カテゴリー: 映画/演劇/ダンス

  • 語られない歴史:原爆投下の本当の理由

    今月、アメリカで「プラトーン」や「JFK」で知られる映画監督オリバー・ストーンの新作シリーズがリリースされた。
    「The Untold History of The United States」という、戦後アメリカ史に関するドキュメントリーだ。
    このフィルムでは、ヒロシマ・ナガサキでの原爆の投下から始まって、JFK時代、ニクソン、ブッシュ、そしてオバマ大統領にいたるまでの長大な時間枠の中で、
    公には語られてこなかったストーリーに焦点があてられているという。

    「歴史」はけっして公正ではなく、「創られる」ものであることは、ホブズボウムら社会学や歴史学者たちが主張してきたことだ。
    その上でこの新作に興味を覚えたのは、日本との関係が重要なファクターになっていることの他にもう一つある。
    それは監督がこのドキュメンタリーをつくった動機だ。
    オリバー・ストーンは、アメリカでは、戦後一貫して、学校の教科書で語られる歴史が嘘で塗り固めてきたことを嘆き、
    ベトナム戦争を経験した者として、次世代に本当のことを伝えるためにドキュメンタリーをつくりたいと思っていたのだそうだ。
    わたしは、アメリカの教科書を読んだことはないけれど、
    彼の言葉は、以前このブログで紹介したスミソニアン国立アメリカ歴史博物館での戦争展示のことに直結した。

    たとえば原爆投下について、
    「あれは、戦争を終結させるために、やむを得ない判断だった」のであり、
    結果的に、アメリカ兵を家に帰らせ、アジアの多くの人々を解放した「GOOD WAR」だったと、
    アメリカの学校ではずっと教えられてきたと、ストーンはいう。そして、「うちの娘も今現に教えられている」と付け加える。
    しかし、原爆投下より以前に、日本が軍事的に大敗していることは火をみるより明らかで、
    そのことはアメリカの指令部はもちろん、日本側も充分に認識していた。
    原爆が落とされる前の7月には、天皇ヒロヒトから平和を望む旨の電信がアメリカに送られたという記録があるのだそうだ。
    つまり、原爆投下などしなくても終戦に導くことは充分可能だった。にもかかわらず、
    ふたつの都市の上に最悪のデヴィルを落としたのである。
    なぜか。
    これについては、誕生したばかりの超兵器を試してみたかったからとか、
    劣等人種をモルモットに人体実験をしたかったからなどという意見もあるけれど、
    歴史学者がコミットしたこの映画では、
    ロシア軍が大挙して日本列島にせめよせており、
    終戦後の連合国間における分け前をめぐる取引がすでに頭にあったからだと主張する。

    何が真実か。
    わたしにはそれを解くだけの知識も歴史的考察の訓練もない。
    解明されなければならないことはまだまだたくさんある。
    ただ言えるのは、歴史は「操作される」ということが、ここでも証明されたということだ。
    なにが本当の理由であれ、原爆投下が「戦争終結のためではなかった」ことは、おそらく間違いない。
    その一方で、それがために市井の人々が受けた犠牲、日本社会が負った傷は計りがたく大きい。
    そして、人道的な観点からもけっして許せない人類的過ちを隠蔽するために、
    自国アメリカ人や世界の目をくらますために、
    当事者の都合のよいように歴史は創られた。
    これは、「GOOD WAR」だったと。
    アメリカだけではない。
    占領下の日本でも、被爆の被害の大きさは国家的に隠蔽された。
    敗者の歴史は、勝者の都合のよいように捻じ曲げられ、その社会的後遺症が今も残っている。

    そのように、アメリカの教科書で一貫して書かれてきたことは、
    「歴史博物館」での語り方とそっくりそのまま符合する。
    スミソニアン国立アメリカ歴史博物館の展示は、
    原爆投下は戦争を終わらせ、多くの人々に解放をもたらしたのだと
    戦争とは人々の自由の代価なのだと、語るのだ。

    このことはもちろん、わたしたちが戦争の被害者として相手の歴史認識を問いただすだけではなく、
    翻って、自己の歴史がいかに創られてきたか、加害者としての自己はどう描かれたきたかを、真剣に問い正す契機としなければなるまい。
    少なくとも、アメリカではこのようなドキュメンタリーが公開された。
    そのことの意義は大きい。
    日本のメディアはどうか。教科書はどうか。そして、ミュージアムはどうなのだろうか。


    (26/11/2012)

  • アナ、3分 そしてフクシマへ :ビクトル・エリセからのメッセージ

    遠い外国に暮らしながらフクシマのことを書いたりすることには、説明のつかない躊躇があります。その場の空気を吸い、その苦渋の一滴も味わっていないくせに、いったいどんな言葉が吐きだせるのか。何を言っても薄っぺらなものでしかないのではないか。

    わたしにできるのは、今までほとんど無知だった放射能被害やチェルノブイリについての情報をかき集めることだけ。事故当初、海外の報道は日本の報道よりも早かったし、開かれてもいました。だから、なおのこと危機感が膨らんでしまい、日本の家族や友人たちによけいなお節介をしたのではないかと反省しています。

    もうかつての世界ではないことを理解するのは決して容易なことではありません。今日は、だからこそ、書いておきたいと思うのです。そのことを自分に言い聞かせるため、すこし遠のいてしまった痛みを思い出すために。そう駆り立てたのはスペインの映画監督でした。

    事故から7ヶ月が過ぎようというある日、ツィッターで、ビクトル・エリセ監督が日本にメッセージを送っていることを知り、驚いてさっそく開いてみました。監督は射定めたある女優に小さな映画作りを手伝ってほしいと頼んだところ、ふたつ返事で承諾をもらい、即座に制作されたのだそうです。その女優とは、あの《ミツバチのささやき》(1973)の少女アナ・トレントです。

    ご存知のように、エリセは10年に1本撮るか撮らないかという寡作の作家。それだけに、作品一本一本が作り手の心が込められた、美しい輝きを放つ珠玉です。その彼が、今回の日本の惨事をうけて、すぐさま映像のメッセージを発信してくれた、広島原爆の記念日に、素敵な女性に成長したアナといっしょに、たった3分のまっすぐなメッセージを。そのことにまず心を動かされたのです。

    コンピュータのカメラに向かって最後にアナが語りかけます。

    「わたしは感じるの、わたしたちを見つめる死者たちの問いかけを」

    そういい終わると、アナはカメラをじっと見つめる。その瞳は、わたしのなかで6歳のアナの瞳とみごとに重なりました。あのときのアナは、姉イザベルといっしょに古いフランケンシュタインの映画を見ていた。映像には女の子と花を積んで遊ぶフランケンシュタインが映し出されていましたね。その後、女の子も怪物も殺されてしまいます。そして、姉にこう聞くのです。

    「どうしてあの怪物は殺されたの? どうして女の子は殺されたの?」

    6歳のアナの瞳も成熟したアナ・トレントの瞳の奥にも同じ問いがありました。(上記の写真)

    「なぜ、彼らは死ななければいけないのか。なぜ、そのような不条理が世のなかに存在するのか」

    でも、それぞれの問いはすこし質が違うように思います。ミツバチのアナのそれは、無垢な少女のしかし本質を見抜いた純真な問い。現実と夢想のいれまじる世界に「わたしはアナよ」と呼びかけながら問う問い。舞台の控え室にいるアナのそれは、現実社会の矛盾を見据えたうえでの、訴えかけるような問いかけです。そう「わかってる」。だから、繰り返し、繰り返しひとびとに、また自分に問いかけなければならない。でなければ「地球が疲弊してしまう」。

    《ミツバチのささやき》で、小さなアナはフランケンシュタインとスペイン市民戦争後の逃亡兵をごっちゃにしていましたね。そして、その兵士も政府軍によって殺されてしまった。彼の死はスペインにとって何を意味したのか。それは、比喩を巧みにちりばめたエリセの社会への問いかけでした。当時のスペイン政府の検閲から逃れるための方策でもあった。しかし、その手法も手伝ってか、あの映像詩が生み出され、ひとびとの心に残る普遍的な作品となったのでしょう。

    今回の短い映像は、これまでの隠喩を使った手法ではなく、実にシンプルで直接的なものです。そのなかでも、静かで美しい語り口は生きています。「地球の隅々に伝わるように」と、あえてそういう手法をとったのだです。比喩や音楽でオブラートするのではなく。現実はそんなものを吹き飛ばしてしまうほど凄まじいのだから。音をいれるなら、腹底に響く尺八の音しかないし(核戦争を描いたタルコフスキー「サクリファイス」で使われた音楽)、語り手はアナをおいて他にいないのでしょう。

    主演アナ・トレント 監督ビクトル・エリセ 

    記事:2011.08.11

  • 「第三の男」とウィーンのアイデンティティ

    20うん年ぶりに映画「第三の男」を観ました。
    光と影の映像美や、墓地での長いカットシーン、すばらしい音楽が強く印象に残っています。今回は、3ヶ月ほど前に訪れたウィーンの思い出と照らし合わせながら鑑賞することができました。


    プラーター公園の大観覧車の名シーンについて言っているのではありませんよ。いえ、むしろウィーンの街全体です。はじめて観たときは、第二次大戦の敗戦国の首都ウィーンがアメリカ・イギリス・フランス・ロシアに四分割統治された背景を少ししか理解することができなかったのですが、この犯罪事件が、かつてヨーロッパ一の栄華を誇ったウィーンの街が破壊されたそのショック、アイデンティティーがずたずたに引き裂かれた都市で繰り広げられた出来事だった事がよくわかったのです。

    というのは、訪れたウィーンの街は痛みの跡も残らぬほどに修復し、文化都市としての誇りを取り戻し、クリムト生誕150周年記念展などにみるように、ウィーンのアイデンティティーを強く感じることができた。それに照射する形で、「第三の男」に現れたウィーンの街の悲哀が、甘いシターの音とともに流れてきたのです。


    本当の主人公は、名優オーソン・ウェルズ演じる「第三の男」ではなくて、ウィーンの街そのものかもしれない。

    先回は見逃してしまった興味深い面をみつけることもできました。たとえば、オーソン・ウィールズの演技も改めてすばらしいと思ったけれど、彼が住むアパートのおばあさんもよかった。
    4つの国の治安部隊や警察が、土足で彼女の静かで豊かな生活をかき乱すことに対し抗議の声をあげる、その怒りや誇り高さがよく響いてきた。


    前は小うるさいばあさんにしか見えなかったけれど、今回は、誇りを失わないウィーンの気概を体現する重要な脇役にみてとれました。

    第三の男の元恋人で、チェコスロバキア出身のアナの役は、もっと複雑でしょう。そこには戦前からの、オーストリア帝国とチェコスロバキアの関係も横たわっているに違いありません。
    それを理解するには、もっと勉強しないといけないのだろうけど。

    爆撃によってめちゃめちゃに破壊された地上と、巨大な地下水道の対比も実に面白い。あの地下水道は、過去のウィーンの力を象徴しているとも、あるいはナチスの陰とも読み取れます。第三の男がその地下水道で追跡にあい、結局地上にでることなく殺される事にも、なにか意味があるのかもしれません。

    すでに観た映画でも、その舞台となった土地を訪れてから再び鑑賞すると、さらに感慨深いものになるよい例でした。そして、もっともっと読み解きたいと興味がそそられる。名画とはそういうものなのでしょう。

    2012.7.18

  • アフリカのシェークスピア

    このブログの主たるテーマは展覧会・美術・ミュージアム関連にあるのですが、今日は、先日ストラッドフォード・アポン・エイボン(英国)のロイヤル・シェークスピア劇場で観た演劇のことを、ぜひともお話したいです。

    鑑賞したのはロイヤル・シェークスピア・カンパニーによるシェークスピアの「ジュリアス・シーザー」。それを「アフリカ」という観点から演出したもの。


    この「ジュリアス・シーザー」は、手の込んだ舞台装置やサーカス的な要素や映像の活用など一切なく、台詞もオリジナルの古い英語をほとんど変えていません。言い換えれば、シェークスピアが書き下ろした戯曲にアレンジを加えず、素のままの「演劇」づくりに徹していました。


    しかし、演じるのはすべてアフリカ系黒人の役者たち、エキストラの大半もアフリカ系移民でした。キャスティングには大きな意味があります。つまりこのプロダクションは、紀元前のローマを舞台に16世紀の英国人が描いた演劇世界が、どのように現代のアフリカ社会に響くのか、その文脈の中で読み解くことができるのかを、わたしたちに問いかけているのです。

    例えば、最初のシーザー凱旋を迎える市民たちのシーンは、観る者の頭の中で、力ある政治家を音楽や踊りで陽気に讃えるアフリカの人々の様子に自然に置き換えられる。


    パワーを巡るシーザーと周囲の元老院の人々との摩擦や背信は、アフリカ独立後の独裁者やそれをとりまく権力争い、裏切り、それに続く殺戮を彷彿とさせる。
    シーザー暗殺後の有名なブルータスやアントニーの演説のシーンは、パワーが雄弁と密接に結びつくこと、それによって人々がいとも簡単に騙されることを思い出させる。


    しかし、ここに善悪の二極はありません。パワーを巡って、それぞれがそれぞれの立場で、己の信条や運命を生き抜いていく。シェークスピアの描く人物像はどれも両義的で複雑だからこそ、真実味に裏打ちされ、登場人物のだれにでも感情移入ができたのかもしれない。同時に、その両犠牲や脆さを役者たちも、実にうまく表現していました。

    古代ローマから現代アフリカへの置き換えが、観る者の中で自然になされたのは、演出が戯曲に忠実だからに相違ありません。そしてなにより、そういう出来事や感情を、演じるアフリカ系の役者たちが、直接的にも間接的にも彼らの実人生の記憶に深く刻み込んでおり、パワーをとりまく人間の愛憎や弱さや悲しみや苦しみもよく理解しているからこそ、シェークスピアの言葉が彼らのアフリカ訛りの英語を通して、観客の心に生き生きと響いてきたのではないかと思うのです。わたしも、いくつかのシーンで、南アフリカに住んでいた時の個人的な思い出と重ねながら観てしまいました。


    たとえば、シーザーが数名の暗殺者たちによってメッタ刺しにされた後、その亡骸を囲みながら、アントニーがシーザーの衣装を市民に見せ、この傷はキャシアスによって、この傷はキャスカによって、この傷はブルータスによってなされたのだと示すシーンがあるのですが、それを見ながら、ケープタウンのタウンシップ(黒人居留区)で知り合った40代の女性が、アパルトヘイト時代、彼女の父親が黒人警官(体制側)であったため、又たいへん頑強だったために、黒人同胞たちに数十箇所も刺されて死んだことを、そして、その彼女が同じ町に今も暮らし、コミュニティーに重要な貢献をしていることを思い出してしまったのです。


    飛躍のしすぎと思われるでしょうか。でも、南アフリカの人々にとって、政治的なパワーに巻き込まれ翻弄され、自らも加担し、傷つき、乗り越えていかざるを得ない現実が、劇場の世界ではなく、彼らの日常と背中合わせにあったことに、どうしても思いが至ってしまう。そして、今この時も世界のどこかで起きていることに気付くのです。

    このように現在の人の心をうつのは、シェークスピアの戯曲が時空を越えて普遍的であり、そしてそれを十二分に生かした素晴らしい演出と素晴らしい演技、それを支えたアーティストたちのコラボレーションであったからに他なりません。
    このプロダクションが、いつに日にかアフリカ諸国を巡り、市井の人々の目の前で演じられることを期待して。

    2012.6.25