カテゴリー: ミュージアム・レビュー

  • 女性の半身をもった古代王:エジプト博物館(カイロ)

    カイロの中心地にあるホテルに着いたのは朝6時前。

    一休みして、わたしたちの旅を宿から徒歩圏にある「エジプト博物館」から始めることにした。

    クラクションを鳴らして猛スピードでとばしてくる車の流れを必死にかわして、広い道路を渡ると、タフリール広場があった。

    2014年のエジプト革命の時に運動の拠点になり、TVカメラが何度も映し出していた。

    その向こうにそびえる赤茶色の西洋風の建物が目指す博物館だ。

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    厳重なセキュリティーをくぐって中に入ると、欧米のミュージアムに慣れている目からは、ケアが行き届いていないことがすぐ目についた。

    だけど建物自体は大英博物館のサイズに負けてはいない。

    しかも、そのほとんどが、古代エジプトのお宝で埋め尽くされている-古代エジプト文化/美術については文字通り世界最大級の博物館である。

    朝食を摂っていなかったので、ミュージアムカフェでまず落ち着いて、エネルギーを得てからいざ出陣という計画だったけれど、

    館内で簡素なフロアーマップをみてもカフェらしきものが見当たらない。

    そればかりか、展示についてのラベルも解説文もほとんど見当たらない。

    一緒にいった友人は、情報がないのがフラストレーションだとしきりに文句を言っていた。

    だが、覚悟を決めて、自分たちの感性だけで動き回ろうと決めた。

    古代エジプトについては、大英博物館でちょっとは勉強しているので、ある程度歴史背景やシンボルの意味は心得ている。

    知識のフックがあるなら、むしろ感性が赴くままに、お宝の中を動きまわるのも、知的感覚が研ぎすまされていいかもしれない。

    わかることなら友人にも教えてあげられる。

    果たして、大英博物館にはないようなさまざまなユニークなものをみることができた。

    有名なツタンカーメン王の黄金のマスクや棺はそのほんの一角でしかない。

    3000年の歴史を通しての表現の多様性は驚くばかりだ。

    なかでも、わたしにとって興味深かったものは、文化的革命王といわれる「イクナートン」にまつわるものをたくさんみたこと。

    イクナートンは決して王の像によくある理想的な美男子として描かれていない。

    細長くて、頬骨が高くて、あごがつきでている。

    離れたところからも彼の顔だと気がついた。

    pharaoh_akhenaten Wikipedea

    ところが、近づいていくとなんと、さっきまでは視界が遮られて、胸から下がみえなかったのだが、

    その下半身はどうみても、グラマラスな女性のものだ。

    腰周りはぐーっと極端にくびれて、臀部は埴輪の女性像のようにずんぐりしている。

    え、ほんとうにこれ「イクナートン?」と、思って、たまたまそこにはついていたラベルをみたら、やはりそうだった。

    面白い!

    間違いなく故意にデフォルメされているわけだが、

    だとしたら、男性王を女性的に描くことにはどんな意味や背景があるのだろうか?

    この巨大な博物館を見回しても、こんな像はみたことがない。

    (館内では写真が撮れなくて、ごめんなさい)

    周知のように、エジプトの宗教はその長い歴史を通して多神教だった。

    その中で、イクナートンは、太陽神アムンを中心とした一神教にかえた革命児だ。

    当然ながら、伝統を守ってきた神官や高級役人からは疎まれた。

    イクナートンは平和主義的な王であり、他国に脅威を与えることをよしとしなかった。

    これも、軍人を中心とする多くの上流階級には面白くないことだった。

    その結果、暗殺されたとされている。(その後継者があのツタンカーメン王)

    だが、イクナートンの時代は特異な文化が花開いた。

    その数々が、この博物館の最も奥にある重要な部屋に集まっているのだ。

    思えば、エジプト旅行を決めたのも、1年半頃前に、「イクナートン」をテーマにするオペラをみたからだった。

    その時、イクナートン役をしたのは、カウンターテナーという女性のように高い音域をこなすシンガーだった。

    その妻、絶世の美女の王妃ネフェルティティ役は、ソプラノではなく、低い声のアルトであった。

    でも、そのジェンダーと声のクロスが非常に美しいハーモニーをつくった。

    今日、この地にきて、イクナートンとネフェルティティの両性が融合する似姿を目にして、しばらく感慨にふけっていた。

    宿に帰ってから、同宿の海外旅行者たちと話していたら、

    ほとんどが、意味も何もわからず膨大な数の考古品をみてまわるだけだったという。

    情報不足はむしろ全体的体験を損ねるものだろう。

    せっかく世界規模の博物館にやってきて、もったいないことだ。

    適切な量のわかりやすい解説が必要だ。

    そのほかにも、カフェがないことなど、

    ミュージアムマネージメント的に改善すべきところがたくさんあった。

    だけれど、現時点でのエジプト政府にとっての難題はなんといっても運営資金に違いない。

    人々がいうには、2014年の革命以降、観光客が激減したという。

    エジプトは観光立国であることを思えば、かなり厳しい状況なのだろう。

    この博物館が少しでもよくなることを祈りつつ、

    最後にこれから旅する人のために覚え書きをかいておくことにする。

    <エジプト博物館へ行く人のための覚え書き> 2017・1月
    1 カメラはもって入れず、セキュリティーに預ける

    2 カメラを利用するならば、入場料とは別にチケットを買わなくてはいけない (EP 50) わたしは後でガイドブックを買えばよいと思ったが、なんとショップに英語も日本語もガイドブックがなかった!だからカメラチケットを買った方がよい

    3 博物館に入る前にガイドを雇うのも一案。だが、知識と経験あるよいガイドを探してほしい。悪いガイドだと、ハイライトだけつれていって、ちょっと何かいっておしまいということもあるらしい。だが、よいガイドなんてどうやってわかるのだろう? それが問題だ。

    4 かなり広いのにカフェもレストランもない。博物館の周囲にも入りやすいカフェやレストランがない

    5 エジプト博物館には入場料とは別に王族のミイラの部屋に入るときには特別チケットがいる

    6 博物館建物内にはトイレはない

    2017.1.6.

    注意:2024年には、その博物館はギザに移転し、リニュアルオープンした。いつか再訪して、どう変わったかみてみたい。

  • 箱が変われば、中身も違ってみえる::デュッセルドルフ K21 美術館

    美術館建築物のレイアウトが違えば、そこに展示された作品のひとつひとつ一が違って見える。たとえば、NYのグッゲンハイム美術館はユニークな建物外観で知られるが、実は内側も面白い。

    建物中央に螺旋状の巨大なスロープがあり、来館者はまず一番上にのぼり、スロープに沿って降りてくる。作品はスロープの外側の壁に並んでいる。

    だから、壁に掲げられた近代アートは、スロープによってつくられた「ある流れ」の中で鑑賞することになる。

    この夏、ドイツはデュッセルドルフの現代美術館「K21」を訪れた時も、建築の構造が鑑賞に与える影響を考えさせられた。

    同時に、美術史において、作品の表現形態や規模が変化していくならば、それを容れる器の構造も変化する事に気付かされた。

    K21の建築物は、19世紀にできた箱形の建物で、とりたて目新しいものではない。

    DSCN5687

    だが、一歩中にはいれば、控えめだが「新しさ」が加わっている事に気付く。

    オリジナルの建築物は回廊状で、以前はここに中庭があったのだろう。

    それが現代美術館として改築された時、

    中庭部分にガラス張りの天井がとりつけられ、

    かつての地面は石のフロアーになって、美術館のインフォメーションデスクやショップが設置されたのだ。

    肝心の展示室は建物の上階にあって、もとの回廊に沿って並んだ部屋が充てられている。

    ひとつひとつの部屋は、ひとりのアーティストの作品だけで構成されている。

    その多くは、空間全体を作品化した「インスタレーション・アート」だった。

    例えば、「アントニー・ロー」の部屋では、床全部に鏡が敷き詰められ、壁には映像が映され、それが床に反射している。

    中央部には階段がしつらえられていて、そこを歩く事ができる。来館者はそこで不思議な映像の世界を丸ごと体感するのだ。

    DSCN5663

    「ヒッシュホーン」の部屋は、おどろおどろしいマネキンやペットボトルや巨大なチェーンが埋め尽くしていた。

    大災害の後のような空間に身をおくことになる。

    DSCN5668

    もちろん、すべてがインスタレーションではなく、写真や絵画などの平面作品もあった。

    だが、ひとつの部屋が一作家による作品で占められているので、結果的に、ひとりの作品世界に入り込む事になる。

    このような構造の美術館ができたのは、1970年代以降、美術作品の規模が大きくなり、

    インスタレーション作品が増えてきた事と深く関わるに違いない。

    確かに、他のアーティストの作品とじかに見比べたり、関係性を見いだしたりは、難しいかもしれない。

    だが、わたし個人はその動きを好意的に受け止めている。

    あるひとりのアーティストの作品をちゃんと理解しようと思ったら、

    そのような規模で、しかも閉じられた空間の方がわかる場合が多いからだ。

    わたしが訪れた時、K21では、トーマス・サラセノというアーティストの特別展示をやっていた。

    だからといって、特別展示室というのが設置されているわけではない。

    どこかというと、かつて中庭だったところの空にはられた大きなガラス屋根の下である。

    彼はそこに巨大なネットをはって、中にメタルな巨大風船をいくつもおいた。

    なんと、そこは人々が歩き回る事ができるようになっている。

    下から見れば、まるで宙を歩いたり、這ったり、泳いだりしているように見える。

    IMG_2019
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    それだけみると、なんだサーカスかアミューズメントパークとどこが違うのよと、(高所恐怖症の)私は否定的にみてしまうのだが、先ほどの小さな展示室にも彼の作品の部屋があって、ほほうと思った。

    暗い部屋のあちこちに、キラキラ光る糸が張り巡らされたケースがおいてある。

    ひとつのケースに近づいて、よく見ると糸は蜘蛛の糸だった。

    建物の天井全体を使ったシルバーのネットは、なるほど、そのメタファーだったのだろうか。

    ということは、天井を歩く人々は、蜘蛛の餌食なのだろうか。

    みなさん、楽しそうに餌食になっている。

    なかなかのブラックユーモアである。

    トーマス・サラセノもひょっとしたら、高所恐怖症なのではと、私は、勝手に解釈した。

    K21 公式ホームページ


    2015/8/15

  • ロンドンの迷宮:サー・ジョン・ソーンズ博物館

    ロンドンはホルボーン地区の裏手に、とても魅力的なミュージアムが隠れている。「サー・ジョン・ソーンズ博物館」という。

    リンカンズインフィールドという、NYのセントラルパークのモデルになったといわれる大きな公園に沿って、ジョージア様式のタウンハウスが並んでいるが、その一角にこの博物館がある。

    狭い間口で、看板がなければうっかり見落としてしまうだろう。

    玄関から入って、まず迎えてくれるのは、典型的な18世紀の応接間だ。

    赤い絨毯、大きな窓、壁一面の本棚、立派な机やエレガントな椅子、鏡や肖像画の数々・・・

    そこまでは、中流階級のジェントルマンの家のように見てとれる。

    しかし、そこから一歩、家の奥に入っていくと、すぐに、ここが普通の生活空間とは全く違う事に気付き、驚愕するだろう。

    狭い通路の両壁には、隙間がないほど、様々な物で覆い尽くされている。

    どれもこれも、古い建造物の一部とか、彫刻とか、遺跡の破片とか・・・

    美術品とも考古学資料ともいえる物たち。

    素材も、石、ブロンズ、テラコッタ、ガラス、石膏、花瓶、ステンドグラス、化石やミイラ、宝石とさまざまだ。

    めくるめく迷宮のような空間、まさにある種の小さな宇宙だ。

    (copy right) Sir John Soans Museum
    (copy right) Sir John Soans Museum
    (copy right) Sir John Soans Museum
    (copy right) Sir John Soans Museum

    でも、断じて、アミューズメントパークではない。

    なぜなら、ここは、ある家族が住み、価値あるコレクションを家中に飾って、

    生活の場であると同時に個人ミュージアムとしても機能した空間だからだ。

    その主であり自宅を建築した人こそが、18世紀の著名な建築家、サー・ジョン・ソーンである。

    この世紀は、古代ギリシア・古代ローマの文化を賛美した「新古典主義」の時代で、

    イギリスの名家の子息や芸術家たちは、その空気を吸おうと、

    こぞってイタリアやギリシアあるいはエジプトに出かけていった。

    ソーンもその一人で、旅行を通して夥しい数のコレクションを築きあげ、

    自分の学生や弟子たちに学ばせようと、この自宅兼ミュージアムを開放した。

    亡くなる時には、ある条件をつけて、コレクションを家ごと国に寄贈した。

    その条件とは、彼が生きていた時のままに保持し公開することであった。

    言い換えれば、この迷宮のような空間は、18世紀当時の「世界観」をそのまま残しているのである。

    それがこのミュージアムのもうひとつの魅力だろう。

    何の脈略もなく並べているようにみえるが、その基礎には当時の考え方が横たわっている。

    それが何であるかは、ここでは触れないことにしよう。

    それよりもここを訪ねるみなさんにお伝えしたい小さなヒントがある。

    絶対に見逃してはいけない箇所、「ピクチャーギャラリー」と呼ばれる部屋だ。

    もし、その小さな部屋の壁が閉じていたら、そばの館員に、

    「壁の中にある絵も見せてほしい」と、頼むことを決して忘れないように。

    一見何の変哲もない壁が、実は、何重にも折りたたまれていて、

    それを開けると、不思議や、別の壁や空間が現れて、その奥に隠れていた絵画や彫刻が現れる。

    なんとそこには、ソーンの親友だった英国を代表する風景画家ターナーの作品や、

    ホガースの有名な作品が含まれているのである。

    もうひとつ。

    毎月第一火曜日には、夜間開館されているが、

    その日は、電気照明が一切使われず、すべてキャンドルの光で灯される。

    まさに、ソーンが生きていた時代の夜の様子を再現するのである。

    それはそれは、とても幻想的な空間になる。

    そのイベントにも、ソーンの遺言に忠実な心意気がうかがえる。

    もし、あなたがロンドンの大きなミュージアムには一通りいかれたなら、

    今度は、ぜひ、この魅力的なミュージアムを訪れてほしい。

  • チョコレートと大英博物館

    さっぶい日には、ミルクチョコレートが恋しくなりますよね。

    そのミルクチョコレート、イギリスには日本ではみかけない形状のがあるんです。

    ほら、粉状でなくて、こんなでかい粒の。

    大匙一杯ぐらいを火にかけながら、ぐるぐるミルクで溶かす

    ―それだけで、とても滑らかなミルクチョコレートのできあがり!

    DSCN0140

    このパッケージもなかなかすてきでしょ?

    そこに描かれたモデル、バッハみたいな人は、

    サー・ハンス・スローンといって、

    実は、あの大英博物館の設立に大きく貢献した有名なコレクターなんです。

    hans slone

    なぜにして、そんな人がミルクチョコレートのパッケージになっているのであるか?

    スローンは王室に仕える有名な医者だったのですが、 ある時、貴族の船団に乗って、ジャマイカに行く機会を得ました。

    ジャマイカにはヨーロッパではみかけない植物がわんさかあったので、収集家スローンは嬉々として集めまくったに違いありません。

    彼は、現地の人が体によいと不思議なものを好んで飲んでいるのをみて自分でも飲んでみました。

    それが、とてつもなく苦い! 妙薬は口に苦いにきまっておるではないか。

    そう、それがカカオだったのです。

    スローンは、それにミルクや甘みを加えて、飲みやすい飲み物にしました。

    それをイギリスにもちかえって広めたところ、貴族たちの間でとても人気のある飲み物になったんだそうです。

    でも、はじめのころは、薬屋さんで売ってたんだって。 そもそも効用のある健康飲料だもんね。

    スローンは亡くなる時に、自分の膨大なコレクションを二束三文で国に譲りました。

    それがすぐ後に、大英博物館が誕生する核になったのです。

    本草学の医者と、豊かな植物が育つ中南米と、「もの」を収集する博物館が、

    不思議に結びついたとても興味深いストーリーですね。

    ちなみに、チェルシー地区には、「スローン・スクエアー」駅という地下鉄の駅がありますが、スローンの大邸宅があったことに因んだ命名です。

    でもって、その地区にある素敵な庭園、「チェルシー薬草ガーデン」も、もともとこのスローンの庭だったところ。

    居心地よいお庭で、おすすめです。(冬は閉じてるけど)

    スローンのブランドは、今でもイギリスのスーパー、Waitorose で売っています。

    とても柔らかな舌触りで美味しい!

    でも美味しいからといって、飲みすぎはよろしくないですよん。

    イギリス土産なら紅茶が定番だけど、

    こんなのも、大英博物館のお土産話にもなって、なかなか機転がきいているんではないでっしょか~。

  • 神の家からミュージアムへ:イスタンブール、アヤ・ソフィア

    この空気の厚みはいったいどこからくるのだろう。巨大ドームの下に立った時、今まで経験したことのないような重厚な印象をうけて唖然とした。様々な時代の様々な祈りの言葉が、千年の時を超えてこだまする。ここは、トルコの古都イスタンブールにある「アヤ・ソフィア」だ。

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    ドーム頂上からは、アラブ文字の美しいカリグラフィーが、その下にいるすべてのものの上に降り注いでいる。ドームを支える四隅では大きな翼の天使たちが舞っている。建物の中空には、黒地に金色の優雅なアラブ文字が描かれた巨大な円がいくつも下がっている。

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    その向こうには、金色の像が浮かんでいる。幼児キリストと彼を膝に抱えたマリアの聖母子像だ。

    そのマリアの足元に目を落とすと、アラベスクで飾られた祈りの場 -メッカの方角を示すミフラーブが、そして、その右横には、イスラムの説教師が座る高座、ミンバーがある。

    ここは、ある時はキリスト教の教会、ある時はイスラム教のモスクだった聖地。さまざまな時代のさまざまな祈りの声は、この建物がもつ実にユニークな歴史の渦巻きから響いてくるに違いない。

    そのはじまりは、この地がローマ帝国の新しい都になった時、禁じられていたキリスト教がはじめて公認されたコンスタンティヌス帝(紀元後4世紀)の時代まで遡る。つまり、サン・ピエトロ大聖堂と並ぶ、キリスト教ごく初期の最も重要な聖地なのだ。かつて、ここにはキリストが架けられたホンモノの十字架が収められていたという。

    やがてローマ帝国が滅び、15世紀になるとオスマントルコの土地となり、この荘厳な建物はモスクに換えられた。ある意味それはイスラムのキリスト教に対する勝利のしるしだった。

    ドームの頂上にあった十字架は三日月に、ビザンチン美術で飾られた聖壇は、ミフラーブに換えられた。床には絨毯が敷き詰められ、ドームの周りにはミナレットが建てられた。そして、みごとなイスラムの礼拝堂として生まれ変わったのである。かつての由緒あるキリスト教会は、モスクとしても、非常に重要な位置を占めることになった。

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    再び、数百年の時が過ぎ、現在はどうかというと、非常に興味深いことに、もはやどちらの神の家でもない。オスマン帝国が滅亡し、1934年に、この国はトルコ共和国になった。初代大統領ムスタファ・ケマルの主導の下、近代化が進み、この神の家アヤ・ソフィアも世俗化し、「ミュージアム」になったのである。

    近代的技術で修復がすすみ、漆喰の中に隠れていたビザンチン美術が再び息を吹き返した。聖職者に換わって学芸員が配属されるようになった。ここを訪れる人々は、敬虔な信者ではなく、素晴らしい建築物や美術作品を愛で、過去の文化を学ぼうとする人々である。

    職業柄、これまでたくさんのミュージアムを見てきたけれど、こんなミュージアムははじめてだった。 ミュージアムといえば(宗教関係の資料を所蔵するミュージアムであれば)、かつて教会やモスクに飾られたり使われていたいたものが、オリジナルの文脈から切り離されて、その文化・教育施設の中にはいってくるのが、お定まりのケースである。しかし、ここは、宗教の場、それも世界二大宗教の場がそのままそっくりミュージアムになったのである。収蔵庫であり、展示室であり、修復現場であり、研究と教育の場であり、そしてなによりも人類が残した偉大な文化遺産だ。

    神に対する冒涜だとか、作られた時の目的のままに使われるべきだとか、あるいは人間はかつてのような宗教心をなくしてしまったなどと嘆いているのでは、毛頭ない。

    モザイクのキリストの顔も、数学的リズムが調和する文様やカリグラフィーも、それぞれに美しい。そうして、最初のポジションに立ち戻って、再び高いドームを仰ぎ見ながら、この建物が、1700年近い歴史のなかで、人々になんとさまざまな経験を与えてきたことだろうと、思いやってみるのである。

    (07/06/2014)

    P.S. 2020年8月から、トルコ政府の政策によって、またモスクに戻った。

  • カラヴァッジオと十字軍

    ロンドンのシティーに、オーダー・オブ・セントジョンという博物館がある。
    11世紀から病院があった所で、ミュージアムはその歴史を物語っている。

    現在、ここに一枚だけカラヴァジオの絵が架けられている。
    もちろんホンモノだが、この博物館の所蔵品ではない。
    アメリカの個人コレクターからの長期貸し出しだという。

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    カラヴァッジオのフォロワーのわたしとしては、普段はみることができない彼の絵に出会えるなんて願ってもないチャンスだった。

    その作品「いかさま師」は、
    注意しないとわからないようなところに、さりげなく架けられてあった。

    隠れた博物館でこっそり巨匠の作品を独り占めできるこの贅沢!

    ああ、カラヴァッジオ、カラヴァッジオである。

    作品自体の鑑賞もさることながら、
    「美術」作品がなぜこの「歴史」博物館にかけられているかということにも、とても興味を覚えた。

    今回のエントリーでは、あえてそのことを話したい。

    謎を解く鍵は、「マルタ島」である。

    博物館がテーマとして扱う「セントジョン病院」は、エルサレムへの聖地巡礼や十字軍と深いつながりがある。

    病院は旅の途中で傷ついたり病気になった巡礼者たちを癒すために作られたものだったが、その本拠地はエルサレムにあった。
    ロンドンのこの病院はいわば分館だ。

    「病院」と便宜上書いてしまったが、近代的な病院という施設がまだ確立されていない、うんと昔の「騎士の時代」の話である。

    11世紀、エルサレムはオスマン帝国の土地になった。
    キリスト教の聖地をイスラムの手から取り戻そうとして起こったのが、ご存知「十字軍」だ。
    イギリスの王族や貴族たちも率先して従軍したり、深く加担している。

    2-3世紀にもおよぶ聖地を巡る長い戦いも、十字軍の撤退という形で幕を閉じるのだが、
    エルサレムにあったセント・ジョン病院本部も、最終的によりヨーロッパに近いマルタ島に拠点を移すことになった。

    かたや、カラヴァッジオの方にもマルタ島と深いつながりがある。

    時はおくれて、16世紀のローマ。
    美術界の寵児になっていた売れっ子カラヴァッジオは、ガラッパっちな性向の持ち主でもあった。
    あっという間に大作を描きあげたら、2-3ヶ月ローマの下町をほっつき歩いて、飲みほうけたり、喧嘩をしかけたり・・・
    乱闘のあげく、ついに人を殺めてしまう。
    セレブリティーが突然お尋ね者になったのだ。

    そうして、逃げてきた先がマルタ島であった。
    その逗留中に絵の注文をうけて描きあげたのが、この「いかさま師」だ。
    ある意味、自虐的な自画像なのかもしれない。

    博物館のストーリーとカラヴァッジオの一生が、マルタ島でぴたっと重なる。
    そのことがわかってから、再び鑑賞したら、より興味が広がったのはいうまでもない。

    もうひとつ、この博物館でおっと思ったことがある。

    それは、館の入り口に、アラブ語のパンフレットがおいてあったことだ。
    現在のロンドンには、たくさんのイスラム教徒たちが住んでいる。
    イスラムと戦ったキリスト教十字軍と深く関わる病院を、どう中立的に描いているのか、
    どのように現在のイスラム教徒たちに語ろうとしているのか、
    この博物館には改めて来なければと思った。

    (24/04/2014)

  • 戦争を語る展示2:広島平和記念資料館

    広島平和記念資料館に行った。十歳の時、親に連れられ尋ねて以来である。あの時は資料がずらーと並んでいるというだけの印象だったが、それでも着物の柄が皮膚に張り付いた女性の写真や真っ黒な弁当箱、人影がくっきりと残るコンクリート壁などを鮮明に覚えている。

    現在の資料館は、ずっと博物館らしく充実していた。1995年の改築時に大きく変わったのだろう。まず今回のポジティブな感想は、パーソナルな語りが充実していたことだ。それも物と直結したストーリーである。

    た とえば女学生の下駄。

    ピカドンの後、ある母親が娘を探し回り、結局この下駄だけがみつかった。その鼻緒は母の着物でつくられていて、下 駄には娘の足跡が残っている。現物の下駄と、娘の実名、母が探し回り、鼻緒からそれが娘のものとわかったことなどが語られている。

    従来の展示手法のように、物を資料的に展示することで、できごとが抽象的に語られるのではなく、

    このように実物を介してパーソナルな記憶を語ることによって、その負の記憶は見る者、つまりはその記憶が受け継がれるべきも者の心に深く響くのではないかしら。

    このような手法は、近年、欧米のミュージアム、特にこのような負の遺産を扱うミュージアムでは主流になっている。日本もすこしずつ増えてきているならば、よいのだけれど。

    だけれど展示の全体的な構成には首をかしげてしまった。ひとつのできごとを東館と本館と違うアプローチで語っているのだ。

    東館が歴史的検証をしているのに対して、本館が焦点をあてるのは被爆者の体験という具合に。分けたからには、何か理由があったのだろうが、来館者からすれば、見学経験が 途切れてしまい、混乱を招くだけではなく、せっかくの体験が希薄になってしまう。館の統合的カタログは、構成がちゃんと考えられひとつの本になっている。 なぜ展示ではできないのだろう。

    GOOGLEで、面白い記事をみつけた。3時間かけてみるべき展示なのに、平均的見学時間は45分ほど。結果 的に、後半の本館はほとんど素通りするだけなのだそうな。で、それを解消すべく、本館から先にみてもらえるように改装をしつつあるらしい。だけど、見学順 路を変えればOKっていう、そんな話しだろうか?

    もうひとつ気になったのは、その東館の方。

    原爆が広島に落とされた主たる原因について、加害者であるアメリカの国立歴史博物館が語らなかったことにきちんと触れている。それは、戦後の日本を含めたアジアへの覇権争い(主として対ソ連)だ。

    その反面、語っていないことがある。フクシマのことだ。

    原爆と原発は切っては切り離されない問題なのに、あの重要なできごとについて、しかももう2年の歳月がたっているのに何のメッセージもない。チェルノブイリについての展示コーナーはあるというのに。

    きっ と、さまざまなプレッシャーがあるに相違ない。そのプレッシャーは、ここが日本で外国人が訪れるNO1なのに、いや、なにより国が関わるべき重要な記憶の はずなのに、国立ではなく市の財団の運営であること、今だに「博物館」ではなく「資料館」という名称であることと、裏腹なのではないだろうか。だとした ら、病巣はほんとうに根深い。

    気をとり直して、もう一度ポジティヴな面でしめくくろう。

    展示をひととおり見おわると、丹波健三がつくった建造物の大きな窓列に沿って歩きながら、出口に導かれる。

    その窓の向こうには、記念公園や現在の広島市が見渡せる。

    過去の遺産とそれを受け継いだ土地の現在を見る-ミュージアムは、過去を過去で終わらせず、現在や将来とつなげて語らねばなるまい。

    (17/10/2013)

  • 水車のある博物館:バーゼル

    中秋の曇り空の下、スイスのバーゼルの町のはずれを歩いていた。
    ここには、中世の昔、修道院があったという。
    ライン川を見下ろす小高い場所には、その一部であった塔がぽつんと立っている。
    落ち葉が敷き詰められた坂道を降りていけば、時折、犬と散歩する人々と出くわした。
    川に注ぎ込むように細い運河が流れ、石造りの家々が軒を並べている。
    入り組んだ小道は、かつて人々の生活と運河が結びついていたことを静かに語ってくれた。

    その運河の一角に、大きな水車をみつけた。
    風格のある木製の水車は、今も水しぶきをあげて仕事をしている。
    それが、探していた「紙の博物館」だった。
    中に入ると、博物館というより工房そのもので、水車のギアが音をたてて回り、石臼のなかの布のはぎれを砕いていた。
    はぎれからとりだした繊維が紙の原料になるのである。

    濡れた石床を進むと、子供たちがスタッフといっしょに、製紙のある工程を実践していた。
    博物館には、そのように、製紙・製本に関し、来館者が実際に手を動かせるコーナーがいくつもあった。
    印象的なのは、それらの活動が、子供にもわかりやすいようにと噛み砕いた、
    ややもすると上から目線にもなりかねないアプローチにはなっていないことだ。
    かつての面影をうまく利用しながら、博物館のコレクションである各時代の道具がセットされ、
    製本までのさまざまな仕事を体験しながら、だれでも理解できるようになっている。
    それぞれのコーナーでつくった紙は、お土産にと封筒にいれて渡してくれる。
    子どもたちを、決して子ども扱いしすぎず、好奇心旺盛な学ぶ人として、対応しているのがわかる。
    博物館全体が、建物もモノも人々のかかわりも、実に自然で有機的だと思った。
    そして、そのことは中世ヨーロッパでは、修道士こそが本を生み出す人々だったという歴史、この土地の歴史と繋がっていくのである。

    水車のある博物館をあとに、封筒の中の紙のにおいを嗅ぎながら、町に向かって歩き出した。
    本というものが今後どのように変わっていくのか、
    その存在そのものが、消えうせるのだろうか。
    そうなったとき、この博物館はどのように次の世代に伝えていくのかと、思いをはせつつ。

    Paper Mill Museum Basel


    (03/11/2012)

  • 風景・建物・美術館:バイエラー財団美術館

    (2012年10月半ば、スイス北部のバーゼルと、首都ベルンに行ってきました。2から3回にわたり訪ねたミュージアムをご紹介します)

    フランスとドイツの国境に接するバーゼルの街中からトラムで15分ほどの郊外。
    電車から降り立つと、道路を隔てた生垣の向こうに小道があり、美術館へと続いていた。
    目指すのは、バイエラー財団美術館。
    実は、行く前から、その建物がかのレンゾ・ピアノによるものと聞いていたので、パリのポンピドュー・センターのようなハイテク・ポストモダン建築を思い描いていたのが、みごとに裏切られてしまった。
    植え込みの向こうに見えてきたのは、赤い砂岩の壁とガラスで覆われた、落ち着きのある建物。
    壁面いっぱいのガラス窓からギャラリーの内部が見通せ、その様子は庭の色づいた木々とともに、手前の池に映りこんでいる。
    池はゆるやかな傾斜となって起伏ある土地に溶け込み、目を転じればワイン畑が小高い丘に繋がっている。
    その庭にジェフ・クーンによる花で覆われた巨大な頭部が立っていなければ、現代美術の美術館だとは思わなかったかもしれない。
    チケット売り場で、これがレンゾ・ピアノの建築かと確認したほどだ。
    だが、建築や周囲の環境がもつこの穏やかさは、美術館の基本コンセプトに呼応していることを、あとで理解するのである。

    さらに建物に向かえば、美術館建築によくあるような美の殿堂に上がっていくステップがない。
    小道がそのままギャラリーの床に繋がり、圧倒されることなく、空間に吸い込まれていく。
    中に入れば、天井高く、全体的に明るい。
    池に面したギャラリーでは大窓から、内部に位置するギャラリーでは天井全体からやわらかな自然光が差し込んでくる。
    通気孔から明るい色の木材で覆われた床に至るまで、すべてが控えめだ。

    展示構成は歴史順にはなっていない。
    ひとつの部屋は2-3人の美術家たちの作品が展示されているが、その組み合わせには、審美的な観点と作品の背景に対する配慮の融合がみられる。
    ピカソとセザンヌの女性の頭部の作品を描いたものが並列しているかと思えば、アンリ・ルソーのジャングルを描いた大作の隣に大きなオセアニアの仮面が置かれてい たりする。
    後者についてつけ加えれば、「プリミティブ」というモダンの見方をいまだにやっているのかと批判的に捉えられそうだが、それぞれの作品間に主従の関係など見当たらず、同じリスペクトをもって展示されているのがわかる。
    別の部屋では、壁面すべてにマーク・ロスコの大作が架けられ、床にはジャコメッティの大きな人体像が置かれている。しかも、それらが整然と配置されているのではなく、自然な主体的位置を与えられているのだ。
    そのためか、ギャラリー内で歩いたり立ち止まったりする来館者たちさえもがその空間のなかに溶け合っているように見えた。
    はっとさせられたのは、フランシス・ベーコンのゆがんだ人体を描いた油絵と、ロダンの屈折した人体像、ルチオ・フォンタナの呼吸を思わせるような彫刻作品が並んでいる部屋だった。美術史的には関連の薄い3人の作品が、テーマや形態という点で不思議に共鳴しあっている。

    ここにあるのは、ロンドンのテートモダンのようなテーマ展示でもない。テートのように、なぜこの組み合わせなのかと悩まされることもない。 このギャラリーの展示はどこをとっても自然で気負いがない。
    そこでの体験は、どこか暖かで親密なものだった。
    それは、同じ空間に展示された作品同士が、作品と建物が、建物と周囲の風景が実に心地よく響きあっていることからもくるのだろう。月並みな言い方だが、そこには、レンゾ・ピアノや創設者バイラー、キューレターたちのパーソナルな想いが感じられたのである。

    自分のコレクションをパブリックに公開しようと思った時、バイエラーはまず手っ取り早く市に寄付することを考えたのだそうだ。(バーゼル市美術館は市規模では欧州最大と聞く)
    だが、ロケーション選びなどで難航し、最終的に財団を作って、私設の美術館をつくることにした。
    建築はコンペにせず、レンゾ・ピアノと決まっていた。その彼ともなんども美術館づくりの話合いをしたのだとか。
    もし最初の考えどおり、公の美術館にはいったとしたら、このような親密さを感じさせる美術館体験にはならなかったのではないだろうか。
    好きな美術館がまたひとつ増えた。

    beyeler foundation

    (15/10/2012)

  • パーソナルな経験を展示にする:国立海事博物館

    ロンドンのグリニッジには、世界で最大級の国立海事博物館があります。近年、そこで大掛かりな拡張工事が行われ、新しいエントランスをもつSammy Ofer翼が完成しました。今日は、その新しい常設展示室のチャレンジについてお話したいと思います。

    Voyagers:Britons and the Sea (航海する人びと:英国人と海)と題されたギャラリーに入ると、いきなり部屋全体を占領する巨大なスクリーンに出くわします。スクリーンは、多面体を解体したような様々な角度をもつ三角形で構成されていて、一つの帯のように繋がっています。画面にはいろいろな言葉や映像が流れ、波をイメージしているのでしょう。

    解説によれば、この映像は、ミュージアムの300点ものコレクションやアーカイブをソースとして、6つのテーマ、すなわち技術、不和、レジャー、探検、貿易、航海術、のもとにグループ化され、編集されたとのこと。具体的には、航海図や航海日誌、国旗、戦争、海のレジャー体験を表したイメージが、寄せては消えまた寄せてくるというわけです。

    映像を駆使する展示テクニックは、昨今、帝国戦争博物館やロンドン博物館など、欧米のさまざまな博物館で採用されるようになりました。特徴的なのは、映像を展示の一角で説明的補助として使うのではなく、展示室全体を覆うように照らし出し、展示の主要素として利用することですが、この手法に関して、博物館関係者の間でもさまざまな論争がおこりました。

    一言で言ってしまえば、賛成派は新しいテクノロジーを展示の語りに導入した挑戦にエールを送るのであり、反対派は、それによって従来の「もの」を通しての語りが損なわれてしまうことを危惧するのです。


    わたしは、基本的には後者の立場をとります。
    これまでのところ、その導入自体が、来館者の経験を乱してしまう危険の方が強いと確信した事が少なからずあるからです。

    今回も、そのように映像を展示の中心的語り部としているわけですが、反対派の声を反映したのか、少し工夫が凝らされているようにも思いました。部屋に入るやいなや映像が圧倒的に訴えかけてくるのですが、そのバックには従来の「もの」による展示が並んでおり、そちらの方を見学する際には、鑑賞を妨げないように、映像のセッティングが考慮されていたからです。

    映像展示の是非を巡るディベートはさておき、その「もの」による語りの方が、わたしには革新的で面白かった。というのは、その展示が例えば教科書のような、社会史的あるいは科学史的な展開を追うものではなく、「人々の経験」にテーマが据えられていたからです。


    経験をテーマにするとは、少し抽象的に聞えるかもしれません。例えば、「期待」とか「悲しみ」「愛」「攻撃」など、海を巡って人々が経験した感情というものを、時代の垣根を越えて織り成してみせるのです。


    そこには、エリザベス女王やネルソン提督など歴史上の人物の海との関わりが、一介の船乗りやタイタニック号の生還者などの経験とともに語られる。手紙や手記、スケッチ、お土産、写真など彼らが残したパーソナルな「もの」を通して。

    ひとつの展示室で扱うには、かなり大きなテーマには違いありません。しかしながら、博物館のもうひとつの入り口のギャラリーとしては、来館者が親近感をもって入っていくことのできる、
    よく考えられた導入ではないでしょうか。

    さて、この第二の入り口は、第一の入り口と、別な意味でも違う貌をもっています。新しい玄関の外に、ナイジェリアの血をひくアーティスト、ユンカ・シュニバレによる大英帝国の負の歴史を語る作品(海事博物館が購入)が備え付けられているからです。
    この作品は、ホビークラフトでおなじみのボトルの中の帆船を巨大化したもの。


    しかも、その帆船、アジアやアフリカ貿易の対象になった独特な柄のろうけつ染めの布地でできています。昨年、ロンドンにいらした方ならば、あのトラファルガー広場のネルソン総督の記念塔のそばに、しばらく備えられていた作品を思い出していただけるでしょう。


    つまり、英国の航海の歴史には、植民地支配や奴隷貿易など暗い過去が歴然とあること、そのレガシーがいまだに現代社会にも横たわっていることを、わたしたちに挑戦的に喚起させるのです。

    2012.6.20