カテゴリー: ミュージアム・レビュー

  • くにの美術館とわたしの美術館:フィリップス・コレクション

    フィリップス・コレクション

    昨年末からこのブログに綴ってきたワシントンDCとボストンのミュージアム巡りの最後に、フィリップス・コレクションのことを書いておこうと思います。

    この美術館はルノワールの「舟遊びの昼食」をはじめ、世界的な名画が集まっていることで有名ですが、ここがアメリカで最初の現代美術館だったことはあまり知られていないし、
    歴史的・社会的な背景についてもまだまだ議論の余地があるようです。

    その誕生は、ダンカン・フィリップスという美術蒐集家が自分の邸宅を美術館として一般公開した1921年に遡ります。
    当時、アメリカ合州国が豊かになるにつれて、同じようなコレクターたちが自分のコレクションを公開する動きが膨れ上がっていきます。

    やがて、その多くは、経済的、政治的折衝の中で、国の機関すなわちスミソニアン博物館群の中に組み込まれていく。
    先日紹介したヒッシュホーン美術館も東洋美術を扱うフリーア・ギャラリーも、個人のコレクションから始まり、後に国に寄贈され、国立スミソニアン・ミュージアムのひとつになった美術館です。

    では、なぜフリップス・ギャラリーは私立ミュージアムとして残ったのか。
    実際にギャラリーの壁に並べられた展示作品を見ていくうちに、それが美術館の一般的な構成方法とは違う視点から作られたものであることに気付き、また、それが開館以来のコンセプトであったことを知ると、ここに謎解きの鍵があるのではと推測が浮かんできます。

    近代ミュージアムの展示法における王道といえば、時代や流派に沿った歴史的構成でした。
    1980年代以降、その従来の構成を見直し、さまざまな実験を始めたことは、このブログでも再三ご紹介してきたとおりです。
    それは時に共通するテーマであったり、共通する手法だったり・・・と。私は、勝手に「ポストモダン展示」と呼んでいますが・・・。

    ところが、フィリップス・コレクションは、開館以来一環して歴史構成を拒絶してきました。では、何を基軸にしてきたのか。
    一言で言えば、ギャラリー全体の審美的な響き合いです。

    例えば、私が2011年12月に訪れたときは、
    ジョセフ・マリオニというコンテンポラリー・アーティストのミニマニズムの作品が、
    セザンヌやシャルダンなどの作品とともに並べられていました。
    時代も流派もほとんど接点がありません。それらしきテーマも見当たらない。

    ギャラリーの壁には「Eye to Eye」とあります。
    配慮されているのは複数の作品が壁面に並べられた状態を見たときの、
    互いの組み合わせのあるいは全体からくるリズムや調和、目への心地よさなのです。

    それは建物の建築とも同調しています。まるで、自宅の空間を飾るような細やかな配慮です。ソファーに座りながら、しばらく眺めてみたくなる、そんな空間です。

    そういう展示からは、確かに、歴史的知識を得たり、美術の影響や発展を学ぶことは難しい。反対に、国家のミュージアムは歴史を重視し、国民を教育することに主眼をおいてきました。

    歴史的構成に意味がないわけではありません。
    ましてや、ミュージアムの教育的機能を軽視しているわけでもない。
    だけど、その方向性の中で、作品に接する自然な喜びが、損なわれてしまうリスクに思いをめぐらしてみるのです。
    自分の家庭空間の中で、歴史的な観点から作品を飾るなんてしないですもんね。
    大金持ちでないかぎり、構成するほど数がないか。
    いや、言いたかったのは、実は、そこに、フィリップスが自分の美術館を国に寄贈しなかった重要な要因があるのではないかということです。

    フィリップス・コレクションはその運営維持のために今でこそ入場料をとりますが、
    開館以来、長い間、無料で開放してきました。
    フィリップス自身の言葉によれば、彼が支援したのは、学者や流行を追う人々に左右されることなく、「美を追求する孤独なアーティスト、政治的影響力や職業団体に支援されていないアーティスト」でした。
    フィリップスは優れた鑑識眼の持ち主だったようで、集められた作品の中には、後になって社会的評価が高まったものが多い。

    そして、それら名画が美的な配慮によって構成されたこのギャラリーは
    「人々に楽しみを与え、生活を高め、本当の芸術家と同じように鑑賞できるよう手助けをするところ」
    であるべきだと考えられたのです。
    これらの言葉から、彼は、ミュージアムにパワーがあることも承知していたのではないか、
    だから、そこに政治的な介入が入ることにも抗ったのではないかと想像してみたりします。

    真相はどうであれ、振り返ってみれば、私が個人的に好きなギャラリーには、
    小さなプライベートの美術館が少なくありません。
    ワシントンDCに行かれたら、スミソニアン博物館群を見て回るだけではなく、
    そういう「わたくしのミュージアム」を訪ねてみられることをお勧めします。なんだかほっとしますよ。

    あ、備忘録のつもりで付け加えます。
    かつて、このギャラリーには、マーク・ロスコが設計した庭があったそうです。
    今は増築のために壊されてしまったのだとか。いったいどんな庭だったんだろう。

    2012.2.27

  • オーラル・ヒストリーの可能性 孤児院博物館

    オーラル・ヒストリーの可能性 孤児院博物館

    オーラル・ヒストリーとは、文字どおり「語られた」歴史のこと。これまでは、「書かれた」歴史が正統的な歴史だとされてきました。ミュージアム展示も書かれた歴史を基にし、「偉人」の功績、価値ある「実物」を見せ、「専門家」の解説を添えてきました。ところが、近年、欧米のミュージアムでは、見過ごされてきた小さな声をとりあげる試みが増えてきています。

    オーラル・ヒストリー展示では、具体的には、あるできごとを経験した人々の声を展示の隅や別のコーナーで、オーディオやビデオを通して紹介しているわけですが、それらはまだまだ展示の補助的な役割でしかありません。そんななか、ロンドンにある孤児院博物館(Foundling Museum)の企画展「孤児たちの声」は、その小さな声を展示の主人公にするという試みに挑戦しています。

    この博物館は、かつてイギリスで最も古い孤児院(1739年設立)があった一角にあります。その孤児院の歴史的かつ社会的意義を問うことを目的とし、常設展示は、創始者トーマス=コーラムの博愛精神や偉業を称えたり、当時のイギリスを代表する画家ホガースや音楽家ハイドンなど、この慈善事業に積極的に関わった人々を中心に語っています。孤児院は、基金集めを目的にイギリスではじめての美術館的な機能を果たした場でもあったそうです。

    でも、個人的な意見をいえば、常設展示のなかでわたしが一番好きな展示室は、孤児院に縁の品々と、現代の若者たちがそれらにインスパイアされてアーティストといっしょにつくった作品が、ともに並べられた最初の部屋です。一番好きな展示物は、孤児院の創設当時、母親が今際の別れにと子供たちに残した記念の品々―たとえば、イニシャルのはいった貝殻や、ボタン、胡桃、小さな端切れなどなど。この部屋はたくさんの物語が詰まっていて、とても面白いのですが、スペースは小さく、主展示へのイントロダクション的な存在になっています。

    件の企画展の話しに戻りましょう。今回のオーラル・ヒストリー・プロジェクトは、施設で育った孤児たちに焦点を当て、彼らとのインタビューの内容を企画展で公開しました。インタビューに協力したのは、孤児院が閉じる1954年までに、ここで幼少期を過ごした74人。
    孤児たちの名前で埋め尽くされた階段をおりていくと、暖かみのある照明で包まれた部屋に導かれます。テラコッタ色の壁には白黒やセピア色の写真、手紙などがかけられています。情報資料室によくあるような、明るいけれど逆にお役所的で冷たい感じはありません。過去のデータではなく、生きられた記憶と向き合おうとする、そんな姿勢が部屋全体に感じられます。

    74人のお話しは、「人生の初めの頃」「(孤児院への)到着」「学校生活」「外界への出発」「家族を探して」「回想」という生の時間軸に沿って構成されています。例えば、「到着」コーナーの小さな展示ケースのなかには、小さな首にかけられた識別番号の札や入所時につけられた名前が並んでいました。それらがそこでの彼らの最初のアイデンティティでした。そのケースの上には、小さなスピーカーがいくつもぶら下がっており、耳にあてれば、入所時の思い出を語る彼らの声が聴こえてきます。数字という与えられたアイデンティティの向こうに、ある個人の像が肉声によって浮かんでくるようです。

    「外界への出発」は、孤児院が全世界であった孤児たちが、16歳前後で、はじめて外の社会に出て行ったときの不安や苦悩あるいは夢を描いています。ここには、出所時に孤児院からプレゼントされ、わずかな所持品をいれた小さな鞄が展示されています。スピーカーからは、「学校をでたとき、お茶の入れ方さえ知らなかった」などの声が聞こえてきます。家庭のなかで育ったひとには想像もつかない、基本的な生活や感情に対するギャップを彼らは経験したのでしょう。

    孤児院での思い出、その後の人生、家族をつくったときの喜びと戸惑い、自分の運命を今どのように振り返っているのか、、、。彼らの、しわがれた、ときに口走り、ときに口ごもり、ときにひとごとのように単調で、ときに抑えきれず感情的になる、それぞれの声からは、ひとりひとりの自分探しの葛藤がにじみ出てきます。

    ちょっと待って、ここで語られている孤児院って、戦前の貧しかった頃の話でしょ? 現在とはなんの接点もないじゃないの?そんな指摘もあるかもしれません。でも、果たしてそうでしょうか。実はこの博物館の隣には、設立者の意志を受け継ぎ、今もさまざまな理由で孤児になった子供たちを養育している施設があります。家庭の事情で子供を育てられない状況は消えてはいないのです。家庭崩壊という現代が抱える問題によって、状況は複雑化しているのかもしれません。

    家族とは何か。さらには、わたしは誰かというアイデンティティに関する普遍的な問いかけ。孤児たちは、生まれてこのかたそれらの問題と常に向き合い、深く思慮し、そのなかで自己を形成してきたにちがいありません。だからこそ、彼らの声は、現在のわたしたちの胸深く届くのではないかと、思うのです。

    この展示は期間限定の企画展です。でも、このプロジェクトで集められた声は、博物館の重要なコレクションになることでしょう。今後の課題は、これらの声が常設展示でいかに生かされていくかという点にあります。オーラル・ヒストリーをミュージアム展示のなかに導入するには、さまざまな問題があるでしょう。なかでも大きな課題は、ミュージアムはなるべく中立的で公正であるべきという考えがある一方で、オーラル・ヒストリーのほうは個人的視点だということです。いかにバランスを保つかは一筋縄ではいきません。しかし、これまで見過ごされてきた「人々の物語」に歴史の関心が寄せられるようになってきたのは事実だし、そのプロセスのなかで、「語られる」歴史の重要性は高まっていくことでしょう。

    記事:2011年10月23日