群の中に組み込まれていく。
    先日紹介したヒッシュホーン美術館も東洋美術を扱うフリーア・ギャラリーも、個人のコレクションから始まり、後に国に寄贈され、国立スミソニアン・ミュージアムのひとつになった美術館です。

    では、なぜフリップス・ギャラリーは私立ミュージアムとして残ったのか。
    実際にギャラリーの壁に並べられた展示作品を見ていくうちに、それが美術館の一般的な構成方法とは違う視点から作られたものであることに気付き、また、それが開館以来のコンセプトであったことを知ると、ここに謎解きの鍵があるのではと推測が浮かんできます。

    近代ミュージアムの展示法における王道といえば、時代や流派に沿った歴史的構成でした。
    1980年代以降、その従来の構成を見直し、さまざまな実験を始めたことは、このブログでも再三ご紹介してきたとおりです。
    それは時に共通するテーマであったり、共通する手法だったり・・・と。私は、勝手に「ポストモダン展示」と呼んでいますが・・・。

    ところが、フィリップス・コレクションは、開館以来一環して歴史構成を拒絶してきました。では、何を基軸にしてきたのか。
    一言で言えば、ギャラリー全体の審美的な響き合いです。

    例えば、私が2011年12月に訪れたときは、
    ジョセフ・マリオニというコンテンポラリー・アーティストのミニマニズムの作品が、
    セザンヌやシャルダンなどの作品とともに並べられていました。
    時代も流派もほとんど接点がありません。それらしきテーマも見当たらない。

    ギャラリーの壁には「Eye to Eye」とあります。
    配慮されているのは複数の作品が壁面に並べられた状態を見たときの、
    互いの組み合わせのあるいは全体からくるリズムや調和、目への心地よさなのです。

    それは建物の建築とも同調しています。まるで、自宅の空間を飾るような細やかな配慮です。ソファーに座りながら、しばらく眺めてみたくなる、そんな空間です。

    そういう展示からは、確かに、歴史的知識を得たり、美術の影響や発展を学ぶことは難しい。反対に、国家のミュージアムは歴史を重視し、国民を教育することに主眼をおいてきました。

    歴史的構成に意味がないわけではありません。
    ましてや、ミュージアムの教育的機能を軽視しているわけでもない。
    だけど、その方向性の中で、作品に接する自然な喜びが、損なわれてしまうリスクに思いをめぐらしてみるのです。
    自分の家庭空間の中で、歴史的な観点から作品を飾るなんてしないですもんね。
    大金持ちでないかぎり、構成するほど数がないか。
    いや、言いたかったのは、実は、そこに、フィリップスが自分の美術館を国に寄贈しなかった重要な要因があるのではないかということです。

    フィリップス・コレクションはその運営維持のために今でこそ入場料をとりますが、
    開館以来、長い間、無料で開放してきました。
    フィリップス自身の言葉によれば、彼が支援したのは、学者や流行を追う人々に左右されることなく、「美を追求する孤独なアーティスト、政治的影響力や職業団体に支援されていないアーティスト」でした。
    フィリップスは優れた鑑識眼の持ち主だったようで、集められた作品の中には、後になって社会的評価が高まったものが多い。

    そして、それら名画が美的な配慮によって構成されたこのギャラリーは
    「人々に楽しみを与え、生活を高め、本当の芸術家と同じように鑑賞できるよう手助けをするところ」
    であるべきだと考えられたのです。
    これらの言葉から、彼は、ミュージアムにパワーがあることも承知していたのではないか、
    だから、そこに政治的な介入が入ることにも抗ったのではないかと想像してみたりします。

    真相はどうであれ、振り返ってみれば、私が個人的に好きなギャラリーには、
    小さなプライベートの美術館が少なくありません。
    ワシントンDCに行かれたら、スミソニアン博物館群を見て回るだけではなく、
    そういう「わたくしのミュージアム」を訪ねてみられることをお勧めします。なんだかほっとしますよ。

    あ、備忘録のつもりで付け加えます。
    かつて、このギャラリーには、マーク・ロスコが設計した庭があったそうです。
    今は増築のために壊されてしまったのだとか。いったいどんな庭だったんだろう。

    2012.2.27

  • 戦争を語る展示1:国立アメリカ歴史博物館

    博物館は、過去に起った出来事の真実について、客観的かつ中立的な立場で描くことを目指すものです。しかし、この理念の達成は至難の業、いや、不可能といってよいくらいかもしれません。

    どんなに多角的な視点からものごとを見ようと、無限に存在するもののうちから、あるものだけを選択し、ひとつのストーリーを描くという表象作業には、どうしたって主体的なまなざしが入り込んでくるからです。

    特に展示テーマが戦争である場合、たとえそれが国立のミュージアムであっても(いや、だからこそ)さまざまな軋轢や葛藤が生じます。その問題を深く考えさせられたのは、ワシントンDCにある国立アメリカ歴史博物館の展示でした。

    確かに、この厄介なテーマに少なくとも取り組もうとしていることは評価できるのかもしれません。その点、戦争の過去に対しては、まだまだ及び腰の日本のミュージアムよりも開けているといわざるを得ない。

    そうではあっても、しかし、落胆してしまいました。理由を端的にいうならば、戦争の負の部分については消極的にしか触れておらず、戦争をしたことが結局は意味のあることだったかのような語り方がなされているからです。少し長くなりますが、おつきあいください。

    戦争の展示は、当館でも最大のスペースを占めた「自由の代価」という名のギャラリーにあります。展示は時間構成。それに沿って歩けば、独立戦争に始まり、インディアンとの戦い、南北戦争、二つの世界大戦を経て、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争までを見るようになっています。

    まず、「自由の代価」という名から、わたしは首を傾げてしまいました。「自由」こそは、独立以来アメリカが国家の美徳としてきた精神ですが、いったい戦争は自由の為に払われる代価なのでしょうか。いったい誰のどういう自由だというのでしょうか。その名がまだ馴染むのは、強いていうなら、最初の独立戦争だけではないか。

    それ以外の戦争について、なぜ始めたのかと問えば、終局的には略奪であり、自分たちに都合のよい権力のためであり、利益や金のためでしかありません。イラク戦争がよい例です。イラクに戦争をしかけたのは、独裁に抑圧されたイラク国民を「自由」にするためというのが大義名分ですが、湾岸戦争以来、天然資源に関する覇権を握り、アラブの真中に自国の拠点を作ることが真の目的だったことは、広く周知されています。

    ついぞ昨年末に、オバマ大統領がイラク戦争の終結を宣言しましたが、軍隊は撤退しても、アメリカが退いたわけではありません。私的な戦争屋(旧BlackWaterなど)の兵士たちがたくさん残留し、影響力を維持しています。(アメリカにおける兵士や兵器関係のプライベート会社の成長は著しい)オイル・マネーも水面下で動いていることでしょう。イランへの威嚇にはもってこいのロケーションです。

    では、この博物館はイラク戦争をどう描いているのか。展示コーナーにあるのは、砂漠戦の兵士のユニフォーム、フセインの王宮にあったグラス、戦死したアメリカ兵のバイブル、反戦キャンペーンのバッジなど。解説は、イラク戦争のことを淡々と語り、アメリカ国民の反対があったことも示しており、政治的に中立の立場から書いているようにみえます。

    では、イラク市民の目からはどうなのでしょうか。わたしが特に違和感を感じたのは、従軍アメリカ兵の写真と言葉の横に、総選挙に投票にいったイラク市民のうれしそうな顔を映した写真が並んでいることでした。いかにも、この戦争はイラクの人々の「自由への代価」だったのだといわんばかりです。

    確かに独裁体制を打倒しデモクラシーへ道筋をつけた?・・のかもしれない。しかし、その裏でどれほどのイラクの民が殺され、傷つき、家族や住まいを奪われたか。劣化ウラン爆弾のおかげで、将来にわたっても人々が苦しまなくてはならないのか。そのことにはなにも触れていないのです。

    同じような表象は、翻って、太平洋戦争のコーナーにもみられました。いくつかの展示については、中立的な表象をしているようにみてとれます。たとえば、戦争中、在米日本人が迫害された様子について丹念に描かれている。東京など大都市における空襲や広島長崎のことも、ちゃんととりあげている。アメリカ兵士の声、天皇の声明、広島の被災者という証人の言葉もある。解説パネルは、ジャッジメントを控えた、事実を淡々と語る文調で書かれています。

    しかし、ここにもアメリカの言い訳が見え隠れする。たとえば、原爆投下に対する説明はこうです。

    まず、この投下がトルーマン大統領の個人的な判断によるものだとあります。

    そして、いくつかの都市での空襲にもかかわらず、日本は降伏しなかったこと。その間、アメリカ側も硫黄島や沖縄、そして日本の特攻隊による軍への攻撃でアメリカ側が甚大な損害を被ったことが書かれ、やがて、広島、長崎の原爆投下。そうして「日本は降伏した」のです。この文脈から読み取れるのは、「原爆が戦争を終わらせた」という見方ではないでしょうか。

    展示のバックには、投下直後の広島の航空写真があります。だけど、きのこ雲の下にいた人々の悲惨さを伝える写真や生々しい言葉はない。被爆者の痛みは抽象的なものとしてしか知覚されないのです。そして、展示は、来館者に思い巡らす隙を与えず、すぐに「勝利」のコーナーへと続いていく。ややもすると、原爆のあとに平和が訪れたという印象を受けかねません。

    ここでは、勝利に酔いしれるアメリカ国民だけではなく、戦時中、日本の植民地だったアジアの人々が解放された喜びを伝える写真や、アメリカ兵への感謝のメッセージが展示されています。そう、イラクの場合と同じですね。

    この展示ギャラリーに一貫してあるのは、最大の美徳である「自由」をもたらすために戦争をするアメリカです。それが他国の人の自由であってもです。展示が独立戦争から始まる構成をとっているのは、そのレトリックを使おうという意図があったからではないかと疑いたくなります。しかし、ここには戦争によって自由を奪われた人々の視点はありません。、戦争の真の目的はみごとに隠蔽されています。

    国のミュージアムだもの、国家がしかけた戦争に関して否定的に書くわけがない。自らを否定的に表象するなんてありえない。そう思われるでしょうか。確かに、自分の負の部分をみるのはだれでも勇気がいります。しかし、それが、ほんとうの自分でしょうか。マイナスの過去をきちんとみつめ、語り合わなければ、ほんとうの意味で開かれた自己、過去から学ぶ自己を獲得することはできないと思うのです。

    記事:2012.2.5

  • インタープリテーション・ガイド?:ヒッシュホーン・ミュージアム

    インタープリテーション・ガイド?:ヒッシュホーン・ミュージアム

    また「アンディー・ウォーホール」かァ、
    向かいのナショナル・ギャラリーでウォーホールの別の特別展を見たばっかしだし。
    ウォーホールなら、別に実物みたところでどうってことないしなぁ。

    てな感じで、DCのヒッシュホーン・ミュージアムでウォーホールの特別展をやってると知った時、気乗りがしませんでした。
    でも、時間もあるし、せっかくだから行ってみっか。

    なんと無礼な・・・いやミュージアムのお客さんはコンナもんです。

    展示室の入り口には、《Shadows》とあります。
    なんでもない壁を撮影して、その複製を何枚もつくり、
    違う色を施した作品群を並べるという、典型的な作品です。
    ギャラリーの白い壁に同じ大きさの「Shadow」の複製がズラーと横一列につながっていました。円筒形の建物で内壁も曲面になっているのですが、
    そのせいか、展示全体が見渡せない反面、どこまでも続いていく感じがするのです。

    「ここ写真OKかなあ」
    そう呟きながら足を進めると、
    展示壁の反対側に黒いタートルセーターのお兄さんが立っているのが目に入りました。
    警備の服装ではない。でも館のスタッフみたい。
    あのお兄さんに聞いてみよう!

    と思いきや、彼のほうからこちらに近づいてくるではありませんか。
    すてきなお兄さんが近づいてくるなんて、なんてすてきなギャラリーだろ! しかもですぞ、なんと彼のほうから声をかけてきた!

    「どうですか?この展覧会、どう思いますか?」
    へ?
    来館者調査か?…そんな感じもしないけど。(実は私、調査をしたことがあるので、直感でわかるのです)
    お兄さんはニコニコしています。
    その首からは青いクエッションマークとアンドリューという彼の名前がぶら下がっています。興味津々。私は、アンドリューにもっと大きなクエッション・マークをつけました。

    でも、「髪型かっこいいね」なんて言えないから・・・。
    「とってもウォーホール的で面白いですね」トカナントカ、口は勝手にしゃべってる。
    頭のなかはお兄さんへの??????が膨らんでいく。

    「この絵、ずーっと続いてるの?」
    「そうなんです。102枚」
    「わあ、スッゴい。しかもこのギャラリーのスペースにあってるウ」
    「でしょ?歴史的に初めてなんですよ、全部展示するの」・・・

    そろそろ、わたしの番に切り替えてもいいかシラン?
    「あのお、質問してもいいですか?」

    「もちろん!なんでも!」
    「あなたのことなんですけどオ」
    「・・・?」

    彼はとても気さくなひとで、わたしの質問にもいやな顔しないで答えてくれました。
    アンドリューの肩書きはインタープリテーション・ガイドというのだそうです。
    インタープリテーションとは日本語で解釈と訳されます。
    彼らは、作品や作家について基礎的な勉強をしてはいますが、
    一方的に解説をするツアー・ガイドではありません。
    作品の解釈は十人十色。
    その見方を基本的に尊重しつつ、会話をすることで、お客さんの鑑賞をさらに豊かにするお手伝いをするんだそうです。
    一人の世界に籠もって楽しんでいる人にとっては、うざったいかもしれません
    。でも、わたしのように、ただぞんざいに(?)ボーと眺めている鑑賞者は少なくないはず。彼らに声かけられることで、確かに頭のなかが刺激される。

    そのことは、実際私自身が来館者調査をしたときにも発見したことでした。
    調査の目的は、もちろん、どんな人々が美術館にやってきて、
    彼らはどんな体験をするのかを客観的に調べることです。
    展示の前で心に浮かんだことを何でも口にしてもらって、それを記録する質的調査もしました。

    調査が終わった後、協力していただいたことに感謝したら、
    彼らに感謝され返されたことが、実は少なからずあるのです。
    一人で見てたらこんなにいろいろ思わなかったかもしれない。
    あなたという聞き手がいたから鑑賞が深まったと。

    そんなふうに、だれかそばに人がいることで、(たとえその人が聞くだけだったとしても)
    なんらかのコミュニケーションが生まれ、それが作品とのコミュニケーションをより活発にするのでは。
    このインタープリテーション・ガイドは教育部門の下にあり、数年前から始まったのだそうです。イギリスでも今回のボストンとDCの旅でも、とにかく私の知る限り、そういう試みを見たことがありません。

    とにかくも、この試みは、
    美術館はみんなが静かに鑑賞する聖域か、活発な会話が生まれるフォーラムか
    ―というミュージアム学ではよく知られた疑問にも結びつくのかもしれませんね。
    ウォーホールさん、どう思います?

    記事:2022.1.22

    追記:実はここでみたウォーホールの《Shadows》が、たいへん意味深い彼の渾身のプロジェクトだったということを、10年後にNYを訪れた時に知るのです。

  • 多様性を語ることVS来館者の体験:国立アメリカン・インディアン博物館

    アメリカ国会議事堂の目と鼻の先に、国立アメリカン・インディアン博物館があります。

    スミソニアン・インスティチュート(ミュージアム施設群)のなかで最も新しい博物館(2004年設立)なのですが、コレクションにはスミソニアン博物館史の初期(19世紀後半)、西部開発の流れのなかで、インディアンの文化・歴史や生活用品が「近代的な」視点から精力的に収集されたモノがたくさんあります。

    それらは、「人類学」とか「自然史学」の範疇にいれられる「標本資料」にすぎませんでした。当時の西洋植民者はネイティヴの文化を見下していたのです。では21世紀の博物館はどのように彼らを表象するようになったのでしょうか。

    常設展示は、「Our Universe」・「Our People」・「Our Lives」というギャラリーで構成されています。ひとつの展示室内は、外壁と同じ流線的な壁で仕切られ、曲がりくねった通路の隙間には蛸壺のような空間がある。全体が有機的な感じです。蛸壺エリアではある部族のことが、中央では白人との出会いなど全体に共通するテーマが語られています。インディアンを統括的に描くのではなく、その多様性をさまざまな視点から語ろうとしているのです。

    もうひとつの特徴は、古い顔と現在の顔を並べて紹介していること。たとえば、ある部族の伝統的な狩猟道具と、子孫たちが古い知恵にテクノロジーを加えている様子を並列して語る。昨今の民族系ミュージアムでは人々の今の様子を導入することが増えてきましたが、この博物館展示では、「現在」が展示の脇役ではなく、むしろ中心的な役割を果たしているのです。興味深かったのは展示づくりの最初からネイティブの人々が参画していること。展示ができた後もさまざまなアウトリーチが継続されています。

    当館の目的は、ネイティヴの人たちとの「パートナーシップ」を通して、インディアンの文化、その「過去と現在と未来」について理解を進めることだと謳われています。常設展示室にOurという言葉が使われているのも頷けます。このように表象される者が主体的に表象の過程のなかに参加すること、また、過去だけではなく、現在の社会問題なども含め、将来への展望について語ることは、1980年代以降の欧米の博物館の方向性なのです。それは、自文化中心的なグランド・ナラティヴを見直すポスト・モダンの潮流がミュージアムにも流れているといえましょう。

    博物館が従来の表象を自省的し、より民主的な開かれたアプローチに挑戦していることは評価されれべきですが、ここにはジレンマがあることも認めなければなりません。DCで出会った人々は、アメリカン・インディアン博物館をあまり評価してはいなかった。

    「沢山ありすぎてフォローできないのよね」「散漫な印象しか残らないんだ」「ホロコースト・ミュージアムはひとつの物語がはっきりしていて、深く感動するけどね」

    彼らの批判の要因が展示構成にあることは明らかです。ホロコースト・ミュージアムとは同じMall地区にあり、とても人気があるのですが、ひとつの流れをもつストーリー展示を採用しています。当館を見学した折、他の訪問客を遠目に観察していたのですが、ほとんどが展示を鑑賞することというより、あてどなく歩き回っている様子でした。

    この利用者の批判は、インディアン博物館のミッションと真っ向からクラッシュしています。多様性を示すため、現在の人々の声を生かすために、展示の構造や内容はどうしても複雑になってしまう。逆にいえば、これまでの反省にたったからこそ物語構成を採らなかったわけですから。

    ポスト・モダン的なアプローチは先進的なミュージアムによく見られるようになった反面、その手法が来館者の体験にマイナスに作用してしまうという共通の課題が生じるようになったのです。これを解決するのは至難です。しかし大事なことは、だからといって近代的な展示手法に戻ることではないし、反対にジレンマに目を塞ぐことでもない、個々のミュージアムが内容や来館者の反応を調査したうえで、それぞれに策を講じていくしかないのかもしれません。

  • オーラル・ヒストリーの可能性 孤児院博物館

    オーラル・ヒストリーの可能性 孤児院博物館

    オーラル・ヒストリーとは、文字どおり「語られた」歴史のこと。これまでは、「書かれた」歴史が正統的な歴史だとされてきました。ミュージアム展示も書かれた歴史を基にし、「偉人」の功績、価値ある「実物」を見せ、「専門家」の解説を添えてきました。ところが、近年、欧米のミュージアムでは、見過ごされてきた小さな声をとりあげる試みが増えてきています。

    オーラル・ヒストリー展示では、具体的には、あるできごとを経験した人々の声を展示の隅や別のコーナーで、オーディオやビデオを通して紹介しているわけですが、それらはまだまだ展示の補助的な役割でしかありません。そんななか、ロンドンにある孤児院博物館(Foundling Museum)の企画展「孤児たちの声」は、その小さな声を展示の主人公にするという試みに挑戦しています。

    この博物館は、かつてイギリスで最も古い孤児院(1739年設立)があった一角にあります。その孤児院の歴史的かつ社会的意義を問うことを目的とし、常設展示は、創始者トーマス=コーラムの博愛精神や偉業を称えたり、当時のイギリスを代表する画家ホガースや音楽家ハイドンなど、この慈善事業に積極的に関わった人々を中心に語っています。孤児院は、基金集めを目的にイギリスではじめての美術館的な機能を果たした場でもあったそうです。

    でも、個人的な意見をいえば、常設展示のなかでわたしが一番好きな展示室は、孤児院に縁の品々と、現代の若者たちがそれらにインスパイアされてアーティストといっしょにつくった作品が、ともに並べられた最初の部屋です。一番好きな展示物は、孤児院の創設当時、母親が今際の別れにと子供たちに残した記念の品々―たとえば、イニシャルのはいった貝殻や、ボタン、胡桃、小さな端切れなどなど。この部屋はたくさんの物語が詰まっていて、とても面白いのですが、スペースは小さく、主展示へのイントロダクション的な存在になっています。

    件の企画展の話しに戻りましょう。今回のオーラル・ヒストリー・プロジェクトは、施設で育った孤児たちに焦点を当て、彼らとのインタビューの内容を企画展で公開しました。インタビューに協力したのは、孤児院が閉じる1954年までに、ここで幼少期を過ごした74人。
    孤児たちの名前で埋め尽くされた階段をおりていくと、暖かみのある照明で包まれた部屋に導かれます。テラコッタ色の壁には白黒やセピア色の写真、手紙などがかけられています。情報資料室によくあるような、明るいけれど逆にお役所的で冷たい感じはありません。過去のデータではなく、生きられた記憶と向き合おうとする、そんな姿勢が部屋全体に感じられます。

    74人のお話しは、「人生の初めの頃」「(孤児院への)到着」「学校生活」「外界への出発」「家族を探して」「回想」という生の時間軸に沿って構成されています。例えば、「到着」コーナーの小さな展示ケースのなかには、小さな首にかけられた識別番号の札や入所時につけられた名前が並んでいました。それらがそこでの彼らの最初のアイデンティティでした。そのケースの上には、小さなスピーカーがいくつもぶら下がっており、耳にあてれば、入所時の思い出を語る彼らの声が聴こえてきます。数字という与えられたアイデンティティの向こうに、ある個人の像が肉声によって浮かんでくるようです。

    「外界への出発」は、孤児院が全世界であった孤児たちが、16歳前後で、はじめて外の社会に出て行ったときの不安や苦悩あるいは夢を描いています。ここには、出所時に孤児院からプレゼントされ、わずかな所持品をいれた小さな鞄が展示されています。スピーカーからは、「学校をでたとき、お茶の入れ方さえ知らなかった」などの声が聞こえてきます。家庭のなかで育ったひとには想像もつかない、基本的な生活や感情に対するギャップを彼らは経験したのでしょう。

    孤児院での思い出、その後の人生、家族をつくったときの喜びと戸惑い、自分の運命を今どのように振り返っているのか、、、。彼らの、しわがれた、ときに口走り、ときに口ごもり、ときにひとごとのように単調で、ときに抑えきれず感情的になる、それぞれの声からは、ひとりひとりの自分探しの葛藤がにじみ出てきます。

    ちょっと待って、ここで語られている孤児院って、戦前の貧しかった頃の話でしょ? 現在とはなんの接点もないじゃないの?そんな指摘もあるかもしれません。でも、果たしてそうでしょうか。実はこの博物館の隣には、設立者の意志を受け継ぎ、今もさまざまな理由で孤児になった子供たちを養育している施設があります。家庭の事情で子供を育てられない状況は消えてはいないのです。家庭崩壊という現代が抱える問題によって、状況は複雑化しているのかもしれません。

    家族とは何か。さらには、わたしは誰かというアイデンティティに関する普遍的な問いかけ。孤児たちは、生まれてこのかたそれらの問題と常に向き合い、深く思慮し、そのなかで自己を形成してきたにちがいありません。だからこそ、彼らの声は、現在のわたしたちの胸深く届くのではないかと、思うのです。

    この展示は期間限定の企画展です。でも、このプロジェクトで集められた声は、博物館の重要なコレクションになることでしょう。今後の課題は、これらの声が常設展示でいかに生かされていくかという点にあります。オーラル・ヒストリーをミュージアム展示のなかに導入するには、さまざまな問題があるでしょう。なかでも大きな課題は、ミュージアムはなるべく中立的で公正であるべきという考えがある一方で、オーラル・ヒストリーのほうは個人的視点だということです。いかにバランスを保つかは一筋縄ではいきません。しかし、これまで見過ごされてきた「人々の物語」に歴史の関心が寄せられるようになってきたのは事実だし、そのプロセスのなかで、「語られる」歴史の重要性は高まっていくことでしょう。

    記事:2011年10月23日